昔の生徒(?)とちょっと高級火鍋で会食

調味料とそれで作ったたれ

夜は香港で会食であった。
相手は、マカオのインキュベーションセンターで知り合った岩田さん。

マカオに、Japan Business Incubation Centerという会社があって、今では、コンサルティング・調査・請負のソリューション会社となっているのであるが、以前は、中国ビジネス研修を行う組織であった。
そこで数か月、僕は顧問をしていたのだけれど、その輝かしい第1期卒業生(卒業証書はないけれど)が岩田さんである。
僕も数か月講師として授業をしたものだ。

半年前に僕が福岡に出張した時、美味しい焼き鳥を食べさせて頂いたり、カクテル屋台に連れて行って頂いたり、楽しい数日間を過ごさせてもらった。
今回は、同氏がマカオ・香港にご出張されるという事で、食事にお誘いしたもの。

取りあえず、午後5時半に銅鑼湾で落ち合い火鍋屋に直行。

なべの具を前にした岩田さんとこの店の売り物の肉

行ったのは、開店間もない火鍋屋。
店は新しく内装も奇麗。
店員さんは、まだちょっと慣れてない感じで、隣の席のミル貝刺身とか、米国牛とかをこちらの席につけていて、「違うよ~!」とか騒ぎになったりしたのであった(すぐに修正してくれたけど)。

そんな感じで、肉を食べ、大好きな生根(油揚げボール)と魚の皮の揚げたのを食べ、紹興酒を飲んで盛り上がる。
料金は550元くらいなので、食べた量を考えればまずまず。

最後に出前一丁を入れて食べた後のスープが大変美味しかった。

設備免税・保税輸入制度の変化

中国本土の国慶節休みの間に仕事のキャッチアップをしようと思い、ともあれ休日も働いてやっとノルマが達成できたという感じ。

実務(ご質問に対する回答等)を終わらせ、たまっていた原稿を書き、新会社の開業1ヶ月目の損益を把握し、等など。
一通り終わってほっとしたが、疲れもどっと来た。
まあ、やらされている辛さがないから、充実感があるのはいいけれど。
あとは、自主企画の講演会の準備をそろそろ始めなくてはならない。
やる事は目白押しだ。
ありがたい。

週末に書いた原稿は、「保税区域の概要」、「労働争議の増加の分析」、「設備免税輸入制度・無償提供設備の政策変更」、「親子企業間のサービスフィーの支払いに関する税務処理」といった内容。


設備免税輸入制度・無償提供設備の制度変更に付いては、ここ暫く、関連する税関公告が矢継ぎ早に出されているし、ご質問も多いので、考え方(というか、全体の流れ)を一通りまとめたもの。
大掴みな言い方をすると、
① 奨励分類の外資企業が総投資の範囲内で行う免税輸入は引き続き有効である。
② 加工貿易の無償提供設備の制度も引き続き有効である。

但し、昨年より、特定の大型設備(NC機器、紡織設備、農業設備、運搬車両等など)の国内生産が奨励され、関連する部材の免税輸入制度(但し、先徴収・後還付形式)が実施されているので、それに関連する設備自体の免税輸入が禁止・制限されてきているというもの。
よって、特定のNC機器等の輸入に関しては、免税輸入制度・無償提供制度共に、引き続き有効ではあるが、輸入関税は課税される(輸入段階の増値税だけ免除される)。
関連公告が出されている、それ以外の大型設備に付いては、免税・保税輸入が禁止されたという事になる。

設備の免税輸入制度は、過去の経緯をみると、
● 一旦、打ち切り(1996年)の上、享受できる対象を奨励分類企業に絞って再開(1998年)。
● 100%製品輸出を前提として、許可分類から奨励分類にランクアップされた企業に対しては、一旦、関税・増値税を納税した上で、輸出実績を確認後5年に渡って還付する方法に変更(2002年)。
同時に、一部の金型を免税輸入対象から除外。
● 2007年外商投資産業指導目録の改定に伴い、100%輸出ランクアップ企業の免税輸入制度を廃止。
⇒ 実は、制度が廃止される以前から、法律はさておき(数年遅れで実施細則まで出たものの)、実際に還付を受ける事ができた企業を、僕自身聞いた事がありません。還付された企業をご存じの方は、是非、教えて下さい。

