福州宴会初日

(6月25日の出来事です)
福州到着後、1989年にエビの養殖ビジネスでお世話になった曲さん(当時、水産養殖公司社員。その後、2年間丸紅福州社員)&曲さんの友人の方々と会食。
やはり海鮮料理。非常に大きな水槽が有り、たくさんの魚が泳いでいる。
同行のクライアントの方も水産関係なので、興味深そうに水槽を除いている。
福州海鮮レストランイセエビ水槽シャコ水槽魚水槽
レストランは満員。確かに味付けもよく魚も新鮮。値段もなかなか良心的。流行るのもうなづける店であった。
福州イセエビ料理福州カキ料理福州石斑魚福州宴会料理
7人でビール、茅台酒1本という飲酒量なので、ほどほどに飲んだ感じ。
昔話等をしながら、夜8時には終了。

福州いま昔

(6月25日の出来事です)
廈門から福州に到着。車で約4時間。
以前丸紅廈門の運転手をしていた呉君にお願いしたのだが、彼も年齢とともに慎重になった様で、以前ほどスピードを出さなくなっていた。
前の彼なら、3時間で到着していたはずだ。この程度の運転の方が安心できる。
福州に到着すると風が違う。廈門の優しい風に比べて重さを感じる風。 僕の半生記エッセイに、「福州の空気は、老酒の様に長い時間ここに沈殿している重さが有る」という様な事を書いた。今の雰囲気は随分違うが、それでも廈門の爽やかさ、優しさを感じる風とは随分違う。
ここが、僕が1989年に住んでいた温泉大飯店(旧温泉大廈)があった五四路。
高層ビルが立ち並び、すっかり都会になっている。昔の面影は全くない。
福州54路福州54路2福州54路3福州54路4
昔の五四路は、道の真ん中にトロリーバス。その横が車。三輪車。自転車。場合によっては牛。そして人という感じで、交通が何層にもなっていて、1年経過しても、怖くて道が渡れなかった。そして、昔から有ったのが、下の写真の外貿中心ビルと温泉大廈。昔は、五四路のはるか遠くから、外貿中心ビルと15階建ての温泉大廈がそびえたっている様に見えたものだ。いまは、近づかなければ分からない。

外貿集団古いビル
右手の白くて古いビルが、1980年代から有った外貿中心ビル。当時はエレベーターが無かったので、階段で上まで登った記憶が。

昔の温泉大飯店
遠くにあるいくつかのビルの内、一番手前の白いのが、旧温泉大廈(現代の温泉大飯店)。現在改装中?

そして、今回宿泊した外貿中心ホテル。
1999年に僕が福州所長になった時、旧丸紅福州事務所はここにオフィスが有った。
外貿中心ホテル外貿中心部屋
福州に久々に到着して思うのは、「1989年の僕の生活は何だったんだろう」というものだ。あれだけ不便で、ノイローゼになりそうな生活だったのだが、今の福州しか知らない人には、どれだけ説明しても分かってもらえないだろう。なんか損をしたような気もするが、あの辛さが単なる思い出になってしまった今では、当時が懐かしい気持ちもある。
ただ、当時は、Email、インターネット、携帯電話等は望むべくもない(日本にも無かった。香港で、トランシーバーの様な大きさの携帯電話がそれなりに普及していたのが珍しかった程度)。国際電話も1時間2万円以上したのではないか。日本語恋しさのあまり、毎週数回日本に国際電話をかけていたら、最後の月の電話代は、40万円くらいだった記憶が有る。研修生なので1年間は帰国も叶わず、日本語もろくに話せない環境。日本料理屋は福建省に1軒も無く、夢にまで現れた。あの時の、福州に幽閉された様な孤独感は、もう味わいたくはないが。まあ、今の通信手段の発達は、そんな孤独を無縁にしてくれている(新しい孤独が生まれた面もあるが)。

そんな事を考えて翌日に。
朝食バイキングがまずそうなので、街中に出たが、まともなレストランが見当たらない。朝食は我慢して、昼に麺を軽く食べようとしたら、ホテルの洋食レストランはビュッフェしかないという。唯一アラカルトが有る中華に行くと、スープ麺はこんな巨大なものしかない。見ただけで食欲がなくなった。部屋に戻ると、冷房が全く効かなくなっており、生暖かい風が吹く始末。サウナの様な暑さで修理を頼んだら、30分程一生懸命やってくれたが「申し訳ない。修理には限界がある」と謝られて終わりになった。それからすぐ外出(夜まで)なので、部屋の交換をしてもらうのが面倒くさく、そのままにしてしまったが。
昼のでかい蕎麦
そんなこんなで、器は大都会になったのだが、ソフト面はまだまだ不便だ。そんな福州の不便さに、昔が少し残っている様な気がして、少しホッとしてしまった僕であった。

