7月16日の朝6時に車を予約し、浦東空港に向かった。日本に帰る便は、この時間がデフォルトになってきつつある。2004~2021年という長い期間、不眠症に悩まされていたため、朝の予定は入れられなかった。翌朝、予定が入っていると思うと、緊張して一睡もできないことになるためだ。それも収まったので、朝5時起きでも問題なく対応できる。ちと眠いが、日本到着後もスムーズなので、なかなか良い。
浦東空港には7時前に到着。お腹が空いていたので、ラウンジで麺を食べる。この麵も食べ飽きた感があるがやむを得ない。
搭乗時刻が近くなり、ゲートに移動。いつもながら、ブルーフロッグパブが気になるが、朝から飲む気にはならないので、また今度の機会だ。機内食がうまい。一時、JALの機内食の味がいまいちで、どうしたことかと思っていたが、すっかり問題解消だ。
羽田に到着すると、生憎雨模様。リムジンバスと電車を乗り継ぎ実家に。前回の訪問時に買っておいた花陽浴を飲むのが楽しみだ。
今まで上海で食べた中で、一番美味い生牡蠣だった
上海にて。ウェリントンステーキが食べたくなり、大衆点評を見て店を選定。La Belle Epoqueという虹梅路の店(SOHO付近)を選ぶ。この店は、イタリアンとフレンチが並んでいるが、フレンチの方。確か、12年前に、イタリアンの方は行ったことが有るが、フレンチは初めて。ロブスターパスタを頼んだが、まず、それを見せてくれる。でかい。
生牡蠣を6個選んだ。上海でもよく生牡蠣を食べる。ただ、この生牡蠣は絶品であった。上海・香港で食べた生牡蠣の中で、断トツの旨さ。これは選んでよかった。
サラダは、癖のあるものを頼んでしまった。これは失敗。そして、値段的にウェリントンステーキは頼めず(888元した)、それよりも安い普通のステーキで我慢。
そして最後に、パスタが出てきたが、この時には満腹。旨かったが。そんな訳で、生牡蠣がともあれ絶品な店だ。次回は、二人なら、生牡蠣一ダース頼み、あとはパスタだけという感じでも良いかもしれない。油断すると、二人で2500元くらいはいってしまうので、予算管理が必要だが、良い店であるのは確かだ。
5年半前に書いた半生記
けっこう前になりますが、半世紀を書いたことがあります。福建省の研修時代のドタバタや、コンサルティングを始めたやり方、勤めていた会社を辞めて独立した経緯を書いたものですが、ご興味ある方は、御目通しを!
二日連続講演会を終えて
7月10日・11日は、2か連続のオンライン講演会。この大変な状況下、2か月で9回の講演をこなしたのは頑張ったなと、我ながら思う。
今回は1.5時間の講演だが、組織再編、会社法、個人情報域外移転の3点を解説。会社法は、合計90カ所の変更をレジュメに網羅して解説したので、レジュメづくりもかなり気合を入れた。
1回目(昨日)は定員500名様ほぼ満員のお申し込み。2回目は約300名様。次回は、1,000人のお申し込みを頂くよう、告知の仕組みを考えないといけないな。
ただ、有難いことに、反響が非常に良かった。講演している時は、1.5時間の時間制限も有り、かなり駆け足で話したような気がし、若干反省していたが、講演もレジュメも密度が濃かったとの声を多数いただき、ほっと一安心だ。
初日は、講演2時間前に、うどんを茹でて食べる(海老天はデリバリー)。一把の麺が、2時間たっても胃にもたれて難儀した。まだ、身体は本調子ではないようだ。よって、二日目は、ご飯少な目(たらこ乗せ)に変更。
四十九日法要を終えて
7月3~9日が日本滞在であった。その間に、母の四十九日法要を行った。4月17日の眼の手術から始まり(ただ、この後は、手術の身体的な負担は有るものの、良く寝たことは確か)、5月20日の母の逝去、その後の各種手続きという事で、精神的、肉体的な負担を受ける日々が続いていた。これが、四十九日が終わりどっと吹き出し、1日半寝込んでいた。全く起きれない。何もできない。腹痛も続くという状況で、かなり難儀したが、月曜の朝には回復した。知らず知らず、負担がかかっていたんだなと実感。ただ、いろんな面で、落ち着いた気はする。
7月3日の上海帰任は朝9時発便なので、前日は、大鳥居のメルキュールホテルに宿泊した。羽田第3ターミナルまでは3駅。
