米中貿易第一次合意維持

2020年8月17日付The Daily NNAの記事で、「米中貿易協議の「第1段階」合意は(中略)発効してから半年を迎えた。(中略)中国が約束した米産品の巨額購入は11月に迫る大統領選のアピール材料になるため、貿易面では合意の枠組みを維持している」という記事が有った。
まあ、政治と経済は表裏一体で、経済・生活の満足が政権の安定につながる訳だ。前から言っているが、僕は、経済の人間なので、政治には興味が無いし、関与したくもない。この様な立ち位置で離れて見ると、各国の政治が、イデオロギーを大義名分にしながら、結局は、自国経済の利益を得ることに腐心している状況が見て取れる。

米中貿易摩擦も2018年から、米国が仕掛け、中国が受けて立つという報復関税合戦が繰り広げられてきた。米国としては、普通の国なら、ここまでやれば折れるだろうという意識が有ったかもしれない(個人的には、中国を十分知っていて、敢えて票集めのために強い態度に出たのだと思うが)。とはいえ、前にも書いたが、中国は、歴史的に、外圧を最も嫌う国なので、やられたら、絶対にやりかえすし、折れない。
結局、ヒートアップして、世界各国のサプライチェーンに大きな影響が出かかり、将来に対する不安が、極度に高まったところで、急転直下の一次合意に至った。

ただ、米中貿易摩擦の経緯は、以下の通りだが、よく見れば、最後に残ったのは、スマホ、パソコン、アパレル、家電など、米国の消費者の生活に直結する(且つ、中国にからの輸入に依存しており、代替が効かない)内容で、これに報復関税をかければ、支持率低下につながる。トランプ政権としても、最後の品目には報復関税をかけたくないのが本音で、想定通り直前に合意し、課税回避したのであろう。結果、やりたくない事をやらずに済み、中国から農産物の購入拡大を約束してもらったので、万々歳と思っていたのではなかろうか。一次合意内容は、米中双方で不満が出たようで、「引き分け」という位置付けである。ただ、よく見ると、双方共に、致命的なダメージは受けていない。こんな感じで、表面的には、絶望的に喧嘩しているように見せかけながら、落としどころは探っていたとすれば、これが、政治であり、外交というものであろう。その理性が、今後も、世界で保たれればよいのだが。

2018年7月
<米国>
① 半導体、航空、ロボットなど約800品目(340億米ドル相当)に対し、25%の関税を(後に30%が宣言されたが、一次合意で25%に据え置き)
<中国>
①‘ 大豆など約500品目(340億米ドル相当)に対し、25%の関税を。

2018年8月
<米国>
② 半導体、化学品、鉄道車両など、約300品目(160億米ドル相当)に対し、25%の関税を(後に30%が宣言されたが、一次合意で25%に据え置き)。
<中国>
②‘ 自動車など、約300品目(160億米ドル相当)に対し、25%の関税を。

2018年9月
<米国>
③ 家具・家電など、約5,700品目(2000億米ドル相当)に対し、10%の関税を(後に25%⇒30%が宣言されたが、一次合意で25%に据え置き)。
<中国>
③‘ 液化天然ガスなど、5,200品目(600億米ドル相当)に対し、5%、若しくは、10%の関税を(後に25%)。

☆ この段階で、米国は中国からの輸入品のほぼ半分。中国は米国からの輸入品のほぼ70%に対して特別関税をかけた。

2019年5~6月

<米国>
2,000億米ドル(③)に対してかけていた10%の関税を25%に引き上げ。
更に、残りの3,000億米ドルにも追加関税をかけると宣言(④・⑤)。3,000億米ドルは、1,310億(家電・衣料)、1,650億(スマホ・ノートパソコンなど)に分かれる。
<中国> 600億米ドル(③‘)に対する追加関税を、5%・10%から25%に。

2019年9月1日
<米国>
④ 1,310億(腕時計型端末・スマートウオッチ、半導体メモリーなどデジタル家電関連のほか、衣服や靴などアパレル用品。消費財を中心に3243品目)に対し15%。⇒ その後、一次合意により7.5%に

