商社機能と独立

商社の伝統的な活用方法は、「調達に関しては資金ニーズ」、「販売に関しては与信リスクのヘッジ」という形である。

調達サイドに関して言えば、原材料調達から製造、販売、回収までに資金ニーズが生じるので、これを商社の与信販売(ユーザンス販売)を利用して解決するという事。
勿論、銀行からも借り入れは行うのであろうが、資金調達の多様化は必要であり、その観点から、商社からの購入が行われる場合は多い。
販売サイドに関しては、特に、中国の場合、メーカーは与信販売をせず、前払い・銀行保証手形等での決済を原則とする場合が多い。
バイヤーがこれに応じない場合は、商社経由で販売して与信リスクを回避する事になる。

商社の活動は、形があってないものなので、時代の流れと共に変容していくが、この伝統的な活動に関して言えば、顧客から期待されている機能は、資金調達と与信リスクの回避である。
実際には、これにバイヤー・調達先の開拓、ビジネススキームの構築、語学対応、貿易実務の対応、投融資等が同時に提供されるのであるが、ユーザーニーズという点では、伝統的な機能(資金と与信)に重きが置かれている場合が今でも多い。

資金調達は会社の信用が必要で、与信面では、営業・審査・経理のノウハウは当然の事として、それ以上に、万一貸倒れた場合に耐えうる体力も必要だ。
商社を辞めて起業した人間が失敗するケースが多いというのは、個人企業になる事で、資金・与信面の対応ができなくなるのが主要因であろう。

これを、噛み砕いて教えてくれたのは元上司で、単純な話ではあるが、目から鱗が落ちる気がしたものだ。
同時に、「という事は、資金ニーズ・与信リスクの無いビジネスモデルが立てられれば、独立して成功する可能性も高くなる訳か」と考えたのは、前にも書いた通りである

ともあれ、事象(上の例では、商社を辞めて独立して失敗する人間が多い)があれば、その理由を知る事で対応策が見えてくる。
会社の信用、という一言で思考を止めず、その中身を分析すると、新しいものが見えてくるものだ。元上司から学んだ事の一つだ。

俏江南で優雅に四川

延安路の俏江南とエントランス

僕は辛い物が好きだ。
重慶・成都で本場の四川料理を何度も食べたが、周りでヒーヒー喘ぐ仲間たちをしり目に、淡々と食べたものだ。
レトルトカレーのLeeの30倍も、まったく問題なく食べられる。
「それがどうした」と言われると、どうでもないのであるが。

学生の頃は辛い物を好んで食べた記憶がないし、新入社員の頃は、「何十倍カレーを食べた!」と自慢している同期を、「ふふん」という目で見ていたくらいだ。
いつかはわからないが、30才を過ぎてから味覚が変わったのであろう。

そんな訳で、四川料理はよく食べる。
何故か湖南料理は口に合わないのだが。

四川料理というと、安いというイメージが強い。
部下に食事を奢る時、いつも四川料理だと、「あの人はケチだ」という噂が立つくらいだ。
ただ、時代は流れる。
高級な四川料理もずいぶんできてきた。

そんな一つの俏江南に行ってきた。
店構えからして高級だ。

口水鶏と海老炒め

思い起こせば、台湾研修生の時、昼食は週に3度は、「老郭」という四川料理だった。
研修生3人で、最初は注文できる料理がほとんどなかったので、「麻婆豆腐」、「エビの卵炒め」、「青菜の炒め」ばかり食べていた。
その頃の影響か、四川料理に行くと、自動的にその3種類の料理を注文したくなる。

今回は、ちょっと変化をつけて、口水鶏とエビ炒め。
口水鶏は、食べるとじわじわと辛さが来る。
最初は余裕だが、食べ進むと口と喉に刺激が来る感じだ。

ただ、肉も良い部分だし、美味しいのは確か。

麻婆豆腐と菜心の炒め

麻婆豆腐の38元というのが、この店では非常に良心的な価格に見えてくる。
ご飯を頼むとたいそう上品な量。
一人で二膳食べて、やっと、「まあ、お腹が膨れなくもない」という感じ。
上品だ。
そして、菜心の炒め。

