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上海大廈でコーヒーを飲みながら

昨日の便で上海から香港に到着。
明日は、広州で日中投資促進機構の華南投資環境調査報告会の総括コメントを担当する事となったので(5分程度ながら)、朝便で広州へ移動する。翌日は深圳で会議が入っているので広州一泊。
昨晩、冷房を入れて寝たら若干風邪をひいたため、少々辛い。今日は早く寝て体調回復に努めよう。

話変わって上海。
体重を3Kgほど減らそうと思い、朝・昼はジュールだけにする事に。オフィスの対面にある果実ジュース店が役にたつ。
ジュース
使える店だが、日本語の翻訳はかなり適当。オレンジマンゴの翻訳がマンゴジュース。マンゴパインが、マンゴーマンゴーとなっているのは、翻訳した人間が、わざと間違えてるのではないかと思いたくなるような誤訳だ。
ジュースメニュー

今回の上海滞在は、静安寺、茂名南路、外灘の方を訪問する機会が有った。
外灘で面談が有った後、若干時間にゆとりが有ったので、しばし散歩する。
これはブロードウェイマンション(上海大廈)。ここを舞台にした「ジャスミン(辻原登)」という小説を、数年前に夢中になって読んだことがある。そのため、いつかはここに宿泊してみたいと思っているが(そう思っているうちに8年が経過してしまった)、取りあえずは、1階の喫茶でカフェラテを頼む。
上海マンション
カフェラテ1杯80元(1,600円ほど)。安くはないが、ほっとする雰囲気。
上海マンションカフェ

外に出ると、浦江ホテルを眺める。昔の名門ホテルで、チャップリンも泊まったホテルだが、バックパッカーの定宿になってしまっていた時期が有る。僕がバックパックを担いで初めて中国を旅行した1985年頃はまさにそんな時期。ただ、当時は宿泊しようとしたが満室で泊まれなかった。ドミトリーなので、満室、というよりは、ベッド不足、という言い方の方が正しいか。
プジャンホテル
今では、素敵なホテルに戻っている。
プジャンロビー

ガーデンブリッジから浦東を見る。
橋の途中から
そして外灘を歩く。
外灘
歴史を感じ、思う事多々ある短い散歩であった。

香港の風景

1~2週間前に香港で撮って、載せ忘れていた写真。
これはセントラル(中環)のスターフェリー乗り場の脇にある観覧車。
スターフェリーから降りた時に、きれいなので撮影。

セントラルの観覧車
セントラルの観覧車

価格は一人HK$100(1,500円)で、2~3人でのカート占有(つまり、第三者が乗ってこないようにする場合)はHK$500(7,500円)と結構強気な値段。
見たところ、かなりこじんまりしているし。
バブルの頃ならさておいて、日本人の感覚だと乗らないなあ(特に、今の為替だと)と思って眺めていたが、夜9時でも、それなりに人が並んでいた。

次は、オフィスの1階(グランドフロア)にあるレストラン。
突然、人恋しくなり、自炊をする気が起きなくなったので入ってみた。
なかなか良い。
何時も出勤時に前を通りすぎる場所で、行きかう人を眺めながらビールを飲むのは楽しかった。
オフィス下パブステーキリゾットバー暗くなる

大阪で通関実務の本を買い、東京のバーで酒を飲む

大阪には2泊して、昨日(5月2日)の便で東京に移動。
チェックアウトは11時、飛行機は13時半とちょっと間が有るので、紀伊国屋で本を買う。
購入したのは、通関士試験の教材と、貿易実務の本。
通関士の試験を受ける訳ではないが、日本の関税評価額算定方式や、保税輸入制度等を把握しておきたいので購入したもの。
中国の関税評価額算定基準は、税関総署[2013]213号等で規定されているが、その基本的な考え方は日本と類似している。
無償提供金型価格、ロイヤルティ、買付手数料以外の手数料の関税評価額加算。更には、取引価額を関税評価額とできない場合の算定方法の優先順位など、日本の考え方と比較したいと思い、日本の関税法・関税定率法のテキストが欲しかった。
貿易実務の本は、まだ先の話になろうが、貿易実務のテキスト(中国関係ではなく、一般的なもの)を書こうと思っているので、いくつか読んでおこうかと考えた。
ここ数年、他人の講演を聞く事はほとんどなく、また、実用書もあまり読まなくなっているが、人の声や表現に耳を傾けるのも大切かと考えたもの。

