ラッキーエビスを鑑賞する

ラッキーエビス(向かって右)と普通のエビス

SEEDとYuzenを一人でハシゴした。
まあYuzenでは、薄~いヴァイオレットフィズ(ジン抜き?)を1杯飲んだだけなので、さほどのダメージはないのだが。

最初に行ったSEEDでは、宮野さんが「ラッキーエビスが当たりましたよ」と嬉しそうにしている。
「なんですかそれ?」
と聞くと、向かって右の鯛が一匹多い(尻尾がでている)方がそうで、稀に混じっているらしい。

言われてみると、そういう話を雑学の本で読んだような気がしてきた。

2008年8月8日。
縁起のいい日にラッキーエビスが当たるってのは確かにげんがいいかも。

それを真っ先に見た僕もラッキーになるかな。

さすがに飲ませてくれとは言えなかったが・・・

大学時代は酒を飲めれば楽しかった

コメント欄で、大学の頃は何でも楽しかったという事を書いた。
楽しかったし、(何でも)苦しかったし、腹も立ったし、やっぱり、感受性が豊かだったんだろうな。若い頃は。
まあ、大学時代に戻りたいとは思わないけど・・・

ただ、あの頃は、酒を飲み始めた頃であるので、酒さえ飲めれば何処で飲んでいても何故か楽しかった。
ゼミの仲間と、ビール樽(生樽)を買って、学校の近くにあった100円バーガー(あの頃はハンバーガーが高かったので、100円バーガーは破格の安さだった)を一人一個買って、公園に行って、しゃがみこんで酒盛りを開いたものだ。
それだけで、3時間も4時間も飲んでたし。

あと、やはりゼミの仲間と一人2,000円しかない状態で居酒屋に行き、酒は一人3杯まで。
料理は一人1品と決めて飲んだりもした。
品数が少ないので、コストパフォーマンス重視!という事で、かなり事前協議を重ねて水餃子はOK。コーンバターもOKだけど、スプーンを使ってはダメ(箸で食べる)などと議論を重ねて注文した。

勘定の時に、一人が、「俺たちもいつかは、好きなだけ食べて飲んで、今日の勘定はいくらかな?というせりふを言ってみたいよなぁ」とつぶやいたのを今でも憶えている。



あと、卒業間際、ひょんな事から大隈講堂前で酒盛りを開き、「今日はここで夜を明かそう!」と盛り上がった事がある。

とはいえ、あまりの寒さに耐えかねて、どこか店に行こうという事になったのであるが、一人1000円くらいしか手持ちの金がない。
「新宿のゴールデン街に行ったら、1000円で飲めるところ有るんじゃないかなぁ」と誰かが言い、(終電も過ぎたし、タクシー代も無いので)行った事がないゴールデン街まで徒歩。

ゴールデン街に着いたら店を一軒ずつ回って、「一人1000円で飲めますか」と聞くのだが、当然、全て断られる。
そんな事をしていると、通りかかった親切な流しのおじさんが、気の毒に思って、店と交渉してくれた。
結果、一軒の店が、「焼酎一人2杯まで。時間は2時間以内」という約束でおいてくれる事になった。
結局、そうはいいながらも、始発の時間まで置いてくれたし、連れの一人がまだ飲みたいと言ったら、焼酎を継ぎ足してくれていた様だ(ただ、飲んでいる当人は酔っ払って理解していなかったが、どうやらそれは、他人の飲み残しの様だった)。


そんな事をよくした大学時代だったけど、なんだか楽しかった。
それからすると、今は贅沢になったんだろうな。

今は良い酒も飲めるようになったし、美味しい食事も食べられるようになった。

でも、あの時の居酒屋での宴会が、妙に楽しく思い出されるのも確かである。

今日は台風シグナル8

朝眼が覚めるとすごい風の音がした。

とはいえ、8まではいってないだろうと思って、会社に出かけようとしたら、直前でシグナル8が出ている事を知った。
これは駄目だ。
今日は出社できなさそう。

香港に暮らして11年半。
何度もシグナル8を経験した。

すごい風が吹いて怖い事もあれば、「本当にこれで8?」と疑問に思う事もある。
一度、8が出て、会社から帰宅する為にMTR(地下鉄)に乗ったら、釣竿を持った親子連れとか、物見遊山に出かけるような人で一杯で、かなり違和感を感じた事があった。

