香港経済の今後

昨日書いた通り、香港では、コロナが治まればデモが始まるという状況で、(これは、前からだが)今後の香港はどうなるか、というご質問をよく受ける。それに対して、僕が出している見解を下記したい。
まず、香港経済に占める産業割合は、香港統計年鑑(2017年)では、以下の通りとなっている。第三次産業が92.4%で、製造は1.1%に過ぎない。
・販売 21.5% ・金融保険18.9%  ・不動産関連21.1%
・物流6%
これを見ても、サービスで成り立つ地域だという事が良く分かる。正確さには欠けるが、分かりやすくするために、敢えて感触的な数字に置き換えると、貿易2割、金融2割、不動産2割、物流+観光・飲食2割という感じか。
香港の2020年第1四半期のGDP成長は、▲8.9%であり、香港政府は、2020年の年間予想を▲4~9%としている。新型肺炎の影響は、収束すれば回復するであろうが、収束すればデモが開始される。新型肺炎蔓延前の2019年第4四半期で、既に▲2.9%となっていたが、これは主としてデモの影響。状況的には更なる悪化も想定されるため、今年の成長は政府予想よりも悪い数字となる懸念もある。
香港経済の今後に関し、GDP貢献が大きい項目に関してコメントすると、以下の通りか。

1.貿易
香港の貿易取引は、輸出は54.33%、輸入は46.59%が中国本土関係だ(香港統計年鑑)。
これは、基本的にはインボイススウィッチ取引であるため、今後、大きなビジネスモデル変更は少なかろう。懸念されるのは、米中摩擦の悪化であり、それによるマイナス影響は受けるであろう。つまり、2018年をピークとして、漸減という推移をたどるのではないか。

2.金融
香港は、中国企業のIPO(資金調達)拠点、オフショア人民元の一大マーケットとしての機能を持っており、中国依存度が大きい。デモの影響でIPOが停滞した折、アリババの上場で、IPO調達額ランク世界1位を、かろうじて維持したことからも分かる(アリババの調達額US$129億は、2019年の香港IPO調達額の35%を占める)。
この機能は、中国にとっても重要であるため(米中摩擦で、米国でのIPOに政治的な問題が生じると、更に、重要性が増す)、中国としては活用を維持するであろう。香港経済にとっては、数少ないポジティブな分野と言える。ネガティブな要素は、中国経済が減速すれば、その影響を受けるという事。

3.不動産
不動産は、2019年9月から相場の下落を生じており、オフィス賃貸物件は、10~15%程度の下落が生じている(Frontier Real Estate Ltd提供資料)。香港の不動産相場は、2004年のCEPA発効以降急騰しており、2004年1月と2019年1月を比較すると、3.5~5倍という異常な数字となっている。これは、中国資本流入の影響が大きいが、デモを嫌気して取引は減速、価格は下落していくのではないかと思う。とはいえ、これは、加熱状況の鎮静化という見方もできる。経済貢献はともかくとして、香港で実体ある活動を行う場合には有難い事だ(香港の不動産価格は、安定したビジネスの大きな障害になっている)。

4.物流・観光・飲食
今後の影響として、一番悲観的なのはこの分野であろう。
① 物流
デモ隊の空港占拠、道路封鎖などの影響で、香港の交通インフラに対する信用が毀損した。10年以上前から、価格が高い香港の倉庫・港湾利用を、広東省(深圳など)にシフトする動きが有ったが、それでも香港活用が継続していたのは、迅速性・確実性への信頼によるものだ。これが、香港を利用すると、却って適時に出荷ができない懸念が出てきたため(中国本土よりも出荷が遅れる危険性の発生)、昨年、再度の広東省シフトの動きが有った。この様にして流失したビジネスは、元には戻らないであろう。
② 観光
2018年の計数では、香港訪問客は年間5,103万人であり、そのうち、中国本土からの訪問者が78.3%を占めている。
中国本土からの訪問客は、日帰り、若しくは、1泊滞在も多かろうから、人口と比較するのは意味がないかもしれないが、748万人の人口の地域に対して、6.8倍の訪問客が来るというのは、すごい状況である。
日本は、1.2億人の人口に対して、訪問客が3,200万人。中国本土と陸続きの香港とは、訪問客の滞在日数が違うだろうから、単純比較はできないが、人口の6.8倍と言えば8億人(今の25倍)。日本訪問客が、昨年の10倍以上となったら、さすがにトラブルが多発するであろう。香港の状況は、そういう事だ。
とはいえ、香港の観光業・経済は、それを前提として成立している。デモの影響で、2019年第3四半期の訪問客数は前年同期比で37%減。ホテル稼働率28%減は、香港経済にとっては、痛い数字だ。
中国からの訪問客は、バイヤーがかなり存在するため、その様な訪問者は、新型肺炎収束により戻るだろうが、それでも、デモの継続により、2018年度と比較して、2~4割の減となるのは避けられなかろう。

