PCの思い出

思い出話だが、僕が新入社員だったとき(1987年)は、課にデスクトップのPC1台しかなかった。
課とは言っても、課員が40人くらいの大きな課だったので、1台というのは今から思うと想像できない少なさだが、当時はPCを使用する人間はほとんどおらず、いつも空いていた。
1990年に海外研修から経理に戻った時、まずは、PCのデータインプット担当になったが、当時使用していた国産PCは、計算機能が非常に悪くたいした表計算ではなくても(400×10程度の行列計算)、30分くらい固まってしまった。
そのため、計算機能がY、Nという指定ができて、まず計算機能をNにしてインプットを完了させてから計算を実行する(30分以上動かないので、その間ほかの仕事をやる)という面倒さ。
1994~95年に、IBMのPCに切り替わった時、一瞬で計算が完了するので驚いたものである。
同時に、社内ランやE-Mailの使用が開始され(最初は、電子メールとか呼んでいた)、ラップトップのPCが2人に1台支給された。
随分便利になったと喜んだが、仲の悪い人間でPCをシェアすると大変だ。
(経理部だけに)負債という単語を打とうとすると、シェアしている人間が良く使うのか、夫妻と変換され、「あいつは仕事してるのか!」と怒っている人間がいたりした。
思い出深いのは、1996年に経理部の泊まり込み研修が有った時、PCの有効利用という様なテーマを任された班の発表者が、「PCが増えてきたのはありがたいですが、目標は一人一台です」と発言し、部長が、「分かった」と回答したので、みんな喜んでいたら、その後1~2年で大幅な人員削減が有って、部員が半分近くに減ってしまい、ちょうど(PCを増やさなくても)一人一台になった。
僕の所属していた海外経理課というのは、20人くらいいた大きな課だったが、僕が海外赴任した後に、課がなくなった。
後から思えば、そういう事だったのか!と、してやられた感じであった。

僕は字が下手なので(更に書くのが遅い)、人があまり使わない頃から、ワープロ代わりにPCを使用していたが、20代の頃は、使用する人間は少数派だった。
それが、僕が社会人になってから25年ちょっとで、PCが無い生活は考えられなくなった。
そう思うと感慨深いものがある。