手術からほぼ1か月が経過した(手術日は4月17日)。右目はかなり見えるようになってきたが、まだちょっと時間はかかりそう。2か月後にシリコンオイルを抜くまでの辛抱だ。1か月は極力禁酒の医者の指示を守り、基本は禁酒(例外的に飲む時はハイボール2杯程度)の生活を続けているが、なかなか体調も良いし、それなりに眠れるので有難い。まあ、片目が良く見えないという状況が、想像以上に疲労困憊するので、夜10時ごろになると、疲れてぐったりというのはあるが。そんな感じで、外食が殆どないので、自炊かデリバリー。暑くなってきたので、冷や麦などが美味しい。
昼は麺を茹でることが多い。この日の冷やしうどんは美味かった。天かすは紋兵衛のワイマイ(デリバリー)。生姜が練りチューブだったのだけが失敗。面倒でも生姜を買ってするべきだった。そして、中国では日系企業の進出も有り、生食可能な卵が平気で買えるのが有難い。
甘いものも良く食べる(酒を飲んでいる時は食べないようにしている)。初めて買った、Awfully Choccolateという店のケーキは気が利いていて大変うまい。
そんなこんなで、(麺を茹でること以外は)別人になったような生活だ。そろそろ医者から指示された禁酒期間は終了。今後はどうしようか。まだ、目が本調子ではないので、適度に飲むを、あと2か月ほど継続であろうか。これはこれで、悪くない生活だ。
面談を終え、初夏の緑を楽しみながら帰宅
オフィスで会議を終わらせ、午後3時半に歩いて帰宅。
ちなみに、自分は16年前に独立して以来、基本的には自宅勤務。用がある時(面談、サイン、etc.)だけオフィスに行く。
理由、というか、背景としては、16年前の独立起業早々(数か月)は、会議室のみ借りていた。移動が多い(6か所にオフィスが有る)ので、ロスタイムが多く、これを極力減らす必要が有った。日常業務は、各店の総経理(社長)に任せているので、自分が常にいなくても会社は回る(というか、6か所にオフィスが有ると、そうしない限り、組織は回せない)。オフィスに行くときは、自分の部屋(董事長室)にこもって仕事をしている状況なので、家で仕事しても変わらない。
等等。
そんな訳で、水野の顔を見ようと、ご来社いただく場合は、事前に連絡を頂けると幸いです。ふらっと顔を出される方もいらっしゃいますが、ほぼ確実にお会いできず、申し訳ない結果になりますので・・・
とは言え、自宅でも忙しい。2か月以内に、9回の講演が有るので、資料作りだけでも大変だ。朝から根詰めて仕事をし、昼はこんな感じ。蕎麦は自分で茹でて、牛丼はすき家の冷凍。ついでにPain Chaudのレモンパイ。
オフィスに行き、家に戻ろうと歩いていると、朧月のラオバンに呼び止められ、コーヒーをごちそうになる。移転をするので、工事の監督?に来ている様だ。又隣りのスペースが空いたので、来月引っ越すらしい。これで面積は2倍程度になり、個室が増えるということだ。
珈琲を飲むと帰宅。目に映る緑が鮮やかだ。夏が来るなあ。
1か月ぶりのオンライン講演
Pain Chaudの話を書いたら、「そこのミニカヌレが美味しい」という反応が有ったので、早速買ってみる。旨いと言えば旨いが、そこまで感動はしなかった。味覚の違いだな。
同時に買った、このマロンタルトは美味かった。レモンタルトと、どちらにしようかしばし迷ったので、次回は、レモンタルトを買おうと思う。
この日は1か月振りのオンライン講演。講演会当日に緊急手術となったため、3週間延期していたもの。まだ片目が使えない状況なので、ちょっと勝手が違うが、必死に2時間話し続ける。まあ、順調だったと言ってよいだろうが、終わったら、どっぷり疲れる。
講演が終わり、1時間半倒れ伏した後で、朧月に出かける。3週間ぶりの外食だ。懐かしかったが、酒が飲めないので、30分で終わってしまう。早く酒を飲みながら語りたいものだ。
そんなこんなで、まだ明るい景色の中帰宅。
3週間後の術後検診
1か月酒が飲めないので、甘いものが欲しくなる。何時もは食べないパン(完全に米食派)も欲しくなる。酒を飲まないと、ずいぶん食事も変わるものだ。家の近所にあるPain Chaud。パンもケーキもなかなか美味い。デリバリーで注文した。やはり、片目が使えないと、外出が難儀で疲れる。
