隔離に役立つもの

58年生きてきたが、隔離というのは、それまで経験したことが無い特殊環境で、最初(2020年9月)はかなり戸惑ったが、経験を重ねるにつれて、学ぶものも有った。自分のメンタルの保ち方というのも一つだし、準備すべき物、物品の調達の仕方など、徐々に勝手がわかってくるものだ。

まず、一番重要なのが「水」。これが有れば大丈夫だ。勿論、今の中国の水道水は、煮沸すればさほど問題なく飲めるので、心配する程ではないが(昔は水道水がずいぶん臭って、煮沸しても飲みにくかった)、ミネラルウォーターが有った方が嬉しい。デリバリーでも大丈夫だし、ホテルにお願いすれば補充もしてくれる(前回の上海は、補充は有料だった)。ただ、個人的に美味しい水が飲みたい(酒が飲めない隔離中は、コーヒーを飲むのが最大の楽しみ)ので、飲みなれた「いろはす」をデリバリーで購入。ともあれ、水を多めに確保すると、精神的なゆとりがでる。

そして、旅行用ラーメンポット。これは、1989年の福建省福州駐在からの頼もしい相棒だ。当時は、正規の駐在員ではなくトレイニーだったので、ホテルの一室に一年間居住した。調理器具が無く、このラーメンポットだけが頼りだったが、故障もせずに一年間大活躍してくれた。それを思い出して、前回の隔離で新しいものを購入。それを失くしたので再度、今回に備えて購入した。

即席めんを作るのが主要な用途だが、レトルトも温められるし、パンもトーストできる。支給される冷たいパンを、軽く焼くだけでも大違いだ。

こうしてみると、大学時代のバックパッカー経験、福建省のトレイニー経験等、色々なことが隔離生活の参考になっているのが分かる。

隔離3日目

朝四時に空腹で目が覚めた。隔離中は、食事の支給が8時、11時半、17時半となるので、食事を取るのが早くなる。
ここ数日、なんだかんだで忙しいので(隔離中でも、有難い事にオンライン面談のご依頼が多い。つくづく便利な世の中になったものだ)、夜8時頃まで仕事をしているが、酒を飲むわけでもないので、夜9時にはベッドに入り、本を読みながら眠りにつく。規則正しい生活になるので、早朝にお腹も空く訳だ。
暫し我慢したが耐えられず、5時頃ベッドを起きだして、持参した即席蕎麦を茹でる。21日の隔離なので、もう少し我慢しようかとも思ったが、まだ6袋有るし、足りなければインターネットショップでどん兵衛等の日本製のカップ麺も購入できる。

これを朝食にしたので、支給された朝食は食べず。念のために、茹で卵とパンを保管する。

昼食はこんな感じ。ソーセージとキャベツ炒め。さすが青島、ドイツ風だ。これはビールに合いそうだが、望むべくもない。

午後の仕事をしながら、「甘いものが食べたいな」と考えていたら、ドアがノックされ、ケーキをもらった。知らなかったが、3日に一回おやつがもらえるようだ。非常に嬉しい。隔離中は、こういう小さな喜びで盛り上がるのが重要だ。僕みたいな酒飲みがケーキで喜ぶとは、我ながらおかしいが、酒を飲まないと甘いものが欲しくなる。

夕食はこんな感じ。唐辛子チューブを持ってきたので、スパゲティに混ぜて食べる。
こんな感じで、平和に時間は過ぎてゆく。

隔離2日目の食事

青島の2日目の食事。青島の隔離ホテルの食事は十分食べられる。勿論、美味しいと絶賛するレベルではないが、隔離施設の食事と考えれば、この水準の料理を出してくれるのは、感謝してしかるべきだ。
やはり、どの国でも同じだが(日本の隔離でも文句がインターネットにあふれているが)、不平不満を言う前に、感謝の気持ちを持ちたい。現在の状況下、隔離や国際間移動は大変でストレスがたまる。文句を言いたくなる気持ちは当然あろうが、特殊な環境下働いてくれる人たち、自分に提供してくれる食事に対して、まずは感謝すべきだ。移動の度に、そんなことを考える。
もっとも、一昨年の上海の隔離飯には、感謝どころか絶望を感じたが、これはまだ自分の修行不足か・・・



2月23日から3週間酒を飲まない。
毎日の生活は、早寝早起き。日中は仕事と筋トレ。楽しみは食事と珈琲。その繰り返しだ。
なので、食事が来るのが待ち遠しいし、持参した140杯のコーヒーは、おそらく足りなくなるだろう。ただ、こんな日々を過ごすのもたまには良い。自分の生活態度を整え、自分の仕事・人生に思いをはせてみよう。

