既に、昨日実家に移動済であるが、日本到着日から3日間は成田のホテル生活であった。集中隔離ではないので、ホテル館内であれば自由に移動できるのであるが、一応、おとなしくしていようと思い、基本的には館内のコンビニに行く程度にとどめておいた。いきおいコンビニ食が主体となる。
栄養が偏るな。あと、最初の1~2食は嬉しかったのだが、味が似ているのでだんだん飽きてくる。
こんな食生活をしていると、日本でのホテル隔離(中国とは比べ物にならないくらい自由だが)もそれなりにしんどいなと思う次第である。
PCRの自己検査後実家移動
日本入国3日目。初日(空港)の検査後に、PCR検査キットを渡されて、3日目に自分でやるよう要請される。
こういうものかと興味深く眺め、裏ブタの注意書きを丹念に読み、検査にかかる。
検査結果が出るのに30分程度かかるとのことで、Email整理をしてじっと待つ。ピンクの線が青くなったら陰性。下のTの部分に、もう一本青線が出たら陽性とのことだ。人間、生きるにつれ、動くにつれ、どんどん豆知識が増えていくなと思うことしきり。興味深くて良い経験であった。操作を間違えた時のために2回分入っていたので、もう一回自分でできるのは少し嬉しい。そんなこんなで、この20日間に8回のPCR検査は無事終了。
ホテルチェックアウトの上、隔離者用ハイヤーで実家に移動。
日本での隔離生活
日本での隔離生活が順調に始まり、成田のホテルの部屋にこもって仕事をしている。幸いなことに、香港は感染者多発地域ではないので、集中隔離は不要。10日間の自宅隔離で良いところを、自主的に3日間はホテル滞在にしているので、ホテル館内施設の利用が可能だ。これが、集中隔離対象地域からの帰国の場合、ホテル代は不要ながら、部屋から一歩も出られない訳で、その意味ではゆるくて有難い次第である。
とはいえ、極力極力館内のレストランは使わず、ホテル内のコンビニ弁当を食べようと思ったが、連続6食コンビニ食だと身体に来る。音を上げて1階のレストランに。やはり、ほっとする。
そんな感じで、隔離方法自体に不満はないが、隔離中の所在地確認通知方法を改善して欲しい。
入国時にインストールするアプリで所在確認が頻繁に来る(今日は4回)。おそらく、以前、管理がずさんだった時に携帯を置いて遊びに出かける人間がいたので、管理強化したのだろう。
ただ、それは良い。文句を言う気はない。ただ、問題は通知の方法だ。当初はシステムて処理であれ、電話の呼び出しがあると思っていたが、「すぐに所在地確認をして下さい」というメッセージが入り、プッという短い着信音が1回するだけ。
これでは、仕事に集中していたり、うたた寝していたら絶対聞こえない。聞こえず疑われるのはごめんだと思うと、携帯を絶えず睨みつけていないといけない。
ちなみに1回取り損ねたら、暫く経って、「重要な問題になるかもしれないので真面目にやってね」的な脅しメッセージがやってきた)。こちらも協力するつもりでやっているので、こうした取り損ないを防止する手段を取るべきだろう。少なくとも電話の呼び出し音を、何回か鳴らし続けて欲しいものだ。
香港から日本へ(日本での隔離開始)
キャセイラウンジを出るとゲートに向かう。
15時半発の便だ。ボーディングが5分程度遅れると言って乗客に説明しているが、5分遅れというのは定刻で良いのではないか(笑)。日本のエアは丁寧だ。
日本種が4種類あるので、是非飲んでくれと言われ、秋田の一白水星と、もう一種類飲む。両方美味かったが、到着時に酔っぱらっては困るので、1.5杯でやめておいた。
空港到着は夜8時。そこから入国手続き、PCR検査場に移動。沢山の空港職員の方々が、礼儀正しくテキパキと働いている。アプリの確認や検査結果が出て空港を出たのは10時20分なので、非常に効率的だ。こういった対応は、この2年間で格段にレベルアップしているだろうから、その努力に感謝しなくてはいけない。また、日本がが流暢な外国人職員の多さに驚いた。こういった、リスクが高いと思われている仕事を、こんな形で対応してくれている方々には、(日本人・外国人問わず)感謝しかない。
ここまでは順調。要改善点を挙げるとすれば、検査結果が出た人間が呼び出される時の放送が、頻繁に途切れて聞こえなくなる(それでも放送は続けられるので、聞き取れない人も出てきそうだ)。これは極めて重要なポイントなので、通信の接続状況を確認して対処すべきということであろう。
さて、1点を除けば感心する事しきりだった対応も、空港外に出ると一転してダメになる。まさに、外に放り出される感じ。10日間の隔離期間中は、公共交通機関に乗れないので、隔離先ホテルへの足はしっかりと確保して欲しいところだが、案内もないし、バスは1時間に一本だけ。対応も比較的投げやり。さらに、成田のホテルを遠い順に回っていくので、空港付近のホテル到着まで1時間以上(待ち時間40分、乗車時間70分)を要した。重い荷物が有るのでナンセンスな比較だが、歩いたら30分強だ。この部分は、金を払っても良いので、もう少し改善して欲しい部分だ。まあ、隔離者専用ハイヤー呼べばいいですよというのだろうが、あまりに近いと嫌がられるのではと思いやめた(考えすぎだったか?)。