廈門にて

(6月24日の出来事です)
廈門到着。
宿泊ホテルはマルコポーロ。廈門もここ数年、良いホテルがたくさんできているが、昔懐かしいため、ついマルコポーロホテルを予約してしまう。僕が丸紅廈門所長を務めていた時は、何時もマルコポーロに宿泊していた。
そして、廈門で必ず利用するのが、マルコポーロの向かい側にある、マアミアというイタリア料理店。
ホテルチェックインすると、既に夕方5時半だったので、クライアントの方とビールを飲みながら打ち合わせ。
ママミア
コロナビール
ビールを飲みながら時間をつぶしていると、以前部下だった陳君、呉君が迎えに来てくれる。海鮮料理で宴会だ。
クラゲなす炒め廈門式焼き魚酸っぱい牛肉イセエビ
宴席は6人。日本人3名と中国人3名。僕以外の日本人(2名の方)は、大学で水産を専攻された方であり、出てくる魚の名前を、当たり前の様に当てている。僕にとっては魔術の様だ。
廈門宴会廈門宴会2
取りあえず、和気あいあいと宴会は進行。
面白い話もたくさん聞けた。

一夜明けて、朝9時半にクライアント訪問。会議を終えると、一旦、廈門の街中に戻り、福州移動前に鹿港小鎮で会食。
鹿港小鎮は、何処に行っても有るので、わざわざ廈門に来て食べる事はないのではないか(上海、広州で食べればよいのではないか)という気もするが、味が安定しているので使いやすい。
僕が注文すると、だいたいいつもこんな感じ(辛い料理が主体で、海老と野菜がある、という感じ)。
昼きのこスープ昼四川ワンタン昼麻婆豆腐海老炒め
さすが鹿港小鎮。驚きはないが、安定して美味しい料理であった。
福州移動前に、廈門の街並みを眺める。
毎回思うのだが、廈門の風は、柔らかくて優しい。
廈門の街

福建省の出張から戻って(25年間を振り返る)

福建省3日間(先週)を、順次アップしていきます。順序は後先になるのですが、先ずは最終日(香港到着時)の出来事から。

先週、3泊(廈門1泊・福州2泊)のスケジュールで福建省を訪問した。仕事量からすると2泊でもよかったのだが、久しぶりに会いたい方々を思い浮かべ、会食回数から割り出して3泊とした。起業7周年を迎え、会社はすっかり軌道に乗ったが、それと共に仕事が年々増えてきている。僕以上に忙殺され、深夜・休日を問わず働いている部下も多く、彼らには若干申し訳ない気はしたが、懐かしい気持ちが先に立った。

福建省は、生まれて初めて住んだ外国なので、僕はよく第2の故郷と言っている。実際に、思い出がたくさん詰まった場所である。
最初は25才の時。
入社3年目(その内1年強は語学研修のみなので、実質財務の仕事1年しかしていなかった)で仕事が分からず、先輩駐在員や本社から怒られ途方に暮れる事も多かった。辛い事、悔しい事、寂しい事が多々あったが、たくさんの福建省の人達が助けてくれた。その方々の助けが無かったら、今の僕は無い。これは確かな事だ。
次は36才の時。
香港駐在2年半が経過して、丸紅廈門社長、福州所長に就任した。福建省の拠点は商量が小さい事から、僕の赴任時(33歳)から組織改廃の議論が絶えなかったが、「福建省に一番思い入れが有る水野に判断させよう」という、当時の丸紅香港社長の温情で、30代半ばと若造の僕が主管者になったものだ。就任後、必死に考えたが、廈門は駐在員事務所に改組(駐在員事務所の新設と現地法人閉鎖)、福州事務所は閉鎖という決断をせざるを得なかった。36才で撤退の責任者になりるのは辛かった。おまけに、僕が仕事を憶えた組織であり、その当時一緒に働いた同僚を解雇せざるを得なかったからなおさらだ。丸紅香港の営業部長に頭を下げて、大部分の部下はエージェントとして継続使用してもらう事ができたのは救いだったが。
その2年後には、廈門では、右腕であった所長代理が社有車で事故死した。精神的に辛い中、廈門事務所の同僚と一緒に遺族と折衝し、また、事務所の経営を乗り切った。この時も、部下たちの理解と協力が有ったからこそ乗り越えられた。

そんな事を思い出しながら、福州空港から香港空港に到着した。
飛行機からの眺めが、僕の研修終了時(1990年)とそっくりで、思わず昔を思い出した。
香港空港
僕の半生記エッセイ(修業時代の思い出)に、以下の様に書いたが、それと同じ様な景色が飛行機の窓の外に有った。
思えば、25年前の香港到着も、今回と同じような時期(6月末)だ。

飛行機がカイタック空港に到着し、タラップに降り立った僕に、さっと海風が吹き付けた。
福州にはない、なんとも爽やかな海風である。
その時、僕は軽い眩暈を覚えた。足から力が抜けていくのを感じながら、「2年間の研修が、いま終わった」と考えていた。
今日からまた、日本での生活が始まる。
2年間で僕はどれだけ成長できたのだろうか。

あれから25年が経過した。
その間に得たもの(知識・経験)もあれば、失ったもの(若さ・人生の選択肢)も有る。
その中で、この25年間で、僕はどれだけ成長できたのだろうか、とつい考えた。
一つ確かな事は、あの時の福建省の研修が、僕の人生に確実に大きな影響を与えている事。更には、20代の頃から、ずっと成長したいと思い、自分が走り続けてきた事だ。