以上を踏まえると、1(貿易)と3(不動産)は、2018年をピークとして減速が継続する。2(金融)はプラス(米国などからのシフト)とマイナス(中国経済の原則)の双方が有り現状維持。4(物流・観光)は大きく落ち込むというイメージ。クラッシュはしないものの、香港経済は力を無くしていくというのが、僕の観測。

結局、香港は中国本土に依存する事で、経済が成立している。これは、統計からみても明確である。ただ、市民がこれを受け入れない。つまり、経済とイデオロギーの対立だ。
そうなれば、経済成立の前提が脅かされる訳で、維持、発展は、当然の事として望めないという帰結になる。

近況報告

日本滞在4ヶ月。在宅勤務2ヶ月が経過。
昨今の状況としては、以下の通り。
1.クライアント様に無償配布するためのマスクを中国より1.5万枚輸入し送付した。
沢山の方からお礼をEmailを頂き嬉しい。やはり、Emailでもお互いの意思疎通があるというのは、励みになる。
こちらが励まされた気分。

2.上海、広州、香港の仕事は平常通り。
日本はまだ在宅勤務が続くが、中国、香港は平常勤務で、特に問題なく業務が遂行できている。部下、組織を育てた結果が出てきており、自分は、Emailと電話で遠隔操作すれば業務が回る様になった。また、移動が無く、時間に余裕があるので、部下たちのEmailにも比較的よく目が通せているのは良い事だ。一方で、(これは想定していた事だが)コロナが治まれば、香港ではデモが始まる。これから更に激化するだろう。香港の組織の在り方を、真剣に考えなければいけない状況になりかねない。

3.読書、執筆
歴史、政治、宗教の本を1~2日に1冊読んでいたが、江戸川乱歩全集を購入してしまったら、そちらに手が伸び、なかなか読めなくなってしまった。江戸川乱歩は不思議な魅力がある。仕事の本としては、税理士法人山田&パートナーズとの共著(中国個人所得税の制度と実務)は、7月末に完成予定。企業所得税の執筆にかかっている。
一方、趣味半分で書き始めた経済小説は、ビジネス書ほど興が乗らず進行が遅いが、一応、3.5万字になった。まだまだ頑張らねば。

という様な状況。これは、両親との食事。僕が、ムール貝のワイン蒸しと、海老のアヒージョを作った時のもの。一種の合宿状態かなという感じ。

子会社チェイスの社名変更

子会社のチェイス・チャイナを、2020年5月1日付で、チェイス・ネクストに社名変更しました。URLなどは変更ありません。引き続き、宜しくお願い致します。
チェイスネクストのサイトはこちらです。

ちなみに、チェイスチャイナというのは、2008年に起業独立する時、社長を任せる事になった杉山君が決めた社名。その時は、昼飯に、蕎麦屋かどこかで食事をしていたら、彼が思いついて、「こんなのはどうでしょう」と言い、そのまま決めたもの。
ただ、その後、国際状況は大きく変わり、チェイスのコンテンツも、ASEANを加え、日本を加え、そして、今後は欧米も視野に入れようという話になってくると、地名を付けた社名は、単なるいたちごっこになってしまって良くない。
そんなこんなで、社名を変えるか、という事になった。
そこまでは良いが、さて、どういう社名にしようか。
しっくりくるものがない中で、Amazon primeを見てたら、仮面ライダーネクストが目に留まったので、見終わると、そのまま勢いで社名を決めてしまった。
まあ、世の中、こんなものです。

過去の丸紅の社内報(2003年)

母親がファイルしてくれていた丸紅社内報その2
2003年の時に、2ページ特集で自分を紹介してくれたもの。まだ、丸紅香港法人の経理部としてコンサルティングをやっていた時のもので、まだ苦労がなさそうな表情。
2002年は、本を出せば売れるし(香港の旭屋書店年間売上ランクで1位と4位)、NHKには連続で出るし、会員制サービスを始めればすぐに契約を取れるしで、やることなす事上手くいった年だった。それが、2003年になった途端、暗雲が垂れ込めた。それがSARS(2003年)。それが解消すれば、予算決算のプレッシャーで不眠になり(2004年)、人間関係で不眠がひどくなると共にリンパが腫れる(2005年)。そこから、起業独立(2008年)に突き進んでいく。

