生兵法は怪我のもと

かなり前になるけれど、新聞で格闘系のエクササイズ(格闘技の動きを取り入れたエクササイズ)が流行っているという記事が有った。
これ自体は良い事だ。
格闘技の動き(パンチ、キック)等を習うのは楽しいし、効果的にカロリー消費もできる。
更に、一人の時でもシャドーボクシングの形で、手軽に運動できる。
ただ、習っている女性のコメントとして、「強くなったと実感している」、「試してみたいので、襲われるのがちょっと楽しみ」などというのが有ったが、これは大きな誤解だ。

僕が大学で合気道をしていた時、1年間は乱取りをさせてもらえず、2年生で初めて上級生と練習試合をした。
その時、思い知ったのは、如何に自分の技がかからないか。上級者の技を逃げられないかだ。
ボクシングも同じ。
格闘技をやるなら、殴られる痛み、関節を極められる痛み、そして恐怖。
それをしっかり体験しないと、自分が強くなった錯覚に陥ってしまう。

自分のイメージだけでやっている時は、簡単に相手を投げられる、殴れる気持になりがちだが、実際やってみると大違い。
格闘技をやるたびに、如何に自分が弱いかを認識する。
よって、街中で戦ってみたいなどとは思わない。
空手でも合気道でも、初段~二段程度では、街中では負ける可能性の方が高いし、相手が二人以上であれば、ほぼ負けると思っておいた方がよい。
よほど強くなるのでなければ違うが、そうでなければ、一番の護身術は、危険に近づかない事。早く逃げる事だ。
この意味で、中途半端に格闘技を習って、変な自信をつけるのであれば、却って習わない方が、良い護身術になると言えるであろう。

通信状況

昨夜、上海から香港に。
上海が10度、香港が25度と、温度差が辛い季節になってきた。

ここしばらく、上海では、E-mailの送受信状況が悪く、ちょっとストレスが溜まった。
(Googleは開くが)Gmailが開かない。
outlookも、書類を添付したものは送受信が遅く、連載原稿提出に手間取った。
この点、香港に移動すると、通信状況が良くほっとする。

僕が初めてemailを使ったのが、17年ほど前なので、遠い昔というほどではないが、既に、emailやインターネットがない生活は、想像もできなくなった。
便利さには、本当に早く慣れてしまうものである。
因みに、僕が最初にemailを使ったのは、前職の社内メール。
送信してしまえば、時差関係なしで仕事(個人対個人のコミュニケーション)ができるというのが驚きだったし、作業した文章や図を添付して送れば、相手に編集してもらえるというのも、当時としては驚異の出来事だった。

商社では、テレックス信仰が強かったので、email導入が比較的遅かった。
他業種の友人より、「まだテレックス使ってるとは、遅れてるな」と言われたが、そうではない。
戦乱時の中近東、アフリカ等で、電話線が使えなくなった時も、テレックス専用線は通じて、命綱となった、という実績を踏まえてのもの。
過酷な環境(戦乱の発生)が前提となっていたため、テレックスからE-mailへの切り替えが遅れた訳である。
そのため、1990年代中盤まで、新入社員には、テレックス用の略語集が配られた。
数えたことはないが、1千以上の略語はあったのではないか。
FYI(For Your Information)、PCI(Please Confirm Immediately)などは分かりやすいが、AAR(Anxiously Awaiting For Your Reply)とか、良く分からない略語の方が多かった。
通信費を節約するための略語なので、専用回線を持ってしまえば関係ないはずだが、みんな習慣的に略語を使っていたので、最初は、意味がさっぱりつかめず手間取った。、
今では、テレックスは廃止されてしまったが、当時の略語だらけのテレックスが、たまに懐かしくなる。勿論、あの略語だらけの交信を、もう一度やりたいとは思わないが・・・

因みに、1989年の福州研修生時代、通信手段が電話・ファックスしかなく(インターネットは当然なし)、料金は、今と比べると、信じられないほど高かった。
何しろ、一時期、個人で月15~20時間の電話をしたら、国際電話代を30万円請求された。
そのため、電話もかけられず、1年経過後は、孤独のあまり、日本との窓口であるテレックスが、友達の様に思えて、深夜・休日に、つい前に座り込んで、画面をのぞきこんでいた(インターネットではないので、当然、画面は真っ白で、何も見えない)。
あれは、絶望的な孤独だったが、当時、ハードシップが高い駐在員一人店(スーダン、リビア、シリアetc.)では、同じような事をしていた駐在員が、少なからずいたのだろうな。

