赤坂飯店の後は、先日も行った銀座のバーに。
2週間ほど前から、16時間断食をしている。標準的な日常は、夜8時には食事を終り、翌日は、12時まで食事をしないという生活。つまり、1日2食になる訳だが、これは新入社員の時から朝食を食べていないので、別段、辛くはない。良いのは、夜8時以降カロリーを摂取できないので、寝酒をしなくなるという事だ。
この日は、夜9時まで飲んでしまったので、翌日は、午後1時まで食事ができず。
元々、ダイエット効果があるという事で始めたのだが、これは、いまひとつ効果が確認できず。ただ、生活にメリハリができる(酒の切り上げが早くなる)ので、その意味では、もうしばらく続けようと思う次第。
香港(意識のすれ違いを感じる)
香港問題に関して、制度・政治・ビジネスの問題ではなく感情の部分に関して思う事。原則として中立を心がける自分としては、どちらに付くという話はしないようにしているが(破壊行為は香港の価値を低下させるので認めらないという立場のみは明確にしている)、昨今の話の流れは、どうにも違和感がある。
まず、香港市民と中国本土の人の意識の違いだが、香港の抗議活動は、中国本土の市民の賛同を得ていない(というより、なぜ抗議しているかを、心情部分で理解できない)。但し、これが、1980年代頃なら違ったと思う。
1989年に中国でトレイニーをしている時、外国が羨ましいという話をたまに聞いた。たまに聞いたというのは、当時は、そういう話を滅多に口に出せない社会だったからだ。
それが、現在では、ほぼ全員が(特に、若い世代)、「中国に生まれて良かった」と本心から言う。
なぜ、こうも変わったかというと、生活水準・経済環境の向上だ。資本主義の正義と社会主義の正義は違っている。言論の自由が資本主義(というより民主主義)の正義。言論の自由をある程度制限しても、国民を豊かにするのが社会主義の正義。結局、中国では、今のところうまく成果が上がっているし、1970~1980年代に比べると自由な社会になってきているので、多くの人々は生活に満足しており、不満があまり無い。
僕自身を振り返ってみても、2005年頃に上海異動の話もあったが、その時は心情的に嫌だった。当時は、香港の方が生活環境が良かったからだ。それが、去年(2019年)、香港よりも上海の方が、ビジネスチャンスがあるし、社会が安定しているので、生活基盤を上海に移そうと自発的に考えていた。僕個人を例にとっても、過去15年弱で、これくらい環境が変わっている。
殆どの日本人は、この点を理解していない。
因みに、社会主義の難点は、富と権力の集中を生みやすい点だが、資本主義社会でも、近年この様な傾向が顕著に表れており、社会不安に結びついている。結局、人間が作る制度であれば、主義の違いはあれど、似たような結果に陥る可能性があるという事か。
ともあれ、中国では、一般市民が生活に満足しているという点を、資本主義国家の人々は信じたがらないし、そんな事があるとすれば、適切な情報が無いためだと考える。そう考える資本主義側の人間も、自分の見方に偏りがある事を認識していない。
結局、どこで生まれても、その国(日本であれ米国であれ、中国であれ)の教育・メディアに染められる。それに気づいていないだけだ。ただ、そのまま生活していくのであれば、それはそれで幸せかもしれない。他国(特に、主義が違う国)に対する判断は偏るのだが。
香港が気の毒な部分は、香港市民の意志ではなく、もっと大きな流れの中で、資本主義から社会主義に居住環境が切り替わる事で、稀有な例であり、不安は当然有ろう。
やはり、生まれた時からその環境にいないと、人はその環境を受け入れるのは難しい。そのため、香港市民は、当然の事として恐怖を持つし、日本、欧米など、資本主義国の人間は、香港人は可哀そうだと思う。一方、中国本土の人たちは、「俺たちは満足しているのに、なぜ文句を言うんだ」と思う。
