浦東空港出発。乗客は50人弱か。防護服の人間が2名いるので、空港関係者かと思ったら乗客だった。

香港空港到着は15時。そしてPCR検査を受けたのは16時。15か月前に一度経験しているので、こちら側も余裕が有る。PCR検査の方法が、以前は自身で唾液を採取する形だったが、係員が喉と鼻の粘膜を採取する形に変更されている。ともあれ、感じも良く、テキパキしていて有難い。それが終わるとReturn2HK(隔離免除措置)の登録。そして検査結果待ち。15か月前は検査結果が出るまで8.5時間かかり、冷房の寒さで凍えそうになったが、今回は1.5時間で検査結果が出て、あっさり解放。効率が非常に上がっている。空港関係者各位の努力に敬意を表したい気持ちだ。


空港の到着ホール、タクシー乗り場までの電機は最低限に抑えられており暗い。ただ、コンビニやラーメン屋など、最低限の店は開いており、経済活動の動きを感じる。病気を前提に、徐々に本来の姿を取り戻そうとしている力強さ。そんな印象を持った到着の瞬間だ。
タクシーでホテルに移動。現金を使ったのは1年ぶりだ。中国本土では、マネーの電子化が徹底しているので、現金を使う状況が無い。つい部下の水嶋さんに「香港って、まだ現金使ってる?」と確認してしまった。

窓からの景色。これは前から変わらぬ香港だ。

部屋で少しくつろぐと、ウィスキーが飲みたくなる。ホテルバーに行くと、日曜で休みとのこと(クリスマス中に営業時間延長が有ったので、その埋め合わせっぽい)。残念だが、ロビー階のレストランが酒を飲ませてくれるというので、そこに移動。


メニューにウィスキーが無いので、シャンパンのハーフボトルを注文。そして生牡蠣。


ウェイターに聞いたらウィスキーが有るというので、それに切り替え2杯。

これはサービスのチョコ。すっかり疲れが和らぎ、そのまま部屋に戻って就寝。
新年に蕎麦を食う
元旦。遅めに起きて、蕎麦を作り、ほっとする。


季節の行事が嫌いなので、紅白歌合戦は30年以上見ていない。当然正月番組も見ない。初詣も行かず、年を越した直後に外に出て、夜空の星に新年の誓いを立てる程度。1997年に香港に香港駐在開始して以降、年賀状も出していない。ついでに言えば、こたつも嫌いで、小学校5年生以降使っていない(大学時代に友人の下宿に泊めてもらった時は別)。
こんな性格だが、1年が区切られているのは良いなと思う。気分一新して、今年もやるぞ!という気分が湧いてくる。
自分の会社を守らねば。独立してからは、そんな意識で走ってきた。これからもそうだろう。
荷造りとケーキの差入れ
昨日の投稿と話が前後するが、大晦日、1月1日に荷造りをした。久々の国際移動だと気は急くが、作業がはかどらない。
その間に社員にケーキを差し入れる。思えば、2020年11月に隔離が明けた時、まず社員に差し入れたのも同じケーキだった。


荷造りをしていると、去りがたい気がする。以前は移動が日常で、深い付き合いもない代わりに別れもなかった。それが、一か所に腰を落ち着けると、たった2.5ヶ月の不在(隔離期間含む)でも寂しく思う。
こんな気持ちになるのは、中華圏滞在27年にして、僕自身は日本人だからという理由で嫌な目に遭ったことが一度もないからだろう。鈍感力のなせる業かもしれないが、どこの地域でも、悪意を受けることなく、親切にしてもらった。
過去、苦しい目に遭った時(仕事だったり、プライベートだったり)、沢山の中国の方々から支えてもらい、その結果、いまの自分が有る。その人たちがいなければ、今の自分は無い。それは確かだ。だから、盛んに対立をあおるような、昨今の日本の報道には、極めて強い違和感と危惧を持っている。
たった2回の欧州訪問、1回の中近東出張でも同じだったが、自分の目で見る世界は、インターネットや報道を通した景色とは違って見える。その意味で、まず外に出て、自分の目で見てみよう、若者よ。新年を意識したわけではないが、年長者ぶって、そんな事を言ってみたりしよう(笑)。今の疫病蔓延化の状況だと難しいのだが・・・

そして、俄か中国語教師をしている日本料理屋に行き、代理講師のお願いをし、特製(前日までの予約が必要)の海胆パスタを食べて、ウィスキーを飲む。束の間の義理を果たさねばならないところは、概ね顔を出し、挨拶をした。
新年早々の香港移動
1月2日の香港移動。
48時間前のPCR検査が必要なので、大晦日の朝に同仁医院に行き検査、夕方証明書取得。そして前日にタクシーを予約して朝7時に浦東空港に向けて出発した。久しぶり(1年半ぶり)の国際便だ。出国カードの書き方(というか、書かなくてはいけない事)を忘れてしまっていた。