隔離ホテル到着


隔離ホテル到着。
上海の苦しかった隔離環境とは随分違う。リゾートに来たのか、はたまた避暑地で仕事か(冬だが)と一瞬錯覚する。
まあ、3週間、この部屋から一歩も外に出られないので苦しいのは確かだろうが、光が射さずに暗さと狭さに苦しんだ、前回の上海の隔離環境から比べたら天国だ。
勿論、上海でも景観が有る部屋を割り当てられた方が多いので、僕は外れを引いた形だが、最初が悪いとあとは昇っていくだけになるので良い。自分の会社員人生も、新入社員時代が一番厳しい環境だったが、それと同じだな。
ただ、過去3度の隔離経験(苦しくなかった日本の1回を入れればだが)も、それなりに役に立っている。自分の感情が、徐々にコントロールできるようになってきているという意味で。隔離期間中は、先を考えたらだめだ。目先の1日1日、いまこの時間だけを考えて、淡々と過ごす。これがつらさを感じない(というか、軽減する)ポイントだ。
3週間という今まで経験したことが無い長さの隔離。余分な考えを捨てて、目先のことだけを考えて過ごそう。

3週間の禁酒の始まりでもあるが、別段飲みたい気分は無い。「飲めるのに飲まない」のはつらいが、「飲めないから飲まない」というのは、全く問題ない。筋トレと禁酒で、身体を引き締めるのを楽しみに過ごそう。


そして最初の食事。青島隔離経験者から、「普通に晩飯は餃子だけとかいうの有りましたよ」と言われ、「餃子だけは嫌だ!」と数日前に笑っていたら、狙いすましたように初日に餃子の洗礼だ。ただ、青島の隔離飯は問題なく食べられる。米も臭くないので、これならふりかけ持ってきた方がよかったと後悔する。成田空港でレトルトカレー8袋を取り上げられたのは痛いが、代わりにゲート付近で購入した、梅干しと明太子が役に立つであろう。隔離期間中食べ過ぎないように注意しなければならない。

青島移動

移動日は晴天だ。フライト中に富士山が奇麗に見えてきて晴れやかな気分になる。

機内食は、こんな感じで軽め。3.5時間のフライトなので、ぎりぎりこんな感じだろう。ただ、朝おにぎり一個と、ラウンジで小ぶりの蕎麦を食べたので、量的には全く問題なし。

暫く飛行が続いたら、陸地が見えてきた。どこだろうと機内表示を見たら韓国だった。このルートの飛行は初めてなので、肉眼で見る初めての韓国だ。ちょっと感動。感染が治まり、平穏無事な世の中になったら、韓国に行ってマッコリを飲みたい。韓国は僕の本を2冊翻訳してくれたことだし(売れてはいないが)。

青島が見えてくる。奇麗な場所だ。長い中国経験だが、南方の仕事が多いので、初めての青島訪問だ。

到着後、入国審査・PCR検査等の手順も非常に順調で、到着1.5時間でバスに乗れた。空港職員の人たちも、片言の日本語で話しかけてくれたり、総じて親切で優しい感じが嬉しい。一昨年の上海は、香港からの移動で外国人の存在が想定されていなかったので、外国人に対する気遣いが全く無く、ごつごつした中国語で攻めてきて大変だった。まあ、中国語ができるので支障は無かったのだが、ちと気遣いとか優しい言葉とか欲しかったなあという気分だった(PCR検査の女性は、不安にさせないように気を遣ってくれたが)。やはりこういった特殊環境下(コロナ状況)では、外国人(日本人含む)の香港からの移動はお勧めしない。今回は、外国人扱いされて嬉しかったなあ、という気分だ。

約一時間かけて、隔離ホテルに移動。どんな隔離ホテルかと期待が膨らむ。

出発前

2月23日に中国帰任。隔離は有るが、2020年に中国に戻ったときの様な不安や悲壮感はない。中国の工作証・居留許可を取得しているので、何かあればいつでも日本に戻れる(更に、再度中国に渡航できる)という安心感があるのが一つ。そして、隔離は経験済で、状況が分かっている点も大きいだろう。何事も経験は尊い。
とはいえ、潜在意識下のプレッシャーは有るようで、出発の前々日の夜(実家を離れる前夜)は、閉じ込められる夢を見て、無意識のうちに部屋のドアを開けて寝ていた。若いころから、ストレスが講じると、閉じ込められる夢を見る。

そして、前日、成田ANAホテルに宿泊。当日は9時50分の便だが、平常時とは違うので(検査が多い)、3時間前の到着が望ましい。とすれば、成田のホテルに泊まっても、朝は5時半起きで行動開始だ。
中国入国までに、2種類の申告(Health Declaration Certificateと税関出入国健康申告)が必要で、これが結構手間だ。完成してしまえばどうってことは無いのだが、まずは、Health Declaration。これは前日の夜8時までの提出であるが、インプット完了後、最終画面でアップロードした写真を確認すると、後退ボタンで今までの登録が失われてしまう。また、添付要求に書いてないので、一週間の健康観察記録のスキャンを出さなかったら不受理になった(再トライで、適当な場所にアップロードしたら、即受理された)。そんなこんなで、数回のやり直しを余儀なくされた。これは、(前日夜8時が期限だからといって安心せず)早めにやった方がよい。税関出入国健康申告は、インプット項目は少ないが、直近14日の滞在地域をインプットする際、前日(2月22日)から14日間しか選択できず、指定期間が不適切だと不受理になる。結局、(出発24時間以内ならば大丈夫との表示だが)当日にならないと入力できなかったので、当日朝5時半にインプット完了。

