台北⇒香港(台風が去り無事帰任)

台風の状況が気にかかったが、天候はあまりよくないが、どうやらフライトは問題無さそうである。大事を取って、早めにホテルを出たが、雨にも拘わらず道路が空いていたので、2時間前には到着してしまった。

朝食を取っていないので、空港で大好きな牛肉麺(半分サイズ)を食べながら、原稿を書く。

待ち時間が長いので、追加で四川風坦坦麺を食べたが、台湾の坦坦麺というのは全く別物だ。辛くなくて(僕的には)おいしくない。

飛行機は順調に飛び、定刻の午後2時には香港に到着した。

家に直行し、休憩を取ると、少年サッカーのクリスマス会に参加。

コーチ席(円卓)が別に設定されているが、そこだけ雰囲気がよどんでいる。

僕もよどみの一員なのだが・・・

司会のコーチも、酔っ払っており、すっかりいい気分で進行をしている。結果として、会が終わるのが夜の11時半になってしまった。

小学生主体の会なので、これは、さすがに遅すぎだよ。


日本⇒台北(季節外れの台風接近)

朝便で台北に出発。

台湾は、昔(1988〜89年)一年ちょっと住んだ事もあり、思い入れが強い場所である。ただ、最初はともかく、ここ暫くは商売が伸び悩んでいる。やはり、台湾はコンサルティング業務・実務代行業務が発達しており、至れり尽せりのサービスが当たり前になっている。それを考えると、幾ら中国関係に強く、価格が安くても、現地にいないディスアドバンテージを覆すのは難しい。

とりあえず、「捨てたくは無いが、商売の開拓は難しい市場」という位置付けで、縁が無くならない程度に訪問する事としている。

という事で、今回は10ヶ月振りの台湾出張である。

今日の東京は快晴で、飛行機からの眺めが良い。

富士山のほぼ真上を飛んだので、雪をかぶった富士山が美しく見えて、非常にゆったりとした気持になった。

台湾到着は午後2時。

季節外れの台風がちかづいているようで、うって変わって天候が悪い。

フィリピンでは、少なからぬ被害が出たようであるが、12月の台風というのは、過去の記録でもあまり例を見ないようである。

日本式しゃぶしゃぶ(日本のしゃぶしゃぶと中華火鍋の折衷料理)の夕食を済ませ、11時頃迄酒を飲んでホテルに切り上げた。

何時も泊まるグロリアホテルが満杯で、ちょっと高めのホテルに泊まったが、部屋はいいものの、バスルームが水漏れし、床が水だらけ。

げっそりして、バスにつかる気が失せ、シャワーだけで終わらせる。


東京(大学時代の知人を思い出す)

今日は、打ち合わせを数件こなす必要があるので、少々長い道程であるが、東京に向かう。

昼食は、大学時代のゼミの後輩と食事をした。

彼女は、中国経済ゼミの数少ない(少なくとも十数年で唯一)女性ゼミ生で、大学時代から、中国に強い思い入れを持って、勉強していた。僕は、不真面目なゼミ生だったので、大学時代は、中国経済の知識も中国語も、彼女に大きく遅れをとっていたものである。

会うのは実に16年ぶりで、再会できるとは思っても見なかったが、同じく、中国関係の仕事をしている関係で、色々なところで、(間接的な)縁が出来、今回の再開となった。

共通の知り合いの話(ゼミの仲間は会社を辞めている人間が多いらしい)、数年前に、「てなもんや商社」でいきなり監督デビューをしてしまった、元同級生、本木克英君の話など、思い出話に花が咲いた。思い出せば、本木君と最後に話したのは、僕が福州修正時代。彼は助監督の時代で、大船の寮に電話を掛けて、お互い大変な生活を自慢しあった(?)ものである。その後、全く交信を取っていないが、数年前に日経新聞を見ていると、いきなり監督デビューしていたので驚いた。随分有名人になったもんだと感心する。

夕方は、コンシェルジュの社長と打ち合わせ。

彼は、友人であり、同い年で気心も知れているので、楽しみながら打ち合わせを行った。

同紙は、日本・上海・北京・香港・大連で発行されているが、僕の執筆している「華南シフト」の食いつきが、香港ではいいものの、上海・北京でいまいちという話である。

華南シフトは、元々同紙・香港版のために書き始めた、広東省の開発区紹介なので、上海・北京の方々の関心が低いのは、やむを得ない話である。

結果として、香港版(華南シフト継続)と上海・北京版で企画を変えることにした。

上海・北京の企画は、新聞に取り上げられた中国関係記事を毎月一つ取り上げて、背景・意義・影響などを、初心者の方にも分かりやすいように解説しようというものである。

執筆の手間は増えるが、なかなか面白い企画で、楽しく原稿が書けそうである。

夜は家に帰って食事。

食事後、屋根裏にまで上って写真を探すもやはり見つからず。


大阪⇒横浜(昔の写真探し)

午前中、大阪本社に行き、管理部と打ち合わせをする。

昼食は、社内の来客食堂で、業務部副部長と会食。中国における、外資販売会社(卸売企業)第一号である、百紅商業貿易有限公司に数年出張していた方である。

やはり、中国での実務、許認可に長く関わっている人間の共通した意見としては、「規制が大幅に緩和されても、実務面の緩和にはまだ時間がかかるであろう」というもの。

百紅での実務経験、現在僕が手がけている広州卸売企業の許認可進捗状況を、1時間程度話した。

午後に、繊維部・物資部・物流部等を回り、香港駐在経験者の面々に挨拶を済ませると、横浜に移動した。新横浜到着は、ほぼ6時。新幹線にいるときも、携帯E−mailに仕事の連絡が幾つか入り、これに対応する。こんな感じで仕事がこなせるのは、なんとも便利である。

商売も一つ決まった。

しかし、仕事のE−mailが携帯で済ませられるのはいいが、迷惑E−mailが多いのが困る。日本の事情を十分知らずに、名前を若干変えたアドレスにしてしまったので、ひどいときには、5分に一本迷惑E−mailが入ってくる。あまりに鬱陶しいので、アドレスを変更する事にした。

今日は実家に宿泊する。

昨日の酒がまだ残っており、殆ど酒が飲めないので、夕食を早々に終わらせ、昔の写真を探す。思い出エッセイに使用する、過去の写真(福州研修生時代・大学時代)を探す必要がある為である。棚を引っ掻き回したが、殆ど見つからず。

特に、重要な、福州実務研修生時代の写真が見つからないのは悔しい。

とりあえず、大学時代(1985年)の中国旅行の写真を数枚入手。添付は、その旅行で、上海のボロホテル滞在中に、40℃以上の熱を出してうなっているところ。

その代わり、なくしたと思っていた合気道儀が見つかったのは収穫である。

僕がやっていたのは、マイナー流派の合気道であるが、香港で偶然、同じ流派の有段者を見つけた。いつか一緒に練習しようと考えていたところなので、なくならないように、香港に黒帯だけ持って帰ることにする。