若干話は変わるが、ここ1年間で、クライアント企業様から税務局の追徴要求に対する対処方法を相談され、回答方法をアドヴァイスした結果、税務局が課税要求を取り下げたケースが3件あった。
内容は、
① 輸出取引に関連する物流増値税の控除に関するもの(増値税暫定条例第4条の免税取引に関連する増値税は原価処理という規定を元にした課税要求であったが、「輸出はゼロ税率であり、免税とは異なる」というアプローチで反論した)
② 調達センター機能を持った常駐代表処の経費課税みなし利益率引き上げ要求(租税条約に基づく単純購入非課税の原則に基づき、本来は経費課税もおかしく、利益率引き上げはもってのほかと反論)
③ 非居住者が現地法人総経理を兼務している場合の183日ルールの否定(183日ルールの否定は、国税発[1994]148号に規定するものであり、この対象は、みなし所得課税方式が適用される場合に限定される。法人は実質所得課税を受けているため、非居住者総経理は183日ルール適用可能と反論)

こんな感じで、税務はあくまでも税法というルールに基づく。これは中国も同じ。税務局の要求に抗弁したければ、ルールに基づき理論構成を練る必要があるし、税務局が理論展開に納得すれば、課税要求を取り下げる事もあり得る。それは、この実例を見ても分かるであろう。
勿論、相談を受けた段階で、どう考えても勝ち目がないと判断せざるを得ない場合もあるが。
実務面の幅は多々あるが、それでも、中国の政府機関は(例えば)10年前に比べれば、格段に法律に基づいたアプローチを行う様になっている。税関も同じであろう。
納税者側も、まずルールを把握しなければ戦えない。
法律は矢継ぎ早に公布され、状況が変化していくが、少なくともこの仕事をするからには、法律の把握は、当然やらねばならぬ努力であろう。

羽田移動はファーストクラス。
JALグローバルクラブプレミアに昇格したので(昨年8万フライオンポイント達成)、無料アップグレードクーポンを数枚もらい、これを使用した。はじめて国内線のファーストに乗ったので快適だったが、1時間のあっという間のフライトだ。もったいなくて自分の金を使っては乗らないだろう(会社の金も同じ)。
日本の国内便は、エコノミーでも十分快適だ。

東京到着後、フィッシュアンドチップスとソーセージ盛り合わせを食べる。
アジフライの様なフィッシュフライだったが、美味しかった。
フィッシュアンドチップス - コピーソーセージ - コピー

社員との会食

大阪二日目。
午前と午後で面談2件、昼は前職の先輩と会食。
午後の会議が2時間以上(移動時間も含めると3時間弱)と長めだったが、それでも比較的時間の余裕がある。一旦、ホテルに戻り、服を着替えてから社員旅行の会食場所に向かう。創業以来、廈門⇒福岡⇒北海道⇒香港⇒沖縄⇒大阪と毎年1回の社員旅行をしてきたが、何時もながら、原則自由行動なので、公式行事はこの日の会食のみ(香港の旅行以来、宿泊ホテルも別、行動も自由。1回の会食以外は完全自由旅行)。
僕は、会食の前日大阪に入って仕事をし、会食だけして翌日東京移動なので、社員旅行という気はほとんどせず、普通の出張の様だった。
会食場所は新大阪。
今回は、妊娠2名の他、体調不良、家族の都合などの不参加が有ったため、約15人と昨年に比べてこじんまり。
ただ、和気あいあいと食事ができて楽しかった。
社内旅行
社員旅行3
社員旅行1

