福岡出張(福岡銀行との提携記念企画)

1泊2日の福岡出張。福岡銀行と業務提携を結ぶことになったので、記念イベント(パネルディスカッション)が開催される事となったため。僕は、進行役。
事の発端は、昨年、北陸銀行と業務提携を結んだことにある。2年前に、北陸銀行開催セミナーで講演した際、地方における有力地銀の影響力の大きさに、今さらながら気づかされた。
そのため、半年かけて北陸銀行と業務提携を結ばせて頂いたが、これが、有力地銀様との業務提携第1弾。今回の福岡銀行は、それに続く第2弾。

前日に福岡入りしたので、打ち合わせ後、銀行の方々と会食。福岡料理を楽しむ。

翌日は、朝から活動なので、夜8時にはホテルに戻り、おとなしく早めに就寝。

新旧大社駅

既に、出雲から戻り、東京で仕事をし、そして今福岡に居ます。が、出雲編の最後です。

2泊の出雲旅行はのんびりできた。改めて、運転を買って出てくれた松浦君、有り難う。半年前に、極めて遅ればせながら、Facebookを始めたのであるが、それで高校・大学時代の友人と、数十年ぶりに交流が復活した。時代が変わったものだと改めて実感(遅すぎると言われそうだが)。
これは、出雲大社前駅の現在の社屋と既に使用されていない旧社屋。どちらも風情が有る。

2杯目の出雲そば

出雲大社参拝前に、老舗の荒木屋という出雲蕎麦屋に連れて行ってもらった。前日の、亀嵩蕎麦とは違った美味しさ。

生卵好き(但し、生卵の場合、白身は嫌い)な僕は、必ず卵黄だけそばに入れて食べるのであるが、出雲蕎麦はぼそぼそ感が有るので、白身にまぶしても美味い事を、元同級生(松浦君)に教えてもらいながらの食事。

半生記を寄稿しました(無料閲覧可能)

ひょんなことから、NNA JOBWIREに、僕の半生記の原稿を提供しました(約8万字の原稿)。第1章(福州研修生時代)は、2007年に出版した「中国ビジネスコンサルタントができるまで」を、ほぼそのまま使いましたが、その他は書きおろしです。

第1章は、僕の26才の研修時代。ドタバタの連続から、人の気持に触れ、仕事を憶えていく過程。
第2章は、1990年、嫌々本社経理部に戻るものの、徐々に経理税務の面白さに気づき、香港赴任後、それを武器(?)に、現場に飛び込んで経験を積む過程。
第3章は、コンサルティング開始。経験のない中、新規ビジネスを開拓し、情報を集め、利益を出すためのシステムを考えていく過程。
第4章は、大手商社の中で、社内ベンチャー的なコンサルティング会社を作ってもらい、利益を出そうと悪戦苦闘するも、色々な問題が表れ、悩み苦しむ過程。
第5章は、起業独立。0に戻った組織・商権を、必死になって取り戻していく過程。
第6章は、起業後の総括。
という形になっています。ご興味のある方は是非。
閲覧無料です。

原稿はこちらをご覧ください。各章の閲覧も可能です。

出雲大社・神魂神社に参拝する

翌日は、朝6時半に活動開始。とはいっても、朝食を食べたり、温泉に入ったりというのんびりムードの活動で、宿を出たのは8時半頃。まずは、友人の運転する車で神魂神社に。日本最古の大社造りの建築物。確かに、これは歴史の重みを感じる。


そして出雲大社。前回は、1986年12月の筈なので、約31年ぶりだ。その時の旅行は、夜行電車で朝松江駅に到着し、ホームで駅弁(蟹寿司)を食べていたら改札を閉められ慌てふためく事から開始。3泊で、宍道湖、小泉八雲記念館、松江城(出雲そばも食べる)、出雲大社、出雲阿国記念碑、島根ワイナリー、玉造温泉と回った(2晩目に、島根大学に通っていた友人と合流し、玉造温泉は彼と行った)。旅行は滞在型で、出不精な僕であるが、学生時代は、それなりに精力的だったようだ。

そして、古代出雲歴史博物館で、過去の出雲大社の模型を見る。これが見たかった。この博物館は、銅剣・銅鐸をはじめとし、本当に見ごたえがあった。行ってよかった。