日本経済新聞の連載

日本経済新聞の連載コラムは本日掲載。改革開放路線転換約40年の中国の変化を、僕自身の体験を踏まえて書いてみました。
人間の意識というのは、往々にして時代の変化に付いていけなくなりがちです。
中国の最近数十年の変化はすさまじい。日本の報道では、中国の経済成長率(伸び率)の減速にスポットが当てられがちですが、2010年に名目DGPの順位(日本と中国)が逆転して以降、既に、中国のGDPは日本の2.4倍に拡大しています。
企業の将来戦略を設定するにあたり、中国とビジネスをしないという選択は、遠からぬ将来、米国とビジネスをしないという選択と同じ重みをもつようになり得る。
従来型のビジネスに固執する事は、30年前のイメージで中国を眺める事になり得ない。
そんな内容を解説しています。
ご興味のある方はこちらから(ビジネスの流儀)

新居から空を見ながら

数日前、香港の部屋から外を眺めていたら、妙に綺麗というか不思議な空だったので、ついつい写真を撮ってみた。

3年間住み慣れた部屋を引っ越して、この部屋に移ったのが2月。
前の部屋は、器は悪くないし、ウォーターフロントで眺めもよいのだが、徐々に、問題ある住人が多くなり(騒がしい)、また、非常ベルが頻繁に誤作動して、深夜にけたたましい音で起こされる。これに耐えかねて引っ越した。
今の部屋は、場所は便利で、静かなのは有り難いが、前に比べると部屋が狭い。最初は、少々不満であったが、徐々に適応してきた。 人間、慣れる生き物である。
ともあれ、紫色の空を眺めてのビール、なかなか風情が有った。

上海で日本食をはしご

先週の上海滞在時に、クライアントの方の誕生祝いをさせて頂いた。
という事で、旬林にて会食。本当はもっと食べたのだけれど、写真撮り忘れ。ここは刺身が美味しい。そして、ひそかに野菜も美味しい。野菜天ぷらが僕のお気に入り。

上海は、金さえ払えば、本当に美味しいものが食べられる。物価が高いのが悩みどころだが、かつて、金を払っても美味しいものが食べられなかった時代を知っているので、やはり有り難い事なのであろう。ともあれ、食事の原資のねん出のため、仕事に打ち込む必要が有るが・・・

2次会にどこに行くかというアイデアがまとまらず。僕の、「てとてはバー代わりになりますよ。天使の誘惑(日本酒党の僕が美味しく飲める、数少ない焼酎の一つ)も飲めるし」という発言が受け入れられ、「てとて」に移動。

ただ、これがクライアント様の郷愁に火をつけた模様。かつて、その方が引越し前に、この付近に住んでおり、よく「てとて」を利用していたとの事。その時の大のお気に入りがナポリタンと卵ご飯だったという事で、「その二つは絶対頼みましょう!」と張り切っている。
僕も、それに応えて食欲を解放。とても2軒目とは思えない注文となった。
クライアントのもう1名の方は、上海赴任後体重が一気に増え、前日、ズボンを破ってしまったという事ながら、果敢に食べてくれていた。
ともあれ、上海の日本食事情に感謝しつつ、大いに食べた一夜であった。

外灘から浦東を見て

上海1週間の滞在期間中に、日本からの出張者が有ったので、外灘にお連れした。
上海出張が初めての方だったので、「現在の上海が感じられる場所を見るべき」と言ってお連れしたもの。上海の変化の速さが一番感じられるのがここだと思ったため。
外灘(バンド)から浦東を臨むと、今ではこんな景色だが、浦東地域の開発が開始された約25年前まで、川向うには全くビルが建っておらず、ここに立つと、風に乗ってくる砂埃がひどくて目がかゆくなったものだ。1~2枚目の景観は、この25年間でできたもの。


