横浜(山手)の街並み

ブログに乗せる機会を逸していた写真を2回続けて。
これは、3月末に、部下と山手十番館で食事をしたとき、早めに着いて街歩きをした時の写真。

僕は生まれたのが名古屋。名古屋駅の付近の家だったらしいが、2才の頃に父親が家を買ったので、柏森という駅(名古屋駅から20分。ロスタイムを含めて30分程度の場所)に引っ越した。極めてドメスティックな環境で小学校2年生まで育ったので、3年生で横浜に来たときは新鮮だった。夢見がちで、本ばかり読んでいる子供であったし、特に、西洋の小説が好きだったので(中国に興味を持ったのは、浪人生の頃で、それまでは完全に西洋への憧れが強かった)、西洋を思わせる街並みが、そこここにあるのは嬉しかった。

ここら辺は、小学校5年生くらいの時から毎週来ていた。教会付近にテニスコートが有るのだが、父親が学生時代に二年連続国体に出たり、全日本8位になったことがあるので、テニスを教えてもらっていた。ただ、天性の才能の差を思い知って、中学生でテニスはやめたのだが。何しろ、父親が8位になったとき(今の天皇杯。あの当時はマッカーサー杯といったようだ)は、テニスを始めて、たった2年。それで、石黒、加茂などと戦っていた訳でので(加茂には勝てなかったが、石黒には一回勝ったそうな)、親子とはいえ、才能が違いすぎる。あまりの違いが、容易に感じられて、俺も頑張ろうという気持ちにはならず、「これは無理だ」とやめてしまった。まあ、外に引っ張り出されるよりは、家で本が読みたいというのが、一番の本音だったが。

高校時代は、放課後、この周辺を歩いたりした。運動部は、ここら辺を走り回っていたようだが、坂が多くてつらかろう。そんなこんなを思い出す。学生時代は、西洋の街並みに紛れ込んだ気がして、小旅行の気分であった。懐かしい少年時代を思い出し、少しノスタルジックなひと時を過ごした。

日本から上海へ(10日間の日本滞在であった)

5月4日に上海に移動。今回は、10日間の滞在とちょっと長めの日本であった。少々疲れた。これは、手術後で体力が完全に回復していないのもあるし、色々やることが多かったというのもあるだろう。GW中で、人が少ない(羽田空港もそうだった)。他に乗客がいない東海道線で、のんびりと朝食を食べて出発。

電車内で食事をしたので、ラウンジでは軽め。麻婆豆腐があるのは良かった。

最初に5月2日のチケットを取り(キャンセル不能)、買いなおしたのでもったいなかったがやむを得ない。マイレージでの選択だったので、購入オプションは殆どなく、11時40分発の羽田発・浦東行き。浦東でディレイを心配したが、定刻の出発であった。

行き(上海から日本)の食事は洋食。帰りは和食を選んだが、どちらも不味い。行きは、ソースの味が奇妙で(酸っぱい)無理して食べた。帰りの和食は、特にメインがいまいちで、一口二口食べただけで残すことに。食事以外は、全く問題なかったのだが、これはどうしたことだろう。
ともあれ、順調に上海着。