町中華は良い

日本一時帰国にやることは、医者に行くこと。そして薬を買うことだ。やはり、子供の頃から使い慣れた薬が良い。
この日は、眼科に行き、目薬をもらってから付近の町中華で一人昼食をとる。

町中華は良い。
昔、町中華という言葉を知らなかった(また、あまり認知されている言葉ではなかった)ので、行きたい場所を伝えるのに苦労した。「ラーメンは食べたいんだけど、ラーメンだけ置いてある店じゃなくて、かつ丼とか置いてあるラーメン屋なんだよ!」という、分かってもらえない会話に終始したものだが、いまは大丈夫。町中華の良さが認知されてきた。
この日は、初めて訪問する店で、チャーシュー麺と半炒飯を頼んだが、ボリュームがすごい。半炒飯は半分しか食べられず。
ただ、弱々し気に入ってきたお婆さん(常連っぽい)が、当たり前の様に、タンメン(野菜どっさり)、ご飯(どんぶり飯)、ギョーザを頼んで、力強く食べていたので勢いと気迫に圧倒され、大したものだと感心しながら店を出た。

途中雪を見ながら移動

2週間ほど前の話になってしまったが、福岡から横浜に。駅弁を食べながら移動。

新幹線だと5時間ほど時間がかかるので、結構腰が疲れる。そして、晴天の場所が有れば雪が降っている場所もある。日本もそれなりに広いものだと考える。



今回の日本滞在で会食が楽しめたのは、ここまで。隔離明け一週間の間に、感染した方とのニアミスが3件有ったため、「中国帰任に支障をきたさない事」を最優先せざるを得ず、会食を自粛した。次の一時帰国は来年になるであろう。その折は、自由な会食を楽しみたいものだ。そして、事前にお声頂いていた方々と、お会いできずに大変残念です。次回、是非。

昼に食べ過ぎる

数日間ブログが更新できていませんでした。日本にいても、それなりに忙しくしています。また、隔離明け後の福岡、横浜の滞在で、面談・会食に関して、オミクロン感染した方とのニアミスが3件有ったため、中国帰任の影響を避けるべく、会食を自粛。書くことが少なくなってしまいました・・・
という事で、これは一週間以上前の話ながら、福岡での昼食。旧正月中でEmailも殆どなかったので、ぶらぶら歩いて何度か行ったことが有るカジュアルなイタリアンに入った。

ビールを飲みながらペペロンチーノと海老アヒージョ。イタリアンに行くと、よく頼む組み合わせだ。そして赤ワインを2杯。完全な正月ムードで、パスタを一皿追加してしまう。過剰満腹だ。

この店でペペロンチーノ以外を頼んだのは初めてで、毎回、「ここのパスタは塩辛い。茹で湯に塩を入れ過ぎてるのではないか」という疑惑を持っていたが、このトマトソースパスタは全く塩辛さが無い。自信を持ってペペロンチーノを塩辛くしていたのが分かった。ともあれ、過剰満腹で夜は全く食欲無し。

久々の福岡

隔離が明けて、久々の福岡を訪問する。1年半ぶりだ。思えば、福岡(というか、九州)を初めて訪問したのは2004年で、香港貿易発展局主催のCEPA説明講演会であった。そんな感じで、初訪問はずいぶん遅かったが、すっかり気に入り、その後は毎年行っている。日本で一番好きな場所は横浜なのであろうが、その次に好きな場所かもしれない。

この日は、NNAでずいぶんお世話になった編集者の方と会食。烏賊が食べたいと言って、それにあった場所を予約いただいた。

この日は日本酒は封印。焼酎で攻めるが、福岡は焼酎の値付けが安いので有難い。ここはホテルに入った和食店だが、百年の孤独が一杯1000円ちょっとだ(同じ酒造の野兎の走りも同価格)。

自分も飲むが、編集の方は僕以上に酒が進み飲み負ける。年齢の差か?若しくは、今年1月に入って、香港移動(旧知の方との宴席続き)と日本滞在(隔離)で、毎週2回の休肝日が途絶えており、肝臓が疲れていたからか。ともあれ、2月と3月で休肝日は帳尻が会う予定。特に、中国での3週間隔離では、酒を飲まずに耐え忍ぶ。身体がどこまで変わるか楽しみだ(隔離期間で使用するトレーニングチューブとプロテインバーは買い込んだ)。

そんな感じで、1年ぶりの再会で、懐かしい話も交わして楽しく会食を終えた。その日は熟睡。

牛鍋荒井屋で会食

これは1月の話であるが、隔離明け直後に横浜の牛鍋老舗荒井屋にご招待いただいた。創業125年程度の老舗だ。
以前、太田縄のれんに行ったが、そこと並ぶ横浜の名店である。

やはり、老舗というのは雰囲気が違う。そして、接客にも落ち着きというか、風格が有る。

まずは、数の子、鰤の照り焼き、卵が前菜に出てきた。このぶりは旨い。その後は、牛鍋屋らしく、牛肉料理が続く。


そしてしゃぶしゃぶ。どちらかというとすき焼きの方が有名なようだが、隔離で体重が2Kg弱増えた気がするので、あっさりしたしゃぶしゃぶが有難い。良い肉だ。

そんなこんなで満足して、ダイエットが必要と実感しながらも、デザートのぜんざいも食べる。

落ち着いた時間であった。

久々の日本出社

隔離明け翌日も裏山散歩だ。

山道は、アップダウンが有るので、脛あたりの筋肉が痛くなって(筋肉痛)難儀する。毎日スクワットをやっていても、使う部位が違うので、これは致し方ない。
そんなこんなで歩いていると、山中の木の上に、猫がくつろいでおり驚く。


