5日間の香港。香港は2か月に一回。広東省にも入るので、まあ、毎月香港華南で仕事をする感じか。
今回の香港は、講演会、香港オフィスの不動産契約更新、面談等等。なかなか慌ただしい。
虹橋空港のラウンジで、昼食を食べて待機。相変わらずだが、特に美味しくはない。ただ、不味くもない食事。
香港到着。活気は戻っている。コロナ前の雰囲気だ。空港からタクシーでホテルに到着。遅れの無い、順調な移動であった。
ホテルで1時間ほどEmail整理をすると、会食に出かける。ホンハムの稲庭養助という店で、これは、一時、僕が住んでいたマンションの近くで懐かしい。5年ぶりの訪問かな。ちょうどよいので、歩いていくことにする。するとホテルの付近でカメラを抱えた人の群れ。どうやら、韓国のグループが来ている様だ。相変わらずの韓流パワーを感じる。
海辺を歩いていく。小一時間の行程で、もう何度歩いたか分からない。ここの景色は目に焼き付いている。
ここにリージェントの表示が戻っているのが嬉しい。この意味が分かる人も、少なくなっているだろうな。時の流れだ。20代に憧れて、1992年にやっと泊まれた懐かしいホテルだ。
K11 昔は、ニューワールドセンターだった。きれいになっているのは良いのだが、どんどん高級化で、価格が上がる。ちょっと、それに対する抵抗感を感じる。香港は高い。
クリスマスイルミネーションが始まっている。シャングリラホテルの、壁をよじ登るサンタが可愛い。
稲庭養助到着。時間の読みを間違えて7~8分の遅刻。申し訳ない。まずは、グラスの日本酒。痛風は怖いが、過度に気にしないことにした。
栃尾揚げ。これは、店に到着する前から食べる予定であった。中に納豆が挟んであるのは想定していなかったが、記憶が不確かだったのか。ともあれ美味い。
そして、この刺身(中トロと水だこ)が美味かった。上海の日本食レベルは香港と同じ、と思ってきたが(上海のレベル向上)、刺身に付いては、香港の方が上か。やはり、通関に要する時間の違いで、香港の方が、引き取りが半日~1日早くなる。これが鮮度に影響を与えているのだろうな。
ただ、生牡蠣は上海のレベルと同じ。上海でも、西洋人が昔から生牡蠣を食べてきたので、仕入れルートが確立しているのであろうか。僕も上海のオイスターバーによく行くが、新鮮で美味い。
鰻の肝は、クライアントの方が是非食べたいといったので。僕は痛風を気にして、殆ど食べず。
サービスで頂いたスモークハム。
さつま揚げ。中のコリコリした触感(何だろう?軟骨のような触感)が美味い。
うどんの店だけに、〆にうどんは食べたい。最後は温かいうどんと決めていたが、クライアントの方が、「稲庭なら冷たいのを食べるべき」という。そんなやり取りを聞いていた大将が、3種類に小分けにしてくれて、冷も温も食べられた。
クライアントの方が食べたミニどんぶり。
そんなこんなで大満足。また行きたいなと思わせる店であった。特に、刺身は久々に、素直に美味いと思った。22時ごろまで食事をして、タクシーで送っていただきホテル到着。
外灘ペニンシュラホテル再訪
先週末、友人が日本から来たので、外灘ペニンシュラホテルのバーを再訪。出張者・旅行者が来ると、ほぼここに連れていく。今の中国の勢いを一目で感じられる場所だし、何よりきれいだ。
次があるので、ここでは軽く。シャンパンを一杯ずつ。そして、ここで満腹にならないように、ハンバーガーを半分ずつ。
そんな感じで、小一時間、軽く楽しんで移動。
寒くは有ったが、心地よいひと時であった。
上海帰任(再度遅れるが、1.5時間)
日本から上海に移動。5日間の日本滞在であった。まずまず充実していた(町中華以外は)出張であった。
羽田空港に向かう前に、駅の立ち食い蕎麦(椅子は有るが)で朝食をとる。JR系なので、可もなく不可もなくの味。
JALラウンジは、ビュッフェ形式ではなく、注文して担当者によそってもらう形式。無意味に行列するので評判が悪いが、なかなか元には戻らない。ペンネアラビアータを注文。これも、可もなく不可もなくの味。
量が少なかったので、和御前を追加する。この時点でディレイが決定。機体故障と、浦東空港の受入れ状況の双方の要因らしい。出発時間が分からないので、どうにも落ち着かないが、こればかりは仕方ない。
ラウンジを酒を飲むつもりはなかったが、やむなくハイボール。幸い、一杯飲み終わらないうちに搭乗の案内が有る。1.5時間程度のディレイなので、行きよりもましだ。そんなこんなで帰任。
桜木町で昔を思う
桜木町駅に貼ってある写真。
