会社を辞めるという事は

最近、起業・転職を検討されている方からの相談が多い。
知らない方から飛び込みの相談を受けたりもする。

まだまだ日本では(転職・独立の為の)退職経験がある人は少ないので、一回でもすれば経験者だ。
「辞表は会社指定のフォームで出さないといけない」なんてのも、経験してみないと分からない。
毛筆で「一身上の都合にて・・・」なんて書いてある辞表を、懐からおもむろに出して突きつけたら、上司から「所定のフォームで出して下さい」などと言われたら目も当てられない。

最近、業種によっては、事業の撤退、縮小を検討するケースも多いので、信念を持ってやっている事ができなくなる事例も増えている。
あと、上司は選べないので、そりが合わない上司の下に付いてしまうという事はままある(というか、大変多い)。
上司と対立すれば、たとえ自分が正しくても、部下が会社を辞めなくてはいけないのが会社の常だ。
会社生活40年弱で、恵まれた上司にしか仕えたことがない、という人はまずいないだろうから、皆な余程の忍耐で耐えしのぶか、会社を去るかの選択を迫られる。
「会社の事を考えれば、本当に去るべきなのはどちらだったか」なんて議論はまず起きない。
悲しいかな、それが社会の仕組みである。

そんなこんなで、サラリーマンは、全然気楽な稼業ではなくて、皆なストレスを溜めこんで仕事をしている訳であるが、じゃあ、僕が退社の相談を受けた時に、「独立・転職しましょう!」と勧めるかというと、基本的には勧めない。


僕自身、コンサルティングの仕事を続ける為には、会社を辞めざるを得なかった、というのが退職の真相。
だから、会社を辞める2~3か月前まで、自分が辞表を出すとは思わなかった。
ただ、僕が会社を辞めないという事(あの時点でコンサルティングを断念するという事)は、今まで僕の言葉を信じてくれた顧客・提携先・部下を裏切る事になるので、そうまでして会社に残ろうとは思わなかった。
丸紅の中国のトップの方に、「今の君は覚悟ができた顔をしている。君が会社を離れて、(外部から)ビジネスパートナーとして関係を持った方が、お互いに儲けられる(お互いを活用できる)かもしれないね」と言われた時、嬉しくて涙が出て、そして、心が決まった記憶がある。
社内でも、沢山の人たちが僕の事を想い、理解し、応援してくれたのは、退職に際しての本当に大きな贈り物だった。


ただ起業はリスクが高い。
特に、家庭があれば、安定した収入を失うというのは、かなり怖い。
前にも書いたけど、起業早々の9月は5万円しか収入がなかったので、不安でしかたがなかった。
タクシー乗れない、スターバックスのコーヒーも飲めない。
1日中歩き回って疲れ切った時に、やっと口にしたのがマクドナルドのHK$2のソフトクリーム。
混雑したマクドナルドの狭い椅子に腰かけて、安いソフトクリームを一人で食べて、身も心も疲れきって1時間放心していた時の気持ちは、きっと、これからもずっと忘れない。
ほとんど冗談だけど、「保険金とか考えると、事故にでもあった方が家族の為なんじゃないかなぁ」なんて言った事もある。
独立起業するというのは、そういう事。
こういった不安と戦う事だから。


ただ、転職・独立すると心に決めたのであれば、それは成功させなくてはいけない。
その為には、まず準備をする事。
辞めてから考えるのでは遅すぎる。
辞める前に、何をどうするかを、必死に考えて対策を立てる事。
あと、質問を頂いた方にアドヴァイスしているのは、「今まで歩んできた道(経験)の重要さ」。
やはり、未来は今までの経験の延長線上にあるという事。
方向を変えるにしても、今まで歩んできた経験を全く活用できない場所で仕事をするのは、僕は勧めない。
やはり、誰でも、歩んできた道は尊いのだ。

あとは、やはり充実感。
自分が意義を感じる事をやっている、という充実感を持てる仕事かどうか。

起業7か月経って、じゃあ、僕が自分の選択に対してどう思ってるかというと、まだ結論を出すには早いけど、満足している。
部下の皆も顔が違う。これは、満足している証だ(と思う)。

やはり、自分のやっている仕事、コンサルティングの仕事に、部下たちも信念を持ってきた。
だから、自分がやりたい事を、思う存分できる環境に、満足している(のではないか)。

あと、この半年以上で、僕だけでなく、部下の皆も成長したと思う。
色んな辛い事があって、僕だけでなく部下の皆も苦労した。
ただ、それを経て、また集まったから、一緒に仕事ができる事を喜しいと思える。
今のMizuno Consultancyは、かなりの結束で繋がっていると思う。