ホテルの部屋到着は0時半。
香港は集中隔離対象地域ではないので、最初から横浜の実家に帰っても良かったのだが、家に着く時間の目途が立てられず、あまりに深夜・明け方になるといけないので、自主的に3泊のホテルとした。よって、(強制集中隔離ではないので)ホテル内の対応は緩やかだ。コンビニで買い物もできるためおにぎりとビールを買い、寝る前に楽しんだ。こうした隔離の緩やかさは、過酷な中国の隔離とは別次元。中国の隔離を知っている人間は、「これは隔離ではない」というだろうが、隔離される身は有難い。
まあ、中国居住の人間は、日本人も中国人も、「しっかりと隔離をする分、外で普通に食事ができる今の中国の政策が良い」と大部分が満足げに言う。ここら辺は考えようだろう。
ともあれ、12時間かけた移動は無事終了。日本での隔離生活無事開始だ。
香港から日本へ
香港から日本に出発だ。2週間程度の滞在だったが、香港を満喫した。2019年の反政府活動、疫病蔓延等が有り、香港に関しては、色々思うことや、複雑な感情があったが、今回改めて香港は良い場所だと感じ、有難うという気持ちになった。
空港には、思ったよりも人がいた。出発ゲートでしっかりと抱き合っている若い恋人(?)たちがいて、ちょっとじんときた。自分の若い時代を思い出したが、その時以上に、今は離れたら次に会うための時間と苦労が必要になる。少しでも往来が自由になりますように。そう思った。
そして、キャセイのファーストクラスラウンジ。このラウンジが使えるのは、JALのプレミアステイタスが維持できているからだが、この状況下で移動がままならないし、更に、自由な移動ができるようになっても、あの頃の様な移動はしないと思う。その意味では、次回このラウンジを利用できる機会があるか分からない(可能性は低い)。そう思うと、これもちょっとしみじみした気分になるな。
病気が色んな意味で、生き方とか考え方を変えた。良い意味でも悪い意味でも。それを不思議に思う。ただ、人と人との関係が、しっかり維持できる社会に早く戻るように。それがいまの一番の願いだ。
社内会食(鮨白鳥)
香港滞在もあと2日となった1月14日(金)、社内会食でオフィス近くの鮨白鳥に行った(ちなみに、「しらとり」ではなく「はくちょう」と読むようだ)。
生ビールがでかい。大は750ml。ここは、先日行った焼鳥木戸の隣で姉妹店。料金設定が控えめな割に旨いと聞いたので選択。
鰹が旨い。山芋と併せるのは初めて。そして生牡蠣。ちなみに、今回頼んだのは、一人HK$768のランチセット。
そして、茶わん蒸しが出ると、鮨が始まる。鮨が上品。幾つでも食べられる感じだ。客はやはり全員香港人(自分たち以外)。そして、全員日本酒を飲んでいる。今回の香港滞在の印象は、繰り返されるPCR検査、旨い飯、そして高級日本料理店は香港人ばかりで、大部分が大吟醸酒を飲んでいる、という光景だ。
日本食が上海でも香港でも、本当に人気で受け入れられているなという嬉しさと、少々日本人の存在感が薄まっているなという寂しさが両方。ただ、香港にこれだけ日本酒が浸透したのは有難いし、上海などの大都会でも、数年後には確実にもっと人気が上がるだろう。
丁度よい分量で満足。本当に、香港を満喫した2週間だった。有難う、香港。
2週間で6回目のPCR検査と感動したイタリアン
1月13日に香港到着後5回目のPCR検査に行った。大晦日の上海での検査を加えると、2週間で6回だ。ただ、これで公式の検査は終わり。後は、日本入国のための検査が一回。
この検査場付近の風景も、すっかり馴染みになってきた。
もうしばらくこの付近に来ることは無いだろうから、のんびりと周りを見回してチムトンまで移動する。
検査を受ける人の数は、毎回ばらつきが有る。今回は、予約ありの人数が多かった。ただ、効率が良いので、到着15~20分後には終了。
その後は、散歩と時間調整をかねて、45分ほど街を歩き九龍シャングリラホテルに移動。旧知の方とのランチアポの会場である、アンジェリーニというイタリアンに。
サバティーニかアンジェリーニかと聞かれ、アンジェリーニと即答したのであるが、実はあまり知らない店だ(サバティーニが高いと聞いていたので、こちらの方がカジュアルかなというだけの判断)。ただ、ここが良かった。ラインはグラス一杯。そして、グリルしたタコとロブスタービスク。
そして、メインはやはりロブスターのスパゲティを頼んだが、素晴らしく美味い。パスタの茹で具合、味付け、ロブスターの分量など申し分なく、感動するほどで、じっくりかみしめながら食べてしまった。
