日常が戻ってきた

色々なことが落ち着き、日常が戻ってきました。4ヶ月ほど筋トレもできていなかったので、トレーナーから、筋肉落ちたねえと言われたものの、慌ただしい生活の中で、何とか、家で腕立て伏せ等をして維持したものだ。ただ、久々に、ジムでトレーディングをすると、本当に疲れる。少し、弱くなったな。

トレーニングが終わると、ステーキを食べたくなる。なかなかお得なパッケージが有ったので、生牡蠣にキャビア(キャビアは、本当に少なかった)。エビにステーキを食べる。

こんな感じで、生活を楽しむ余裕が、少しづつ戻ってきた。9月中旬の手術(網膜剝離時に入れたオイルを抜く)が終われば、一息つくことであろう。

上海に移動

8月20日に上海に移動。今回の日本滞在は約二週間と長かった。これまでは、両親の手続き関係をひたすらやっていたが、今回は、自分の手続きもそれなりにできたので、有意義であった。

空がきれいだったので、珍しく何枚も写真を撮ってしまった。今年の元旦、朝便で上海から日本に移動したが、やはり空がきれいで、富士山も綺麗に見えたのが思い出された。良い一年になるかなと思ったが、プライベートでは、こんな状況なのは皮肉なものだ。ただ、母と最期に正月を祝えたのは良かったか。

そんなこんなで、無事上海に到着。

半生記紹介の反響とお礼

先日ブログで紹介させて頂いた半生記(https://nnaglobalnavi.com/?p=130)ですが、おかげさまでランク1位となりました。有難うございます。

8年前に書いて掲載したものですが、改めて紹介したことで、ランクが上がるのは嬉しいことで、ブログ読者の皆様に感謝する事しきりです。Emailや、レストランなどでも、ブログ読んでいますと言っていただける事があり、続けていてよかったなと、その都度思います。2004年から始めたブログですので、20年続いていますが、その間、色々な事が有りました。丸紅社員ではなくなったことが、一番大きな変化でしたが、独立して、Emailアドレスも、携帯電話番号も変わってしまった時の連絡窓口となったりなど、ブログと読者の皆様に助けられたことは多々あったなと、改めて感じています。


この半生記は、25才の福建省トレーニーの頃から開始しています。仕事を身に着けたい。誰よりも上に行きたいと、必死でもがいていた、若い頃(実力も経験もなかった頃)の自分の記録です。それも、35年前。既に還暦を迎え、人生も終盤に差し掛かってきた感が有りますが、頭が働くうちは働き続けます。80才頃に続編が書けるだろうか。その為には、自分自身が変化していかなければいけない。そんな事を思いながら、引き続き、もがいていきたいと思います。引き続き、宜しくお願い致します。

羽田のキャセイラウンジ

上海への移動前に、羽田空港のキャセイ航空ラウンジで休憩。このラウンジは良い。座席がゆったりしているし、サービスも良い。空が青いな。

ダイエット中で、麺が食べられない。担々麺やワンタンメンが食べたいのに。という事で、酒のつまみを取ったが、何という旨さだ。野菜をクリームでくるんだ冷菜が、ちょっと表現できないほど美味しい。ここ数年食べた野菜料理の中では断トツの旨さ。レンコンや豆が、こんなに美味しいと思うなんて。

そんな感じで、スパークリングワインは2杯飲む。そして、仕事をしては、空を眺める。


最後に、エビ餃子を食べる。ともかく、ラーメンが食べたくて仕方がなかったが、糖質制限の観点から必死で我慢。とはいえ、美味しく食べて飲ませて頂いた。飛行機も定刻で出発するので、満足してラウンジを出る。

昨今の日本生活

母がなくなり3ヶ月弱。早いものだ。
今回、初盆を迎えることになり、父も徐々に気力が出てきて、庭仕事も久々に再開した。なんだかんだで、時間が癒してくれます。
実家滞在中の生活は、料理は自分。その折には、極力、父の作った陶器に料理を並べる。食事をする時、手作りの陶芸作品は、なんか落ち着く。

図らずしも男2人の生活となったわけですが、まあ味なものです。
この一年、よく料理を作っている。1年前に、母の身体の具合が悪くなったため、毎月1回は帰国して、極力料理を作ってあげるようにし、現在は、父に栄養を付けさせるため。

母が料理の先生だったこともあり(近茶流懐石をやっていた)、遺伝か、自分も料理の才があるような気がする。というのは、材料みると、なんの調味料を使って、どう調理すれば、どんな味になるかがまあ想像できる。ただ、1年前までは、初めての料理の成功率は4割程度。塩加減やら焼き加減やら、なんだかんだで失敗したが、この一年間の経験で、成功率が8~9割まで上がってきた気がする。単なる素人料理のレベルですけどね。


まあ、父にガツっと食べて欲しいというモチベーションが支えてる面があるが、何ごとも、切羽詰まると、努力しますなあ。

昨年7月の生まれて初めての痛風発作から、散々な1年であった(8月に母が発病。今年4月に自分が網膜剥離で、5月に母が逝去)。やっと終わった1年間。すがすがしい気持ちで、来月、61才の誕生日を迎えよう。

暑い中、重い荷物を担いで歩く

東京は35度。暑い。上海は40度なので、それよりはましだが、ここまで来ると、どっちもどっちという感じがする。その中、保険関係手続き、年金関係手続き、銀行手続きをしなくてはいけないので、汗を流して歩きまわる。年金事務所は、なぜこんなに駅から遠いのか。思えば、最初に年金事務所に行ったのは2008年9月。丸紅を退職して、厚生年金がかけられなくなったので、国民年金の手続きに行った。その時の記憶はもう朧気で、こんなに遠かった記憶がないのだが、昔を思い出して、ちと感慨無量の気分となった。とはいえ暑い!

ダイエット中で、この日は朝はスープだけ。昼は食べていない。この状況で、疲労困憊になったので、コメダ珈琲に入り、かき氷を食べる。かき氷を食べるのは何年振りか。ひたすら美味かった。ダイエットは順調で、2週間で3Kg減。あと2Kgだ。

久々に自宅に到着すると、12年前の講演会の写真が有った。懐かしい。

日本に移動

8月7日に日本に移動した。母親関連の手続きもだいたい終わり、残すは香典返しと納骨だ。今回は、香典返しの手配をする予定。そして初盆だ。
飛行機は何時もの朝9時発浦東便。これに乗る場合は、朝5時起きで6時出発(DIDIで車を予約する)。2004年から不眠症に悩まされ、朝の移動は原則不可の情況であったが、幸い、2021年にほぼ完治(2019年に部屋の電気を消して眠れるようになった)。朝の移動も大丈夫になったので、この便が定番になっている。
朝7時に到着したが、飛行機が2時間ディレイ。まだ3時間ある。

ダイエット中なので食事はできない(家からゆで卵を一個持ってきたので、それを食べるだけ)。ラウンジ二階の休憩室に直行。ここは、真っ平らになって眠れるソファが有り、これが役立った。気持ちよく睡眠。

さて出発。今回は、約2週間の滞在。夏休みシーズンで、安いチケットがなかなかないので、こんなスケジュールと相成った。

今回は、自分関係の手続き(年金やらなにやら)もある。暑いが、ぼちぼち頑張ろう。