こうした、極めて自然で、根本的な意識のずれが生じている。香港人の抵抗感は、人間として自然な感情だと思うが、他国の人間が、過剰に介入することが、最終的に香港のためになるのだろうか。それが、自分には気になる。
同じ話を、中国側から見れば、悪辣な方法(アヘン戦争)で英国に奪われた香港が国際法に基づき返還された訳で、他国は必要以上に干渉するなと考えるし、一方、欧米は、香港市民は自分の意志とは違って社会主義に組み入れられるのは可哀そうだと思い干渉する。
立場が違えば、考え方が違うのは当然だが、双方の意識の違いが必要以上に交錯してエスカレートすると、本質とは離れていく可能性がある。ただ、重要なのは、香港市民の未来である訳で、周りの人間は、一度、冷静になって、そもそも論を考え直した方が良いのではないか。
それが、台湾で中国語を勉強し、香港の永久居民証を持ち、中国本土で活動している日本人(つまり、色んな立場で人々の見てきた)僕の感想である。
赤坂飯店(竹橋パレスサイドビル支店)で会食
6月24日に、竹橋の赤坂飯店で中国ビジネス関連の方と、合計4人で宴席を開いた。赤坂飯店と言えば、丸紅社員(住友商事とかも同じらしいが)にとっては特別な店で、海外駐在員の一時帰国時に、「何が食べたい?」と聞くと、ほぼ全員「赤坂飯店の担々麺」と答えるというくらい。
早い時間に開始して、早く切り上げようという企画だが、話は弾んで、全然早く終わらない。ちなみに、まず前菜の3種盛り合わせと、雲片肉を頼んだが、これがうまい。
そして次は、春巻きと虾仁炒蛋。餃子よりも僕は春巻きを頼みがち。そして、海老の卵炒めは、麻婆豆腐と並んで僕が最も好きな中華料理の一つと言っても過言ではない。
次が、焼き餃子。春巻きを頼んだ時、店員さんが、どうしても焼き餃子を食べてほしそうで、つい頼んでしまったもの。そして、宮保鶏丁。これだけは、ちょっと期待と違う味だったが、カシューナッツは美味かった。
エビチャーハンと麻婆豆腐。安定の味だ。華南地域のチャーハンは、米がぱさっとしてて美味しいが、日本のチャーハンは、また違う良さがある。甲乙つけがたいが、この日本のチャーハンは、無性に食べたくなる時がたまにある。
この時点で満腹だ。あとで、Facebookなどを見た方々から食べすぎだと言われたが(現在、毎日16時間断食をやっているが、いまひとつ痩せないのは食べすぎが原因であろう)、赤坂飯店に来たからには、担々麺を食べないという選択肢はない。4人で一椀を取り分ける。やはり、これが食べたかった。
この日の宴会時に聞いたのは、かつて一緒に仕事(共同執筆など)をしたことがある方々が、殆ど連絡が取れなくなっているという事だった。皆さん、僕よりも年配なので、リタイアした方も多くいるであろうし、別の分野に鞍替えした方もいる様だ。「水野さんは何才まで働きますか?」と聞かれたので、「75才までは働く」と回答。そして、「ASEAN、米国などにも基盤は築きますが、一生、軸足は中国において活動します」と言っておいた。
33年前に、中国関係の仕事をしたいから総合商社に入り(その当時は、まだ中国が注目されていなかった頃だ)、12年前に、好きな仕事を続けたいから独立した。いま、方向性を変えるくらいなら、あの時、丸紅を辞めたりはしていない。その意味では、自分は一貫して迷いがない。
横浜中華街・杜記でテイクアウトする
中華街は、小学校3年生の頃から、毎月1回の頻度で両親に連れて行ってもらっていたので、馴染みが深い。最初通っていたのが状元楼(6年くらい通ったか)、次が華正楼。その後は、大学に入ったので、出かける機会も減り、固定的な店は無くなった。同じ店でも、料理人が変わると、味がガラッと変わる事があるので、そこらが難しい所である。
そして今。
最近よく行くのが、裏路地にある「杜記」という店。刀削麺が有名な店で、小さな店だが結構有名。この状況なので、何時も空いてて、利用する側にとっては有難い部分もある。
