あたふたと日本で講演・打ち合わせ

7月5日の香港・肇慶市共同セミナーは朝の10時開演。
9時に会場集合なので、朝起きて、E-mailチェックをしていたら、朝食を食べる時間がなくなった。
あたふたと集合。
肇慶市はまだまだ知名度がない場所ながら、(更に、朝早いセミナーなのに)300人以上集まって頂いたようだ。

セミナー後は、立食懇親会。
発言時間が20分しかなかったので、「質問は懇親会場で個別に受けます」といったら、ご挨拶・質問の方が並んで昼食を食べる暇がなくなった。
食事もなくなり、会場も追い出されかけ、「昼も食べそこねか!」と天を仰ぎかけたら、香港代表部の方が、ちゃんと取っておいてくれたのでありがたかった。
10分で食事をかっ込む。

今日は、面談を数件こなして実家に。
ともあれ、引き続き精神的にくたくた。
実家でぐったり寝る。
明日の夜に香港に移動。

蘇州セミナーで総合保税区・提携物流会社とのQ&A

先日の蘇州セミナーの写真を送って頂いた。
最近、ブログに写真が無いので一応アップ。

香港と肇慶市共同セミナーに参加するため日本に

香港政府(香港投資署)と広東省肇慶市政府の共同主催セミナーでスピーチを要請されたので、香港から東京に移動する。

今回は、香港政府の招聘という事で、飛行機はビジネスクラス、講演場所の帝国ホテルに宿泊という、ゆったりした出張。

思い出すのは、2002年。
やはり、香港政府と広州市政府の共同主催セミナー(やはり帝国ホテル)にスピーカーとして招かれた事があったが、あの時は、僕も初めての本を出して間が無い時(つまり、あまり名前が売れていない時)だったので、なんと旅費自己負担。
感謝状とお茶をもらっただけであった。
「これはひどい」と思った当時の僕であったが、今回は、丁重に扱ってもらったので感謝。

勿論、5年前のセミナーは、香港政府と広東省の政府機関の共同誘致活動の第一弾(少なくとも、日本では第一弾)という記念すべきイベントで、それに参加できたのは楽しかった。
また、香港投資署(Investment Hongkong)には、後日、マイクローズ署長との面談をアレンジしてもらったり、ヘンリータンとの会食会に招待してもらったり、色々気を遣って頂いたので、結果的には参加して正解というセミナーであったのだが。


成田に到着したのが午後4時。
その後、帝国ホテルに直行して、懇親会に参加する。

2002年当時は、懇親会は、香港側、広東省側で別々だったが、今回は両政府機関一緒。
和やかな雰囲気での会食に、香港返還10年という時間の流れを感じる。

40人程度の会食だったし、講演者の中では一番若いので、寛いだ席に座ってのんびり会食できるかな、と密かに期待していたら、マイクローズ署長の隣。肇慶市長の斜め前。中国大使館の方の前という席で、日本語で雑談、という雰囲気とは程遠い状況であった。

とは言え、マイクローズ氏が、意外に気さくな方だったので、会話はそれなりに楽しかったし、酒が回ってきたら、一緒に、ロッドスチュアートの歌を歌ったりした。
それはそれで寛いで2時間を過ごす。


1年間で20代の筋力を取り戻そうと誓う

朝8時に家を出て深センに。
最近、華東地域にかかりきりになっていたので、実は深センに入るのは半年振り。
若干、朝のラッシュ時をずらしたせいか、通関もあっさり終了し、順調に面談先に到着。
合計4時間の深セン滞在だったので、今ひとつ状況つかめなかったが、久しぶりの深センは、便利で治安が良くなっていたような(表面的な印象だけだけれど)気がした。
深センには、この10年間数え切れないほど行ったが、1990年に初めて深センに行った時に、「怖い」という先入観が付いているので、今ひとつ深センに行くと構えてしまう。

昼は火間土で会食。
よく名前は聞くけど、行ったのは初めて。
当店人気1番という触れ込みの、温卵唐揚丼というのを食べる。
値段(確か、38元で味噌汁、ミニ肉じゃが付き)を考えれば、まあ悪くないという感じ。
従業員が、若干不慣れな感じがしたが、これもご愛嬌。



香港での就業後、ジムに行って走ろうと思っていたが、明日からの日本出張の前に、華南シフトの原稿を書かねばいけないことを思い出して断念。
10時前まで仕事して、近所のスーパーで生ハムとビールを買って家で食べる。

最近、やっと、走るのも筋トレも慣れてきたので、これを機に、20代の筋力を1年で取り戻そう!という計画を立てた。
大学時代は、80Kgのベンチプレスが持てた。
まあ、あれだけ練習すれば、普通の人だと100Kg持てるはずなんだけど、筋肉が付きにくい体質らしい。
今は、55Kgくらい。
あと、10年前まで、ボクシングジムに通っていた時は、56Kgの体重だった。
今は、6Kg増えてしまった(それ以上に筋力が落ちてるんだけど)。

この20年間(特に、最近10年間)の不摂生が目に見える形で提示されるのはきつい。
もう一度、過去ベストの体力を取り戻してみよう。

1年やれば、ベンチプレス+25Kg位はなんとかなるだろう!