散歩終わりだ。1時間程度。

そして、1.5年ぶりの日本出社。ランドマークタワーは、時節柄人が少ない。

事務作業(書類の確認、署名、その他)を終わらせ、オフィスを出る。

みなとみらい線の駅は、旧正月モードだ。

日本の隔離終了


隔離が終了したので、せっかくだからと散歩した。日本の隔離は全くつらくなかった。隔離は隔離だが、苦労自慢?をする時は、日本の隔離は回数に入れられないな、という感想。
隔離期間中は、1日5~6回所在確認依頼が来る。動画が2回、ボタン押しが3回程度。
隔離期間中で取り損ねたのは2回(動画1回、ボタン1回)。ボタン押しの要請通知が短いので、ここを改善しなくてはと以前書いたが、これは、なまじ完璧に対応しようとするので、こういう感想になる。ただ、後から知れば、ここまで真面目に対応していない人間もいる。
聞いてみたら、数日間取らなかったという猛者も数人いたが、その後協力姿勢を見せたら問題なかったようだ。
何やら不思議な感じだ。

ともあれ、これから日本携帯を肌身離さず持っていなくても良いというのが、今日からの変化か。

香港の店

これも香港滞在中に撮った写真。
まずは世界の山ちゃん。今回は入らなかったが健在のようだ。世界の山ちゃんが、中国語では「山さんの世界(山哥の世界)」になっている。さすがに外国人に、「世界の~」と言っても分からないだろうからなあ、という感じ。ちなみに、「の」という平仮名は、香港ではかなり昔から準中国語扱い(認知度が高い)で、色んな看板にやたらと出てくる。

こちらは、香港滞在中に、頼まれて、ちょっと面談したケーキ屋さん。お礼にケーキをもらったので、会社に持っていったら部下たちが大喜び。香港でいま注目のケーキの様で確かに旨い。女性は良く知っている。


そして、ラーメン屋の鬼金棒。見た目やらHPから、かなり辛いのではと警戒したが、それほどではなかった。麺がなかなか旨い。香港は、日本のラーメン屋が何店も進出している。僕の赴任時(1997年)には、どもんという独立系の札幌ラーメン店が、旨い店という扱いで、それ以外は味千ラーメン。味千ラーメンが美味しい店と認知されていたのだから(行列もできていた)、今は昔だ。ちなみに、香港人(というか、中国人全般かな?)は、豚骨好き。という事で、香港に有るラーメン店は豚骨主流なのが、自分的にはちとつらい。

そしてバー。自分的には、日本人のバーテンダーの作るカクテルを飲みなれているので、やはり、バーに付いては、上海よりも香港が格段に良い。懐かしい味のカクテルを楽しめた(最初の4日間だけだったが)。

香港風景

これは、1月2日~16日の香港滞在の間に撮っておいた写真。

高いビルが、宿泊していたハイアットリージェンシーホテルが入っているK11。香港と言えば高層ビル。その中の一つだ。フィットネスジムが充実していることを前提に選んだホテルだが(この条件だと、1か月単位でないと借りられないサービスアパートメントよりも、ホテルの方が安くなった)、3回使っただけで、香港政府のジム禁止令が出てしまったので、その後は使えずじまい。18時以降の外食禁止は、自分的には影響は無かったが、ジム使用不可は痛かった。

そして裏路地。こういった風景も香港らしい。煌びやかな風景が、一歩路地に入ると一転する。昔、NYK駐在経験者が香港出張に来た時、こうした路地に入るのを極端に怖がっていた。そう考えると、香港の治安は良いのだな。

そして、香港最終日の夜は、一人部屋の中でいろいろな事を考えた。香港を始めて訪問したのは1985年。活気に惹かれて、何時かここで仕事をしたいと思ったことが、現在の僕に繋がっている。そこからすると、香港もずいぶん変わった。そんな話をしたら、1985年から現在というのは、日本の終戦からウォークマン発売開始までの期間とほぼ同じ。変わって当然という話をされた。そう言われれば、確かに歴史というのは、そうして形作られていくんだなというのを実感した。

ただ、三十数年で変わったのは香港か、自分の認識か(双方有るだろう)。若い時は、香港の活気。香港ドリームを手に入れよう(這い上がろう)とする人間たちのバイタリティーに惹かれた。ただ、その一方で、這い上がれないまま、時間に埋もれてしまった人たちも少なからずいる。そんな矛盾をはらみながら、独特の存在感を維持しているのが香港だ。何が正解なのだろうか。そんな事を、窓の景色を見ながら考えた。

自宅隔離中

自宅隔離に切り替わり3日が経過した。
こんな感じで、庭に飛んでくる小鳥を眺めながらの隔離なので、外に出られなくても特に苦痛は無く、全くもって平和な隔離である。苦しいのを隔離と定義づけるのであれば(変な定義だが)、日本の隔離は隔離ではない、とは言えないが、厳しい中国本土・香港の隔離と同一線上で考えてはいけないな。ただ、有難い事ではある。同時に、2月下旬の中国での隔離がいまから不安だが、酒を抜く良い期間だと前向きにとらえて耐え忍ぼう。

体重管理の一環で、小一年日本酒を飲まなかったが、日本に来てまで我慢しろというのは難しい。親の在庫を開けては楽しく飲む。日本で飲む日本酒は、しみじみ旨い。


そんな感じで、楽しく過ごしてはいるが、筋トレ以外の運動が出来ないのは確かで、体重はちと増加した。今日から糖質の制限をしなければいけなかろう。

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