ブログ更新が遅れていましたが、活動は再開しています。
4月23日に病院で術後検査をし、経過良好のお墨付きと飛行機移動の許可をもらったため、24日に日本に移動。
体力が回復しきってないが、やることは色々有る。しかし、今回緊急手術が決まり、本当に良い病院と医師だったが、250万円程度の医療費が自腹で貯金が吹っ飛んだ。また働いて稼がねばならん。天は耐えられない試練は与えないというが、経営が上向いてきて、少し楽できるかなと思うと、必ずこんな事がある。負担できるが痛い範囲を何度も何度も突いてくるので、本当に勘弁してほしいが、闘争心が掻き立てられるのも確か。すぐに全力で何倍も稼いでやろう!ともあれ、今回ばかりは大企業の医療補助システムが、心底羨ましかった。
そんなことを考えながら、ゴジラマイナスワンを見て移動。ラッキーなのは、ファーストクラス座席が開放されていて(短い路線なのでビジネスが最高でファーストはない)、これに座れたこと。ゆったり座席が嬉しかった。
禁酒は、この日で9日間。ソーダ水を飲んで我慢。まだ20日間ほどの禁酒だが、身体がスッキリして気持ち良い。
退院後の経過報告
手術の翌日に退院したが、暫くはソファで寝たままの生活だ。木曜日退院なので、木・金・土・日は仕事を忘れてひたすら眠る。立ち上がると、軽い嘔吐感を覚え、身体がふらつくので、寝てるしかない状況だ。目もあまり酷使するのは良くないという事で、YouTubeで朗読を延々と聞いている状況だが、思えば、4日間一切仕事をしないというのは、10年以上なかったのではないか。その意味では、良い機会と言えるかもしれない。
酒は一か月飲んではいけないという事で、水ばかり飲んでいる。体調が悪いと、特に、飲みたくもならない。ただ、甘いものが欲しくなる。シェ柴田のケーキをデリバリーで頼んだり、ドーナッツを頼んだり。
退院後4日目になると、ご飯を炊いて、おにぎりを握れる程度には回復してきた。全部食べる訳ではないのだけれど。数日間の朝食にした。まあ、どうってことない日常が、身体が回復してくると嬉しいものだ。
暫くは眼帯。小学校の時に呼んだピーナッツ(スヌーピーとチャーリーブラウン)シリーズで、サリーブラウンがLazy Eyeになって眼帯をかけたときに、「えんやらやっとラムを一瓶(Yo Ho HO and a bottle of Rum)とつぶやいたのを妙に覚えていて、口ずさんでしまった。あれは、谷川俊太郎の翻訳だ。
上海で入院
上海で緊急手術をした。
4月10日に税関セミナー(2回目)を開催したが、この前日から、右目の視界がおかしくなった。その際は香港だったので、上海に戻ってからクリニックに出かけたが(16日)、かなりひどい網膜剥離で、一刻も早い手術が必要と言われ、その日の午後に病院で精密検査。翌日(17日)には手術となった。部下(上海総経理)が、上海の医療関係者に人脈が有るのが助かった。
綺麗で立派な病院。医師、看護師、その他の職員の方々も随分親切で対応が良い。手術をするのは人生2回目。1回目は、約10年前の香港だったが、そこでの手術は散々だった。比較すると、今回の病院は、全ての水準で(人柄的なものを含めて)、前回の香港に比べてはるかに良い。
網膜剥離だけではなく、白内障の手術も同時に行ったので(水晶体の交換)、かなり大掛かりな手術になった。麻酔は3種類から選べるという事だが、説明を聞いているだに怖いので、全身麻酔を選択。午後3時に手術室に入り、終わったのは午後6時半頃だったらしい。麻酔が覚めたのは夜7時半。部下の王さんが付き添ってくれたが、やはり、全身麻酔が醒めたときに、知っている顔が有るとほっとするなと実感。ちなみに、上の写真は、王さんが撮影してくれたもの(水野は使いたがるだろう、という点を、よく分かってくれている)。