今の外灘を、32年前(1985年)と比べてみるとこんな感じだ。
大切なのは来て、見て、体感する事。現地を知らずに判断すると、下の写真のイメージで中国を語るようなことになりかねない。それが適切かどうかは、一目瞭然であろう。
中国は大きく変化している。色々な問題をはらみながらも、大きなパワーを持って動き続けている。それをどう判断するかは個々人に委ねられるが、先ずは、その変化を実際に見た上で判断すべきであろう。

上海への移動

1週間の上海滞在を終えて香港に移動したところ。
上海では、仕事は特に忙しいという訳ではなかったが、宴席が多く、少々食べ疲れの状況・・・

さて、これは上海移動前日の事(香港)。
今日の晩飯は湯豆腐に日本酒、と決めて、近所のイオンに買い出しに行く。酒屋に好きな梵があるので購入。小瓶なのでもう一本と考えていると、店員さんが勧める酒が全て僕の好みとは違う。「基本的に、北の方の酒が好きなので」というと、「香港からすれば日本は全部北じゃないですか!広い心で受け止めてください」という無理筋な売り込みが面白かったので1本購入。
セオリー無視でも、熱心さを買った感じ。

ただ、その日は結局酒抜きとする事に決め、日本酒は冷蔵庫に。

そして、翌日(土曜日)に上海移動。15時のフライトがキャンセルになり、空港で3時間ほど時間が余ってしまったので、ラウンジでのんびり過ごす。

報道から見た中国経済~虚像と実像を読み解く

講演会のお知らせです。
元NNA総合版編集長・読売新聞上海支局長の江上氏の復帰講演です。

報道から見た中国経済~虚像と実像を読み解く(詳細はこちらをご覧ください)
講師:江上志朗(水野コンサルタンシーホールディングス・シニアアドバイザー)
日時:2017年6月7日 (水) 14:00~17:00
会場:横浜市開港記念会館9号室(横浜市中区本町1丁目6番地)

日本の報道では、中国の景気減退、企業の撤退などが主に報道され、日本の報道を見る限りにおいては、中国でのビジネスチャンスは減少している、日本企業の中国撤退は続いているという印象を持つのは自然な事に思えます。
ただし、現場の人間(中国駐在員をはじめとする日本人)が、日本の報道に対する違和感を持つケースは少なくありません。
実際、直近1年の当社グループの実績は、中国での拠点新設案件の件数は、撤退を圧倒的に超えていますし、2016年12月のジェトロ調査においても、在中日系企業(有効回答992社)の今後1~2年の事業方針は、拡大40.1%・現状維持52.8%・縮小5.3%・撤退1.8%と、撤退は2%未満となっています。この数字は、日本の報道のみを見ている方にとっては意外なものではないでしょうか。
では、何故、この様な報道と計数の齟齬が生まれるのか。
中国経済は、実際は良いのか悪いのか。
この点を、読売新聞上海支局長・NNA中国総合版編集長等を務めた講師が、報道する立場から分析し、中国経済の実像と虚像を解きほぐしていきます。

なお、僕も、応援講演の形で、中国の日系企業の動向と経営課題を40分程解説します。

海外生活、そして仕事

もうすでに香港に移動していますが、台湾思い出巡りの最後。
今回の宿泊先は福華大飯店。以前住んでいた住居(仁愛路4段)に近いからというのが選択の理由。ただ、空港からのリムジンも前に泊まるし、色々と便利なホテルであった。

いまでこそ、台湾が好きで、仕事が無くても行きたいくらいだが、研修時代は好きになれなかった。また、台湾到着、孤独感から軽いパニックに陥った。すぐに治ったが。
台湾・香港で適応できなかったら、世界中どこに駐在しても適応できない(駐在できる場所が無い)とよく言われるし、それは確かだと思うのだが、メンタルというのはどういうきっかけで問題が生じるか分からないデリケートなもの。
駐在直後に適応障害を起こす人も有ると思うが、温かく柔軟な対応で接してあげる必要が有ると、自分の経験から思う。