どうした事か

ここ数日、急にブログのアクセスが増えたがどういう事だろう。
週末に、撤退関連の更新をしたら、TOPアクセスが1日700程度。
その後、2日連続で、1,000以上のアクセスがある。
数年前に、上海エクスプローラーの、大薗前社長から、アクセス操作を防ぐために、同一IDからのアクセスは、1日2回までしかカウントしないようにシステム修正した、と聞いたので、(今も同じかわからないが)特定の方のものではないと思うが、そうすると、却って不思議だ。
2008年の会社立ち上げから更新回数が落ちてしまい(特に、最近はさぼり気味だったので)、200アクセス位の状態が続いていたので。

それはさておき、僕がブログを始めたのは、2004年の11月から。
ライブドアの堀江前社長のブログが評判になっていた頃で、大薗SHEX前社長から、「うちもブログを始めようと思うので書いてください」と頼まれ、書き始めたもの。
とは言え、ブログという言葉を、1~2ヶ月前に知ったばかりの頃だったので、書いたら何が起きるのかも予測できず、不安が大きかったが、好奇心が勝って書く事にした。
「何で書き始めたのですか」と人から聞かれたら、「老後に読んで楽しむためです」と答えていたが、半分本心だった。
しかしながら、8年も書き続けたので、僕の状況も変わったし、大薗さんも、上海エクスプローラーの株式を売却して経営から降りてしまった。
大薗さんと知り合ったのは、2001年の事だが、僕と同い年で、話がしやすかっただけに、退陣で、上海エクスプローラーとの関係も、変わってしまっている。
また、僕の過去の記事を見てみると、以前は、結構勢いが良い文章を書いていた。
若かった頃と、今の様に、会社を守る立場ではなかった気楽さだろう。
文章自体は、あの頃の方が面白かったかもしれないが。

上海エクスプローラーブログは、大薗さんが第1号で、僕が第2号。
まだ、ブログを書く人が少なかったので、暫くは、2~3人のブログしかない状態が続いていた。
書き手は徐々に増えていったが、2008年くらいまでは、僕が1~3位という状態が続いていたが、その当時(2008年頃まで)は、週に2,000ちょっとのTOPアクセスがあれば、2位になれた時代だ。
それを考えれば、上海エクスプローラーブログも、8年間で随分成長したものだ。

まあ、だからどうした、という訳ではないが、ちょっと、昔を思い出して懐かしくなってしまった。
思い出話。

上海で湾岸署

上海の街角で、湾岸署(Tokyo Wangan)というステッカーを貼ってある車が停まっていたので、面白くなり撮影。
しばらく前の状況を考えれば、何やらほのぼのした雰囲気を感じる。
上海の街中は、この1~2ヶ月程度でも、結構な日本料理店が開店し、何事もなかったように営業している。
あの騒ぎはなんだったんだろうと思ってしまうくらいだ。

また、昨夜、売店に行ったら(日本人客はあまりいなさそう)、天真爛漫、という感じの若い中国人女性が笑顔で集まってきて、「あなたたち(日本人)は、私たちの事が大嫌いなのかい?」と無邪気に聞かれて、笑いながら、「嫌いだったら17年も中国に住んでないよ」と返しておいた。

日本であれ、中国であれ、報道なり政治なりが、こういった無邪気な交流(他国の人間に対する前向きな気持)を阻害しているとすれば、悲しい事だと思う。

不正防止の帳簿チェック方法(初級編)

前回予告した、不正防止を目的とした帳簿検査のポイント(初歩編)は、以下の通りである。

1.諸勘定
売掛金だと、しっかり与信管理ができている場合が多いのだが、立替金、処預け金、未収金等の諸勘定は、管理基準が明確化されておらず、管理が甘くなっている場合が多い。
こういった諸勘定に、問題が含まれている場合が多いので注意すべきだ。
金額が若干大きくなってきた段階で、諸勘定の内容(何ための立替・諸預けで、いつ回収できるのか)を、個別に把握する努力が必要になる。

2.買掛金
帳簿をチェックする時、つい資産勘定ばかりに目が行きがちだが、負債のマイナスは、資産勘定と同じ。
仕入れずに代金を払えば、買掛金はマイナスになる。
よって、資産勘定と同様の注意を要する。
また、直送取引(仕入先から顧客に、商品が直送され、仕入売上だけ計上する取引)の場合は、商品受け渡しに関与できないので、管理が難しくなる。
顧客の受領書が偽造されれば、商品の受け渡しがない状態で(架空取引)、仕入代金の支払が生じてしまう。
そのまま、仕入先の会社を倒産させて逃げる、という手口がある。
与信管理だけではなく、仕入先の管理も必要。特に、直送取引の場合は注意を要する。