そして翌日。気分の良い病室。午後11時に検査を受けて、退院可能となった。食事もなかなか美味しい。
そんなこんなの手術と入院。周りの人々に守られて、無事手術・退院できた。感謝しかない。すぐに退院はできたが、体力は消耗しており、3日間程度は、立ち上がると嘔吐感が残った。体力低下はやむを得ない。そして、木(退院日)・金のお休みをもらって、今日から仕事再開。体調を見ながらですが、現場復帰しました。頑張ります。
久々のバトラー
Wooloomoolooでの会食が終わった後、ペニンシュラホテルのフェリックスバーに行こうと思い立つ。2年間行っていない。僕が好きなバーだ。期待にあふれて専用エレベーターに乗ろうとすると、閉まっている。どういたことかと思えば改装中だ。残念!断念して、バトラーに方向転換する。
ちなみに、下の写真はペニンシュラホテルのGF。ここには丸紅退職数日前の思い出が。丸紅の先輩が送別会を開いてくれることになっていたのたが、折悪しくシグナル8のひどい台風。数日前の送別会にもシグナル8が有ったのだが、この時は、結構店が開いていて、無事に宴会を開けたが、この日のシグナル9はけたが違う。予定していた店は臨時閉鎖で、試しに5軒かけたが全くつながらない。当然中止だろうと思っていたら、先輩が50軒電話をかけて開いてる店を探してくれた。シェラトンホテル内の日本料理店だ。まさに、執念の宴会場確保。
そこで食事をした後に寄ったのが、ネイザンロードを挟んだトイメンにあるペニンシュラのロビーラウンジバー。ひどい風のため、正面入り口は塞がれており、裏口から入る。この広い空間が二人のために貸し切り。中二階の弦楽の演奏もあった。
時折鳴る、ゴーという凄まじい風の音を聞きながら、数日後に迫った退職と独立への不安を募らせたが、同時に、そこまでして送別会を開いてくれた先輩(後に会員契約をしてくれた)に感謝した。ペニンシュラのGFを実質貸し切り。今後もう無いであろう贅沢な空間は、いまだに素敵な記憶として残っている。
バトラー到着。ここに来たら、先ずはブルーベリーマティーニを飲む。ここでは一番好きなカクテルだ。そして、栗のリキュールを使ったカクテルを作ってもらう。
久々だが、美しいカクテルを飲めて満足した。
講演がある1日
最近、飛行機に乗ると、どっぷりつかれる。香港到着初日は、安眠薬を飲んで、夜9時に寝てしまった。という事で、朝早くから始動。
お腹が空いたので、コンビニにサンドウィッチを買いに行く。セブンイレブンのサンドウィッチは、HK$23~30という感じ(500~600円)。前夜に、寝るときのための水(エビアン500ml)を買ったが、1本400円。3本買ったので1,200円だ。物価の高さは何とかしてほしい。
オンライン講演は順調に終わった。明るい気分で夕食に。場所は、僕が好きなチムトンのwooloomoolooだ。思えば2020年9月、コロナのせいで1月~9月の期間香港に入れず、やっと入境し、2週間の隔離を終えたとき、一人でまず行ったのがこの店だった。海辺で景色も良いので、外の席を選ぶと快適だ。店員さんもサービスも、料理の味も良い。そして、グラスワインの種類が多いのも助かる。なかなか良い店だ。
一人で行くとあまり食べられないので、このガーリックプローンとステーキ程度だが、今回は、3人なので、そこそこ選べる。シーザーサラダだけは外したが、あとは美味かった。
メインは、最近気に入っているウェリントンステーキにしてみるが、これは、上海で食べている店に軍配が上がる。まあ、なんだかんだ言ったが、楽しい会食であった。
香港到着
皆さまにとってはどうでも良いこととは思いますが、自分は、入ったレストランにマカロニサラダが有れば、無条件に食べることにしています(非常に好きだという意味)。そして、たどり着いた、理想形はこちら。
