久々の日本出社

隔離明け翌日も裏山散歩だ。

山道は、アップダウンが有るので、脛あたりの筋肉が痛くなって(筋肉痛)難儀する。毎日スクワットをやっていても、使う部位が違うので、これは致し方ない。
そんなこんなで歩いていると、山中の木の上に、猫がくつろいでおり驚く。


散歩終わりだ。1時間程度。

そして、1.5年ぶりの日本出社。ランドマークタワーは、時節柄人が少ない。

事務作業(書類の確認、署名、その他)を終わらせ、オフィスを出る。

みなとみらい線の駅は、旧正月モードだ。

日本の隔離終了


隔離が終了したので、せっかくだからと散歩した。日本の隔離は全くつらくなかった。隔離は隔離だが、苦労自慢?をする時は、日本の隔離は回数に入れられないな、という感想。
隔離期間中は、1日5~6回所在確認依頼が来る。動画が2回、ボタン押しが3回程度。
隔離期間中で取り損ねたのは2回(動画1回、ボタン1回)。ボタン押しの要請通知が短いので、ここを改善しなくてはと以前書いたが、これは、なまじ完璧に対応しようとするので、こういう感想になる。ただ、後から知れば、ここまで真面目に対応していない人間もいる。
聞いてみたら、数日間取らなかったという猛者も数人いたが、その後協力姿勢を見せたら問題なかったようだ。
何やら不思議な感じだ。

ともあれ、これから日本携帯を肌身離さず持っていなくても良いというのが、今日からの変化か。

香港の店

これも香港滞在中に撮った写真。
まずは世界の山ちゃん。今回は入らなかったが健在のようだ。世界の山ちゃんが、中国語では「山さんの世界(山哥の世界)」になっている。さすがに外国人に、「世界の~」と言っても分からないだろうからなあ、という感じ。ちなみに、「の」という平仮名は、香港ではかなり昔から準中国語扱い(認知度が高い)で、色んな看板にやたらと出てくる。

こちらは、香港滞在中に、頼まれて、ちょっと面談したケーキ屋さん。お礼にケーキをもらったので、会社に持っていったら部下たちが大喜び。香港でいま注目のケーキの様で確かに旨い。女性は良く知っている。


そして、ラーメン屋の鬼金棒。見た目やらHPから、かなり辛いのではと警戒したが、それほどではなかった。麺がなかなか旨い。香港は、日本のラーメン屋が何店も進出している。僕の赴任時(1997年)には、どもんという独立系の札幌ラーメン店が、旨い店という扱いで、それ以外は味千ラーメン。味千ラーメンが美味しい店と認知されていたのだから(行列もできていた)、今は昔だ。ちなみに、香港人(というか、中国人全般かな?)は、豚骨好き。という事で、香港に有るラーメン店は豚骨主流なのが、自分的にはちとつらい。

そしてバー。自分的には、日本人のバーテンダーの作るカクテルを飲みなれているので、やはり、バーに付いては、上海よりも香港が格段に良い。懐かしい味のカクテルを楽しめた(最初の4日間だけだったが)。

香港風景

これは、1月2日~16日の香港滞在の間に撮っておいた写真。

高いビルが、宿泊していたハイアットリージェンシーホテルが入っているK11。香港と言えば高層ビル。その中の一つだ。フィットネスジムが充実していることを前提に選んだホテルだが(この条件だと、1か月単位でないと借りられないサービスアパートメントよりも、ホテルの方が安くなった)、3回使っただけで、香港政府のジム禁止令が出てしまったので、その後は使えずじまい。18時以降の外食禁止は、自分的には影響は無かったが、ジム使用不可は痛かった。

そして裏路地。こういった風景も香港らしい。煌びやかな風景が、一歩路地に入ると一転する。昔、NYK駐在経験者が香港出張に来た時、こうした路地に入るのを極端に怖がっていた。そう考えると、香港の治安は良いのだな。

そして、香港最終日の夜は、一人部屋の中でいろいろな事を考えた。香港を始めて訪問したのは1985年。活気に惹かれて、何時かここで仕事をしたいと思ったことが、現在の僕に繋がっている。そこからすると、香港もずいぶん変わった。そんな話をしたら、1985年から現在というのは、日本の終戦からウォークマン発売開始までの期間とほぼ同じ。変わって当然という話をされた。そう言われれば、確かに歴史というのは、そうして形作られていくんだなというのを実感した。