会食が終わると解散して僕はホテルに。
またもや大浴場でくつろいで就寝。

大阪で串カツを食べる

日本到着翌日は、朝9時から会議が2件。
12時過ぎに2件目を終わらせて、タクシーでYキャット、そしてリムジンで羽田空港に。
空港到着が13時なので(フライトは13時半発)、殆ど余裕なし。 搭乗ゲートの脇で立ち食いうどんを食べるも、うどんが出てきた時には搭乗案内が流れる状況で、三分の二程度を必死でかっ込む。味わう余裕は全くなし。ただ、朝食をほとんど食べておらず、空腹に耐えかねていたのが少し落ち着いた。

羽田空港の天玉うどん。790円は空港価格。搭乗まで時間が無かったので、5分程度でかっこんだ。
羽田空港の天玉うどん。790円は空港価格。搭乗まで時間が無かったので、5分程度でかっこんだ。

伊丹空港到着後は、リムジンでホテルに行きチェックイン。その後、丸紅大阪支社に移動し、支社長と1時間面談。香港時代に一緒に仕事をした先輩なので、雑談に近かったが・・・
それが終わると、大阪赴任して1ヶ月の谷垣君と会食に行く。
通天閣の見えるところで串カツ、という希望を聞いてくれて、案内してくれる。
ただ、大阪人である筈の谷垣君が、殆ど、この付近も、みなみも馴染みが無いのは誤算であった。
通天閣
谷垣ビリケン

うろつきながらも店を選定。
「立ち食いは初心者にはハードルが高いので、座る店にしましょう」と言われ、子連れが目立つ大きな店に入る。串カツを何種類か頼み、写真をもっと撮ったのだが、視覚的にどれも似ているので面白味なく割愛。 ただ、思ったよりもあっさりして、美味しい串カツであった。串カツ、どて煮に満足。油がよいのか、意外にあっさりした食感。
キャベツ串カツ

紅ショウガカツ
ちなみに谷垣君は、紅ショウガ揚げを知らず。「何ですかこのしょっぱいのは」というので、「深夜食堂やインターネットでは、大阪では誰でも知ってそうな事が書いてあったが、君は本当に大阪人か?」と切り返す。

食事が終わると、日航ホテルのバーに行き、シャンパン、ウィスキーを何杯か。
夜10時頃には散会となった。
宿泊はいつものシティプラザホテルにて、最上階にある温泉に浸かって就寝。

日本到着横浜を楽しむ

4月29日に香港から日本へ移動。
5月1日に大阪で社員旅行が有るため、この時期の移動を急きょ入れたのだが、その後、僕の日本移動を待っていたかのように、急ぎの面談依頼を横浜で2件(30日)、大阪で1件(1日)、東京で1件(5日)頂く。トラブルは待ってくれない。ゴールデンウィーク中でも会いたいとのご要望だったが、タイミングよく対応できてよかった。
ともあれ、いつも通り、JAL便で移動。

JAlの機内食
JAlの機内食

日本に到着すると、山下町のモンテレホテルに。
ここは昔のザ・ホテル横浜。宿泊した事はないものの、以前あった赤い靴(バー)・鴎(ラウンジ)にはよく行った。その意味で、懐かしいホテル。
インターネットで宿泊予約をしたのだが、改装工事の影響か料金が安い。 1,000円足して海側の部屋に。みなとみらいやベイブリッジの景色が美しい。
モンテレホテルモンテレ窓からモンテレ窓から2
小学校3年生の頃から横浜に住んでおり、思い出がたくさんあるため、横浜(特に、この付近)を歩いていると素直に楽しい。
父親の会社が山下町に有った事から、小学校の頃は、毎月1回中華街で食事をしていたし、高校(隣駅)時代は、よく中華街まで散歩して、ラーメンを食べていた。高校の卒業アルバムの撮影も、港の見える丘公園、この付近だ。
山下町付近には、そんな思い出がたくさんある。