この日は、麻婆豆腐、辣子鸡、清炒空心菜をテイクアウトして、実家で食べる。
これは別の日の、红油猪耳と口水鸡。
辣子鸡だけは、いまいち。あとは、満足のうまさ。
持ち帰りがしにくいので暫く食べていないが、ここの刀削チャーシュー麺が美味しい。
自分の会社の経営に付いて
最近、日本事務所(みなとみらい)での面談や、電話会議のご依頼が大変多く有難い事だ。活気があるのが何より。また、日本滞在が長引く状況ながら、現地も問題なく機能しているので、業務にも全く支障がない。これは、自分が会社を作って、12年間でやってきたことの成果という気がする。
部下の教育、というか、ノウハウの引継ぎに付いては、部下たちが、僕の本、原稿、ご質問に対する回答を、本当に良く勉強してくれており、僕が何も言わなくても、僕の考えに沿った回答をしてくれる(若干、外れた場合は、僕が補足する)。中国人の部下たちにとっては、外国語(日本語)でそれをやる訳なので、自分でもそこまではできないだろうなと頭が下がる。これは、感謝するばかり。
あと、上海、広州、日本の拠点などは、部下を出資者(20%)兼社長にして、金銭出納、人事採用、人事考課などの権限は全て渡している。これは、即効性がある対策だったし、丸紅(というか、日本の大企業)ではできない事なので、独立して自分の会社にして良かった部分。やはり、副社長と社長では、各位の意識は全く違う。
人事に関していえば、各拠点で社員を採用する際に、僕は一切口を出さない。決まってから挨拶をしてもらう程度。また、人事考課は、各拠点社長が決定して、一応、僕の確認は申請してくる。よほど問題が無い限りは、それに同意する。
経費管理などの面に付いては、上海や広州などの経費を使うときは、僕が各拠点の社長に頭を下げて頼まないといけない。
なぜこんな体制にしているかというと、人事採用に関しては、自分より部下の方が、能力がある事が分かったので、苦手な事には、敢えて口を出さない。経費管理というか、各拠点の独立採算化に付いては、オーナー(僕)が、ある程度好き勝手にできない体制を作る事が会社の健全化につながると思っているためだ。これは、丸紅時代のシステムが、部長は経費予算枠(交際費などを含め)を持たず、課長に与えている様なもの。部長が使うときは課長に頼まなくてはいけない(さすがに、断る事はないだろうが、そのステップがあるかどうかは重要)。これは、大会社の管理手法を学んで準用した部分。学ぶところは学び、変えるところは変えた訳で、そういう学びの機会が得られたのは、丸紅に感謝しなくてはならない。
こんな感じで、権限移譲を進め、且つ、損益責任を負わせ、計上した利益は、原則全額配当してもらっている(上海も広州も、設立2~3年で投資は回収した)。
チェイスネクストとベトナムは、黒字にはなったが、投資回収には至っておらず、そこらの課題があるのだが、一応、2年度連続(2018年、2019年)全拠点黒字になった訳なので、それなりに順調とは言えようか。
ただ、今の気持ちは、(現地がうまく回っているから行かなくてもよいという気持ちではなく)早く中国に戻りたい。一刻も早い新型肺炎の収束(までいかなくても状況改善)を、願ってやまない気分である。
神田やぶ蕎麦に行く
打ち合わせを兼ねて神田やぶ蕎麦に行く。
ちょっと考えていることがあるが、まだアイデアも定まっていない思い付き段階なので、アイデアをまとめるために、ちょっと意見のすり合わせをしたかったというのが背景。
神田やぶ蕎麦に初めて行ったのは、1987年の新入社員の時。それから通っている訳なので33年来だ。勿論、年に1回程度の頻度なので、馴染みというのはおこがましいが、それでも好きな場所であるのは確か。ここで、昼飲むビールは、抜群に美味い。