ただ、三十数年で変わったのは香港か、自分の認識か(双方有るだろう)。若い時は、香港の活気。香港ドリームを手に入れよう(這い上がろう)とする人間たちのバイタリティーに惹かれた。ただ、その一方で、這い上がれないまま、時間に埋もれてしまった人たちも少なからずいる。そんな矛盾をはらみながら、独特の存在感を維持しているのが香港だ。何が正解なのだろうか。そんな事を、窓の景色を見ながら考えた。

自宅隔離中

自宅隔離に切り替わり3日が経過した。
こんな感じで、庭に飛んでくる小鳥を眺めながらの隔離なので、外に出られなくても特に苦痛は無く、全くもって平和な隔離である。苦しいのを隔離と定義づけるのであれば(変な定義だが)、日本の隔離は隔離ではない、とは言えないが、厳しい中国本土・香港の隔離と同一線上で考えてはいけないな。ただ、有難い事ではある。同時に、2月下旬の中国での隔離がいまから不安だが、酒を抜く良い期間だと前向きにとらえて耐え忍ぼう。

体重管理の一環で、小一年日本酒を飲まなかったが、日本に来てまで我慢しろというのは難しい。親の在庫を開けては楽しく飲む。日本で飲む日本酒は、しみじみ旨い。


そんな感じで、楽しく過ごしてはいるが、筋トレ以外の運動が出来ないのは確かで、体重はちと増加した。今日から糖質の制限をしなければいけなかろう。

成田ホテル生活

既に、昨日実家に移動済であるが、日本到着日から3日間は成田のホテル生活であった。集中隔離ではないので、ホテル館内であれば自由に移動できるのであるが、一応、おとなしくしていようと思い、基本的には館内のコンビニに行く程度にとどめておいた。いきおいコンビニ食が主体となる。

栄養が偏るな。あと、最初の1~2食は嬉しかったのだが、味が似ているのでだんだん飽きてくる。

こんな食生活をしていると、日本でのホテル隔離(中国とは比べ物にならないくらい自由だが)もそれなりにしんどいなと思う次第である。

PCRの自己検査後実家移動

日本入国3日目。初日(空港)の検査後に、PCR検査キットを渡されて、3日目に自分でやるよう要請される。

こういうものかと興味深く眺め、裏ブタの注意書きを丹念に読み、検査にかかる。

検査結果が出るのに30分程度かかるとのことで、Email整理をしてじっと待つ。ピンクの線が青くなったら陰性。下のTの部分に、もう一本青線が出たら陽性とのことだ。人間、生きるにつれ、動くにつれ、どんどん豆知識が増えていくなと思うことしきり。興味深くて良い経験であった。操作を間違えた時のために2回分入っていたので、もう一回自分でできるのは少し嬉しい。そんなこんなで、この20日間に8回のPCR検査は無事終了。

ホテルチェックアウトの上、隔離者用ハイヤーで実家に移動。

日本での隔離生活

日本での隔離生活が順調に始まり、成田のホテルの部屋にこもって仕事をしている。幸いなことに、香港は感染者多発地域ではないので、集中隔離は不要。10日間の自宅隔離で良いところを、自主的に3日間はホテル滞在にしているので、ホテル館内施設の利用が可能だ。これが、集中隔離対象地域からの帰国の場合、ホテル代は不要ながら、部屋から一歩も出られない訳で、その意味ではゆるくて有難い次第である。
とはいえ、極力極力館内のレストランは使わず、ホテル内のコンビニ弁当を食べようと思ったが、連続6食コンビニ食だと身体に来る。音を上げて1階のレストランに。やはり、ほっとする。

そんな感じで、隔離方法自体に不満はないが、隔離中の所在地確認通知方法を改善して欲しい。

入国時にインストールするアプリで所在確認が頻繁に来る(今日は4回)。おそらく、以前、管理がずさんだった時に携帯を置いて遊びに出かける人間がいたので、管理強化したのだろう。
ただ、それは良い。文句を言う気はない。ただ、問題は通知の方法だ。当初はシステムて処理であれ、電話の呼び出しがあると思っていたが、「すぐに所在地確認をして下さい」というメッセージが入り、プッという短い着信音が1回するだけ。
これでは、仕事に集中していたり、うたた寝していたら絶対聞こえない。聞こえず疑われるのはごめんだと思うと、携帯を絶えず睨みつけていないといけない。
ちなみに1回取り損ねたら、暫く経って、「重要な問題になるかもしれないので真面目にやってね」的な脅しメッセージがやってきた)。こちらも協力するつもりでやっているので、こうした取り損ないを防止する手段を取るべきだろう。少なくとも電話の呼び出し音を、何回か鳴らし続けて欲しいものだ。