この様な動きを経て、今回の大型設備国産化奨励の一環とした、免税・保税輸入制度の調整が行われてきたもの。

こうして見ると、一連の流れが読める気がする。


日本で買った推理小説と日本でみたおなじみの光景

日本出張はばたばた続きであったが、成田にはちょっと早めについたので、いつもの如く本を数冊買い込んだ。

その中の1冊が、東野圭吾の「容疑者xの献身」。
東野圭吾の本は、過去に数冊読んだけど、今一つ僕と合わなかったので、ここ暫く話題になっていても、買う気にならなかった。
今回買ったのは、思いつき。
しばらく、「やめようかなぁ。この作者の文体とは合わないからなぁ」と考えた末に買ったもの。

が、これは久々に「おっ!」と思う推理小説だった。

いままで、小説の最終段階で、「これはやられた!」と思ったのは、アガサクリスティの、「そして誰もいなくなった」と、「アクロイド殺害事件」。
これは、中学生の頃に読んだのだけど。

今回の本の最終章の驚きは、それ以来であった。

よく練られた文体で、理論的に話が進んでいくのが上手い。

映画はどうかな。


さて、推理小説と全然関係ないけど、前回の日本で印象に残ったのは夜遅くなっても電車が混んでいる事。

今までは、東京のホテルに泊まったり、東海道線で横浜の実家に帰る時は、「たまの日本だし」とばかりにグリーン車に乗ったりしていたけれど、独立起業したての今は、そんな贅沢はしていられない。
何しろ、息子が、修学旅行に行ってよいか悩んで、申込みをクラスで最後に出したと言っていたくらいだ。
収入が追い付くまでは、冗費節減!

という訳で、大塚での宴会後、港南台(京浜東北線の終点近く)まで山手線⇒京浜東北線で帰る事にした。
時間にして85分くらい電車に乗っているので結構辛い。

おまけに、全然座れない(東京駅は夜の10時半頃)。
更に、磯子止まりで電車乗り換え。

「遠いよなぁ~」と磯子駅でホームで立っていると、磯子止まりの電車の中に酔っぱらった人がいる。
なかなか足がもつれて立てないようだ。
座席をつかんで、必死に立ち上がろうとするのだが、酔っているので、何やら電車の座席と格闘しているようだ。
そうこうしている内に、背もたれ部分がパカッとはずれ、それを持ってうろたえる酔っぱらった人。
今度は、もつれる体で、必死になって座席を戻そうとする。

「酔っても忘れぬモラルは立派だが、役に立ってないですぞ」と心の中でつぶやいて、一部始終を見ていた僕であった。

あ~。平和な日本のいつもながらの景色だ。

中国の治安の悪い工場地帯でやったら身ぐるみはがされそうだからなぁ。

羞恥心と山下公園に高校時代を思い出す

息子が最近、念願のIpodを手に入れたので、音楽をダウンロードするために僕のPC夜中に使ったりしている。

そんな訳で、「お~い、仕事ができないから早く返してくれよ~」といった様なやり取りが続いたりもした。
まあ、そろそろ家のCDを入れ終えたらしいので、これもおさまるであろう。

ただ、PCに曲名付きでダウンロードしてくれるので、僕も利用できて便利といえば便利だ。
そんな事で、ダウンロードした曲名を見ていると、「羞恥心」というグループがいて、「へぇ、変な名前のグループがあるんだね」と驚いた。

全然関係ないけど、羞恥心と言えば、高校の秋の学園祭の時、クラスで縁日をやった事を思い出す。
クラスごとに出し物のタイトルを決めないといけないのだが、クラスで投票をしたら、悪乗りする人間が多くて、「縁日・羞恥心」というタイトルになってしまった。

「羞恥心はまずいだろ!」と心ある人数は反対したが、なし崩し的に決まってしまって、パンフを見るとき恥ずかしかったものだ。
勿論、変なのは名前だけで、実際には、人間モグラたたきとか、お神籤とか、小物売りとか、至ってまともな内容だったのだが。

そんな話を息子にしたら、「へぇ~。羞恥心かぁ。格好良いねぇ」という反応が返ってきた。
言葉のイメージも随分変わるものだ。


そんな感じの縁日をやったのは高校2年の時。

1年の時は走れメロスの映画をやった。

走れメロスのパクリみたいな、行き当たりばったりの映画だった。
友人とレコード屋に行ったメロス君が、お金が無いので、友人を人質(?)にして、レコードを買い、そのまま、面倒くさいので家に帰って助けに行かなかったら、友人が、香港に売られてしまったというありがちな内容。