自分が一番苦しんだのは、42~45才なので、厄年ですねと言われるし(ある意味正しいとも言えるのだが)、今でも、厄年に差し掛かった後輩達からアドバイスを求められるのだが、自分の厄年に付いての考え方は、必ずしも年齢には厳密に連動していない。男の厄年である40代半ばは、今まで期待されていた役回りより、一段上のものを要求される年齢だ。会社の中で、担当から中間管理職になったり、社会の中での位置付けも重くなる。その軋轢でもがき苦しむのが、所謂厄年。つまり、脱皮の試練という意味。という事で、今年で厄が終わるとか、今年で後厄が終わるとか言っても意味はない。占いに頼るなら、自分で精進すべきだと思うし、それを克服したら、一回り大きな自分になっている。
厄を抜けた今は、そう思う。

過去の丸紅社内報(2006年)

母親がファイルしてくれていた切り抜きの中にあったもの。過去の丸紅社内報で、これは、もうないと思っていたので、こんな感じで発見できたのは嬉しい。

これは、2006年に、丸紅100%出資のM&Cというコンサルティング会社を作ってもらった時の、新トップ紹介。
苦手な事に、「窮屈な飲み会、愚痴を語る人との付き合い」と書いてあり(はっきり言ったものだ)、社員にひと言という部分には、「ベンチャーマインドを持って頑張ろう。」と書いてある。
やはり、社内ベンチャーとして立ち上げたという意識が強かったのが分かる。
あと、5年以内(2011年前)に日本に拠点を造り、10年以内(2016年以前)に、中国、アジアでトップレベルのコンサルティング会社になると書いてある。この会社は、2年後の2008年に閉鎖が決まってしまい、振り出しに戻って独立起業を余儀なくされたのだが、2011年に日本事務所を作り、2015年9月にベトナムに進出してASEANコンサルティングを始めた訳なので、その意味では、想定通りの動きをしているのが分かる。
当時(丸紅時代)、2007年にベトナムでのコンサルティング展開を画策したものの、そんな理由で白紙になり、8年間進出が遅れてしまった。あの時、お家騒動が無ければどうなっていただろうと、たまに思う事がある。

ちなみに、信条として、「コミットする事。コミットした事は必ず実現する事」と書いてある。その信条に基づきやってきたつもりだが、思えば、ここ数年、明確なコミットをしていないのを反省した。やはり、ベトナムを軌道に乗せるまでが苦しく(資金面での問題)、同じ思いを繰り返す事が怖くなったためだろう。
その中、昨年に、次の目標を米国と決め、米国の弁護士事務所との提携に動いていた。米中貿易摩擦は、今後も続くであろうから、双方の貿易・投資政策の提供や、コンサルティング提供が今後重要になると思ってのことだ。初期合意ができて、本格始動に入ろうか!(告知しようか)というところにこの騒ぎで、動けなくなってしまったのが残念だが、コロナ騒ぎが収束すれば、元に戻って進めていこう。

この1~2週間

長期間の日本滞在&自宅勤務となっているため、通常業務だけでなく、何か違う事をやろうと、小説を書きだした。
これは、出版を目的にするのではなく、「懸賞にでも応募するか」という軽い気持ち。2年ほど前に、何か趣味を探さねばと思い、少年時代から憧れていた小説を書こうと思い立った。ただ、その方面の才能(ストーリーの構築や感情描写)があるかどうか分からないので、飽くまでも趣味として書いて、懸賞に応募するのを目標にする(入賞ではなく、応募が目標)という事でいこうと思っていたのだが、ビジネス書の執筆を優先した結果、全く手がつかず、これを機会にやっと書き出したもの。
ただ、遅々として進まない。数週間経って、やっと2万字だ。いつ完成するのやら。本当に完成するのか、とすら思う。ビジネス書とはずいぶん勝手が違う・・・

あと、この一週間は、日本も中国も休みなので、政治、民族、宗教、地政学の本を、毎日1~2冊読んでいる。こういう機会が無かったら、これほどまとめて読む事はできなかったであろうから、これは瓢箪から駒だ。
色々気づく事がある。

納戸から出てきたもの

実家に居続けているので、ヒマつぶしのため納戸整理をしていたら、香港特別行政区政府という記念品が出てきた。何だったかな?と思い返してみると、おそらく、2002年に、帝国ホテルでの講演会(広州市政府と香港政府の共同誘致セミナー)に参加した時にもらったものだ。

結構、注目されたセミナーで、1,000人程度人が集まった記憶がある。政府主催の講演は、スピーカーが多いので、自分が話した時間は、15~20分程度ではなかったかと思うのだが。
講演が終わり、香港政府の人間と懇親の酒盛りを開いたのを思い出す。
1997年の香港返還後、徐々に香港と広東省政府の共同イベントが増えていったが、その第一弾に近いような企画であった。今から思うと、明るい時代であったものだ。