シグナル8の中、香港エアポートに降りた事も有ったし。

ただ、香港は大きな看板、張り出した看板などが多いので、強い風が吹くと本当に怖い。
何度か、出社を試みたけど、MTRの駅までたどり着けずに(距離自体は、歩いて数分の場所なのだが)、断念したことがある。

今日は普通のシグナル8という感じ。
何時解除されるのであろうか・・・

引き続いての思い出話

引き続いて思い出話。

僕が中国を初めて旅行したのが1985年。
大学3年生の頃であった。

僕にとって、それは「初めての海外旅行。初めての飛行機。初めての一人旅」という初めて尽くしの旅行であった。
言葉も分からず、よく考えれば無謀な旅であったが、その時に学んだのは、「行けば何とかなるものだ」という事である。

身振り手振りでも生きていくくらいはでるし(最低限の買い物やチケットの購入はできるし)、皆なのやることを見ていればなんとかやりかたが分かる。
勿論、言葉もろくにできなかったので、1ヶ月で7Kg痩せてしまったが、まあ、無事に日本に帰りつくことができてほっとしたものだ。



その時の中国はまだ通信事情が悪く、また、極端な安ホテルに泊まっていたので、電話は数時間繋がらないし、その為、1ヶ月間、一度も家に電話をしなかった。
親にはがきも3枚出しただけだが、その内、2枚が旅行のほぼ最後の広州から出したものだったので、僕が帰国してから届いたものだ。
親からものぐさだと呆れられる事しきりであったが、今になると、「心配かけて悪かったなぁ」と思うし、申し訳なく思ったりする。

可愛い子には旅をさせろというけれど、そんな感じで旅行に出してくれた親には感謝しなくてはいけないだろう。
さすがに、自分は子供に同じ事はさせたくないと思うし。

ただ、あの1ヶ月間は懐かしい。
時間が有り余っていた1ヶ月。
早く時間が過ぎて、日本に帰る日が来ることだけを指折り数えていた。
辛かったけど、あんな時間の無駄遣いも一種の贅沢なのかな。
今となっては。

飛行機にまつわる怖い思い出

ここしばらく、若干の事情があって、香港に腰をすえて執務。
飛行機に乗らない生活、というのを久しぶりにしている。
飛行機に乗らないと時間が随分セーブできるので、生活にもゆとりが出るような気がする(というか、飛行機にこれだけ乗る生活の方が珍しいのであろうが)。

思い起こせば、飛行機に初めて乗ったのは、大学3年生の頃(1985年)。
当時の中華民航であった。
随分ぼろい機体だったのと、周りに日本人が殆どおらず、言葉も分からないので不安で一杯。
上海に到着するまで、座席が抜けて空に吸い込まれるような不安に駆られて、一睡もできなかった。

それから、何度も飛行機に乗ったが、200回目位までは、飛行機に乗るのが怖かった。
何せ、高いところが嫌いで、ジェットコースターに乗れない人間なので、飛行機は当然、怖くて仕方が無かった。
一番怖いのが離陸の時なので、飛行機に乗ったら、飛ぶ前にすぐに寝てしまう癖をつけ、この恐怖から逃れる努力をしたものだ。

今では特になにも感じない。
慣れとは恐ろしい(ありがたい?)ものだ。

ただ、飛行機で怖い思いをした事はあまりなくて、一度、廈門航空に乗ったら、着陸を失敗したようで、着陸⇒急上昇⇒旋回⇒着陸を繰り返して、3回目にやっと降り立った事が怖かったくらい。
この時は、乗客、全員顔面蒼白で、着陸してからも、暫くは誰も言葉を発しなかった。

それ以外には、怖い経験ではないけれど、台北⇔台中間の飛行機に乗ったら、これがプロペラ飛行機で、「何でこんなちっぽけなプロペラが回ると飛ぶんだろ」と懐疑的になったりしたものだ。
更に、その時は、僕がその機に乗る前日か前々日に、台湾の交通関係の要人が「台北⇒台中間の飛行機は危険だ。私なら乗らない」という失言をして、それが報道されたばかりなので、更に不安に拍車がかかったものであるが。

ともあれ、こんなに飛行機に乗る生活になろうとは、(初めて飛行機に乗った)大学生の頃には予想もしなかった。
その時、予想できていたら、別の仕事を探していたのだろうか!?