中華街。ただ、この日はここを素通りした。
中華街。ただ、この日はここを素通りした。

ただ、中華街はぶらつくも、その日の気分は普通のラーメン屋。
飛び込みで入った石川町付近のラーメン屋で、餃子を食べてビールを飲む。 それからラーメン、ホッピー。
ホテルに戻ると、夜景を見ながら、ハイボールを一杯飲み就寝。
何のことない一夜であったが、束の間、横浜を楽しめた。
明日の活力になったな、という気分。
餃子
ホッピーラーメン

広州での宴会

少し前の事ながら、広州での会食の状況。
広州の社内宴会を開き、元同僚(丸紅広州の3名)も招待。
取りあえずは、まず、社内の記念写真。
水野広州は、総経理(麦さん)が女性な事もあり、今のところ全員女性。雰囲気的に穏やか。

水野広州の社員
水野広州の社員

全員揃ったところで会食開始。
辛子鶏貝やら海老やら牛肉

食後は全員で記念写真。
集合写真
その後、解散して男だけになったのだが、やはり、男だけだと雰囲気がだらけるような・・・
男だけ

そしてふと見上げる広州の街。
広州の街

香港の夜景を眺めて30年前を思い出す

ホーチミンから香港に戻り、またイカセンターに行く。
連続して2回行ったが、刺身の鮮度といい価格設定といい、良い店だ。イカ刺しの透明さが素晴らしい。
イカセンター刺身イカ刺身イカ中心ステーキイカスミパスタ

下の写真は、チムトンを歩いて家まで帰る時の夜景。
僕が香港に初めて来たのは1985年の事。
3週間弱中国本土(上海、杭州、北京、広州)をうろついてから、たどり着いた。
右も左もわからぬ自由旅行なので、まさに、「うろついて」という言葉がぴったりな旅だった。
あの当時の中国本土(特に、バックパックを担いだ貧乏旅行)は、今とは違い、本当に苦しかったので、香港に到着した時は心からほっとした。
香港到着後、前夜広州で宿泊したホテルのドミトリーで知り合った大学生たちと、チムのスターフェリー乗り場から香港島の夜景を眺め、美しさに感嘆した。その当時の夜景は、今の様な豪華な光の渦ではなく、山に沿って建つ住宅の窓から漏れる光。
今と比べれば地味だけど、シャンデリアの様に見えて、それが強く印象に残っている。
その時の印象が強く、就職活動の面接時に「アメリカンドリームならぬ、香港ドリームを手に入れたい」と力説した事を憶えている。その当時、第二外国語で習っただけなので、殆ど中国語はできなかったが、その内容を中国語で暗記して、振られたら話せるように準備した(中国に行きたいと力説している割に、中国語で何も話せないでは不利だと考えた次第)。
さすがに、そんなはったりが通じた訳ではなかろうが、熱意は伝わり、希望した総合商社に入社できた。
夜景夜景2夜景3
それから30年が経過して、僕は香港にいる。
そして、九龍側で宴席が有る時は、この夜景を見ながら(30年前を思い出しながら)、歩いて帰宅する。
香港ドリームは適っていない。まだ、夢の途中だが。

