頑張る若者たち

広州到着。
広州交易会でホテルが高い。
普段500~600元で泊まっているホテルが2,000元程度したりする。
数年ぶりに景星ホテルを予約するが、これでも、保証金が必要で、1泊1,000元という料金。
かつて(1980年代)の賑やかさはまったくないが、やはり広州交易会の威光はホテル代に反映されて生きている。

香港からの最終直通者で移動したので、広州到着は夜9時半。
入国手続きを終えて、ホテルにチェックインすると10時。
小雨が降っていて、外に出たくないので、2階のダルマという日本料理屋に行く。
軽いつまみを食べて、ビール1瓶、焼酎お湯割り2杯飲んだら、11時10分で、他の客はいなくなってしまった。
ラストオーダーが10時半だったので、いくらなんでも店から出るべきであろうと思っていたら、一人残った若い店員さん(更に、既に私服に着替えている)が、「もう一杯飲みますか?」と聞く。
「閉店は何時ですか?」と聞くと、「11時だけど(既に10分経過)、必要あれば残るので大丈夫です」というので。言葉に甘えて、勘定を先にしてもらい、皿は全部下げてもらって、1杯だけ酒をもらった。

中国のレストランにも、こんなにやる気のある若者がいるんだなぁと、ちょっと驚く。
そして、1980年代の中国を思い出した。
あの当時、サービス0と言われており、僕自身、1985年の初訪問時にひどい目にはあったが、その中でも、一部、責任感を持った人間がいて、しっかり、+αの仕事をこなしていた。
例えば、上海到着早々の僕が、安ホテル宿泊中に42度の熱を出したら、深夜2時に、ホテルの従業員(おそらく同年代)が、力の出ない僕を抱きかかえるようにして、緊急病院に運んでくれた。
何かお礼をしなくてはと思ったが、「当たり前の事だから要らない」と言っていた
どんな国でも、頑張る人間がいて、その努力の積み重ねが経済の発展を生んでいる。
社会主義中国も、+αの努力をする人間がいて、これだけの発展が生まれたはずだ。
日本は、他国に比べて、+αの努力をする人間の比率が高い(筈だ)から、終戦後、奇跡の復興を遂げたのではないか。
どんなにソフィスケイトされた理論でも、人のやる気という、計量化できない要素を無視しては成り立たない。そして、これが一番重要なポイントであるのは確かだ。
頑張っている人間、若者たちが、世界を良くしていくのだろうし、それは、小さな努力の積み重ねだ。

浦東第2空港のレストランとそこで食べたハンバーガー

話が、少し変わって、21日(土)の上海。
イタリア料理(のはずがハンバーガー屋になっていたが)で時間をつぶしていると、注文システムがうまくいっていないのか、「30分たってもなにも出てこない!」と怒る客がそこかしこに(殆どのデスクの客が怒っている)
店員は全て20代前半と思われるが、男性数名は、へらへらして機能していない。
そんな中、一人、金色に髪を染めた若い女性が、厨房に抗議しまくり八面六臂の活躍をしており、殆どの客が、彼女にクレームしていた。
クレームされる彼女は大変だが、やはり、客は本能的に、「この店では彼女が一番優秀だ」と見抜いていたのであろう。
サービスが悪い(というより機能していない)店だが、なんとなく彼女一人に救われている感があった。