ケーキ

誕生日とか自分の記念日を他人に祝ってもらうのは気が引けるので(気を遣わせるので)、その日を移動日にして一人で過ごしたりしてきた。今回は、何人かの方に声をかけて頂き、好意に素直に甘えた結果、3日連続でケーキを食べることになった。
祝ってもらえば素直に嬉しいもので、自分も人の子だなと、当たり前のことを思った。
もう58才だから、誕生日は嬉しくもないよと思ってはいたものの、良い誕生日になりました。皆様の心遣いに感謝。

これは、上海で人気がある、シェ・シバタのケーキ。名古屋の店の支店らしい。中秋節兼用でウサギが乗っている。ずいぶんうまく作ってあるなと感心。
その他は、ハーゲンダッツのケーキ(美味かった)とフルーツケーキ(ブドウとイチゴ)。前の週に、突然、「水野さんは何の果物が好きかい?」と聞かれたので、ブドウとイチゴかなと言ったら、ケーキ購入のための質問だったことが分かり驚いた。


そして月を眺める。肉眼では、本当に奇麗な月だったが、写真では良さが伝わらない。カメラと腕の両方のせいだな。

久々の前川寿司(新世紀広場移転)

久々に前川寿司に行った。移転前は、少々不便な場所にあったのだが、急な立ち退きを余儀なくされ、新世紀広場に移転したとのこと。上海であれ香港であれ、急な立ち退きを要請されるケースが多く、飲食店としてはたまったものではなかろうが、新世紀広場は僕の家からも近いので、個人的には有難い結果となった。

何時ものからすみ大根から入る。前から美味しい店であったが、数年前と比較すると、味がどんどん向上している感じがする。

金目鯛とマグロの刺身。昨年大晦日に訪問した時、このご時世で、中国人(特に富裕層)が日本旅行に行けないので、却って店が繁盛しているとの話を伺った。商売の繁盛は、ネタの回転と質の向上に繋がっている。味がよくなっているのは、そんな理由だろうか。ちなみに、イカのこういった仕事の仕方が良い(写真だと良く見えないと思いますが・・・)。

そして、和牛の石焼。北海道産海胆の握り。

最後に、写真映えする感じに仕立ててくれた。久々の訪問で満足。場所が便利になったので、もう少し頻度を上げたい。旬林の真隣なので、順番に行く感じになるであろうか・・・

帯同家族の渡航(上海)

2021年9月10日付のNNA配信で、「上海市政府が9日から、駐在員家族の中国渡航に必要な招聘状の申請受け付けを開始したことが分かった」との記事あった。
それを受け、本日(9月13日)、黄浦区・商務委員会、浦東自由貿易区管理委員会に詳細状況をヒアリングした。本日時点の結果では、「現在は申請不可だが、来週、詳細内容が公布されるので、それを待つように」との回答であった(双方、同じ)。
ということで、来週、再度確認を予定。確認後、またアップしますので、しばし、お待ちください。
尚、自由貿易試験区管理委員会曰く、招聘状を申請する駐在員はWTOから認可されたワクチン接種が必須条件(但し、ワクチン接種ができない未成年者は接種無しでも申請可能)との由。

因みに、30年ぶりに中国に戻った、元丸紅の同僚(隔離明け半年弱経過)より、「すっかり当地の生活に慣れました。私の場合、30年前の中国から時間が止まっていましたので、こんなに住みやすくなった中国に驚いております。すでに中国がすっかり好きになってます笑」とのメールが有った。確かに、過去数十年で、別世界の様に便利になった。
日本の方が便利な部分は当然あるし、一方、中国の方が便利になった部分も少なくない(電子マネーやらEコマースやら)。
その中で、世界的なコロナ蔓延の現状で、自由にレストラン、バーで酒が飲めて、旅行ができる中国の状況を加味すると、日本よりも居心地が良い感があり、これは、ちょっと複雑な気分である。日本の早期収束を祈るばかり。

関係ないが、モスのレタスバーガー(菜摘バーガーというらしい。バンズの代わりに、レタスが沢山使用されているもの)に軽くはまっている。野菜も取れるし、糖質も抑えられ、そして美味い。