これにビール2本とワイン一本を頼んで、1,100元(二人)。
四川料理がそんなに高いなんて!という人がいそうだが、カテゴリーが違うから致し方あるまい。
優雅に楽しむ四川料理だ。
その意味ではよい店であった。

麻婆豆腐を白米でかっ込む様な店も、それはそれで惹かれるが。

貿易代金決済制度の改革の試行

「貨物貿易外貨管理制度の改革の試行措置の公告(国家税務総局令[2011]第2号)」が、12月1日から一部地域で施行される。
一部地域とは、江蘇省、山東省、湖北省、浙江省(寧波は除く)、福建省(厦門は除く)、大連、青島地区であるが、先行する輸入核銷手続の規制緩和に関する弁法(匯発[2010]57号)が、やはり、地域限定で施行された上で公布された際の事を考えると、今回も、意外に早い段階で適用地域が全国に拡大するのかもしれない。
この点は、施行状況を確認した上での決定になるので、現段階では本格施行時期は予測できないが。

今回の措置は、中国の外貨決済の前提である核銷手続の全般的な見直しや、通関手続き、増値税の輸出還付手続の修正を含む大がかりなもので、一部は、措置が全国規模に拡大した際の宿題として持ち越されているが、この通り実施されたとすれば、まさに、公告のタイトルにもなっている、「改革」にふさわしい内容だ。
基本的には、現在の中国の貨物代金決済の原則となっている、一対一の消込照合(核銷)制度を総量制に変更する事と、紙証憑の廃止(オンライン化)を内容としている。
通関、外貨管理に関するオンライン処理を感じた結果と言えるであろう。

気になるのは、先行して昨年12月から施行されている「筈の」輸入核銷手続の緩和が実務的には殆ど実施されていない事で、その意味で、「今回の措置も実務的には機能しない」という可能性と、「今回の措置により、輸出入同時に本格的施行となる」という、二つの可能性がある訳だが、僕個人としては後者、つまり、「今回こそはやる」のではないかと思っている。

ただ、A類はさておき、B、C類に分類された段階で、ユーザンス取引(通関より90日超経過した段階の決済を伴う輸出入取引)が禁止される等、厳しい内容が織り込まれている。
輸入核銷と同様、今回も、全てをA類にして、問題がある企業を降格していく方法をとる可能性が高いと思うのであるが、いずれにしても、降格は、オペレーションの厳しい制限を伴う事になるので注意を要する。
何れにしても、12月からの一部地域の状況に注目する必要がある。

時代が世のあり方を検証する

10月10日の記事に付き、会社は出資者のものではないのかという、質問を受けたので若干補足しよう。
法的には、会社は出資者のものである。
それに関してとやかく言うつもりはないが、法律論だけでは語れない事が、世の中には多くある。

例えば、出資に関して言えば、出資者として忘れてはいけない事でありながら、往々にして目がいかなくなるのは、社員(使用人)には会社を辞める自由があり、顧客にも取引先を変える自由があるという事だ。
社員がいなくなれば、会社の機能は停止するし、顧客がいなくなれば、その会社の価値は地に落ちる。
法律も理論も大事で、これを基礎に世の中は回っている訳であるが、人の心を無視して実質論は語れない。

競争原理が働かない社会主義(純粋な社会主義)が失敗したのは、人の心の読み違いだ。
競争がなくても、人がモチベーションを持ち続けられる、腐敗しないという幻想が、歴史に問われたのであろう。
米国流の資本主義も、一部の富める人間側の理論になっていないか。
権力者が自分に都合の良いルールを作って、ゲームをしているのではないか。
限られた人間に富と権力が集中し、システムにゆがみが生じるのは、競争原理が働かない社会主義が崩壊した過程と同じだ。
資本の理論(金)とコンプライアンス(拘束)だけで、人のモチベーションを維持できると考えているのであれば、これも一つの幻想で、その是非が時代に問われるであろう。
今世界に広がっているデモは、その一つの問いかけであろう。

今回のデモが、世の中の何かを変えるとは思わない。
それでも、この運動は、今流の資本主義の流れに対する時代の問いかけであり、歴史の検証が行われる予兆である気がする。
資本主義が悪い訳ではない。
その在り方の問題だ。

