今回は収穫の多い日本滞在であった。一週間の滞在を終えて、また上海(6月26日)。一週間後に、また日本に戻り、四十九日法要だ。関係ないが、はじめて入るパン屋に可愛いパンが有ったので購入。なんかの動物を模したチョコパンだ。
羽田に向かう前に、蕎麦を茹でで父親と食べる。さて出発だ。
今回は、キャセイパシフィックのラウンジを使用。これは良いラウンジだ。設備、サービス、酒は、全てJALラウンジより上だな。すっかりくつろぎ、ほぼ定刻で移動。
手続がほぼ終わり湘南で乾杯
今回の滞在は、6月20~26日。この間で、1か月続けてきた母親の銀行関連手続きがほぼ完了し、その上で、四十九法要の手配、納骨の段取り、その他、各種手続きの目途をつけた。
1ヶ月間、探偵のように頑張った。仕事と同時進行なので、前回の日本滞在までは、常にめまいがしていたが、ほぼ、ミッションコンプリートだ。
ここまで来ると、母が仕掛けた宝探しゲームを、残されたヒントを元に解明している気がしてきた。近くで母親が、「解いてごらん」と笑っている姿が見える気すらした。
良い経験をした。親父の生活は大丈夫。こんな日くらいは、昼から乾杯させてくれ!お願いします😄
この日は、娘の運転する車で、郵便局、墓地、湘南を回って、あれこれ解決。郵便局の人も銀行の人もすっかり顔見知りになってしまい、良かったですね!と喜んでもらう。乾杯は、タベルナ・ロンディーノ。清々しい気分の一日だった。
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上海に戻り会食
6月15日に香港から上海到着。まずは元同僚(後輩)と、椿で会食。やはり、上海は落ち着く。
一旦戻ったが、今後2ヶ月くらいは、日本と上海を1週間交代で往復する予定。実家に父親を長い間一人にしておきたくないため。その後は徐々に、上海10〜12日、日本7日間というローテーションを考えている。還暦を迎えた身には、しんどいスケジュールだが、4年前(コロナ前)までは、1週間平均2〜3回飛行機に乗っていたので、これに比べればまだマシ。
思うのは、独立して良かった。会社員のままであれば、私事でこんな動きはできない。ただ、しんな不安は40代の頃から何時も胸に有り、悩んでいた。丸紅を辞めたのには幾つかの理由がある。基本的には、コンサルティング業務撤退の決定が有り、クライアント様との契約、15人の部下を全員9か月以内に切って、お前だけ帰ってこいという命令を聞き入れることができなかったためだが。ただ、両親の話というのは、心の中に有ったのは確か。そんな意味では、自分として最適な働き方を見つけたという事かな。有難い、有難い。皆さまのご理解にも感謝です。
鰻も蕎麦も美味い。満足であった。
香港から上海へ
(かなりブログの更新が遅れています!)
6月15日(土)に香港から上海に移動した。心身共に疲れ切っていたため、夜8時には寝てしまい11時間睡眠。かなりすっきりしたが、チェックアウトの12時まで、ホテルでやることがない。のんびり空港に向かおうと思い、タクシーではなく、セントラル経由で、エアポートエクスプレス。200香港ドル程度は節約できたか(笑)。それでも、12時半にはラウンジに到着。
早く着きすぎたので、ゲートが表示されていない。キャセイのラウンジは、1番、5番、55番ゲート付近にあるが、過去の経験から、おそらく55番ゲート付近だろうとあたりを付け、そこに向かって歩く。出境審査から一番遠い場所にあるラウンジなので、30分程度。ただ、ここのラウンジは食事のチョイスが豊富だ。中華(担々麺が旨い)だけでなく、イタリアンもある。広くて座席もゆったりしている。
そんな感じでゆったりしていたら、なんと1番ゲート付近の表示が出て驚いた。また元に戻らないといけない!ともあれ、そんなこんなで上海に移動。
香港2日目串焼つかだで一人飯
香港二日目。朝一で領事館で書類をピックアップ。そしてオフィスに。昼は何を食べようかと考え、昔から存在だけ知っているオフィス付近のラーメン屋(濃厚豚骨つけ麺を謳う店)に行く。店名は忘れてしまったが、バー・バトラーのビルの1階。何もトッピングを付けずにHK$98。サービス料を別途取られるのだろうと120ドル出したら、サービス料不要で本当に98ドル。全く期待していなかったことも有るが(そもそも、豚骨は嫌いだし)、そこそこ満足。また行っても良いなと思わせる味。
