店内飲食開始はもう少しかかるか

ロックダウンが解除時は、6月下旬にはレストランの店内飲食が認められると推測していたが、もう少し先になりそうな風向きだ。7月中旬頃になるかもしれない。まあ、物資の調達には支障がないので、しばし我慢しよう。そんな訳で、取り合えず、「割烹まきの」の刺身・寿司弁当と穴子寿司を宅配してもらう。
合計530元だが、かなりみっしり詰まっており、3日間持つのではないかという分量。素晴らしいコスパだ。日持ちしない刺身なので、頑張って食べないといけないが。

オバマ広場(睿拢广场)の営業が禁止になったと、ある店のオーナーが嘆いていた。「今日は営業するな」との通知を無視した店が一軒あったので、全店連座責任を問われたとの由。
オバマ広場は、店外座席に限定することで、堂々と営業していた。一方、店内でこっそり営業している店も極めて多い。鍵を閉めて、声を潜めてという、忍者屋敷営業だ。ここらは、「政策有れば対策有り」という昔ながらのやり方で、物業管理と取締る側が、ぎりぎりの許容範囲を模索しているものと思われる。やはり、経済は回さないと人は生活していけないし、上海の感染も、既に収束したに近い状況だ。これを踏まえての「対策」だろうが、やはり、指示に従わなかったり、目立つ事をすれば、処罰対象になる。
因みに、上海市の昨日の感染者は18人・無症状感染は6人(合計24人)だ。日本の人口の約四分の一の上海市で、これだけ執拗にPCR検査を繰り返してこの数字なので、収束と言って良いと思うが、社会面感染者(封鎖施設外での感染)が1名でも出ているうちは、この状況を続けそう。もう少し我慢が必要かなと思う。

そんなこんなを思う日々だが、毎日こつこつと水を買いためる。ロックダウンが開始する時は、100リットル程度の水を準備したが、結果、全く足りなかった。その経験を踏まえて、コツコツと水を買いためる毎日。水道水も、煮沸すれば飲めるし、昔のような臭みは無いが、やはり気分的にミネラルウオーターを使いたい。

刺激が欲しい今日この頃

コンサルタントという仕事も、クライアントの方々より+αの苦労と経験をしていて、初めて信用に繋がる。行動が伴った知識か、という点が問われるのであろう。
だから、上海でのロックダウンという、滅多にない経験をしたことは、自分のキャリアを考えれば有益だと思っている。おまけに、中国帰任の青島隔離とくっついたため、偶然98日間連続隔離状態となったが、他の上海居住の方より+α苦しんだので、内心しめしめという感じだ(自分もしっかり苦労したよと言える)。
昭和62年に商社に入った時、「リスク時は最後に逃げるのが商社だ。メーカーより先に逃げるなどあり得ない」と教育されたが、そうした意識が自分にまだ有るのかもしれない。初期の刷り込みは恐ろしい(笑)。昭和の感性と言われれば、その通りだが、これもまた真理という事で。

ただ、自由に飛び回れない日々が、これだけ長く続くいていると気が滅入る。特に、上海は梅雨入りし、雨が続いているのでなおさらだ。刺激のあるご相談・依頼が舞い込まないか。新しいビジネスモデルを考えねば。そんな事を悶々と考える。
やむを得ず、せめて昼食は、麻(痺れ)のきいた麻婆刀削麺を食べて刺激を感じようとトライ。美味しいのだが、知的好奇心は当然満たされず。ただ、南豊城のスーパーで、生刀削麺を発見したが、これが美味しいのは収穫だった。

南豊城付近の景色。ここのスーパーをよく利用しているが、ちょっと品揃えが悪くなっている。国産品とか生鮮品は良いのだが、輸入品が枯渇気味。これは少々困る。

上海が完全に元に戻るまで、あとどれくらいだろう。7月中旬くらい(あと1か月程度)と予測しているが・・・

ロックダウン解除後の生活

6月4日の更新から、一週間弱が過ぎてしまいました。やはり、平和になると、そちらの方に目が行ってしまうのか、書くことが少なくなるのか・・・
その中で、以前としてPCR検査は毎日のように受け続けています。というか、僕の場合は、健康コードと場所コードのデータ連結上の問題があり、毎日検査を受けています。
上海市に1万件以上のPCR検査場を瞬時に作っただけあって、現在では、全く並ばなくてもよいので、ストレスは少ないのですが、早く検査が要らない状況になって欲しい。
そんな事を考えながら、ロックダウン動画11(解放後の状況)をアップしています。

健康コードと場所コードの問題も語っていますので、是非、ご覧になって下さい。

明天会更好

ロックダウン解除3日目の昨日(6月3日)は、マンションの庭で縁日のような企画があった。
入り口には公安車両が1台停まって監督中なるも、住民は大盛り上がりで、最後は「明天会更好」を合唱していた。自分の青春の歌でもあるだけに、ちょっとしんみり。ロックダウンの2か月。更には、3月17日から実質的な封鎖が始まっていたので、2か月半にも及ぶ。長い時を抜け出たな、という気分をみんなで共有していたのであろう。
その合唱の様子は、容量の関係で(20秒ちょっとなのに・・・)、ここでは直接ダウンロードでず、
僕のFacebook(こちら)をご参照下さい。