まずは常識で考える事

「中国ビジネスは難しいでしょう」とか、「やり方が日本とは違っていて特殊なノウハウが必要でしょう」とよく言われる。
ただ、僕は二十数年中国と関わっているが、今の中国は、さほど特殊だと意識していない。

勿論、法律や社会制度が違う以上、日本のやり方だけで仕事を進める事ができないのは確かだが、これは欧米でも同じことだ。
僕は、駐在経験(居住経験)は中国だけだが、商社時代は、米国、中南米、欧州、中近東も担当した。
中近東のビジネスの方が、中国よりもはるかに難しい(日本の常識と異なる)と思う。
語学を学ばなければ、文字は全く読めないし(数字まで読めない)、思想が経済を大きく縛っている。
金利の徴収が認められない、富める者から貧者への施しが、税制に姿を変えて存続している等、宗教概念の理解が無ければ、経済制度を把握する事も出来ないわけで、その世界は日本の常識とは大きく異なる。
また、当時の中南米は、ハイパーインフレ進行下で、インフレ会計の理解が不可欠であった。貸借対照表の項目(非貨幣性資産と自己資本の部)を掛け算していくので、払い込みをしなくても、資本金が増えていくし、活動しなくても大きな損益が発生するというのは、非インフレの状況下では、その意義を理解する事もできないであろう。
米国だって、いざ担当すれば、驚くことは結構あった。

そんな訳で、日本しか知らなければ、中国が難しいと思うかもしれないが、中南米や中近東の経験があると、中国ビジネスは、日本人の常識でも判断できる、非常にわかりやすい環境だと思えるようになる。
少なくとも、中国ビジネスに関して僕が信念にしているのは、まずは常識で判断する事だ。
100%ではないが、中国ビジネスにおいても、日本の常識で考えておかしい事は、やはりおかしい(間違っている)場合が多い。
その意味で、人の説明を聞いたり、法律を読んだりした時、感覚的に「おかしい」と思ったら、中国は日本とは違うからと、単純に割り切らずに、納得がいくまで調べなおすべきだ。
結果として、解釈が間違っている、説明を受けた事実が違っている場合が多い。

違って当然、という思い込みは危険だ。
海外で仕事をする際に、常識判断は大きな武器になる。
その意味で、常識力を磨く事は重要だ。

深夜のそば飯

数日前の事。
バーを2軒はしごして、〆に麺でも食べるかという話になった。
普通は、火鍋屋に行き、出前一丁か生麺でも入れて食べるのであるが、「そういえば、深夜4時までやっているという鉄板的があると言ってたな」と思いだし、SEEDの宮野さんに電話をして、場所を教えてもらった。
香港銅鑼湾のサークルプラザの9階だ。

さすがにお腹はいっぱいなので、頼んだのはそば飯だけ。
美味しかった。
火鍋にも未練は感じたが・・・

主管者の交代

海外主管者が交代になると、多くの場合、まずやる事は人員削減だ。
主管者の交代の度に、「前任者は十分な経費統制を行っていなかったが俺は違う」と発言し、各部に人数指定の首切りノルマが出される、というのは、よく聞く話だ。
中には給与が高いというだけで、能力の如何を問わず、そのスタッフを解雇リストのトップに挙げ、解雇したら会社の運営に支障を生じたというケースもある。
確かに、やる気がない社員、能力の割には給与が高い社員はいるので、それらの事情を踏まえて行うリストラは、やむを得ない事である。
ただ、自分のやる気を見せるため(対本社アピール)、前任者に対する反発心がリストラの主要因だと、これは動機不純なリストラと言うべきで、社員のモチベーションを低下させる事になるので、慎むべきだ。

僕自身も、管理部門出身者の特性として、最初は経費の削減が利益の拡大に直結する様な錯覚を持っていたが、長い駐在経験で知った事は、経費の削減が、結果として利益の減少を呼び、縮小均衡に落ち着いてしまう場合が往々にしてあるという事だ。
結果、管理部門が作った損益予想は絵に描いた餅になる。
やはり、前向きな夢が無ければモチベーションは生み出せない。
リストラをやるにしても、夢、意思、計画がある、前向きなリストラであるべきだ。