この光景、というか券売機はよく覚えている。写真の1971年というと、僕が横浜に出てきた年で、子供料金10円という料金は、非常に記憶に残っている。
僕の高校が山手駅だったので、桜木町駅は3駅先(山手⇒石川町⇒関内⇒桜木町)。たまに渋谷のNHKホールにコンサートを聴きに行ったので、乗り継ぎ駅という位置づけだった。あと、高校生の頃、まだ売れる前のチャゲ&飛鳥のコンサートを紅葉坂のさして広くないコンサートホールに見に行ったのも思い出だな。ただ、当時の桜木町駅は汚い駅で、今のみなとみらいのある場所は埋め立て地。ともかく、汚くて臭い、というのが当時の桜木町の印象で、現在とは異次元だ。
桜木町駅の写真を見て、そんな昔を思い出した。
長い24時間(移動の苦しさを思い出す)
18:35浦東発のJAL便で羽田空港に移動。5日間の日本滞在だ。2時間前に浦東空港に付いたが、その段階で2時間ディレイと言われる。やむを得ないので、ラウンジで待機。
ラウンジの食事は美味くはないが、椅子はゆったりしているので悪くない。ぐったりした状態で時間をつぶす。
やっとボーディングの案内が有るが、結局飛び立ったのは21:18なので、3時間近いディレイとなった。あとで知れば、ここ暫く、JL85,86便(羽田⇒浦東と浦東⇒羽田)は、50%の確率で大幅なディレイが有る模様。11月下旬には、また同じ便に乗るので、ドキドキだ。
羽田空港到着は0:45で、既に公共交通機関はなくタクシーのみ。10分ほど待ったが、タクシーに乗り、予約した桜木町のホテルに到着したのは1時半頃であった。翌日は、朝から会議が有る。ホテルは完全に寝るだけとなったが、それでもホテルを予約しておいたのは良かった。
桜木町のホテルメッツ。新しくて立地も良い。なかなか快適なビジネスホテルであった。朝食はスタバでホットドッグを食べる。
オフィスは近いので移動が楽だ。
横浜ランドマークタワーのオフィス。もう10年ちょっとオフィスを構えているが、僕がオフィスに出るのは年間数回なので、いつ来ても新鮮感が有るな(笑)
仕事が終わると、野毛の町中華に行く。杉山氏推薦の町中華だが、久々にまずいものを食べたぞという感じ。八宝菜はまだよい。餃子は殆ど味が無く、冷菜三点盛りの豚の耳(紅油豚耳)は、「これはないだろ」と言いたくなる品であった。
杉山氏は、「いい店でしょう」と満悦気味なのが困ったものだが、ともあれ、悲しみ会食となった。そんなこんなで、大変な24時間。コロナ期間で飛行機に乗らなかった時、その生活に慣れて、「もう2度と、前みたいな移動続きの生活はしないぞ」と心に誓ったものだが、またもとに戻ってしまった。世の中上手くいかないものだ。
割烹makinoで会食
割烹まきのに行く。いつものおまかせであるが、この日は松茸をふんだんに使ったメニューで豪華。
お吸い物に入った松茸の歯触りがしっかりしていて美味い。そして、上海蟹の和風仕立てが洒落ていた。痛風の事は、取りあえず忘れて、料理を堪能する。
ここの店では、毎回、生ものは少なく(1品でよい)、その分、焼き物に回してくれと注文する。個人的には、それが一番有難い。この店は、昔から中国産の漁場を開拓しているので、日本産海産物輸入禁止の影響は全くなさそうだ。
そしていつも、〆は小さな蕎麦に生卵を落としてもらう。満足して会食を終える。
広州から上海へ
広州二日目。突然の出張決定でアポが決まらず、訪問予定がないので、ただただEmail対応。とはいえ、結構、ご質問が有り忙しい。12時にホテルをチェックアウトすると、昼休みはウェスティンホテルのレストランに行く。広州は南方にあるため、昼寝の習慣がある。僕がいると、部下が遠慮して寝られないので、僕は外に出るようにしているが(僕自身、1989~1990年の福州の1年で、昼寝の習慣が付いた。短い時間でも寝られない辛さは良く理解できる)、普通のレストランだと長居ができない。長居ができることを目的に、高めのレストランを選んだもの。
ウェスティンで14時まで仕事をすると、オフィスで荷物をピックアップして空港に向かう。水野広州のオフィスは、過去の経緯から、丸紅広州が保有している不動産を間借りしている。丸紅広州は、中信広場38階の三分の二スペースを保有しているが、自社では使い切れない広さであるため、僕が丸紅社員の頃は、コンサルティングのクライアント様を店子として呼び込んでいたものだ。自分が独立したら、逆に店子になってしまったという次第。
まあ、水野広州総経理の麦さんは、1997年に入社した時から、このビルで勤務しているため、思い入れがあるようだ。その意味では、ここの間借りというのは、当社的にも都合が良いが。