初めて宿泊したが、なかなか良いホテルだ。次回、前日泊する時はここだなと思った。羽田空港直通のヴィラフォンテーヌの大きな温泉は捨てがたいし、メルキュールだと、朝の3駅移動が何気に面倒だが、値段もそれなりに安い。そこらを考えると、悪くないホテルという感じ。
前夜の食事が少なかったので、朝はラウンジで多めに食べる。機内食を食べるので、ちと食べ過ぎかなとは思ったが・・・
朝早いので(7時)まだ空いているラウンジ。1.5時間後には満員状態。そして、機内食を食べて移動。上海到着は11時。順調な移動であった。
一週間経過し上海に移動
今回は収穫の多い日本滞在であった。一週間の滞在を終えて、また上海(6月26日)。一週間後に、また日本に戻り、四十九日法要だ。関係ないが、はじめて入るパン屋に可愛いパンが有ったので購入。なんかの動物を模したチョコパンだ。
羽田に向かう前に、蕎麦を茹でで父親と食べる。さて出発だ。
今回は、キャセイパシフィックのラウンジを使用。これは良いラウンジだ。設備、サービス、酒は、全てJALラウンジより上だな。すっかりくつろぎ、ほぼ定刻で移動。
手続がほぼ終わり湘南で乾杯
今回の滞在は、6月20~26日。この間で、1か月続けてきた母親の銀行関連手続きがほぼ完了し、その上で、四十九法要の手配、納骨の段取り、その他、各種手続きの目途をつけた。
1ヶ月間、探偵のように頑張った。仕事と同時進行なので、前回の日本滞在までは、常にめまいがしていたが、ほぼ、ミッションコンプリートだ。
ここまで来ると、母が仕掛けた宝探しゲームを、残されたヒントを元に解明している気がしてきた。近くで母親が、「解いてごらん」と笑っている姿が見える気すらした。
良い経験をした。親父の生活は大丈夫。こんな日くらいは、昼から乾杯させてくれ!お願いします😄
この日は、娘の運転する車で、郵便局、墓地、湘南を回って、あれこれ解決。郵便局の人も銀行の人もすっかり顔見知りになってしまい、良かったですね!と喜んでもらう。乾杯は、タベルナ・ロンディーノ。清々しい気分の一日だった。
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かなり気合を入れてレジュメ準備しましたので、是非、お申し込みください。
上海に戻り会食
6月15日に香港から上海到着。まずは元同僚(後輩)と、椿で会食。やはり、上海は落ち着く。
一旦戻ったが、今後2ヶ月くらいは、日本と上海を1週間交代で往復する予定。実家に父親を長い間一人にしておきたくないため。その後は徐々に、上海10〜12日、日本7日間というローテーションを考えている。還暦を迎えた身には、しんどいスケジュールだが、4年前(コロナ前)までは、1週間平均2〜3回飛行機に乗っていたので、これに比べればまだマシ。
思うのは、独立して良かった。会社員のままであれば、私事でこんな動きはできない。ただ、しんな不安は40代の頃から何時も胸に有り、悩んでいた。丸紅を辞めたのには幾つかの理由がある。基本的には、コンサルティング業務撤退の決定が有り、クライアント様との契約、15人の部下を全員9か月以内に切って、お前だけ帰ってこいという命令を聞き入れることができなかったためだが。ただ、両親の話というのは、心の中に有ったのは確か。そんな意味では、自分として最適な働き方を見つけたという事かな。有難い、有難い。皆さまのご理解にも感謝です。
鰻も蕎麦も美味い。満足であった。
香港から上海へ
(かなりブログの更新が遅れています!)
6月15日(土)に香港から上海に移動した。心身共に疲れ切っていたため、夜8時には寝てしまい11時間睡眠。かなりすっきりしたが、チェックアウトの12時まで、ホテルでやることがない。のんびり空港に向かおうと思い、タクシーではなく、セントラル経由で、エアポートエクスプレス。200香港ドル程度は節約できたか(笑)。それでも、12時半にはラウンジに到着。
早く着きすぎたので、ゲートが表示されていない。キャセイのラウンジは、1番、5番、55番ゲート付近にあるが、過去の経験から、おそらく55番ゲート付近だろうとあたりを付け、そこに向かって歩く。出境審査から一番遠い場所にあるラウンジなので、30分程度。ただ、ここのラウンジは食事のチョイスが豊富だ。中華(担々麺が旨い)だけでなく、イタリアンもある。広くて座席もゆったりしている。
そんな感じでゆったりしていたら、なんと1番ゲート付近の表示が出て驚いた。また元に戻らないといけない!ともあれ、そんなこんなで上海に移動。