3.売掛金
売掛金の適切さは、地道な残高確認をしないと、なかなか確認できない。
この理由は多々あるが、販売先と、商品の送付先が、必ずしも一致しないというのは一つの理由。
例えば、契約上は、A社に販売するものの、その後、A社からB社に再販売される場合、会社の販売先(売掛金の計上先)はA社であるにも拘らず、商品送付先がB社となる場合がある。
つまり、財経部としては、商品の送付先がB社である事を理由に、A社向け売上を拒否する事はできないのである。
この様な取引の場合、点検すべきは、契約書と自社が作ったインボイス等となる。
国際取引等の場合は、L/C条件に織り込まれたりもするが。
この為、契約書を偽造し、優良取引先A社に販売した事にして、実際には不正規のB社に商品を引き渡すという手口も考えられる。
契約書の偽造は、見破るのが難しい。

また、別の手口。
出納管理をする際に、支払の場合は入念に点検する一方、入金の場合は、管理が甘くなるケースがある。
仮に、優良取引先A社には、100の与信限度があるとする。
この場合、A社に50販売し、その代金を、非正規の相手先B社からの入金として処理し、50の商品をB社に横流しする。
A社に50の売掛金が残る事になるが、A社との取引が継続すれば、古い残高を消していけるので、Over Dueを回避し、問題を先延ばしする、という手口がある。


この様に、社内に悪意の人間がいて、契約書、商品受領書が偽造されると、財経部としては、問題の発見は困難だ。
問題が起こると、「何故、偽造が見破れなかったんだ」と言う議論が起きるが、大規模の会社であれば、毎月、数百、数千の取引がある中で、社印や署名が本物かを確認する事は不可能に近い。
書類を見るだけでは、真偽は判別できないし、相手に聞くにしても、口裏を合わせられればおしまいだ。
その意味で、問題が小さい内に、悪い芽を切り取る作業が、残高確認という、地道な作業という事になる。

最近は、香港、中国でも、残高確認が浸透してきた。
残高確認は、営業部でも面倒な作業なので、10年以上前は、「中国企業に残高確認書を送っても返してもらえない(習慣が無い)」と、開き直られるケースもあったが、随分改善したものだ。
また、本当に問題を発見しようとすれば、帳簿点検、残高確認だけではなく、取引先・仕入先の実地訪問(人物チェック)、社員の人物チェック(というと変だが、つまるところは、嘘をつく人間でないかどうかの、付き合いを通した確認)等を併用せざるを得ない。
こうなってくると、管理部門業務というのは、随分、職人的な面があるというのを分かって頂けるであろう。

推理小説

小学校の時、江戸川乱歩の少年向けのシリーズを親から買ってもらって以来、推理小説が好きになった。
その為、一度推理小説を書いてみたいと、学生の頃から考えているのだが、人には向き不向きというのがあるもので、トリックがさっぱり思いつかない。
ただ、会社に入ってから、経理畑が長かったので、不正(粉飾決算、資金の不正な引出し等)がどの様に行われるか、というのは、随分、理解できた。
手口を研究してこそ、不正防止のチェックポイントが整理できる訳で、その成果だ。
そんな訳で、企業小説風の推理物ならかけるな、と考え、何時か書きたいと思い続けてきたが、なかなか手が付かない。
一応、トリックとストーリー展開は、2004年頃に思いついた。
香港・広東省の来料加工廠関連取引に絡んだ不正を軸にした内容だが、最初の深圳のイミグレの場面を書き、暫く放っておいたら、深圳のイミグレの雰囲気がガラッと変わり(建物がきれいになり、税関の物腰が柔らかくなった)、描写部分が使えなくなってしまった。
修正して、徐々に書き進め、社内監査の人間が事故死する部分まで書いて、暫く放っておいた。
専門のビジネス書の執筆に追われていた訳だが、そうしたら、2008年から、来料加工廠廃止の運動が広東省で始まってしまい、時流に合わないと、書くのを躊躇し、結果、断念してしまった。
さっさと書かない方が悪いのだが、変化の激しい中国を舞台にして、小説を書くのは大変だ。
因みに、不正防止のための、経理上のチェックポイント(初級編)を、次回書いてみよう。