まあ、高校の隣の駅に中華街とか有ったので、何となく、高校の頃から中国テイストに馴染んでいたのだな。

最後に、山下公園で、船から逃げ出した友人が海から上がって、メロスを追い回すというシーンを撮った時、折も折、高い波が来て、友人役の人間がびしょぬれに。
大変迫真の光景がと撮れたという落ちも付いた。

先週、山下公園・中華街に行った時に懐かしく思い出した。
その時の映画自体は、学生の自己満足的な内容で、全然受けなかったけど・・・

あ~ 幼かった高校時代が懐かしい。

新著発売(中国保税開発区・倉庫活用実践マニュアル)

1年数か月ぶりの本がやっとエヌ・エヌ・エーから出版!
中国保税開発区・倉庫活用実践マニュアル

ともあれ、今年(2008年)は税法が改定され、会計準則も外資に奨励される事になったので、昨年は一般性のある本の執筆は控えていた。
そこで、組織変更・撤退、加工貿易に引き続き、またもやマニアックな本を書いたもの。

昨年末から執筆開始したので、本来は今年半ばの出版を予定していたのであるが、ここ半年以上のごたごたで、執筆・出版できる時間的・精神的な余裕が全くなく、遅れに遅れていた。

そんな感じでじりじりしていたけど、やっと完成!

保税区域(保税区、輸出加工区、物流園区、保税港区、総合保税区、保税物流中心A、B型、クロスボーダー工業園区)と、保税倉庫、輸出監管倉庫だけで300ページ。

保税区域が絡んだビジネスモデル図から、関連法規、外貨管理、増値税還付、その他、ビジネスに関係ある事項は一通り盛り込みました。

是非!

西田元中国総代表の思い出

元丸紅中国総代表、専務取締役の西田健一氏が逝去されたとの連絡があった。

西田元専務とは、直接の上下関係になった事はなかったが、同時期に中国・香港で仕事をさせて頂いたし、コンサルティングを始めてからも、随分温かく見守って頂き、サポートして頂いた。
その時の印象は、男気があり潔い方。
そして、責任から逃げない方であった。

まだまだご活躍頂きたい方だっただけに残念だ。

小さな事ながら覚えているのは、2001年のアモイ投資商談会の事。
当時アモイ所長を兼務していた僕は、社有車で西田元総代表と二人で移動していた。

その際突然、「丸紅香港で保有している社宅5件の購入は俺の判断ミスだ。申し訳ない。香港の中国返還前の不動産の値上がりがあまりに激しくてリスクヘッジのために購入したが、その後、値段が下がってしまった」と謝られた。

その物件は、当時含み損が有ったので、経理部長として丸紅香港の決算を管理していた立場の僕に対しての言葉だったのか、その内の1件に当時僕は住んでいて、(5件とも水準が落ちる物件なので)「出たいのに出れずに割食ってる」と盛んに僕が文句を言っていたのが耳に入ったのか。

ただ、専務取締役が、30代の僕に唐突に謝ったのは驚いた、


その後、2003年終盤より香港の景気が急速に回復し、不動産価格も上昇。
その物件売却時には随分利益が出た。
もう1~2年待ったら、随分な利益になったろう。

そんな報告を、当時大阪に戻られていた西田元専務にしたら、「そうか!」と嬉しそうに笑われていた。

潔く、私がなく、周りの人に対するレスペクトがある。
酒をよく飲み、人々から愛される。

傑出した人物だった。

繰り返し残念。

ご冥福をお祈り致します。

国慶節は仕事をして寝て

今日香港は国慶節休み。

ここ数日、本土は休みなので、残務整理をする余裕がでてきた。
ありがたい。

今日は休日なので、仕事をして寝て、仕事をして寝ての繰り返し。

いくらでも寝れそう。

ただ、完全に休めないのが辛いところだ。

でも、同業者(コンサルタント、弁護士、公認会計士)も、皆なよく仕事しているし。
それだけじゃなくて、一般企業の方(1ヶ月前まで自分もそうだったけど)も最近、休日や遅い時間にメールしても、すぐに返事が返ってくる。

みんな疲れてるだろうな・・・

なんて事を考え、仕事をしては寝て、仕事をしては寝て・・・

それでもちょっとは疲れが取れた。

夜は、転廠に関わる増値税の計算報告書を作成。
これも、楽しい仕事と思うところが、職人気質なところか。

今は夜10時。
明日も仕事なので、これからビールを飲んで寝ようか。