出発3時間前からチェックイン開始。チェックイン時に出す書類がそれなりに有るので少々大変。ただ、出国・入国手続は、全て水嶋さん・王さんが調べてくれたので助かった。有難い事だ。

事前調査が行き届いていたおかげで、ほぼすんなり出国手続きが終わりゲートに。空いている。


キャセイラウンジも当然ガラガラながら、この状態でもヌードルサービスまで提供してくれているのには感謝しかない。
そんなこんなで香港、そして日本に。久々に会える方々を思うと懐かしく嬉しい。そんな気分と、早く上海に戻りたいという気分が入り混じっている。今は、どちらかというと上海に戻りたいという気持ちの方が重い。ただ、香港に到着したら、心がどう動くのであろう。そんなことを考えながら、もうすぐ搭乗だ。
焼肉丼を作って食べ米に付いて思いをはせる
休肝日に自炊をしようと思い、ジム帰りに階下のスーパーで、しゃぶしゃぶ用の豪州和牛を購入。店員さんが2個目は半額だと教えてくれたので、もう一つ追加購入。その晩は、1パック使ってシンプルな火鍋。翌日の昼食は焼肉丼を作ってみた。


自分で言うのもなんだが結構美味い。そして、この黒竜江省産の米も美味い。
当地では、日本米の輸入は数量制限が実施されていることから、日本からの輸入米がともあれ高い(新潟産コシヒカリ2Kgで3,500円程度)。この前別の種類のもの(2,000円程度)を買ったら不味くて食えなかった。薬品(防腐剤?)のせいか米が古いせいか?
そう言えば、20年以上前の香港のスーパー(高級食材を扱うシティスーパー)で日本酒を買うと、日本で飲むのに比べると格段に味が落ちた。おまけに、数本に一本はとてもじゃないけど飲めない味のものが混ざっていた。今はその様な事は無いが、当時は、出荷者の防腐剤処理技術が劣っていたのだろうなと推測している。輸入米も似たような理由だろうか(調べたことが無いので、良く分からないが)。
中国産がこの品質でこの価格だったら(これは高級米だが、日本から輸入した米の三分の一の値段)、輸入米は売れないだろうなと思う。日本にいる時は、日本の米は美味しいから売れるはずと単純に思っていたが、現地に来ると色々な事が分かってくる。

因みに、米に対する思い出は、1989年の中国研修生時代(福建省福州市)のものが鮮烈だ。

福州到着初日、自由市場(今では死語だが)に米を買いに行ったが、小石や何やらが混ざっており、また米を研ごうとすると、何十回研いでも水の色は白ペンキの様な状態。数分経過して冷めるとがちがちに固まるので、食堂ではブロック状に切り分けてあり、トングでつまんで取ってくれる(ご飯をよそうではなく、ご飯をつまむというのは、この時初めて体験)。それまでは、米なんで少しくらい安いやつでもなんでも食べられると思っていたが、世の中には、とてもじゃないが喜んでは食べられない米があるのだと思い知った。
そんなある日、厦門に出張した折、免税ショップで日本種米を発見(今でも香港のスーパーで見かけるこの米)。喜び勇んで買って帰ったが嬉しかった。今となってみれば、さほど美味しいコメでもないのだが、あの当時は嬉しくて、厦門出張が楽しみで仕方がなかったのを思い出す。時代は変わる。
前川寿司で食事する
前川寿司で食事をした。この店は、2006年に雑誌に「僕が上海で一番好きな寿司屋」という紹介文を書いたことが有る。


誤算だったのはクリスマスでお任せオンリーだったこと。一人1,300元(2.2万円)というお任せ価格は、上海の相場と出てくる料理を考えれば良心的と言えるが、何時も単品で注文し、酒を入れて一人1,000元ちょっとで済ませているので、ちょっと懐にきついなという感は有る。あと、お任せは量が多くて、全部は食べきれない上に、数日間は食事管理が必要になる。

とはいえ、食べるからには純粋に楽しむ。まず出てきた、ローストビーフに海胆とキャビアを乗せた鮨が旨い。

鰹、金目、赤貝。鮮度が良い。

これは鰻のパイ皮包み。なかなか面白い趣向だ。普通にウナギの寿司、若しくは、白焼きを食べた方が旨いかもしれないが、パイ皮の歯ごたえが良く、これはこれで良かった。

ふぐのから揚げに、ふぐの肝を掛けたもの。

蟹のお吸い物になるのかな?