ビジネスのコツとは

15年以上前、丸紅香港の経理課長として赴任した折、本社で主計課長の経験がある上司に、「(会計監査に際しての)公認会計士対応のコツは何ですか」と質問したら、「水野君、それは嘘をつかない事だよ」という回答だった。
当時の僕は、まだ30代前半だったので、スキル(交渉術等)が重要であり、有能さの証ではないかと思っていた部分もあった。そのため、ちょっと意外に感じたが、その言葉の大切さが、徐々に理解できる様になった。
昨今、粉飾決算に絡んで、会計士が責任を問われる場面が多いが、企業が本気で隠そうとしたら、数週間、数か月の監査では、不正はなかなか見抜けない。
例えば、引当金の計上を避けるために、特定の偶発債務(保証債務等)を計上せず、関係書類を徹底的に隠したら、まずこの存在を見抜けまい。
経理責任者としては、会社の予算達成のプレッシャーがある中で、越えてはいけない一線を認識する意思と、相手の立場を考えて発言する誠意が、必要となる。
そして、その積み重ねが信用になっていく。

これは、ビジネスマンでも同じだし、当社の様なコンサルティング業でも同じだ。
できない事をできると言ったがために、適切な情報を開示していなかったがために、信用した相手が窮地に追い込まれる事がある。
そんな事があれば、その人間は二度と信用されない。

商社マンのイメージで、口八丁手八丁というのがあるが、僕自身はこの言葉は、薄っぺらい気がして好きではない。
話術が有るに越したことはないが、ビジネスは、信頼関係の上に成り立つものであり、口で作り上げるものではない。
結局、ビジネスのコツというのは、「嘘をつかない事。できない事をできると言わない事。相手の立場を考える事」であり、その細かい努力の積み重ねだと思う。
一つ一つは簡単な事だが、それを長い間続けていくのは、思った以上に難しい。

保税区域の改革

11月29日、12月11日と、7時間の講演会(内、1時間は休憩)があるので、そろそろ真剣にレジュメづくりをしなくてはと思い、週末は、これに没頭する。
これだけ長い講演会だと、レジュメも60~70ページになるので、作成に骨が折れる。

週末恒例のNNAの連載は、「税関特別監督管理区域の科学的な発展を促進する事に関する指導意見(国発[2012]58号)」に付いて解説する。
この指導意見の趣旨は、現在、中国内に設置している数多くの保税開発区(150ヶ所程度ある。特に、輸出加工区が約60ヶ所あり、一番多い)の内、条件が整ったものを総合保税区に変えていこう。
新規に設置する場合は、総合保税区にしようというもの。
現在、保税区、輸出加工区、保税物流園区、保税物流中心、クロスボーダー園区、保税港区、総合保税区という各種の保税区があり、各々異なる機能を持っている。
その為、使用する際、どこが使えて、どこが使えないのかの判別が、よほど専門的な知識を有する人間でないとわからない、という難がある。
種類・機能が統合されるのは良い事だろう。
因みに、制度上、保税港区と総合保税区は、ほとんど同じで、全ての機能を備えた完成された保税開発区、という位置付け(わざわざ呼び名を変えなくてもよいのに、と思えるほどだ)。
尚、数年前より、上海外高橋保税区・保税物流園区、洋山保税港区、浦東空港保税区は、管理が統合され、上海総合保税区となっているが、実際には、個別の保税区域の機能に留まっている。
これがどうなるか、更には、他の保税区域はどうか、という点が今後の興味のポイント。

蛇足になるが、2003年末(9年前)に、保税区に関しては、以下の様な発表(税関関係者の決定)がされている。
① 一部の条件が整った保税区を、今後、「自由貿易港」に発展させていく。
② それ以外の保税区は、輸出加工区などに転換していく。
③ タイムスケジュールとしては、「2006年迄の間に、最初のケースを実現」、「その後、2010年迄に調整を行い、2015年迄に選定された他の保税区を自由貿易港に転換」する。

完成度の高い保税区域を作っていこうという方針はそのまま。
ただ、機能を限定していこう(輸出加工区に転換)という方針は、各保税開発区の機能を多様化していこうという形で変更されたようだ。