また、前任者を否定するのは、思春期に子供が親に反発を覚えるのと同じで、ある意味自然な自己表現の感情かもしれないが、やはり1年目は前任者の路線をある程度踏襲し、状況が理解できてから改革を行うべきだろう。

今までに食べた不味いもの

25年以上前の事。
レストランで出された料理がまずくて、文句を言っていたら、一緒にいた女性(年長者)に怒られた。
食事中に文句を言ったら、一緒に食べている人にも迷惑がかかる(嫌な気分になる)。
そんな態度は男らしくない、という事だ。
「なるほど」と納得して反省した。
それ以来、店で出されたものがまずくても、笑って対処できるようになったし、ひどい場合は店を変える(以前悪代官松園君がアレンジしたすさんだ寿司屋の様に)。
まあ、大学時代の安い居酒屋めぐり、不便な時代の台湾・福州研修経験で鍛えられ、まずいものでもそれなりに食べられるようになったので、今の僕には食べられないほどひどい店は、あまりない(美味しいと思って食べるか、美味しくないと思って食べるかという問題)。

今までの経験では、印象に残るほどまずかった(食べられなかった)店は2店。
1店は高校時代。
これは、横浜駅にあった店で、どうしたらここまでの味が作れるのだろう、というくらい不味かった。
味の記憶はすでにないが、一緒に入った友人が、「罰ゲームにできるまずさだ。他の客が、表情変えずに食べているので尊敬する」というコメントしたが、まさに同感であった。
スープは、お湯に色を付けて、化学調味料と胡椒を混ぜただけ、という感じ。

もう一店は、1990年代に香港に有った炭火という焼肉屋(10年以上前になくなった店なので、店名を出しても良いだろう)。
「消防法の関係で、店内で炭の使用ができない」という事情はあるにせよ、炭火と店名に謳っているのに電気コンロ、というのでまず拍子抜けしたが、出される肉や料理がひどかった。
特に最後の冷麺は、リポビタンに酢と醤油を入れて混ぜたような味で、1980年代の中国で鍛えられた僕にも食べられなかった。
出来立ての頃は、高いが不味くはなかった様な記憶があるが、閉店直前はそんな感じだった。

つまるところは、あの店は美味しい不味いと騒いでみても、不味くて鮮烈な印象を残す店はその程度という事だ。
魯山人を非難するつもりはないが、味には泰然自若と構えるくらいの余裕が有った方が、人間格好良い気がする。
それと共に、僕の48年間の半生の中で、あれだけインパクトを残した2店はすごいものだと思う。

社長の経験

僕が最初に社長になったのは36才になりたての頃で、丸紅厦門現法の社長だった。
かなり若くして現法社長になったので、少しは注目されるかなと期待したが、小規模な会社なので、全く話題にならずがっかりしたものだ。
今から思うと当たり前の話だが、初めての主管者の気負いが伺えて面白い。
社長という名刺が持てるだけで舞い上がっていた記憶がある。

では、初主管者のパフォーマンスはどうだったかというと、客観的に言えば、そつなくこなした、という感じなのだろうか。
勿論、僕自身は全力投球したし、短期間で再構築して、赤字会社を黒字にしたので、その意味では成功だが、果たして僕じゃないとできなかったかというと、そうでもない気がする。
それは、営業関係に、ほとんどタッチしなかった事が大きな理由であるのだが。
どういう事かと言うと、丸紅厦門は丸紅香港の子会社だったので、丸紅香港の営業部が直接厦門のスタッフに指示できる様、敢えて管理部門の人間を主管者にして、営業関連に口を出さない様にした訳だ。
商品主管を徹底させるために、傘下会社の主管者には、組織の世話(総務対応)だけさせて、実質権限を与えない(現地主管者のエゴ?を排除する)という事で、商社的な、縦割り(商品管理) or 横割り(組織管理)議論の上に立つ一つの考え方だ。
ただ、社内事情はさておいて、これでは税務的に問題が生じるので(代理人PEになってしまう)、駐在員事務所に組織変更し、オペレーションを変更して事態を整理したが。
若干話はそれたが、そんな訳で、僕の初主管者(3年間務めた)は、満足4割、物足りなさ6割と言った感じだろうか。
ただ、僕個人として思い入れがある福建省で現地法人運営を任された事は印象に残ったし、良い部下にも恵まれた。
一人一人の部下がよい人間だった。
また、丸紅香港の営業部も、前向きにサポートしてくれた。
忘れられない思い出であり、若くして社長になる機会をくれた当時の上司には、今でも感謝している。