香港から日本へ(日本での隔離開始)

キャセイラウンジを出るとゲートに向かう。

15時半発の便だ。ボーディングが5分程度遅れると言って乗客に説明しているが、5分遅れというのは定刻で良いのではないか(笑)。日本のエアは丁寧だ。

日本種が4種類あるので、是非飲んでくれと言われ、秋田の一白水星と、もう一種類飲む。両方美味かったが、到着時に酔っぱらっては困るので、1.5杯でやめておいた。

空港到着は夜8時。そこから入国手続き、PCR検査場に移動。沢山の空港職員の方々が、礼儀正しくテキパキと働いている。アプリの確認や検査結果が出て空港を出たのは10時20分なので、非常に効率的だ。こういった対応は、この2年間で格段にレベルアップしているだろうから、その努力に感謝しなくてはいけない。また、日本がが流暢な外国人職員の多さに驚いた。こういった、リスクが高いと思われている仕事を、こんな形で対応してくれている方々には、(日本人・外国人問わず)感謝しかない。
ここまでは順調。要改善点を挙げるとすれば、検査結果が出た人間が呼び出される時の放送が、頻繁に途切れて聞こえなくなる(それでも放送は続けられるので、聞き取れない人も出てきそうだ)。これは極めて重要なポイントなので、通信の接続状況を確認して対処すべきということであろう。

さて、1点を除けば感心する事しきりだった対応も、空港外に出ると一転してダメになる。まさに、外に放り出される感じ。10日間の隔離期間中は、公共交通機関に乗れないので、隔離先ホテルへの足はしっかりと確保して欲しいところだが、案内もないし、バスは1時間に一本だけ。対応も比較的投げやり。さらに、成田のホテルを遠い順に回っていくので、空港付近のホテル到着まで1時間以上(待ち時間40分、乗車時間70分)を要した。重い荷物が有るのでナンセンスな比較だが、歩いたら30分強だ。この部分は、金を払っても良いので、もう少し改善して欲しい部分だ。まあ、隔離者専用ハイヤー呼べばいいですよというのだろうが、あまりに近いと嫌がられるのではと思いやめた(考えすぎだったか?)。

ホテルの部屋到着は0時半。
香港は集中隔離対象地域ではないので、最初から横浜の実家に帰っても良かったのだが、家に着く時間の目途が立てられず、あまりに深夜・明け方になるといけないので、自主的に3泊のホテルとした。よって、(強制集中隔離ではないので)ホテル内の対応は緩やかだ。コンビニで買い物もできるためおにぎりとビールを買い、寝る前に楽しんだ。こうした隔離の緩やかさは、過酷な中国の隔離とは別次元。中国の隔離を知っている人間は、「これは隔離ではない」というだろうが、隔離される身は有難い。
まあ、中国居住の人間は、日本人も中国人も、「しっかりと隔離をする分、外で普通に食事ができる今の中国の政策が良い」と大部分が満足げに言う。ここら辺は考えようだろう。
ともあれ、12時間かけた移動は無事終了。日本での隔離生活無事開始だ。

香港から日本へ

香港から日本に出発だ。2週間程度の滞在だったが、香港を満喫した。2019年の反政府活動、疫病蔓延等が有り、香港に関しては、色々思うことや、複雑な感情があったが、今回改めて香港は良い場所だと感じ、有難うという気持ちになった。
空港には、思ったよりも人がいた。出発ゲートでしっかりと抱き合っている若い恋人(?)たちがいて、ちょっとじんときた。自分の若い時代を思い出したが、その時以上に、今は離れたら次に会うための時間と苦労が必要になる。少しでも往来が自由になりますように。そう思った。

そして、キャセイのファーストクラスラウンジ。このラウンジが使えるのは、JALのプレミアステイタスが維持できているからだが、この状況下で移動がままならないし、更に、自由な移動ができるようになっても、あの頃の様な移動はしないと思う。その意味では、次回このラウンジを利用できる機会があるか分からない(可能性は低い)。そう思うと、これもちょっとしみじみした気分になるな。

病気が色んな意味で、生き方とか考え方を変えた。良い意味でも悪い意味でも。それを不思議に思う。ただ、人と人との関係が、しっかり維持できる社会に早く戻るように。それがいまの一番の願いだ。