3週間、本当につらかったので、全身が悲鳴を上げている。業務時間中だが、ちょっと抜け出し、マッサージに行く(タイパンレフレクソロジーという、ネイザンロードの店)。初めて入るが、口コミが良かったので選択。男性マッサージ師が、「これだけひどいと、痛いくらいツボを押さえないとダメ」と言い、80分間、ともかく痛いマッサージでヘロヘロになる。全く癒されはしなかったが、技術は有ったようで、かなり身体が楽になった。
夜は一人で軽く食べようと思う。焼き鳥気分だったので、前回気に入った「串焼つかだ」に行く。18時に入店したが、全席満員で、1席の空きもない。電話が10分遅かったら、入れなかったかもしれない。危ない所であった。
この店は良い。料理が旨い。そして、接客も、素直そうな香港人の若者たちが、絶えず目を配っている。嫌みがない接客だ。
メニューを見ると、料理のお任せがHK$700で、飲み放題はHK$300。合計1千香港ドルで満足できるという事だが、そこまで吞む気はなかったので、単品注文。写真にあがっていない串も何品か食べたので、HK$750程度で満足。日本の料金と比べると、「焼き鳥で1.5万円!」と思われるが、香港価格なのでこんなもの。次回もまた来ようと思い、19時には店を出る。
20時には就寝。マッサージの効果か、翌朝7時まで、11時間ほぼ眼が醒めずに眠った。回復基調に乗っている。
香港到着・領事館手続きと会食
香港に移動。今回は、5月21日早朝5時に羽田着だったので、23日間日本滞在したことになる。本当に、慌ただしく、大変な日々だった。いったん、気持ちを切り替えるためにも、帰任は必要だ。まあ、先ずは、日本での手続のための書類を取得するための移動で、一週間後には日本に戻るのだが。
麻10時発便。JALのラウンジでは、カレーではなく、麻婆豆腐を食べる。前日は夜11時に寝たので、6時間は寝ているが眠い。早く搭乗して寝たいところだ。
乗り込んだ直後から1時間眠った。飛行機では眠れない僕にしては珍しいが、少し楽になった。
数回連続で、JALビジネスクラスの食事がまずかった(上海発便も、日本発便も)。どうしたJAL!?と思ったが、今回の食事は美味かった。ラウンジでしっかり食べてしまっていたのだが、味が良いので、つい機内食も完食。
香港到着。まずは領事館に直行し手続きをする。手続き自体は、大した手間ではないのだが、領事館で手続きをしなければいけないというのは、少々大変。非居住者は手間がかかる。
18時から、社内会食。アイスクエアの「ろあん」。2020年に久しぶりに香港に戻ったときも、社内会食はここだったな。今回は、4人で会食。
個室を借りると最低消費が4,000香港ドル(8万円程度)ですが、どうしましょう?と水嶋さんから聞かれる。「香港の物価なら、控えめに飲み食いしても、その程度は行くだろう」と考え個室に。実際、4,800香港ドル程度だったが、まあ、そんなものでしょう。料理も美味しく、250香港ドルの飲み放題が良かった。
最後にSEEDに顔を出し、2杯酒を飲み終了。慌ただしい日常が、また始まった。
講演会後の会食
6月12日は、増値税・個人所得税セミナー。3回連続の1回目だ。16時に終わると、17時から面談。全て終わらせ、日本所長杉山君と会食に行く。本当に、今回は、杉山君に世話になった。それも有っての会食。
選んだのは初めての店。食べログで気に入った店は休日で、代替案として選んだのがここ。あまり期待していなかったが、かなり良かった。日本酒好きの店主がやっているので、料理に合う日本酒(店主が好きな日本酒)15種類ほど揃っている。酒のリストはないので、知っている日本酒が有れば、有るかどうか聞く。知らなければ、店にお任せ、というスタイル。まずは、僕の好きな酒の一つである陸奥八仙を選ぶ。
十四代も、極めて安い価格で出してくれているので、一杯だけ頂く。カウンターだけの店だが満席だ。酒を飲んでくれ!という感じの店なので、食事量は少なめ。どんどん飲んで、どんどん酔いが回りそうで怖い。
鮑は美味かった。肝を食べると痛風が怖い、と思いながら、つい食べてしまった。