考えた人はえらい。食べるまで、美味しい(満足感がある)とは信じられなかったが、コロンブスの卵というやつだな。

久々の福ちゃんで昔を懐かしむ

丸紅の先輩達と会食をした。会場は、新世紀広場の福ちゃんに決定。存在は知っていたが、行ったことが無いので(長楽路、栄華東路店には、何度も行ったことが有るが、新世紀広場店は、なぜか機会が無かった)これを機会にという事になった。
前川寿司が、ここ(旬林の隣)に引っ越してきたようだ。噂には聞いていたが、自分の目で確認。

早く着きすぎ、銀杏をかじりながら先輩たちの到着を待つ。

途中の料理の写真は全くとらなかったが、懐かしい味で満足であった。最初に福ちゃんの一号店(長楽路)に行ったのは、2002年のことであったか。当時、出張時に宿泊していた花園飯店の近くであったし、新橋のガード下という風情が懐かしく気に入っていた。今ほど、上海の日本料理が充実していない(レベルも今ほどは高くない)頃で、ここのラーメンが非常に有名であった。上海でラーメンが美味しい店というと、この店の名前が挙がったものだ。美味いラーメン店が沢山出来ている現在からすると、懐かしい思い出になってしまった。

そんなことを思い出しながら、最後は、半ラーメンで〆る。これも懐かしい味であった。

13周年記念日前夜

昨日(2021年8月31日)は、休肝日にするはずだったが、迫ってくる思い出に負けて、ブブクリコを三分の一だけ飲んでみた。シャンパンだけに残した分が翌日に持ち越せず、ちともったいないのだが・・・

今日が起業独立記念日という事は、13年前の昨日は、会社員最後の日で、今まで味わったことが無い恐怖と不安と闘っていた1日であった。その時、丸紅の同僚が奢ってくれたのがブブクリコ。そこから会社立ち上げが順調にいき(それだけ死に物狂いで働いたからであったが)、4か月目には単月黒字に乗せ、1年後を待たずに生き残りが確定した。
1周年記念日は、それより良いシャンパンと思いドンペリを飲み、それがロゼになった。「もういいか」と思い、グレードを下げたら、震災があったり、反日騒動があったりしたので、ゲン担ぎで、良いシャンパンを飲まねばという強迫観念になっていったが、それも去年からやめた。飲んでもコロナは発生した。金を使うだけもったいない。

そんな感じの経緯があったが(経営者のメンタルというのは不思議なもので、周りを見ても、どれだけ理論的にものを考える人間でも、変なゲン担ぎをする)、昨日は、久しぶりに、爽やかな気分に包まれたので、シャンパンを飲もうと思い立った。飲むのは、初心に戻るべくブブクリコと決めた。
まだまだこれからだ。
13年前のあの日はつらかった。
ただ、勝ち残ってみれば、全ての経験は良い思い出だ。
20周年、30周年にそう思えるように頑張ろう。

明日は起業13周年記念日

明日(2021年9月1日)は、起業13周年記念日だ。ついでに今年は、コンサルティング開始20周年。
自分の記念日を人に祝わせるというのが嫌いなので(申し訳ない)、記念日は、何時も一人か利害関係のない方と一緒に酒を飲むだけ。明日も同じような感じだ。

思えば、丸紅香港有限公司で経理部長をしている時に、コンサルティングを開始した。丸紅時代のコンサルティング歴は、結構、濃密だった感じがするのだが、その実、たかだか7年。起業独立した後に、その倍程度の時間が経過した。思えば不思議だ。
ともあれ、ご支援して頂いている皆様に感謝。まだまだ続けます。そして、開業20周年記念は、恐縮ながら、また記念パーティーを開かせて頂きたいと思います(7年後の話ですが)。

コーヒー豆をもらいミルを買う

よく行く日本料理店で、食後に出てくるコーヒーが美味しいので、「どこで買っているのですか?」と聞くと、それをプレゼントしてくれた。豆なので、挽くためのミルが要る。思えば、大学生の頃から、手動ミルで挽いたコーヒーを飲むのに、うっすらとした憧れを抱いていたが、今まで買ったことがない。丁度良い機会だと思い、購入する事にした。