DIDIで車を呼ぶと、1時間かけて空港に。この新白雲空港は、個人的にはあまり好きではない。だだっ広いが店舗が充実していない。そして、当方空港のラウンジは、のんびり腰かけられる椅子がない。疲労で軽い頭痛がするので、ゆったりした椅子がない環境は、ちょっと辛い。ホームとアウェイの違いは大きいな。
飛行機搭乗時に、UCCコーヒーを発見。既に、ラウンジで食事をしていたので、コーヒーのテイクアウトだけにしたが、次回はここで食事をするのもありかなと思う。今回はコーヒーだけ。レギュラーサイズが35元(700円程度)。ゆっくり丁寧に入れてくれるのだが、さほど美味しいわけではないのが残念であった。
一泊二日の広州訪問
携帯電話のSIMが壊れて、急遽広州訪問が必要になった。僕のカードは、1998年に広州で作ったものだが、これが壊れた。中国人の場合は、上海(外地)でも修理できるが、外国人はこれができない。このためだけに広州に行くのは、時間と費用がもったいないが、中国で携帯が使えないのは、実生活に著しい不便が生じる。そんな訳で、広州出張を即決した次第。
虹橋空港は、東方航空の場合、広いファースト・ビジネス専用窓口が有り、待たずにチェックインできる。その後、安全検査前にラウンジに行けば、そのラウンジが優先安全検査場に直結しているので、これまた悠々と搭乗準備ができる。また、食事は、さほど美味しくはないが、広くてきれいなラウンジだ。中国におけるビジネスとエコノミーの格差(待遇の差)は、日本、香港よりはるかに大きい。
安全検査を終えると、麺屋武蔵を発見。知らなかったが、良い発見だ。次回はここで食事をしよう。
飛行機は、約30分ディレイ。窓から差し込む光で暑い。
広州到着。30度だ。上海と広州の温度差は、それなりにきつい。タクシーの運転手は半袖というのもあるのだが、全く暑さを感じていない様で、窓も開けず、冷房もかけない。すごいな、身体が慣れているなと思うが、僕はかなり厚くて苦しい。
タクシーで、中国移動が有る中信大厦に直行。部下に待っていてもらい。手続きをする。30分程度であっさり終了。ちょっと拍子抜け。今回は、突然の決定なので、面談アポが入れられず、訪問目的はこれで達成されてしまった。その後、今回の宿泊の市長大廈に。中信広場の隣だ。
ホテルで仕事をこなすと、中信広場に。今回は、丸紅関連者3人と会食予定をしていたが、一人(丸紅広州社長)が風邪のためリタイア。二人の上海からの出張者と会食となったので、何やら不思議な感じであった。
事前に予約してくれていた。米粥火鍋店(母米粥)に。これが侮れない旨さであった。
外灘・ペニンシュラホテルバー
数か月ぶりに、外灘のペニンシュラホテルのバーを訪問。このバーは、おそらく、上海のバーで、僕が一番好きな場所。ただ、場所的に、しょっちゅう行くわけにもいかず、特に一人で行く場所でもない。という事で、出張者等が来たら必ずお連れする。
この日は17時半に到着したが、満席で1階下で待機。30分ほどして上の席が空いた。シャンパンを飲みつつ、何時もながらのきれいな景色を楽しんだ。
真木乃(安順路)で会食
ブログの更新が、しばし途絶えてましたが、忙しく業務に邁進しています(疲労と時間不足で更新できませんでした)。
数年前、忙しく飛行機移動を繰り返し、日々の業務に追われていた頃は、定期的に、1~2日意識して体を休めても、全く疲れが取れない(頭が冷えたような状態で、身体に力が入らない、深い疲労感)状況が有ったが、コロナ期間中は移動回数、業務量が減り、そういう状況も忘れかけていた。それが久々に戻ってきたのは、困ったような気もするが、忙しい日々の復活は有難い。
そんなこんなの情況で、宴席のため安順路の真木乃に出かけた。
何度も書いているけど、ここは旧真木乃で、料理人の方が独立した新makinoとは違う。ともあれ、僕自身は両方使っている。
しかし、日本の海産物の輸入が禁止になって、それなりの時間が流れたが、あっさり他国品(ノルウェー、カナダ、ニュージーランド等等や中国産)に切り替わり、当地で生活していると、全く不便さや違和感がない(特段、味の違いを感じない)。不思議な気がするが、これが現実という事か。
この店でも、板前さんが僕の食事量を知っているので、適度で調整してくれる。会食相手の方とは、ハイボールを飲みながら、ちょっとした情報交換。というか、こちらが提供する一方(笑)。とはいえ、食事中は仕事の話をしないポリシーなので、早々に、硬い話は切り上げて、和やかに会話。
そして、ステーキと寿司三貫に手巻きで〆。
和やかに食事し、二軒目で歌い、夜10時半には終了。これも何時も通り。