中国本土⇒香港個人旅行解禁5周年

今日のDaily NNAを読んでいたら、中国本土から香港への個人旅行解禁5周年で、今年6月末時点までで累計3千万人を突破したとの紹介があった。
これを読んで、「もう5年経ったか~」と感慨深く思った。

SARSの影響で、香港の景気が極度に停滞していたのが2003年の事。
それから、2004年よりCEPAが施行され、その一環として、若干前倒しで中国本土から香港への個人旅行が解禁になったものだ。

あの時の香港は停滞していて、「この先、どうなってしまうんだろう・・・」と不安に思ったものだが、CEPAの宣伝効果と、個人旅行解禁による経済効果が起爆剤となって、みるみるうちに回復した。
回復しすぎて不動産相場があまりに高騰し、撤退する企業・飲食店が少なくなかったのは残念であるが、ともあれ、この5年間で、香港は見違えるようになり、元気が出てきた。

それと同時に、香港内で普通語を聞くことも当たり前になってきたし、人民元が大手を振って流通している。
政治というより、経済面での中国の影響が大きくなってきているという感を受ける。

何があっても、不思議とよみがえる香港。
この5年の経済回復も、香港のしぶとさを表す端的な例であろう。



因みに、2003年の夏~秋は、CEPAのお披露目セミナーで、香港貿易発展局の方々と一緒に、東京、仙台、山形、大阪(翌年に、名古屋、浜松、福岡)と、各地を回ったものだ。

そんな巡業の様な講演会は、大変楽しいものだった。
「山形・仙台は地酒が美味しかったなぁ~」とか、「名古屋は風邪で熱が出てふらふらななか講演して大変だったなぁ」などと、今でも思い出す。
あと、名古屋講演の時には、中日新聞さんに、僕のインタビューを大きく記事にして頂いたので、親元に知り合いから多数連絡があり、親孝行ができたようで嬉しかった(両親は名古屋生まれ・名古屋育ち)。

あと、大阪講演の時は、極度に過密スケジュールのなかの出張で、前夜9時に大阪入りし、翌日の講演会で1時間話すと、すぐに呼んで頂いたハイヤーに乗って香港に戻ったりとかもした。
慌しかったが、満足感もあった。

CEPA施行前後の時期は、香港の景気はまだまだの時であったが、僕個人としては、そんな楽しい思い出がたくさん詰まった日々であった。

何となくあの日に戻りたい気もするが、今年があの年よりもっと良い年になるように頑張ろう!
(今回はちょっと回顧調・・・)

雑学の本を読みふける

月曜日にBar Seedに行ったら、書棚に雑学bookが置いてあり、ついつい読みふけってしまった。
そこには、ピザにタバスコをかけるのは日本だけで、どこかの国の本には、雑学として、「日本ではピザにタバスコをかけるという奇異な事をしている」という記載が有るとか紹介されていた。
そうかぁ。
「確かに、ここ数年、チリオイルは置くけどタバスコを置かない店が増えたもんな」とか考える。
でも、タバスコかけたほうが僕は好きなのだが。
「好きだから何かけてもいいじゃないか!」とか読みながら熱くなってしまった。

あと、「(洋食を食べるとき)フォークの背にご飯を乗せるというマナーはない」とか。
これは有名だし、最近はもうやってる人いなくなったんじゃないかな。
でも、子供の時は、結構そういう人がいたので僕も習ってやったものだ。
小学校の頃から、この技が意外と得意で自慢だったものだが、今や誰にも威張れない業になってしまったものだ。