部下の皆を見ていて、顧客の言葉を聞いて、この選択をして良かったと本当に思う。


ブログについてつれつれ思う

久々に上海エクスプロアブログのコーナーを見てみると、何やら様変わりしている。
人気ブログランキングのコーナーができていたり、更新回数のランキングがあったり。

ヒット数だけでなく、色々な角度からのアプローチをするのは企業努力というものだな。
と、ちょっと感心する。
ついでに大薗さんのブログに「月曜更新」と銘打たれているのを見て、開き直ったか!と、これまた感心する。

人気ブログというのは、どうやら参加の意思表示をしないとダメなようだ。
週間 in, outという意味はどうもわからないが・・・
数年前なら参加しようと思ったのであろうが、最近、仕事に追われて更新が遅れがちだし、気疲れしているのでブログくらい気楽に書きたいし・・・
そんな思いが先にたったので、参加するのはやめにする。

しかしながら、ブログを始めたのが2004年の11月からだから、既に4年半続いている。
いままで日記も書いたことがない人間が、よくぞここまで続けたものだ。
記事も、最初の頃はずい分肩に力が入っていた様な気がする。ちょっととんがった感じ。
一時は、かなり受けに走ったり。
今は、気楽に書いている。

この1年間は、精神的にも体力的にも大変だったけど、お客様、元同僚、はたまた両親など、ブログを読んで連絡をくれたりするので、それが嬉しい。

仕事もほぼひと段落しかかっているので、あと1~2か月したら、執筆活動も本格的に再開できるはず。

このブログも、色々な方との重要なコミュニケーションの場なので、一息ついたら、また頑張って書き始めよう。


意外に親切・香港の人

会社設立から7ヶ月。
随分収入面でも安定してきたが、浪費は禁物だ。

そんな思いもあって、近場の荷物の運搬は自分でもやった。
何分、書類は重いので、DHLに頼んだら、近場の運搬でもひと箱HK$500する様だ。

という訳で、HK$100のカートを買って運搬。
知っている人に出会うと、「水野さんがなんでそんな事を!?」とか聞かれるのであるが、会社が大きくなるまでは、なりふり構っていられない。

運搬経路に一か所、短い階段がある。
ここが鬼門だ。

ただ、一人でカートと悪戦苦闘していると、必ず誰かが手伝ってくれる。
スーツを着た人だったり、それこそ配送の制服を着た人だったりするのだが、当り前の様に一緒に運んでくれる。

困っていると、結構親切だ。
香港の人。

今まで、香港の人は、エスカレーターに乗ったら直ぐに閉めるを押して、人が入れないようにする、とか、いろいろマイナスイメージを持っていたが、申し訳ない。

親切な人が沢山いる事がよく分った。

体を動かす事で、分かることがあるのも確かなようだ。


全然関係ないけど、3月30日の日刊工業新聞で、写真付きで大きくとりあげて頂いた。
有難うございました。

プロのカメラマンがとってくれたので、さすがに写真写りも良いけれど、ダイエットした方がいいな・・・
というのもよく分った。

重慶飯店で麻婆豆腐を食べて出発

3泊の日本滞在予定が4泊に延びた。
結果として、前日の鎌倉散策ができたので、何とも幸せな事ではあったが。

最終日は、横浜中華街で会食して成田に。
さすがに日曜日の中華街は大賑わいだ。

目指した店が入れなかったので、ここは規模の大きい店に行こうと、重慶飯店に矛先を転換。
辛い料理も食べたかったので、ちょうどよかったか。

思い起こせば、僕が小学生の頃、四川料理はほとんどなかった記憶が。
重慶飯店くらいしかなかったのでは?

あと、休日は麺、ご飯ものをださない店が多かった。
その後、(僕が大学生くらい?には)出す店が増えてきたが、日曜日は作り置きの炒飯でまずかった記憶も。

今はそんな事はない(と思う)。
中華料理の種類も増えたし、そんな手抜きもなくなってきた様だ。
中華街も、ずい分変わってきている。

麻婆豆腐が美味しかった

重慶飯店に来たからには麻婆豆腐を食べねば。

日本の四川料理は辛さが大変ソフトなので、注文の時に「辛くしてください」とお願いする。
出てきたものは、なかなか満足のいく麻婆豆腐。
僕としては、もう少し辛くてもよいが、日本で食べる麻婆豆腐としてはかなりいい。

あと、前菜は、アワビに蒸し鳥にクラゲ。
2人前なので、量は控え目(写真をとった時にはアワビをふた切れ食べてしまっていたので、本当は写真よりも多いです・・・)。

海老いためとチャーハンは日本風?