増値税輸出免税と輸出還付打ち切りはどう違うのか

昨日ブログに書いた件。
中国ビジネス解説(NNA)の原稿で書いた増値税還付に関して、締め切りの勘違いにより、詰め切れなかった点というのは、「輸出還付打ち切り」と「輸出免税」の違い。

今回の通知では、輸出還付を打ち切る品目と、輸出免税を適用する品目が別々に出てくる。
勿論、免税適用品目は、切手、収入印紙、絵画、彫刻等、多くの日系企業にはあまり関係が無い内容であるが。

輸出免税というのは、「輸出に対して課税をしない」という事であるが、増値税は国内取引を課税対象としているので、輸出に対して課税をしないのは、ある意味当たり前の話とも言える。
但し、免税の場合、仕入増値税の還付(所謂、輸出還付)を適用しないのが、ゼロ税率が適用される一般の輸出とは異なる点である。
では、「輸出還付が打ち切られた品目」と、「輸出免税品目」ではどう違うのか・・・


という事を解説しかけて、昨年公布された、「輸出貨物税還付(免除)の若干の問題に関する通知(国税発[2006]102号)」を思い出した。
ここでは、国が増値税の還付(免除)を行わない事を明確に規定している貨物に関しては、輸出還付を認めず、更に、国内販売と見なして販売(輸出)に関する増値税を徴収するという事が規定されている。
とすると、輸出還付打ち切り対象品目は、輸出に対しても販売増値税を納付する必要が出てくる(実務的には、輸出FOB価格にのせざるを得ないであろう)。
とすると、「ゼロ税率適用品目ながら、増値税輸出還付打ち切り対象品目(変な言葉だ)」と、「輸出免税品目」では、明らかな違いが出てくるわけだ。

上述の国税発[2006]102号は、ある意味、懲罰的な増値税課税を既定した通知で、「申告期限切れ、証憑整備の不備」等が生じた場合は、輸出に対しても国内取引と見なして増値税課税を行う事を既定したもの。
これと、産業選別的な意味合いはあるとは言え、合法的な取引である、増値税還付打ち切り対象品目を同等に扱うのは、今ひとつ割り切れないものを感じるが、それはともあれ、
● 実際の運用状況はどうか
● (輸出に対する増値税課税はさておき)仕入控除の適用はどうなっているか
という点に付いて、運用状況も確認した上で解説をしたかったもの。

この点は、すぐに確認できるので、今週中に、新しい原稿にしよう。


思い起こせば10周年だ。香港も僕も

休日なので、昼までのんびりしてから、ふとE-mailチェックをしていたら、明日(7月2日)の中国ビジネス解説(NNA)の原稿が届いていないという連絡が入っていた。
香港が振り替え休日なので、本土も同様(休載)だと勘違いしていた。
あせって、1時間で原稿を書いて提出。1点、確認を要する点があったけど(明日のブログで書きます)時間の関係で、詰め切れなかった。
残念。

その後、ジムに。
1時間走って、筋トレをする。
最近やっと、走るのが楽になってきた。
ジムからの帰りに、オフィスの前のタマール広場を通ったら、セレモニーがある様で、随分人が出ているのが目に付いた。


そしたら、10年前の赴任したての頃を思い出した。
あれは1997年。
香港の中国返還の年であった。
当時、33歳だった僕が、丸紅香港会社の経理課長代理の肩書きで赴任したのが4月。
慣れない仕事で効率が悪かったので、いたずらに深夜残業・休日出勤を繰り返していて(今から思えば、さほどたいそうな仕事ではなかったが)、返還記念式典の6月30日にはくたくただった。三連休だった記憶があるが、これで緊張の糸が切れたもの。
夕方まで休日出勤してから、近所のスーパーで、シャンパンと持ち帰り寿司を買って、一人でTVで記念式典を見ながら食事をした。
ウニ・いくらと、シャンパンはちょっとアンマッチだった。
遠くで、「どんどん」花火がなっていたけれど、家からは見えずに残念だった。
実家に電話をして、「返還式典日本でもやってるでしょ。見てる?」と聞いたら、「暴れん坊将軍見てる」と言われた。
「歴史的瞬間なんだから見てよ」と言ったら、「いやさ」と言われて、ぎゃふんと言ったものだ。

翌日が7月1日。
その日も盛大な花火があったので、ちょっと体調が回復した僕は、夜に会社に行って花火見物した。
会社の窓から、花火が良く見えるので。
花火が終わり、地下鉄の混雑を避けるために、近所の日本料理屋で、カツ煮定食を食べたのをなぜかよく憶えている。
食べ終わって街中にでたら、街中を歩くたくさんの人達が目に付いた。
祭りの後、という感じであった。
中国に戻った香港。
少なくとも、街中を歩く人たちからは、その変化が感じられなかった。
あれからどうなるのだろうと考えて、10年が経過した。

金融危機やらSARSやら、色々な事があったけど、香港はたくましく生きている。
僕も、随分変化があった。
色々悩みもあるけれど、たくましく生きてかなきゃ!
この十年間を、瞬時に思い浮かべ、そんなことをふと感じた。
僕も、まだまだ戦える!