何分、メンタルは厄介。2005年に仕事のストレスで、のどが腫れあがった事が有ったが、症状が完全に消えるのに10年かかった。僕自身は、土俵際の踏ん張りがきくタイプらしく、何かあっても問題なく仕事を続けられたし、結果として、海外生活も20年を超えた。ただ、これも周りの方々の支えあっての事だと思う。
今回の台湾は、特に現地で仕事も無く、日本(GW)・中国(労働節)が休みであるため、Emailも少なかった。
おかげで、ゆっくりと思い出に浸る時間が持てた。台湾の雰囲気も有ってか、優しい風が自分の周りを流れる様に感じたし、その中で、色々な過去の出来事、支えてくれた色々な方々を思い出し、感謝しながら過ごした3日間だった。

台北思い出巡り

社員旅行全体会食の翌日は、僕一人で思いでの場所巡り。当社の社員旅行は、前にも書いたが、全体で1回食事をする以外は自由。家族、恋人帯同も問題なし、というルール。という事で、社長の僕は結構暇だ。
ただ、この部分は僕の譲れない思い入れ。休日(=大切な人と過ごす時間)を使って行くのであれば、その人たちと一緒に居られない旅行にはしたくないし、一緒に楽しんで欲しい。頑張ってくれている社員に感謝するための旅行なので、社員の家族にも楽しんでもらえるものにしたい。

僕が丸紅香港に赴任した時に、上司が、「水野君、一番大切なのは家族だ。だから、家族に何かあった時は遠慮しないで会社を抜けなさい」と言ってくれたが、その言葉がまだ胸に残っている。
そういう事ができる会社でありたい。
組織が大きいだけに、色々な人がいるのは確かだが、丸紅には人情味がある人が多かった。そこが甘さと自身でいう社員も多いが、その社風が好きだった。そして、台湾研修もしかりだが、20年以上、僕を育て、守ってくれた。そして辞めた今でも。部下とクライアント様の信頼を守るためにやむなく辞めたが良い会社だった。改めて感謝の念を持ちながら、台北の街を歩く。

因みに、一番上の写真3枚は僕をはじめとする研修生が多く住んでいた、旧遠東百貨ビルとその付近。懐かしい。そして次が、学校(TLI)の近くにあった中正記念堂。これは有名な観光地だが。

そしてこれは、TLIと併せて勉強した台北師範大学。

毎日、朝からTLI(信義路x金山南路)で勉強し、昼食後に師範大学に行くというのが標準コース。これは、TLIから師範大学に行くまでの風景。あまり変わっていない。
四川料理の老郭が一番懐かしい。週に2回程度行ったものだ。当時は写真メニューが無く、メニューを読んでも分からないので、麻婆豆腐を固定して、その他は当てずっぽで選んでいた。僕が、滑蛋虾仁と蚂蚁上树を好きになったのはこの店。蚂蚁上树(直訳すると、蟻の木登り)は、最初注文した時、どんな料理がくるのかドキドキだった。知ってみれば、辛味を利かした春雨とひき肉の料理なのだが。この付近の東門餃子館は、日本人にも随分有名になったようだが、僕的には老郭が思い出深い。

そして、今ではすっかり有名なティンタイフォンの料理。
これもTLIのすぐ近くだった。さすが本店。安定の旨さだ。
ただ、僕が研修生の頃は並ばずに食べられたが、今では1時間待ちは当たり前という状況。

社員旅行で台湾に

社員旅行で台北に来ています。
社員旅行は、各拠点の仲間が一堂に会する年1回の機会。基本的に自由行動ながら、1回は全員で会食する事になっている。初めて顔を合わせる他拠点の人間もいるので、食事の時は、仕事の話はせずに、ただ楽しむ、というのがルール。



独立起業が2008年なので、今年で九周年。5人の仲間で始めた会社が、ここまで大きくなったのが嬉しい。そして何より、みんな楽しそうに飲んでくれているのが有り難い。
こうして社員の顔を見ていると、みんなの生活を支えているという自覚も強くなる。今の僕の目標は、この会社を未来永劫存続させる事。それに向けて、まだまだ頑張らねばならない。



ともあれ、楽しい酒を飲んだ一夜であった。