やはり手動がよい。理想的な形状のものが有ったので、さっそく注文。翌日到着。電動式も手動も料金は同じであったが、やはり手動、木製が風情がある。

数十秒間の簡単な作業だが、自分で挽いたと考えると、プラスアルファの味わいがある。良い買い物であった。

ちょっとジャンクな一日

ジム通いも5か月になり、その間、インストラクターから、「あれを食え、これを食うな」とアドバイスされるし、自分自身も栄養学の本を読んで、1日に接種する栄養(たんぱく質をはじめとする摂取量)を意識して食事をするようになった。それでも、たまには、ジャンクな食事を身体が欲する時がある。この日がそう。
まずは、デリバリーで取った麻婆豆腐が余っていたので温め、出前一丁(麺は半分)にかけて食べる。

そしてジムで2時間運動してから、帰宅してデリバリーを頼む。秋刀魚塩焼き(全部食べる)、キャベツベーコン炒め(半分食べる)、串カツ(10本頼んだが、5本だけ食べる)。

ちとジャンクな一日であったが満足した。
週に二日の休肝日だったので、酒は飲まず、そのまま就寝。ただ、その後は何時もの睡眠障害で、なかなか寝付けず。

鰻が食べたい日

鰻には殆ど思い入れが無いが、年に数回食べたくなる時がある。これは、土用丑の日とは、全然関係ない。

この日がそうだったので、昇鰻魚家と鰻蘭の二か所からデリバリーを頼んだ。
写真は昇鰻魚家のもの。鰻蘭は、鰻の白焼きを頼んだはずが、ご飯がぎっしり詰まった白焼き丼が届いてしまったので、これは、翌日の昼食とすることにした。

鰻が食べたいと言っても、どちらかと言えば、骨と肝。今回は、こんな感じでどっさりと届き、骨が見かけよりもはるかにサクサクして食べやすかったので、良い酒のつまみになった。
この話をFacebookに投稿したら、食通の友人から「一昨年だったか、広州で、清水で養殖した安全な鰻というのを食べたんですが、かなり美味で、値段もほどほどでした。中国産にいつまでも偏見を持ってはいかんなと思いました」というコメントを頂いた。自分も、2000年頃(20年以上前だ!)は丸紅厦門所長だったので、頻繁に福建省のウナギ養殖場や加工場を訪問したが、その頃とは随分、時代が変わっているのだろう。当時も、加工場はかなり近代的な設備で、システマチックだった記憶があるが、それにこだわりがプラスされてきたのかな。
ともあれ、鰻に関しては、日本で食べた方が当然旨いが、それでも、上海では、(少なくとも鰻にあまりこだわりのない自分なら)十分満足できる鰻が食べられる店が幾つかあるのは有難い。

講演会の思い出

昨日掲載したように、9月8日の第44回ビジネス講習会は、告知4営業日で定員の500名様に達したので、定員を1,000名様に増枠。まだ、勢いよく増えているので、新設定の定員到達を目指したいが、ともあれ、お申し込み頂いた皆様に感謝。有難うございます。

思い起こせば、20年前は中国の講演会は、内容は何であれ人がすぐに集まった。思い出に残っているのは、2002年に香港商工会の大会議室で開いた講演会。立ち見まで出た満員の聴講者の方から、途中休みも質問や名刺交換が相次ぎ、トイレに行けず、講演の最後に我慢できなくなって、聴講者の方をお待たせして急いでトイレに行かせて頂いたことが有った。あれは、講演会というより、コンサートのような熱気があったものだ。
10年前には、中国からASEANにブームが移り、ASEANの講演会なら人が集まった。
そして、ここ数年、どんな講演会にも客が集まらないと、主催者が嘆いている。
こうして振り返ると、過去のトレンドが思い出されて懐かしい。
ただ、そんなトレンドの中で、風呂敷を広げず、やるべきことをこつこつやり続けてきたのが、評価いただけているのかなと思えることが最近続いたので、少し嬉しく思った。
20年前の熱気が懐かしい(もう感じることはないであろう)のは確かだが、これからもこのままコツコツやり続けていこうと考える次第。

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