マスク輸出若干の強化

友人たちからのSNSでの連絡を見ていると、マスクが徐々に買えるようになってきたという投稿が目立つ。自分自身は、有難い事に、中国の友人達から、「中国では問題なく帰るので、プレゼントしてあげるよ」という連絡を何人からも頂き、特に不足することなく過ぎているが。ともあれ、一時は、日本では全く購入できない状況だったので、供給が追い付いてきたのは、ほっとする出来事だ。
この状況下、「防疫物資の輸出品質管理の一層の強化に関する通知(商務部・税関総署・国家市場管理監督総局公告2020年第12号)」が公布され、2020年4月26日以降、非医療用マスクの輸出に関して、以下の様な管理が実施される。若干の強化だ(医療用マスクは、既に管理が実施されているが、非医療用マスクも手続が規範化されたという事)。
国外での品質不良問題や、医療用・非医療用の誤用を回避するための措置である。内容的に、大きな影響は無い筈と思うが、取りあえず状況を見る必要は有ろう。
● 中国からの非医療用マスクの輸出は、「中国国内品質基準、若しくは、国外品質基準を満たす必要があり」、2020年4月26日以降の輸出に関しては、「輸出者(中国企業)と輸入者(国外企業)の共同声明」を、書面、若しくは、データで、税関に提示する必要がある。
共同声明(12号公告に様式が添付)」には、国外の輸入者は、輸入により購入する非医療用製品の品質に関する異議がなく、且つ、購入した物品を、医療用途に使用しないことに関する宣誓が要求されている。
● 国外品質基準を満たす非医療用マスクの輸出に際しては、当該マスクの生産者は、「国外基準認証・登録を取得した非医療用マスク生産企業リスト」に掲載され、且つ、「非医療用マスク不合格製品、及び企業リスト」に掲載されていない企業である必要がある。

当社もクライアント様に無償贈呈するためのマスクを1.5万枚輸入する事としているが、出航が5月1日予定なので、状況確認中。

香港のパラドクス

香港で、不動産関連でお世話になっている仲介会社(Frontier Real Estate Ltd)から送ってもらった月報を見て改めて感じたこと。
セントラル地区のA級オフィス物件の1squarefeet当たりの賃貸相場が、CEPA施行の2004年1月段階でHK$23程度。これが、2009年1月にはHK$105に上がり、リーマンショックの影響で一旦HK$60程度まで落ちるもすぐに戻し、2019年にはHK$140になっている。6倍の上昇だ。住居価格はそれほどではないが2倍程度となっている。
確かに、自分が2010年にホンハムで借りた住居の家賃が6年後には2倍になってしまったが、そういう動きも存在する。一方、物価指数の推移は、同一期間で1.5倍程度の変化だ。
日本で、数年間で給与が1~2割しか増えないのに、家賃が倍になったら、大変な騒ぎになるだろう。ましてや、不動産価格が高い(所得に占める家賃割合が高い)香港では、その影響は大きいし、所得が低い層ほど(中流でも)シリアスだ。

香港は、1997年のアジア通貨危機、2003年のSARS、2008年のリーマンショックによる経済危機を、中国のテコ入れで切り抜けてきた。その結果、中国マネーが流れ込み、経済は活性化された。今の香港は、中国無しでは生き残るのは困難だ。とはいえ、そのマネーが生み出した豊かさは、不動産価格の高騰と庶民の生活圧迫をも生み出すというパラドックスを生んでいる。
香港のデモは、香港の経済価値を毀損するという意味で、僕個人としては否定的ではあるが、こうした将来的な不安の発生を自分の身に置き換えてみれば、その気持ちも分かる気はする。

結局、経済の活性も停滞も中流層以下の困窮を生むという行き詰まり。広東省と一体化をすれば、不動産価格や雇用は安定するが(グレーターベイエリア構想は、この様な発想を織り込んでいる)、香港の市民感情が受け入れない。この状況で新型肺炎によるダメージが加わる。
いまの香港は、極めて厳しい状況にあるのは確かである。

過去の新聞の切り抜き

実家籠りが続いているので、毎晩両親と酒を酌み交わしている状況。大学卒業後、丸紅独身寮に1年。その後、海外、一人暮らし、結婚、また海外(1997年~現在)となっているので、両親とこれだけ長い時間一緒にいる機会は無く、まさに瓢箪から駒だ。
そんな会話の中で、母親が、僕が載った新聞の切り抜きを見せてくれた。
思えば、雑誌、電子版、地方紙などを含めれば、数えきれないほど記事にしていただいたので、忘れていたものもあったが、一つ一つと見返して見ると、その頃の思い出がよみがえってきた。
関係した方々にも感謝の気持ちがわいてきた。
ちなみに各写真の思い出コメントはこちらまで(Facebookアカウントの写真にメモ書きしてあります)。


中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