まず、ハムは必要。マカロニサラダを好きになったのは、小学校6年生に、エミールと探偵たちを読んでからで、そこには「ハムマカロニー」と表現されていた。そして、枝豆。子供の頃、母親はキュウリを合わせていたが(それはそれでよいのだが)、試行錯誤の結果、枝豆が良いと結論。そして、シンプルである事。手の込んだものは、あまり美味しくない。
そんな、どうでも良いことを書いているうちに、上海から香港に移動。日経新聞でも記事になった、八十二銀行さんとの業務提携で、出向者を一名受け入れる。その打ち合わせが主目的。虹橋のラウンジで食事。何時もは、美味しくもなく不味くもなく、という微妙な味だが、今日の食事はまずまず。
空港到着後、順調にカオルーンホテル到着。ここは、20代の実務研修時代によく泊まった。この年齢になってまた宿泊すると、懐かしいやら、わびしいやら。ともあれ、香港のホテルが高い。カオルーンホテルも、ビジネスホテルとして悪くはないのだが、1泊2.5万円と思うと、それはないよなあ・・・、と思う。ペニンシュラホテルの真裏なので眺望はない。
翌日は講演会なので、この日は簡単に。ホテルの2階のバーでフィッシュアンドチップスを食べる。色々不満が多い香港だが(特に、物価が高い点)、洋食の美味しさは魅力。特に、フィッシュアンドチップスのカラっとした食感は香港ならでは。
昔は、結構泊まったよなあと、ちと恨めし気にペニンシュラホテルを観ながら食事。SARSの頃に、香港ID保有者には、すごく魅力的なオファーを出していた。SARSの思い出はペニンシュラホテルに良く宿泊した思い出。そんな頃が懐かしい。
上海から日本に移動
書く順番がくるってしまいました。3月22日の出来事です。
朝9時浦東空港発の東方航空で日本に移動。到着は成田空港。何時もの様に、前日にDIDIで車を手配。朝6時の出発。配車、デリバリー、乗り捨て自転車等、最近、中国の生活の方が、日本よりも便利だと思うことしきり。何時もJALを使うが、春休みシーズンで、チケットが妙に高い。それもあり、今回は東方航空。早朝のビジネスクラスが安かったの。東方航空の国際便は、チェックインが、すさまじく長蛇の列になる。これを回避できるビジネスクラスは有難い。というか、必須な感じがする。
ラウンジでラーメン。特に美味しくもなく不味くもなく。あまり感動はないが、無料で食べられるのは有難い。
ゲートに向かう。ディレイ無し。定刻に出発。
座席は快適。機内食は、美味しいとは言えない(帰りは、福岡発のエコノミーだったが、この機内食は気が利いていて美味かった。やはり、日本で作った機内食の方が味が良い)。
成田到着は12時半頃。13時には入国審査を終えて外に出たが、そこからが大変。横浜駅行きリムジンを待つこと50分。リムジンが横浜駅に到着するのに2時間以上(130分)。横浜で買い物をしたので、その時間ロスはあるのだが、なんだかんだで、実家到着は夕方6時。一日がかりの移動となってしまった。今回は、成田空港の不便さにぎゃふんといった。
山手十番館で部下と会食
水野コンサルタンシー日本事務所の昼食会。去年9月の誕生日に部下が誕生会を開いてくれると言っていたが、母親の体調悪く延期してもらっており、半年経っての還暦祝い。場所は、ぼくの希望で山手十番館となった。
この十番館に初めて行ったのは、小学生の時なので、約50年前。大切な時に使ってきた思い出深い場所。料理の味ならもっとうまい店がたくさんあろうが、自分的には、他とは違う場所だ。
「上海、広州は会食している写真が載ってましたが、日本でやっと食事会ができましたね」と言われる。特段の意図はないのだが、ここ最近は、親のケアもあるので、日本滞在中は、「会食会は、1回の滞在に付き1回のみ。実家に極力近い場所で昼の会食」を前提としているので、なかなか実現できなかったという次第。