2019年10月
①~③を、25%から30%に引き上げ

2019年12月15日
⑤ 1,650億(スマホ・ノートパソコンなど)に15%と宣言(⇒一次合意で見送り)

中国は、2019年9~12月に、これまでに対象となった分を含め、農産物・原油に5~10%上乗せ。12月に、自動車、自動車部品に関する報復関税を復活すると宣言していたが、一次合意により見送り。
中国は米国から農産品などのモノやサービスの輸入を、2年間で2,000億ドル増やすことを公約した(5割増を意味する)。

タベルナ・ロンディーノ

息子が来た翌日。稲村ケ崎のタベルナ・ロンディーノに行く。
前にも書いたが、開店早々(高校時代)から行っている店で、たまに行きたくなる。とは言え、年に一二度しか行かないが。

有名店の割には、いつもは待たずに入れるのが、この日は到着時は雨で外の座席が使えず、更に、店内も、席数を半分以下に減らして、距離を開けているので、食事ができるまで、暫く待った。

ただ、だいたい30分待ち。その直後に来た方は、更に30分待ちだったので、まあ、運が良かった方か。
ムール貝のワイン蒸しが、何時もながら美味しい。そして、フリッタータが丁度良い火の通り方。

食べ終わると、ほぼ雨が上がっていた。まずまず爽やかな気分。

実家飯(豪華バージョン)

横浜の実家籠りも5か月が経過した。その間、2回出張には行ったのだが(鳥取と大阪・岐阜・名古屋)。
そんな折、1ヶ月ほど前に、息子が来たので、日本酒を買い(写楽純米吟醸・大喜元純米大吟醸)、さしみを買い、両親は魚をさばきと、あたふたして準備。

そうして、食事であった。

この時は良いウニが無くて残念。が、ともあれ、和やかな会食であった。

国際便に乗る事すら夢物語になった昨今

前回アップした、「昔出演したTVの録画を頂いた」件。
SARSが問題になっていたのは2002年末~2003年7月だったので、ちょうど経済最前線に出演していた時。僕も2回その内容で出演した。
その時の映像を見ていて思ったのだが、マスクをしている人が少ない。感触的に2~3割か。今の様に、全員がマスク着用というのとは大きく違う。思い出すと、自分もマスクは持っていたが、たまにしかかけていなかった。消毒液は持ち歩いて、しょっちゅう手を拭いていたのだが。これは、当時の新聞記事に、感染病には、マスクよりも消毒が有効と書いてあったため、それに倣ったもの。
また、当時は、レストランやカラオケもやっていたし(客が少なかっただけで、店自体は開いていた)、移動制限もなかった。中国本土との往来だけでなく、台湾、日本にも行けた。番組の中で、「今の便利になった中国で、移動できないという事態が発生するとは思いもよらなかった」と僕が発言しているが、これは、移動規制が実施された訳ではなく、旅客が少ないので、飛行機や電車が自主的に便数を減らして、移動の効率が悪くなったという意味。
そう考えると、いまの徹底ぶりとは全く違う。
それでも、7月5日には収束宣言が出たのだが。まあ、これは、病気の種類が違うので、比較してとやかくいう事はできないが。

いまは、国際便飛行に乗る事すら夢物語になってしまっている。
取りあえず、9月下旬に、久々に香港に移動し、その後、上海入りという事で、2回飛行機は乗るのだが。それから、何時、上海から出るかは状況次第でさっぱりわからない。
自由に動き回れた時が、今では夢の様に懐かしい。

昔のTV録画を頂く

前に住んでいた家(高校一年の時に引っ越す前)の近所にお住いの方から、僕が最初にTV出演した時(NHK・経済最前線。2002年11月~2003年5月)のビデオ録画を頂いた。僕が39歳の時で、コンサルティングを開始して間もない頃だったので、印象に残っているが、自分で録画したビデオを引っ越し時に紛失してしまい、もう見られないと観念していたので、大変ありがたかった。