撤退手続の誤解と正解

撤退報道がなぜ誇張されるか、というと、「苦労話は、誇張して話したがる人間が多い」こと。更には、「極端な例を挙げた方が、報道しやすい」というのが理由であろう。
ただ、相談時に、撤退認可がとれない、優遇税制を返却しなければいけない、退職金を払わなくてはならない、解雇ができない、残余金が支払えない、という様な事を言われる方には、以下の通り回答している。
① 撤退認可
経営期限満了前の解散は、原設立認可機関の許可を要するが、外資企業が少なかった数十年前ならいざ知らず、現段階で、撤退認可が取れないという例はまずない。
② 優遇税制の返却
二免三減などのタックスホリデーは、旧税法(外商投資企業及び外国企業所得税法)により、経営期限が10年以上の外資企業に対して認められる制度。
よって、撤退が経営開始後10年未満の場合、そもそもの優遇条件を満たさなくなるので、返却が必要(法律通り)。10年以上の経営実績があれば、返却は不要。
但し、地方財政による助成金の交付を受けている場合は、この様な明確な期限が無いので、個別交渉となり、これが、撤退時の障害となる事もある。
③ 退職金(経済補償金)
従業員の自己都合退職であれば支払い義務はないが、撤退の場合は、会社都合で解雇する訳なので、支払が必要となる。
ただ、退職金の支払いは、日本での解雇でも同様に必要なものであり、これが理不尽とは言えまい。
④ 解雇の可否
労働契約法によれば、雇用主の消滅の場合は、労働契約の自動的な終了の要件となるので解雇可能。
ただ、これは、会社の解散許可を取得した段階であり、それ以前の大量解雇は、リストラ解雇になってしまうので、手続が異なる。トラブルが発生するのは主に、リストラ解雇の告知のタイミング。
⑤ 残余金の回収
全ての清算手続が終了すれば、残余金は回収できる。

こまかなノウハウは多々あるのだが、実情は、この様な感じだ。
撤退に関して一番難しいのは、前回も書いたが、合弁会社の場合は、経営期限満了前に解散する事に関する共同出資者との意思調整。更には、従業員解雇の部分である。
これは、相手側の「裏切られた」という感情。解雇される従業員の(収入が途絶える事に対する)不安、更には、積年の恨み、という部分が、積もり積もって爆発するためである。
暴力行為などはもっての他だが、撤退のサポートをしていると、双方(企業側と従業員側)のお互いの気持ちが分って、切ない気持ちになる事もあるし、稀には、企業側の方がひどいな、と思う場合もある。
つまるところは、人間の心に繋がる部分が、撤退作業で一番難しい訳であり、これは、世界共通な事と言えるであろう。

撤退報道に付いて

日中関係が緊迫し、精神的にもプレッシャーのかかる約2ヶ月であった。
時節柄、撤退がらみの取材依頼は多く、雑誌、新聞、その他の取材に答え、原稿も執筆した。
ただ、撤退に関するサポートをしている場面を取材させて欲しいというTV局のご依頼は、2件お断りさせて頂いた。
やはり、撤退に関わる場面を放送するというのは、クライアント様のためにならないと思うし、僕としては、それ(取材)の可否を打診する事も避けるべきだと考えている。
僕のコメントだけなら、まったく問題ないのだが。
では、実際、僕の会社で撤退関連のご依頼は多いのかと言えば、この2ヶ月間で頂いた案件は5件。一方、新規設立が6件なので、確かに撤退関連のご相談は、平常より多いが、撤退がトレンドになっている訳ではない。
更に、撤退の5件も、確定は2件で、他は方針の決定に関わる調査の段階なので、具体的なアクションには至らない可能性が高かろう。
企業は利益を上げる事が絶対条件であり、絶えず、その方法を模索しているものなのである。


話変わって、先週の日本で、撤退がらみのご相談を受けた時、報道が若干歪んでいる(誇張されている)のを感じた。
中国からの撤退では、政府機関から嫌がらせをされ、従業員からは暴力行為が有り、残余金の拐取も難しいのではないか、という認識ができつつある。
ただ、僕自身は、過去15年程度で、何十件も撤退のお手伝いをさせて頂いたが(更には、自分が当事者となった撤退も経験あり)、基本的には法律に基づいて作業は進められる。
勿論、中外合弁企業の場合は、経営期限満了前の撤退は、董事会の満場一致の決議が必要なため、意思決定に困難が生じたり、損失の分配で衝突が起きる事もある。
更には、従業員解雇では、感情的なトラブルが発生する事もある。
これは、人間の心の問題なので、中国以外でも同じ事であろう。
では、撤退に関して、どの様な誤解が有り、事実はどの様なものか、という点に付いては、次回記載しよう。
これから、上海行きの飛行機に搭乗だ。