そして、手術から3週間後の術後検診。経過良好で、「次回は1か月後でよいでしょう」との由。ジムも、あまり重い重量を持たなければよいという事であった。しばし、家での腕立て伏せ程度を継続し、一週間後から再開しよう。酒も一週間後の再開だ。
ほっとして家に戻り、蕎麦を茹でて冷やしタヌキを作る。旨い。少し早いけど、「夏が来るなあ」という気分。
香港(焼き鳥つかだ)
これもアップする機会を逸していたもの(いきなり網膜剥離の手術になってしまったため・・・)。
4月に香港に行った時の話。3泊だったが、最後の夜に一人で食事をした時の事。
何処に行こうか考えて、というか、歩き回って、オフィスの近くの「焼き鳥つかだ」、という店に飛び込んだ。予備知識ゼロ。
開店早々で席が空いていたこともあり、一人でのんびり単品を注文。飲み物は、「3杯飲んだら飲み放題がお得です」と言われたので、それにする。日本酒気分だったが、日本酒は4合瓶でしか頼めない(昔とは違う。今は一人で4合も飲まない)。そうなると、必然的に飲み放題でグラス注文となる訳だ。最初に出てきた手羽が旨い。見た瞬間、「これは良いな」と理解できる感じ。
そして食べ続ける。この海苔に巻いた生麩が旨い!何個でも食べ続けたいくらいだ。実は、この時、既に、右目はほとんど見えていない。上海から香港行きの飛行機の気圧と振動が良くなかったか。それでも、こんなにのんびり食事をしていたというのは、我ながら呑気なものだ。
野菜系は、まあ普通(茄子とシイタケ)。ともあれ、次回は、手羽と生麩を最低2個づつ食べたい。接客の香港人男性(若い)も良い感じで(素直そう)、店としてはなかなか良い。次回の香港でも行くだろうな。
そんなこんなで、かっきり3杯飲んだ。日本酒2杯で、赤ワイン1杯。最後にラーメンを頼んだが、小ぶりで丁度良い量だったのが嬉しかった。
横浜(山手)の街並み
ブログに乗せる機会を逸していた写真を2回続けて。
これは、3月末に、部下と山手十番館で食事をしたとき、早めに着いて街歩きをした時の写真。
僕は生まれたのが名古屋。名古屋駅の付近の家だったらしいが、2才の頃に父親が家を買ったので、柏森という駅(名古屋駅から20分。ロスタイムを含めて30分程度の場所)に引っ越した。極めてドメスティックな環境で小学校2年生まで育ったので、3年生で横浜に来たときは新鮮だった。夢見がちで、本ばかり読んでいる子供であったし、特に、西洋の小説が好きだったので(中国に興味を持ったのは、浪人生の頃で、それまでは完全に西洋への憧れが強かった)、西洋を思わせる街並みが、そこここにあるのは嬉しかった。
ここら辺は、小学校5年生くらいの時から毎週来ていた。教会付近にテニスコートが有るのだが、父親が学生時代に二年連続国体に出たり、全日本8位になったことがあるので、テニスを教えてもらっていた。ただ、天性の才能の差を思い知って、中学生でテニスはやめたのだが。何しろ、父親が8位になったとき(今の天皇杯。あの当時はマッカーサー杯といったようだ)は、テニスを始めて、たった2年。それで、石黒、加茂などと戦っていた訳でので(加茂には勝てなかったが、石黒には一回勝ったそうな)、親子とはいえ、才能が違いすぎる。あまりの違いが、容易に感じられて、俺も頑張ろうという気持ちにはならず、「これは無理だ」とやめてしまった。まあ、外に引っ張り出されるよりは、家で本が読みたいというのが、一番の本音だったが。
高校時代は、放課後、この周辺を歩いたりした。運動部は、ここら辺を走り回っていたようだが、坂が多くてつらかろう。そんなこんなを思い出す。学生時代は、西洋の街並みに紛れ込んだ気がして、小旅行の気分であった。懐かしい少年時代を思い出し、少しノスタルジックなひと時を過ごした。
日本から上海へ(10日間の日本滞在であった)
5月4日に上海に移動。今回は、10日間の滞在とちょっと長めの日本であった。少々疲れた。これは、手術後で体力が完全に回復していないのもあるし、色々やることが多かったというのもあるだろう。GW中で、人が少ない(羽田空港もそうだった)。他に乗客がいない東海道線で、のんびりと朝食を食べて出発。
電車内で食事をしたので、ラウンジでは軽め。麻婆豆腐があるのは良かった。
最初に5月2日のチケットを取り(キャンセル不能)、買いなおしたのでもったいなかったがやむを得ない。マイレージでの選択だったので、購入オプションは殆どなく、11時40分発の羽田発・浦東行き。浦東でディレイを心配したが、定刻の出発であった。