ベトナムあれこれ

昨日の飛行機で、ホーチミンから香港に到着。

三井さん
2回目の夕食を食べる三井さん。この日の酒は、赤霧島。

今回の出張初日はNNA三井さんと会食であった。
三井さんとは2001年秋からの付き合いなので、もう14年が経過している。思えば、この間に色々な事が変わった。
2001年の僕は、まだ本を出版した事も、講演をした事も、TVに出た事もなく、コンサルティングを始めたばかりの会社員という存在だった。勿論、一番の変化は、長年勤めた会社を辞めて独立した事であろうが。三井さんは、結婚し、お父さんとなり、そして、(僕とは逆に)勤務しているNNAという独立系の会社が、共同通信という大きな組織の子会社になり、そこの専務になった。
14年という月日は、これだけ人の立ち位置を変える。その事にちょっと感慨を感じるが、飲み出せば気持ちは昔に戻る。
30代の頃は、お互い果てしなく飲んでいた。2002年に上海でお互いろれつが回らなくなるまで日本酒を飲んだことが懐かしい。
最近、お互いすっかりセーブする様になってきているが、「今日は久々にへべれけになるまで飲みますよ」と宣言して飲み始める。が、やはり飲酒量は30代の頃の半分以下で、常識を残しながらの散会。当たり前と言えば当たり前か。
まあ、三井さんは、社内宴席との掛け持ちで、夕食を2回食べたので、酒よりも食事が辛かったのかもしれない・・・
この日は、いつの宿泊するホテル付近の大黒屋という日本料理屋。なかなか美味しく、これも食べ過ぎた主要因。

二日目は、宴席が夜7時前に終了したので、寝る前に、ホテルのロビーでワインを2杯ほど。
座っていると、ホテルのボーイさんが気遣って話しかけてくれる。最初は英語だったが、ひょんな事から中国語は話せますか?と聞かれ、できるよ、と答えると、北京語の会話に切り替わる。
大学で中国語を勉強している学生さんだそうで、中国語が使いたかったようだ。
聞けば息子と同い年。こちらも、彼のお父さんと1才違いの模様。
親子の年齢の違いで、30分程雑談。ベトナムでこれほど積極的に、中国語を話そうと言われた事は初めてで、ちょっと興味深かった。 素直そうな青年で、これからの成長を期待。そして気遣いに感謝。
ホテルロビーワイン

全然関係ないけど、ホテル近くのHISの張り紙。「体重計れます。無料です」という売り文句に、いつも目をひかれてしまう。
HIS体重

ベトナム。タクシーにまたぎゃふんという。

朝8時半の便でホーチミン移動。
5時過ぎに起き、6時には家を出る。
朝食はキャセイのラウンジで。
朝食1朝食2
ディレイなく、ホーチミン到着。
今回はちゃんとしたタクシー。前回の様に、メーター倒さず、ぼった上で、運転途中に立小便に駆け出す事もない(普通はないが)。
空港空道筋道2
今日は2件の面談のみという、緩いスケジュール。
最初の面談の為にホテルからタクシーに乗る。
ところが、この運転手が地理を知らない。ベトナム語付きの地図を見せているのだが、さっぱりわからず、電話をかけ、道行く人に聞いているが、らちが明かない。目的地は誰でも知っている有名なビルなのだが。
結局、5分程度(2万ドン弱)の道のりを、40分間うろつき、9万ドンのメータになったので、適当な場所で降りて他のタクシーに乗り換える。
5万ドン程度払って終わりにしようとすると、生憎10万ドン札しかない。
5万払うからお釣り寄越せ、というと、全く英語が聞き取れない様だ。やむなく片手を出して(指を5本広げて)5万のつもりで主張をすると、いきなり握手される。
違うんだよ、ぐるぐる回って、結局、殆どもとの場所に戻ってきただけでしょ、と言いながら、指をぐるぐる回していると、運転手は運転席から降りて後部座席のドアを開け、また握手をされる。 「違うんだ!ぐるりと回って握手に来いなんて言ってないんだ。結局、元の場所(から歩いて10分程度の場所)に来て9万はないでしょ、という意味なんだ」と、とほほ、という気持ちになったが、言葉が通じないのは致命傷だ。よく分からないけど、おもしろいからいいやという気分もあり(あきれてしまったのが本音だが、運転手の目はなにやらおびえているし。作戦なのかもしれないが)、レシートだけ寄越せと言って、それで終わりにする。日本円にすると500円弱というのもあきらめてしまう要因だが、この点、早く言葉を憶えて主張せねばならない。
どうも、僕はベトナムのタクシーと相性が悪いのだろうか。
そんなこんなで、ホテルに戻り、ウェルカムドリンクのビールを飲みながらEmailを片付ける。
蒸し暑い。
この暑さだと、地ビールがうまい。
ビール