次は、のどぐろ白子のトリュフ乗せであったが、僕は白子が食べられないので焼き魚に変えてもらった。

中トロ、カンパチ、白エビ、イカ。

赤身、白エビ、北寄貝。

ここまでくると苦しいが、海胆は食べねば。北海道産の海胆で美味しかった。そして、最後のアナゴはさすがに量的にギブアップしかかったが、ご飯を残して食べきる。


という訳で、懐にはそれなりに響いたが、料理は全面的に満足で、楽しく会食を終える。店は満席だが、他に日本人はおらず、全員、裕福そうな中国人。香港の高級店(寿司、天ぷら、割烹)でも状況はほぼ同じ。
こうした光景を見ると、日本が世界的な物価水準から取り残されているのを実感し、今後、好きなものが食べられなくなるのではないかという危機感を感じる。経済合理性から言うと、物は高い方に集まる。かつての中国がそうであったように、国内生産されたものも、外国がより高く買ってくれるなら、そこに出ていくもので、今後、日本がそうならない保証はない。それを考えれば、安定的な物価の上昇は必須であるし、それを実現するには、より良い将来が感じられる雇用・労働環境を作る事であろう。
クリスマスイブ
12月24日は在宅勤務であった。朝11時から有料動画を3本収録。
昼食はデリバリーで頼んだシュウマイ弁当。今回収録した動画は比較的長かったので(短めの個人の外貨管理が1本と、長めの増値税25年間の経緯、外貨管理25年間の経緯を2本収録)、2時間弱の収録時間を要した。弁当が届いて、食べられるまでに1.5時間近くかかったので、杉山氏が「弁当が冷めてすいません」という。「いや、弁当が冷めているのは気にならない、というか冷えている方が美味しいとすら思う(日本米に限るが)」と返答すると驚かれる。更に、ジャーで保温したご飯が嫌いないので、小学校以来保温したご飯は食べていない(それなら冷えたご飯の方が良い)というと盛んに不思議がられたが、そんなに不思議な事か?

その後も、あたふたと仕事をすると、夜7時前に行きつけの店に出かける。料理人がイタリア料理をやっていたことが有るので、生ハムとピザを出してもらう。なかなか良かった。日本料理にピザがあるというのは、ワンポイントで良いね。


金虹橋の蘭州ラーメン
今年最後の割烹Makinoの翌日、朝から満腹感に苦しめられる。会食後、蒸気海鮮店で食事をしたためである。という事で、朝食抜き。昼食は15時近くとなった。


買い物の必要もあるので金虹橋のアピタに行き、そこにある蘭州ラーメン屋に寄ろうと思い立った。
この店は清潔なので良い(蘭州ラーメン店は、衛生面でちょっとためらわれる店がある)。
麺は5種類に分けて打ち分けてくれる。前回、細めの麺を選んだ結果歯ごたえに欠けたので、3番目の麺を選択。丁度よかった。4番目になるとうどんの様な太さ。5番目は、ビャンビャン麺の様な太さになる。
年内最後の割烹Makino
先日割烹Makinoに行った折、「年内にもう一度来て下さい。店が終わってから打ち上げましょう!」と言われたので再訪。年内最後の訪問になるな。
夜7時半まで仕事をしていたので、店到着は8時になった。


大将より、「水野さんが久々の香港という事で、香港をイメージした料理を作りました」と言われ、最初はふかひれ。次はナマコ。この日本風のナマコの調理方法が、コリコリしていて美味しい。盛り付けも、ちとクリスマス的か。


そしてお吸い物とふぐ刺し。ふぐ刺しも、バルサミコ酢をベースにしたソースを作ってくれたが、なかなか深くて良い味わい。


あん肝と野菜の薫物。


「お互い今年も無事に年が越せますね」と言いながら食事。大将とは2006年からの付き合いなので、何度同じ会話をしたことか。ただ、人生には波がある。順調な時ばかりではなく、本当に苦しい時も有る。そんな経験をしてきたからこそ、こういった一言に深い思いが加わるのであろう。ともあれ、束の間の安堵感。


最後はざるそばで〆る。そして一緒に打ち上げに繰り出すこととなった。

ベトナムビジネスガイド完成
新著完成しました!水野コンサルタンシーグループ著(主著は水野ベトナム執行役員の安藤崇)。

この書籍は、ベトナムビジネスの基本を分かりやすく網羅しているだけでなく、中国の制度と比較して解説をしているので、特に、中国ビジネス経験者(中国からベトナムに担当国が変わったような方)には、理解しやすい本だと思います。他には無い切り口の本ですので、ご興味のある方は是非。ご注文はこちらからお願い致します。
また、今月早々に出版した「中国外貨管理マニュアルQ&A(2022年版)」も好調です。これは僕の自信作。複雑な中国の外貨管理を、一瞬で理解できるようQ&A形式にし、根拠法も明記してあります。

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