ANAのラウンジでほっと一息。蕎麦が旨い(蕎麦つゆが良い味)。これから3週間酒が飲めなくなるが、最後に一杯という気分にはならず、ダイエットコークを一杯。

免税店は、思ったよりもいろんな店が開いている。

今日は晴天だ。清々しい気分で旅立ち。

隔離準備


あと数日間で隔離だ。
当初は、隔離期間が3週間と長いので(2020年当時は、一週間の集中隔離と一週間の自宅隔離だったので、一週間分の食料を準備すればよかった)、食料を買っても焼け石に水だと諦めて、コーヒー140杯とプロテインバー60本だけ購入して渡航しようと思っていた。ただ、ここ数日で隔離を終えた人と更新していて、やはりなんか買っておこうと気が変わる。

前回の隔離経験で分かったのは、隔離弁当の米は良くないという事だ(少なくとも上海はそうだった)。匂いが強いので、味が薄いものはかけて食べられない。よって、中華丼や親子丼の素などはNGだ。
ポイントは、味が濃くて辛い物。それを基準に、レトルトカレーや麻婆豆腐の素等を20食ほど買い込んだ。これなら、中華弁当のご飯にかけても食べられるであろう。

第1回PCR検査

先月から中国の入国管理が強化され、渡航前にPCR検査を2回受けないといけない。厳密にいえば、7日前にPCR検査。48時間以内に二種検査(PCRと血液検査)。まずは一回目の検査のために、みなとみらいのクリニックを訪問。
予約しているので、待ち時間を含めて10分ちょっと。
クリニックを出ると昼食時なので、桜木町駅まで歩いて煮干しラーメンを食べる。すごい煮干しラーメンという店で、看板に「煮干しが苦手な方は入らないで下さい」と書いてある。煮干し愛アピールだ。実は、煮干しは好きだが、煮干しラーメンは苦手。ただ、インターネットの写真が美味しそうなので入ってみたが、まずまず美味しかった。

一回目の検査クリア。今年に入ってから9回目のPCR検査かな?(やりすぎて回数が分からなくなってきた)

あと1回。帰任もカウントダウン状態になってきた。

山下町からみなとみらいに

香港でお世話になった方と昼時山下公園付近で再開。暫し近況交換してオフィスに戻る。せっかくなので、海辺を散歩しながら。

高校が山手だったので、ここは隣の駅。学生時代は、歩いてここまで来て、中華街で粥や麺を食べて帰ったものだ。子供の頃から馴染んだ景色で懐かしい。


北欧料理のスカンディア。建物は良く知っているが、中に入ったのは一回だけ(一階)。聞くところによると、二階は高級感が有り一階は大衆的という感じらしい。二階には行ったことが無いので、何時か行きたい。後でインターネットを見てみると、1963年創業。僕と同い年だ。

横浜税関。入り口にでかいカスタム君がおいてあり、その奥に博物館が有る。以前入ったことが有るので、今回はパス。

赤レンガ倉庫。日本に駐在員事務所を開設した時、日経新聞の朝刊に取り上げてもらい、興奮して同じ道を歩いたのを昨日の様に思い出す。その時も赤レンガ倉庫が印象に残った。そしてケーブルカー。これは最近できたもので、桜木町駅からワールドポーターズまでという、短い距離を繋いでいる。8分で1,000円という価格(ちなみに歩くと12分)。興味はあったが、1,000円は高いなと思ったのと、終点からランドマークタワーまで歩くと、却って時間がかかってしまうので乗らず。600円だったら、興味本位で乗ったところだが、この匙加減(感覚的なもの)は難しい。ちょうどバレンタインデーだったので、恋人たちはパラパラ乗っていたようだ。

ランドマーク付近まで来て一枚。

町中華は良い

日本一時帰国にやることは、医者に行くこと。そして薬を買うことだ。やはり、子供の頃から使い慣れた薬が良い。
この日は、眼科に行き、目薬をもらってから付近の町中華で一人昼食をとる。

町中華は良い。
昔、町中華という言葉を知らなかった(また、あまり認知されている言葉ではなかった)ので、行きたい場所を伝えるのに苦労した。「ラーメンは食べたいんだけど、ラーメンだけ置いてある店じゃなくて、かつ丼とか置いてあるラーメン屋なんだよ!」という、分かってもらえない会話に終始したものだが、いまは大丈夫。町中華の良さが認知されてきた。
この日は、初めて訪問する店で、チャーシュー麺と半炒飯を頼んだが、ボリュームがすごい。半炒飯は半分しか食べられず。
ただ、弱々し気に入ってきたお婆さん(常連っぽい)が、当たり前の様に、タンメン(野菜どっさり)、ご飯(どんぶり飯)、ギョーザを頼んで、力強く食べていたので勢いと気迫に圧倒され、大したものだと感心しながら店を出た。

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