そんな事を考えて一人で読みふけっていたら、その本を貸してくれた。
なかなか楽しい本であった。

のんびりした週末に外貨管理規制強化の原稿を書く

朝起きたらちょっと頭が痛かった。
昨夜は楽しく飲んだが、少々飲みすぎたかな。
今日は酒抜きを決心。

とりあえず、11時半から近所の中華料理屋に行って飲茶。
二日酔いの胃に中華が少し重いが黙々と食べる。

食べ終わると足&全身マッサージに。
最近、マッサージ屋によく行く。
その甲斐あって、背中と首のごりごりは、随分緩和されてきた。
精神的にも回復基調なのが良いのだろうか。
1~2ヶ月前は、すごい顔色してたらしいので。


軽く昼寝をしてから、NNAの中国ビジネス講座の原稿2回分。
コンシェルジュ上海・北京版の原稿を執筆。

ちょっとタイミングが遅くなってしまったけれど、7月に入って出された、外貨管理規制に関る3本の通知に付いて解説した。

概要は、
① 輸入ユーザンス登記義務の強化(90日超の輸入ユーザンスに関して、金額基準無く登記が必要になっただけでなく、登記可能額の年度累計が、前年度輸入決済総額の10%以内に制限される(2008年10月1日より)。
② 輸出代金前受け金に関する登記義務の開始(2008年7月14日より)。
③ 輸出代金回収に関する照合義務の強化(輸出代金を直接外貨経常口座に入金できず、審査待ち口座に一旦入金、輸出実績との照合を銀行が行った上で、引き出し・元転が認められる)。

この様な規制強化の背景は、投機資金の流入規制という事であるが、①は、ユーザンス輸入の金額を極端に制限される結果に繋がり、影響が大きいであろう。
また、③に付いては、随分手続が煩雑化しそうだ。
そもそも、中国では、かねてより核銷手続という、通関実績と外貨の受け払いの照合が義務付けられているが、これが、更に規制強化される訳で、かなり神経質な対応だ。

2005年に、総量規制の観点より、外資企業の調達に大きな制限が加えられた事が記憶に新しいが(結果的に年末には緩和が行われた)、それに引き続く規制強化ということになるのであろうか。 

金曜の夜の元気一杯

夜はチムサッツイの元気一杯で会食。
亀一も参加したのだが、最終便(夜7時半発)で広州に帰らないといけないので、開始を6時にして頂き、前半部分だけの参加と相成った。

相手の方は、亀一とは初対面。
「本当に水野さんのブログ通りの人ですね」といつもの様なコメントを頂いていた。
亀一は、最近香港ポストに、「塞翁が亀」というエッセイを連載中。
亀キャラがすっかり定着してきた感がある。

揚げ物を大急ぎでかっ込んだ亀一がいなくなってからも、会食は継続。
次第に酔いが廻ってきて、「お勘定を済ませると、また気が変わり追加注文」という事が続き、お勘定を3回もするという珍しい事態になった。

会食中に僕は4回トイレに立ったのだが、その度に、色んな方から「水野さんですよね」と声をかけていただいた。
次のyuzenでも同じ。
動くたびに、「ブログ読んでます」、「連載読んでます」と声をかけていただき、素直に嬉しかった。

地域に溶け込んでいるなという実感と、色んな方に支えてもらっているなという気持。
そんなこんなで、温かい気持がしたものだ。

ここ暫く、疲れ切った心に栄養がしみこむ感じ。

この気持があれば、まだ頑張っていけると思う。
自分のやってきた事に自信を持って。

吉野家が満員

会社を出て、「SEEDでビール飲んでくかな」と考えた。
が、お腹が空いているので、吉野家で牛丼食べてから行こうと考えたら満員。
注文の列も長いので、断念してSEEDに直行した。

その報告をSEEDでしたら、「いつも混んでるみたいですね。数日前も他のお客さんが、同じ事しようとしたら、列が長くて断念したと言ってましたよ」と言われた。

連日吉野家が大盛況のようだ。
どうした事だろう。

昨今、物価が上がっているので、節約価格の吉野家が人気になっているのだろうか・・・

因みに、SEEDで宮野さんの非常食を食べさせてもらってひと息ついた。
有難うございました、宮野さん。

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