そして、是非、と店から推薦されたティラミス。通常、甘いものは食べないので断る、若しくは、一口食べてやめておくのだが、一口食べたら旨さのあまり自分を止められなくなり完食。良い店だった。次回の香港到着時は、ここに直行するだろう(隔離が明けたらだが・・・)。
そして、過剰満腹の結果、晩御飯は抜き。夜は酒も飲まずに早く寝る。
香港日常食
生活が朝型になると、朝食は必須になる。朝5~6時から働き始めるが、8時にホテルを出て朝食を買い出しに行く。その時は、激しい空腹を抱えて食べるものを探す事になる。
今朝は花結び。僕が香港で生活していた時と比べると、格段に勢力拡大しており店舗が多い。そして、商品開発が進んでいて、食指が動く品が多くなっている。
ちなみに、数日前にコンビニのおにぎりを食べたが大失敗だったので、今朝は花結びを店指定で探し回った。
昨日はサンドイッチ1個。この価格と、今朝の花結びの価格(焼きそば、おにぎり3個、ほうじ茶一本)がほぼ同じで1,000円程度。
花結びが良心的というのはあるが、何やら日本と西洋の物価の差が香港で体現されているようで興味深い。
品質だけでなく安さを求められる日本と、美味しければ高いのが当たり前という西洋。日本の姿勢に感謝しつつも、少々日本が心配になる。
そして、昨日は打ち合わせをした方から、部下へのお土産にケーキを頂いた。最近、香港で評判の店の様で、部下たちが大喜びだ。女性はこういうことに詳しいなと感心。一口もらったが、確かに美味しいケーキであった。
ランチ会食
夜の外食禁止令のおかげで、すっかり生活が変わった。夜8時にはベッドに入り、朝4~5時に目を覚まし仕事をする。朝型生活は健康的っぽいが、同じように酒は飲んでいるので、何やら不思議な感じだ。ただ、生活制限のストレスはない。
この日は、宿泊ホテルの洋食レストランで昼の会食。3種類コースという事になっており、「前菜 or ロブスタービスク」、「料理1品」、「デザート」という感じで選択するもの。困ったことにパンが旨い。体重管理を気にしつつも、ついつい手が伸びる。
ローストビーフがでかい。たっぷり切ってくれるので、とてもではないが食べきれない。香港は、英国領時代の名残で量が西洋人スタンダードの店が少なからずあるが、ここもそんな感じだ。
デザートは残念ながらギブアップ。その代わりにブルーベリーだけ大量に貰い、部屋に持ち帰って、翌日の朝食にした。
そして部屋に戻り、窓の外の景色を見、昔を思い出しながらひとりワインを飲む。1985年の初めての香港。1990年のトレーニー終了。1997年の香港着任と、2001年のコンサルティング開始。そして2008年の独立。自分の半生を振り返り、日が暮れていくのを眺める。たまには、こんな飲み方も悪くない。
丸紅の先輩と会食
1月9日(日)に、丸紅の先輩と会食した。この先輩とは浅からぬ縁が有り、まず台湾研修生時代、到着した自分を桃園空港に迎えに来てくれたのがこの先輩。その後、1997年に香港到着後、ずいぶん一緒に仕事をした。
広東省中山市に丸紅香港が保有していた5億円程度の土地を売りに行ったり、債権者から差し押さえた1万足の靴を確認するため、灼熱の倉庫で実査をしたり、など等。ちょっと話は外れるが、33才で赴任して2年間の間に、上述の仕事に加え、6億円の不動産の現物出資を実施したり(広州市だが、上海市でも広州市でも、外国企業の不動産での現物出資実例は本件以外に無いようで、困難な認可を企画実行したのでちょっと自慢だ)、丸紅厦門の社長・福州の所長になったり、会社資産の見直しをして評価損を11億円計上したりなど。金額が大きければすごいという訳ではないが、若いころに、色々な経験をさせてもらえたのは、自分にとって、本当に有難かった。
指定のオイスターバー到着。この付近(Mody Road Garden)は、1989年の語学研修生時代に宿泊したホテル(以前のホリデイインハーバービュー。現在のグランドスタンフォード)があるので懐かしい。当時、香港のクリスマスイルミネーションを見て感動したものだ。
早めに付いたので、ビールを飲んで待つ。この店は裏路地にあるので、知らないと来れないな。ともあれ、初めての店だが、生牡蠣は好きなので有難い。
先輩到着前に、オニオンリングとミートボールを頼む。オニオンリングが有るのは嬉しい。
そして生牡蠣。まずは一人6個。
ワインを人数分頼むと、生牡蠣が安くなるようだ。この先輩は良く飲むので、それは大丈夫な範囲。
そして生牡蠣一人4個追加。自分自身は、生牡蠣に関する知識はほとんどないが、店の人が選んでくれるので問題ない。先輩は、取引先から紹介されたようで、多い時には、月に3~4回この店に来ているそうで、すっかりおなじみだ。
そんな感じで4時間半ほど昔を語り、楽しく飲んだ。先輩も60才でもうすぐ定年退職の年齢。僕も58才。時間は流れたな。そんな訳で、最後に、店の人に記念写真を撮ってもらう。