見ていると、昔の記憶がよみがえってくる。楽しかった記憶とともに(2回、SARSの会が有ったが、収束して17年が経過すれば、それも懐かしい思い出になっている)。
今回の日本滞在で、もう見られないと諦めていたもの(雑誌・新聞の掲載、その他)にたくさん出会えた。この録画も、本当にうれしい。ひとの温情を感じると共に、今後、この半年の滞在が、大切な思い出になっていくんだろうな、と考えた。

大阪から名古屋へ(きしめんを見直す)

2020年7月30日に名古屋到着。
車でお送り頂いたクライアント様に招待され、木曽路でしゃぶしゃぶをご馳走になる(写真無し)。
その会社の顧問の方2名、管理部長1名、丸紅時代の上司も同席。丸紅時代の上司(渡邉さん)が、その会社を紹介してれたことから、そのメンバーでの会食となったもの。
木曽路の味は安定しているので、「美味しかったです」の感想で終わってしまうのだが、〆で出てきたきしめんが良かった。実は、子供時代(名古屋に住んでいた時)、何度もきしめんは食べたのだが、その時は、腰が無く旨くないという感想で、最近まで、全く食べなかった。ところが、2年前に、名古屋駅のホームで間違えてきしめんを食べ(追加料金を払えばうどんに替えれるとインターネットに出ていたので入ったが、実は、他のホームの店限定であった)、それが、妙にもっちりしていて旨かった。そして、今回のきしめんは、十分な腰で旨い。
きしめんが変わったのか?はたまた、自分が子供時代に食べていたきしめんが悪かっただけなのか。ともあれ、これからは、きしめんも十分選択肢になり得るな、と分かったのが収穫であった。

そして、翌日横浜へ。ラーメン横丁で喜多方ラーメンを食べ、お土産に、味仙の台湾ラーメンと山本屋本店の味噌煮込みを買う。結局、きしめんは買わなかったのだが・・・

新著完成予定(個人所得税の制度と実務)

新著、「中国個人所得税の制度と実務」が、2020年8月31日に完成。9月1日より発売開始します。

今回は、税理士法人山田&パートナーズとの共著で、僕は、「監修」と実務Q&Aの執筆(約3万字)を担当しています。
久々の共著で、最初は、「書く分量が少なくて楽ができるな」と思っていたのですが、監修をやると、各位の文章を何度も読み直さねばならず、単独執筆よりもかなり大変。時間も3~4倍かかった気がします。
という事で、苦労はしたのですが、まあ、いつもと違う、色々な個性が入った作品という事で、良かったかと思っています。
この次は、企業所得税をやります。
是非、宜しくお願い致します。

ウィチャット禁止のアップルへの影響

2020年8月12日付、The Daily NNAに、「米のウィーチャット禁止令、アップルに打撃」(引用)トランプ米大統領が6日、チャットアプリ「微信(ウィーチャット)」を運営する騰訊控股(広東省深セン市、テンセント)などとの取引を45 日後から禁じる大統領令に署名したことで、米アップルの中国事業にも大きな打撃が見込まれるとの見方が示されている。(引用終り)という記事が出ている。
他のメディアでも、アップルがウィチャットをインストールできなくなれば、アイフォンの全世界の売上高は、30%減となるとの予測が出ている。

そりゃあそうだろうなあ、というのが記事を読んだ印象。中国に住んだことが無い方には実感できないだろうが、中国で生活するのに、ウィチャットとアリババは必須で、これが無いと生活が極めて苦しい。イメージ的には、財布を持って外出してはいけないと言われるようなものか。いや、おそらく、もっと大変だ。僕自身は、ウィチャットは、8年ほど前から使っていたが、電子マネー(ウィチャットペイ)を始めたのは2年前。さすがに、もう使わないと不便だと観念して入れたのだが、使い始めると、これがない生活が想像できなくなるほど、圧倒的な利便性がある。昨年末、連動している銀行口座の登記を変更したら、一時的にウィチャットペイが使えなくなった。その時は不便で、焦りに焦った。
という事で、アイフォンにウィチャットがインストールできなくなれば、極端な話、中国では、アイフォンは1台も売れなくなる。マニアはスペア用に買うかもしれないが、つまるところ、ウィチャットが使えない不便を押してまで、アイフォンを買う人はいなかろう。これは、制限やイデオロギーではなく、消費者としての極めて自然な行動。