次の社長経験は43才の時。
2006年の丸紅傘下のコンサルティング会社(香港、上海)の社長だ。
この時は、実質社内ベンチャーだったし(この位置付けは、後日論争になるのだが、それはさておき)、自分が作った仕事が会社設立に結びついたので、すごく意気込んでいた。
今から思うと肩に力が入りすぎだった。
ただ、基盤のあった香港だけではなく、上海も初年度から黒字にしたし、丸紅を退職するまでの2年間半は、利益拡大・予算達成(最後の年は半期予算)を続けた。更に、人材も育てたので、その意味では成功だ。
ただ、組織維持(利益確保)のためにはやむを得ない面もあったのだが、会社の管理に十分注力できず、組織としてのまとまりを欠いた。
また、社員のモチベーションも十分引き出してやれなかった気がする。
そんな訳で、反省点がきわめて多く、あまり思い出したくない経験だ。
それでも、あの会社があったおかげで、今の僕があるのは確かだし、僕の至らなかった部分は素直に反省して、今の会社経営に活かしている。
そう思えば、感謝すべき経験であり、機会をくれた人たち(特に、稟議を書いてくれた同期)には感謝すべきだろうと思う。

今は3回目の社長という訳だが、それまでの様な、大組織内の役割社長ではなく、本当の意味での社長だ。
それまでに過去の失敗や反省点は、有効活用している。
社長も一つの役割。
経験が生かされるのは確かで、経験があるほど上手くこなせる可能性が高くなる。
その意味では、組織の中で社長を経験させてもらったのはありがたかった。
過去の経験、反省がなかったら、ここまで順調にこれなかったと思う。
人間、無駄な経験はない。
毎年が経験と学習の連続だ。
経験する機会をくれた人たちに、感謝なくては。

人の意見を聞く、聞かない?

大学三年生で約1か月中国を旅行した時、心細いので、ちょっと多めの金額をトラベラーズチェックに替えて持って行った。
ちょっと多めとはいっても30万円程度だったと思う。
トラベラーズチェック作るとき、円建てのチェックをお願いしたら、銀行の担当者から、「米ドルの方が安全でしょう」といわて、それに従った。
中国に着いたら、日本円でも全く問題なかったが。

学生の頃でクレジットカードを持っていなかったので、1か月の旅行の総費用(ホテル代、交通費、食費等など)としては決して多くはないが、実際に使ったのは10万円弱なので、20万円ほどあまった。
ところが、日本に帰ったらプラザ合意で円が急騰し、学生時代の僕にとっては悲しくなるほど為替差損が出た。
銀行のいう事を聞かなければ・・・と悔やんだものだ。

その数年後、1990年に、語学・実務研修を終えて日本に帰った。
初任給は高くはなかったが、新入社員時代は深夜残業・休日出勤続きで金を使う時間がなかったし、研修生時代は、結構よい海外手当をもらった上で、(当時高かった国際電話以外は)金を使わなかったので、入社後の3年間で5百万円ほど貯金ができた。
時代はバブルまっただ中で、定期にすると5~6%の金利が付いたので、最長の5年定期とお願いしたが、担当者が「金融商品がどんどん出ますから、2年程度にして、乗り遅れないようにした方が良いですよ」と言うので、それに従った。
そしたら、2年定期が満期になったときは、バブルが崩壊して、金利がほとんどつかない状況になった。

人生の中で数少ない、(当時の年齢にしては)使うあてのないまとまった金があった時に、プラザ合意とバブル崩壊、という歴史的な出来事があって、更に、アドヴァイスに従ったら損をしたというのは、何とも間が悪いものであるが、随分印象に残った。

この事があってから、この種の判断は、自分でする様になり、人の意見は聞かないようになった。
まあ、財テクと呼べる程のお金はないので、ほとんど影響はないのだが・・・

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