毎回、行くと、つまみを何品か頼んで酒を飲む。ほぼ全品頼む感じ。場合のよっては、美味しいものを2回、3回と頼むので、前に、2人で2万円以上頼んで、口上を述べている女将さんに、「たくさんお召し上がりになっていただき、有難うございました」と言われた事がある。
火事で焼けて建て直し。伝統のかえしが失われたとか、失われないとか騒がれていたが、自分的には、ここは「雰囲気を食べる場所」と思っているので、その点は、全く問題ない。店で働いている方々がいれば、店の良さは保たれる。これが伝統というものだろう。
以前は、何時も行列だったが、建て直し後は、時間を選べば比較的空いていて、待たずに入れる。特に、今の時期なので、客は少なめ。優雅に食事ができるのは有難い。
何時もは、温かいそばに卵を落とすが、今日はせいろ蕎麦。
心地よく飲み、話したひと時であった。
チェイス社名変更(その2)
先日ブログに書いた通り、子会社チェイスの社名をチェイスネクストに変更した。
理由は、ブログに書いた通りなのだけど、結構驚かれる方がいて、却って、こちらの方が驚いた。
自分としては、今後も、中国に軸足をしっかり据えて活動を続けるつもりだし、それが、自分にとっても、クライアント様(日本企業)にとっても良い事だと思っている。では、なぜ子会社の社名からチャイナを取った?というのが、ご質問の趣旨。
流れとしては、2012年以降、中国プラスワンの動きが加速し、ASEAN情報のニーズが増した。最近は、すっかりブームも去ってしまったが(特に、ミャンマーブームはどうなったのだろう)。
その時は、社名変更はせずに、サイトの表示を、チェイスチャイナ&アジアとする事で、お茶を濁した。
ただ、このままではいけないなと思ったのは、僕の大学時代からの友人でもある釜口不動産鑑定士のこれからのビル経営という本を、2015年に出版した時。これは、純粋な、日本国内での不動産経営の話。
その後、これも僕の大学時代の同窓生だけれども、松本氏の日本における省エネ関連助成金申請に関するコンテンツ、その他、一般的な貿易実務の解説など、全く特定の国に関係ないコンテンツが増えてくると(また、増やさないといけない)、社名に違和感を持たれるし、書籍やコンテンツを売るときの障害になる。
であれば、中国であれアジアであれ欧米であれ、更には、グローバルやらインターナショナルであれ、国、地域を付けた社名は、自分の首を絞めるのでやめるべきだと思い、3年ほど前に、チェイスに社名変更を指示した。これが、諸般の理由から、後回しになっており、全く進まなかったので、「今年度中の社名変更は絶対だ!」と昨年の秋口に強権発動して、社名変更したという次第。
チェイス・ネクストの社名は、仮面ライダーネクストを見てのインスピレーションだというのは、書いた通りだが・・・
生活の変化
日本滞在、ほぼ5ヶ月が経過。
それまでは、香港華南、日本、上海を三分の一づつ配分する生活であったが、日本居続けで、3月以降全く飛行機にも乗っていない。香港の家賃が無駄で、おそらく、1泊もしない住居に300万円程度支払う事になる。これは痛い。
一方、交通費がかからないので、会社の経費は減っている。この状況なので、日本での面談や、電話会議でもクライアント様の了解が頂けるし、中国・香港は通常勤務であるため、コンサルティング活動には全く支障が生じていない。つまり、収入は安定して、経費が減っているので、会社経営的には良い状況である。まあ、何時までも引きこもっている訳にはいかないので、状況が整ったら、また移動続きの生活になるであろうが。
そして、この数か月の生活を反映して、身体が随分楽だ。半年前までは、マッサージしても30分後にはすぐに元に戻ってしまう様な状態だったし、絶えず体中が痛かった。これが、殆どマッサージを必要としないほど楽になった。
その他の変化は、酒が弱くなったことと、辛さにも弱くなったことか。まあ、真っ当な身体になってきたという事であろう。