あと、五目炒飯にエビ炒め。

これは、日本風、というか、横浜中華街風のものであった。
美味しいけど、本場とはちょっと違うな。

そんな感じで料理を食べて、ビールを飲んで、紹興酒も少し。
中華街の老舗で昼から食べて、飲んでいると、老舗の蕎麦屋で昼から酒を飲むのに似た風情を感じる。
幸せだ。

中華街からycat(横浜シティエアターミナル)に移動すると、成田まで移動。
出発したてのバスから、ランドマーク、ベイブリッジ、そして横浜の海を眺めて成功イメージを頭に描く。
つもりだったが、すぐに熟睡。

成田到着はあっというまであった。

思わぬ休息(身体を休めた1日)

大通りの桜と瑞泉寺

ひょんな事からスケジュールが空いた。
今日はのんびりする事にして、実家からちょっと足を伸ばして鎌倉へ。

鎌倉は、実家の裏山から歩いて1時間くらいで行けるので、高校時代には、毎週のように一人で行ったものだ。
懐かしい。

思えば、去年の2月から8月までは精神がぼろぼろ。
9月からは、働きすぎで身体がぼろぼろ。

こんな感じののんびりした環境に包まれると、反動で身体がふらつく感じ。

ただ、自然の中を、花を愛で、昔を思い出し、てくてく歩いていると、徐々に癒されてくるのがわかる。

贈り物の様な1日だ。
あと数日間こんな感じの休息が欲しい。

気力を元に戻したい。
この1年は戦いに明け暮れた(僕の希望とは別に、明け暮れさせられた)。
殆ど休日は無かった。
1日17時間働く日々も続いた。

数日休息すれば、気力はまた充実しそうだ。

部下も揃ったし、これで本の執筆も開始できる。

良い1日だった。

靴磨きを試してみる

朝は日吉。

慶応の入学式の様で、大量の学生の渦に驚く。
いやぁ、若い若い。
いいもんだ。

その後は虎ノ門で、2件コンサルティング。
面談が連続してもらったので、お昼休みは20分。
持ち帰り弁当をかっこむ。

次は竹橋で打ち合わせ。
ちょっと時間が余ったので、虎ノ門の駅前にいた靴磨きのおじさんに靴を磨いてもらう。

実は靴磨きは始めて。
一度、のどかに椅子に座って磨いてもらいたかったのだ。

上海で靴が埃まみれになっていたので、丁度よい。
綺麗に磨いてもらった。

ただ、靴だけがぴかぴかで浮き上っているようだ。
500円の贅沢。

ちょっと嬉しい。

竹橋で2件面談。

午後5時に終わったので、今日は仕事仕舞い。

家に帰る前に、レーベンブロイの生ビールを一杯。

幸せ幸せ。

そんな感じの1日であった。

すごくささやかだけれども、充実した気分の中のささやかな幸せは大切だ。

black berryが活躍している

4月1日~4日までは日本。

午前3時近くまで仕事をしての午前便なので、大変眠い。
機内で寝ようと思ったが、K-20(怪人20面相)を2時間以上見てしまい、殆ど眠れなくなる。

成田到着してリムジンで実家に移動。
実家までの2時間は、ずっとBlack BerryでE-mail処理。
その前に、香港空港までの移動時間(エアポートエクスプレスの中)や香港空港でも、ずっとE-mailがさばけていたので、これを持ってなかった時の様な不安感(どんなメールが入ってるだろう、という)が無くて気持ちが穏やかだ。

実家に到着すると夜7時。
食事をすると、睡眠不足の反動で目が開けられなくなり就寝。

Black Berryが有ってよかった。
これがなかったら、夕食が終わってからE-mail処理で数時間業務に追われるところだ。

もう手放せないな。

感慨にひたってビールを飲む

この半年間、ともあれよく働いた。
半生で一番働いた。

なんとか忙しさはピークを越したという感じ。

M&Cのコンサルタントが、本日を以て僕の会社に移籍完了する。
その内二人は、10年以上僕と一緒に働いている人間だ。
亀一だって、もう5年近く一緒に働いている。

晴れて、気心知れた部下たちと、普通に一緒に仕事ができる状況になった。

色々な事が書けるまで、まだちょっと時間がかかりそうだけど、取りあえずは感慨に浸ってビール。

今日は良い日だ。