行き(上海から日本)の食事は洋食。帰りは和食を選んだが、どちらも不味い。行きは、ソースの味が奇妙で(酸っぱい)無理して食べた。帰りの和食は、特にメインがいまいちで、一口二口食べただけで残すことに。食事以外は、全く問題なかったのだが、これはどうしたことだろう。
ともあれ、順調に上海着。
恵比寿で新入社員時代を思い出す
ゆえあって恵比寿ガーデンプレイスに行った。
恵比寿といえば、サッポロビール工場。新入社員研修の最終段階で日本鋼管工場の次に訪問し、ビール作りを見た後にビールをご馳走になるのだが、毎年一名そこでズボンを下ろして左遷されるという都市伝説(でもないか?)があった。ある同期から数日前に「水野、俺怖いんだよ。酒飲むと絶対脱いじゃうんだ。本社に残りたいよ」と悲壮な顔で相談されたが、その発想が全く分からず「ズボン下ろさなきゃいいだけだろ」と思っていた。結果、彼は前夜飲み過ぎ、ビール工場の酵母の匂いを嗅いだだけで、吐きそうになって、土気色の顔でうずくまり、一滴も飲めずに難を逃れた。その彼も今は支店長。37年前の出来事だ。
因みに、彼が前日、どの様に酔ったかであるが、前日、僕は志木の独身寮で早めに就寝。すると、隣の部屋から男が二人、わははと笑いながら走り去っていく声で目が覚める。その後、(激怒したような)大きな音でそれを追いかけていく男の声が。翌日聞いたところ、何時もの様に早稲田出身者で飲んでいたら(最初は面識がある大学単位で飲んでいた)、一人が酔ったと先に帰った。その後、二人が、その男の部屋に行き、寝ている彼にビールを振りかけた模様。翌日土気色の彼は、振りかけた方。ちなみに、かけられた男は本社の役員、かけたもう一人は関連会社の社長というのが現状。馬鹿な連中でした(笑)
上海から日本に
ブログ更新が遅れていましたが、活動は再開しています。
4月23日に病院で術後検査をし、経過良好のお墨付きと飛行機移動の許可をもらったため、24日に日本に移動。
体力が回復しきってないが、やることは色々有る。しかし、今回緊急手術が決まり、本当に良い病院と医師だったが、250万円程度の医療費が自腹で貯金が吹っ飛んだ。また働いて稼がねばならん。天は耐えられない試練は与えないというが、経営が上向いてきて、少し楽できるかなと思うと、必ずこんな事がある。負担できるが痛い範囲を何度も何度も突いてくるので、本当に勘弁してほしいが、闘争心が掻き立てられるのも確か。すぐに全力で何倍も稼いでやろう!ともあれ、今回ばかりは大企業の医療補助システムが、心底羨ましかった。
そんなことを考えながら、ゴジラマイナスワンを見て移動。ラッキーなのは、ファーストクラス座席が開放されていて(短い路線なのでビジネスが最高でファーストはない)、これに座れたこと。ゆったり座席が嬉しかった。
禁酒は、この日で9日間。ソーダ水を飲んで我慢。まだ20日間ほどの禁酒だが、身体がスッキリして気持ち良い。
退院後の経過報告
手術の翌日に退院したが、暫くはソファで寝たままの生活だ。木曜日退院なので、木・金・土・日は仕事を忘れてひたすら眠る。立ち上がると、軽い嘔吐感を覚え、身体がふらつくので、寝てるしかない状況だ。目もあまり酷使するのは良くないという事で、YouTubeで朗読を延々と聞いている状況だが、思えば、4日間一切仕事をしないというのは、10年以上なかったのではないか。その意味では、良い機会と言えるかもしれない。
酒は一か月飲んではいけないという事で、水ばかり飲んでいる。体調が悪いと、特に、飲みたくもならない。ただ、甘いものが欲しくなる。シェ柴田のケーキをデリバリーで頼んだり、ドーナッツを頼んだり。
退院後4日目になると、ご飯を炊いて、おにぎりを握れる程度には回復してきた。全部食べる訳ではないのだけれど。数日間の朝食にした。まあ、どうってことない日常が、身体が回復してくると嬉しいものだ。
暫くは眼帯。小学校の時に呼んだピーナッツ(スヌーピーとチャーリーブラウン)シリーズで、サリーブラウンがLazy Eyeになって眼帯をかけたときに、「えんやらやっとラムを一瓶(Yo Ho HO and a bottle of Rum)とつぶやいたのを妙に覚えていて、口ずさんでしまった。あれは、谷川俊太郎の翻訳だ。