因みに、2週間ほど前に、中華街で瓶詰唐辛子を見つけて購入した。香港の家では常備しており、結構な勢いで消費しているが、ちょっと使ったら辛さに震えた。
銀座で打ち合わせの後は
6月10日の夕刻に、新橋で、杉山日本所長、斎藤深圳社長が、今月1日より独立した物流関係の方と会食しつつ面談という事で、僕も参加する事になった。しかし、今年独立した方々は気の毒とは思う。僕の独立もリーマンショック真っただ中で、「何もこんな時に独立しなくても」と言われたが(タイミングを選べる状況ではなかったが)、今に比べればマシだった。ただ、災い転じて福となる面も十分にあり、こんな状況だからこそチャンスがあるビジネスモデルもある筈。この点、見極めながら、独立に踏み切った皆様には頑張ってほしいし、成功をお祈りしています。
打ち合わせ終り、銀座8丁目のバーで2杯。ブルーベリーマティーニとチャイナブルー。安定の美味しさだった。
海南自由貿易港の続き
6月7日のブログが、海南自由貿易港は、「この様な意味では、香港のようで香港ではない位置付けとして伸ばしていくのではないか」という終わり方をしているのだが、その続き。
海南島に、香港代替機能を持たせるかどうか、という点であるが、これは状況次第だろう。香港の機能(治安)が維持され、米国との対立が極端に深刻化しない様であれば、当然、香港を今のまま活用した方が便利だ。ただ、そうはならない場合のシナリオも想定はされているだろう。
5月30日のブログで書いたが、米国の香港優遇廃止というのは、大義名分とは異なり、香港を追い詰める効果しかない(結局、米国は、香港を交渉の材料に使っているだけではないかと思うのはこの部分)。米国の香港政策法に規定された、米ドルと香港ドルの自由兌換が廃止され、それに留まらず、中国・香港系銀行の米ドル取扱いに大きな制限が加えられた場合、中国としては、人民元の国際化を実施せざるを得ず、それは、人民元自由化(外貨管理自由化)を必要とする。
人民元の自由兌換が実現すると、香港の金融機能は喪失する。つまり、中国本土(上海、深圳など)でも、その機能は果たせるためだ。では、香港の機能をどこに移すかについて、香港の報道・経済界は、多分に海南島を意識した発言をしているが、まだ、産業が十分発展していない海南島よりも、金融・ITを中心に発展し、既に(2018年)、香港のGDPを抜かした深圳とするのが自然かと思う(上海は独立した地位があるため、香港の代替ではない)。
証券取引所時価総額ランクは、1位ニューヨーク、2位ナスダック、3位日本、4位上海、5位香港、6位ユーロネクスト、7位ロンドン、8位深圳という順番。
香港証券市場は、上海よりも下位だが、深圳よりは上位。とはいえ、香港の躍進は、中国本土企業の上場によるものであるので、環境が変われば、深圳市場がこの機能を代替できよう。
海南自由貿易港の位置付けはというと、既に書いた通り、全島保税区域化による、保税物流機能、貿易中継機能、保税加工機能が強力な武器になる。九州よりやや小さい程度の地域が、全て保税区域になるのは、やはり影響が大きい。
ここに香港の物流機能をシフトするという方向はあり得る様に思う。
更に、ASEANに近い立地であり、持株会社を誘致・育成する方向性も出てくるのではないか。
この様な形で、香港の機能を、深圳と海南島に割り振るというのが現実的なシナリオかと思う。
勿論、これは、米国の出方次第という面が大きく、おそらく、現在の様な過激なやり取りは、大統領選以降は沈静化するのではないかと思う故、上記の方向に突き進む可能性は、極めて低いとは思う。ただ、中国は、各種の可能性を想定し、数十年前から対策を進める国なので、最悪の事態が起きた場合の保険という位置付けも有ろうし、そうならなくても、海南島が発展すれば、それはそれで損にはならない。
海南島自由貿易港総体方案を読んで、そんなことを考えた次第である。