更に、睿拢广场(日本人がオバマ広場と呼んでいる場所)は、店内不可・外飲みオンリーで営業を開始したようだ。日本人でぎっしり。物業管理が定期的に巡回して、結構細かい指導をしている(間隔開けろとか、使い捨てプラスチック容器以外は出すなとか)。ただ、市場監督局の審査が随時行われるので、このままいけるか100%断言はできない模様。

ともあれ、こんな試行錯誤を繰り返しながら、急速に平常化は進んでいくのであろう。

戻ってきた日常(これで常態化したPCR検査さえなくなれば)

好きなものが買え、食べられる生活が戻ってきた。まずは、真木乃(新旧あるが、旧真木乃の方)で鮨と刺身を購入。ロックダウンで一番物資に困っている時に、いろいろ物を分けてもらったお礼代わりに、真っ先に注文した。

日本酒も船中八策があるというので購入。冷やして持ってきてくれたのが有難い。2か月ぶりに飲む日本酒は美味かった。そして、刺身に付いていた海老の頭とアピタで購入した味噌を使って味噌汁を作る。粉末かつおだしを使った簡単なものだが、インスタント味噌汁よりは、だいぶ味が良い。

一夜明けるとPCR検査。月・水・金・日と検査を受ける。受けない自由はあるのだが、そうすると外出が制限される(72時間以内のPCR陰性証明がないと建物に入れないし、乗り物にも乗れない)。昨日の上海市の感染者は8名。無症状感染者も8名。2,500万人で16人ならば、ゼロのようなものだ。嵐の様に降りかかるPCR検査も、もう少しで終わるであろう。

部屋に戻ると麻婆豆腐ラーメン。これも久々に食べた。

2か月ぶりの出社・買い物

上海のロックダウン明けの翌日(6月2日)、2か月ぶりにオフィスに行った。自転車を漕ぎながら行くが、街の緑が目に移り、気分がよい。

オフィスに到着し、久々に部下と軽い近況報告。必要な書類にサインをすると、アピタとダイソーに移動。

ダイソーはロックダウン前の状況と同じ。アピタも平常時程度まで回復(8~9割の回復か)している。ともあれ、空いていて快適であった。

目玉焼き用のフライパン(小さいもの)、ジプロック、オリーブオイル、米、味醂等等。買ったものは当たり前のものばかりだが、なんという充実感か。不便を経験すると、比較的簡単に満足が得られるようになるな(笑)

当たり前の日常の嬉しさを感じながら帰宅。家で仕事を継続。

一夜明けたら元通りだった

2022年6月1日0時にロックダウン解除という事で、おそらく歓声が上がるだろうと、眠さを押さえて起きていたが、シンとして物音ひとつしない。全く以て拍子抜けだったが、朝になったら、元通りの街に戻っていた。

もう少し時間差を置いて、徐々に回復するのでは(1~2週間の間隔で段階的に)と思っていたが、嘘のように元通り。道行く人の表情も、何事もなかったかの様に平常だ。


すごいね。改めて、中国人のたくましさ。生命力を感じた。僕が中国に興味を持ったのは1982年のことだった。文革終結宣言から5年しか経過しておらず、何を聞いても教科書通りの回答しか返ってこないようなイメージがあったが、その実、民衆はしたたかに、力強く生きていて、その生命力に惹かれて興味を持った。それが今に至っている。

中国という国が好きかどうかというのは、難しい問題だ(20代の頃から問い続けてきた)。中国人が好きかどうかというのもしかり。ただ、確実に言えることは、好きな中国人はたくさんいて、彼らの力があったから、今の自分が有る。この自分自身の歴史と、感謝の気持ちは変わらない。

ともあれ、落ち着いたら急に四川料理が食べたくなった。まずは、ロックダウンを脱出した現状に乾杯したい。


ロックダウン解除


昨日午後は、5月29日の上海市政府発表(経済支援と営業再開状況)をクライアント様向けに取りまとめていたが、急遽、6月1日0時にロックダウン解除の発表が有ったので、優先順位を切り替える。今日(昨日の夕方)中に配信せねばと、政府発表を急いで翻訳して配信する。
長かった。「全くつらくない」と言い続けてきたが、政府発表を翻訳している時、少し涙が出た。
2月23日の青島での隔離開始から数えると、98日間続いた隔離生活だ。この環境でないとできない配信が出来た事と、筋トレを続けていたことが成果だろうか。
レストランの店内営業再開には、若干のタイムラグがあるであろうが(6月中旬~下旬か)、不自由ももう少しの我慢だ。引き続き堪えて乗り切ろう。思い出に残る経験が、また一つできた。

ネギが買えた

デリバリーが復活してくると、毎日、なんだかんだ細かい買い物をしてしまう。
ともあれ、数日前に喜んだのは、卵を120個買えたこと。そして昨日はネギだ。購入したのはもっとあるのだが、ネギは嬉しかった。ロックダウン前に購入した2本のネギを、2か月もたせて使っていたが、これが解消される。

当たり前の様に買えたものが、なかなか買えなくなる。これで、物がある事の有難さを再認識した。自分を戒める意味では良かったか。

そして、自己調達品、配給品などを織り交ぜて食事。
最後は、鶏のから揚げのデリバリー。

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