まずは前菜が出てくる。盛り付けが面白い(スペースがやたらと広い)。横浜らしく、海をイメージしたものか。
ポタージュとパンが旨い。主食を一定量に絞っているのだが、我を忘れて3つ食べてしまった。それほど美味い。
店の人に写真を撮ってもらう。ほとんどのお客さんに声をかけていた。撮りなれている感じ。やはり、特別な機会に利用する客が多いのだろう。
杉山日本所長との付き合いは20年。横幕さんは(丸紅経理部時代からなので)30年。当社は、古い仲間が会社に留まってくれているのが有難い。上海総経理の胡さんが18年(丸紅出資のコンサル会社から)、広州総経理の麦さんは27年(新卒で丸紅広州に入社して以来僕と仕事をしている)。香港の水嶋さんは17年。みんな長い付き合いなので、僕の考えはよく分かってくれているし、会社に対する愛着も持ってくれている。これが時間の蓄積だな。今後の展開などを語りながら、穏やかな時間を過ごした。良い時間だった。感謝。
2006年前に住んだ家
スピークロウのカクテルを飲みたくなって、复兴路まで行ったが、何と改装中!うろたえていると、工事のおじさんが出てきて、「この近く(雁荡路)に同経営のバーが有るから行ってみなよ」と教えてくれた(親切だ)。10分歩いて、SOBER COMPANYというバーに行く。バーテンダーの場所を挟んで、両面にカウンターが有る不思議な構造で、どう撮影しても他の客の顔が入る。撮影断念したので写真無し。雁荡路と言えば、2006年に、僕が上海で借りた部屋が有る場所。飲み終わると、そこを見てから帰ることにした。ここが、その入り口。
ここから先は、2006年当時の写真。
当時の家賃は6,500元だが、丸紅の単身者の家賃限度が12,000元程度の頃。半分の価格の部屋に住む僕は変人扱いされたが、上海では、収入ゼロから開始したため、これが当たり前という意識でいた。とはいえ、なかなか素敵な老房子。古い映画に出てきそうな、優雅な作り。隣部屋の老夫婦も上品だった。難点は、4階だったので、水圧が弱く、お湯がなかなか暖かくなってくれない事。これには難儀した。ただ、僕の上海の生活開始の場所。思い出深い場所である。
これは現在の付近の写真。この通りは、昔は石畳だったのが、今では普通のアスファルトになっている。それが残念だ。
長楽路の福ちゃんで20年前を懐かしむ
福ちゃん1号店に行った。新世紀広場(今はない)、栄華東道には1年以内に何どか行ったのだが、1号店は、やはり一味違う。僕がコンサルを始めた2001年、若しくは、2002年に行ったのが最初だろうから、回数は少ないが、それなりの付き合いだ。
新橋にでもありそうな雰囲気が良い。壁にかかった竹の品書きが、20年前には、まだ真新しかった。当時は、上海にラーメン屋が少なかったので、焼き鳥屋ながら、福ちゃんのラーメンが一番おいしいという人が多く、一通り食べて歌った後に、ここで〆のラーメンを食べる人が少なからずいた。僕も、仲間と日本酒を浴びるほど飲んだ後、ここで〆た懐かしい思い出がある。
壁にかかっている店員さんたちの絵が、今では焼き鳥の煙で焙られて、絵である事すら分からない。僕が独立した当時(2008年頃)は、絵が鮮明だった記憶が有るので、時間の経過を感じるな。思い出すのは自分の青春やら、一緒に飲んで騒ぎ、そして仕事をした仲間たち。
そんな懐かしい思いが募ったので、裏の花園飯店に行ってみる。何度もこのメインボールルームで講演会をやった。この写真2枚は、2006年の僕の上海進出講演時のもの。懐かしい。ただ、まだゲームは続いている。プレーヤーとして、時間を刻んでいこう。