写真はかなり端折ったので、もっと食事も出てきたし、酒は、「作」、「羽根屋」、「手取川」も飲んだ。19時から飲み始めて、ふと気づくと21時半。美味い酒を飲んでいたので、時間の過ぎるのに気づかなかった。やはり、美味いものを食い、飲むというのは重要だな。力が出る気がする。そして、人との付き合い(周りにいてくれる人たち)が本当に重要だ。そんな事を考えながら、会食を終えた。
約3週間が経過して
ご報告を兼ねて近況です。母が急逝したのが5月20日。それから2週間ちょっとが経過して、かなり落ち着いてきました。
一番つらかったのは、やはり直後ですが、葬儀はやらねばならん。やるためには、全ての事項が即断即決。あまりに慌ただしい日々の始まり。そして葬儀が終わると、更に忙しく。良くしたことなのかもしれませんが、悲しむ気持ちを、どこかに置いていかねば生きてゆけず、体力・神経は、ただただ消耗する。そのおかげか、何とか、自分の体制を整えることができました。
そして、父に栄養を取らせるのも仕事。悲しみの深い父親に、栄養を取ってもらわねばならず、そのためには、ひと手間かけて、美味しいものを作ってあげようと日々奮闘という感じです。
最近、気に入っているのが五島うどん。そして、蕎麦つゆは、大学時代から作り続けているもののレシピを、半年前に改良した自信作。ミョウガ・ネギ・生姜のすりおろしで合わせたものは、我ながら美味いです。
これは、太田縄のれんオマージュの牛肉鍋。2020年にコロナで9か月日本滞在した時に、両親を招待した思い出の場所。まあ、本家には及びませんが、親父に懐かしんでもらうべく作ってみました。あとは、息子が来てくれた折にリクエストで作った、番茄炒蛋。大学時代に、ゼミ(中国経済ゼミ)の友人と、「中国はトマト炒めるんだって!驚いたよ」と話したのを思い出します。
これは、親父が特に食欲がないときに作った茶漬け。生わさびをすりおろし、だしを利かせて真剣に作ったもの。
あと、重要な任務は、食材の無駄を防ぐこと。冷蔵庫に、ニンジン、ジャガイモ、糸こんにゃくが残っていたら、これは豚汁を作らざるを得ない(笑)こんな感じで、家事にも努力しています。まあ、掃除・洗濯は親父がやってくれるので、食事だけですが・・・
そんなこんなの日々でしたが、今日は講演会。3回に分けて、増値税と個人所得税を詳細解説します。いよいよ復活!
明日は香港です。
ご報告2(母の葬儀を終えて)
本ブログの更新が途絶えておりました。5月20日に母が永眠し、25日に葬儀を終えました。
最初の一週間は、感情的に限界。特に、21日の夜に30分だけ眠れて目覚めたとき(20日の夜は一睡もしていない)、現実を受け止めきれずに、パニック状態に陥りかけました。ただ、現実は押し寄せます。葬儀の準備をせねばならず、ご挨拶に来ていただける方とお会いする。そして、1.5か月に7回予定されている講演会も準備をしなくてはならない。精神的にも肉体的にも追い詰められましたが、業務電話の声で異常を察知した杉山日本所長が、家に駆けつけてくれ(23日)、一緒に食事をしたことで、かなり救われました。彼との20年の付き合いで、一番感謝したひと時かもしれません。他の部下にも感謝ですが。
そして25日に葬儀。そこからは、銀行手続きを始めとした一連の手続き。自分以上に喪失感が大きい父を支えるための毎日に切り替わり、悲しむ余裕もなく手続きに追われる日々となりました。そんな中、手続きに付き合ってくれた杉山所長、父と会食。
父も、少しづつ力を取り戻している気がします。まだ、少し時間はかかるでしょうが、着実に回復基調です。
この店は、やはり母との思い出がある店。僕自身は2回目だけど、前回の記憶が強く、是非、また来たかった場所。
僕が暫く一緒にいることで、父の支えになっていると思いますが、やはり、二人だけだと、悲しみの世界に落ちてしまいそうになる。第三者の存在は、本当に助けになります。活きる力をもらっているような。穏やかな環境の中で、会話をし、酒を飲み、そして、徐々に心が救われていく気がしたひと時でした。
とろろ蕎麦で〆。悲しみは有れど、生きている人間には、頑張って日々を戦う義務が有ります。悲しみをすぐに拭う事はできないでしょうが、戦う姿を母は見てくれていると信じて頑張ります。