中国でも、Facebookやツイッターなどは使えないので、まあお互い様ということで、僕としてはとやかく言う筋合いでもないのだが、ともあれ、自国企業の経営、人々の不便さを無視して、イデオロギーが暴走している。特に、米国の、最近半年の行動は、ヒステリックで、落としどころを見つける気すらないように思えるし、中国は、歴史的に外圧を嫌うので、売られた喧嘩は必ず買う傾向にある。事態がエスカレートしていき世界経済が分断されるのが一番怖い。
国際間ビジネスをしている人間にとっては、手かせ足かせをかけられていくようなもので、本当に困る。何とか、融和に向けて動いてくれないか、というのが正直な気持ち。

大阪出張(箱寿司の旨さを知る)

かなり前の話になるが、7月29~31日に、大阪・岐阜・名古屋出張に行った。状況が不透明で、直前まで行けるかどうか微妙であったが、取りあえずは、順調に話が進んだ。大阪では、井上元蝶理中国総代表直々にアレンジ頂き、大阪商工会(面談2件)、日本香港協会、日中経協と面談し、その前に、ブログから連絡を頂いた学生の方の進路相談に乗る。岐阜はワンタッチ(企業訪問2件)で、名古屋に行き面談会食というスケジュール。この状況でも、諸般、お困りの方(今後の企業運営に付いて)がいて相談をお願いされた。また、昨年、かなりややこしい問題を解決させて頂いた方に感謝頂き、大阪から名古屋(岐阜経由)まで車で送って頂いたりなど、思い出に残る出張であった。
名古屋までお送り頂いた方は、二年以上前にご相談を受け、問題解決まで一年を要したのだが、人間関係を主因として、通常の会社運営ができない状況であった。それを、「企業運営には悩みが付きまとうもの。ただ、真っ当な悩みにするところまでは、僕が責任を持って解決します」と言って、部下とともに山東省にも出張し対応したのが懐かしい。一年数か月振りに会ったその方は、別人のように顔が生き生きしていた。この仕事をやっていて、嬉しいのは、こういう時かな。

これは、井上様にお連れ頂いた「末廣家」という箱寿司を専門とする店。開店直後に駆け込んだこともあるが、ご時世で、滞在時間中は貸し切り状態であった。

箱寿司が売りとは言え、刺身もあり美味しい。

そして、最後の箱寿司には感銘を受けた。今まで、作ってから時間が経過しているもの(駅弁やデパートの売店で買う様なもの)しか食べたことが無かったが、これは別物だ。上のネタが、新鮮で弾力がある。いままで食べてきたものとは、完全に別だ。

今後の国際情勢や、思い出話をごちゃまぜにし、日本酒と一緒に楽しんだ。良いパフォーマンスで美味しかったが、ちと我を忘れて食べた感があり(美味しかったからだが)炭水化物を取りすぎた。ホテルに帰ってから、しばし苦しむ。

みなとみらいのスヌーピー

みなとみらい駅からオフィスに行く途中に、巨大なスヌーピーがある。これが、衣替えしていた。というより、前のは、かなり汚れていたので、新しいのに変えたという事であろう。

小学校3年生の頃からスヌーピー(というか、ピーナッツ)が好きで、当時、ツルコミックから出版されていたシリーズを、ほぼ全巻買い揃えて読んでいた(当時の翻訳は、谷川俊太郎!)。月刊スヌーピーという雑誌も小学6年生の時に買っていたが、このマニアックな雑誌は、誰に話しても分かってもらえない。
そして、今回、実家の納戸から発見したのがこのペーパーバック。

小学校6年生の頃、英語を習った事もないのにこれを買って、辞書を引いて、強引に翻訳しようとしていた。文法を全く知らないので、当然、間違いだらけ(というか、合っているものが一つもない)だけれど。そんな感じで、(あの当時は)欧米に憧れ、そこでの生活、街並みを思いを描いていた時代が懐かしい。

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