2006年前に住んだ家

スピークロウのカクテルを飲みたくなって、复兴路まで行ったが、何と改装中!うろたえていると、工事のおじさんが出てきて、「この近く(雁荡路)に同経営のバーが有るから行ってみなよ」と教えてくれた(親切だ)。10分歩いて、SOBER COMPANYというバーに行く。バーテンダーの場所を挟んで、両面にカウンターが有る不思議な構造で、どう撮影しても他の客の顔が入る。撮影断念したので写真無し。雁荡路と言えば、2006年に、僕が上海で借りた部屋が有る場所。飲み終わると、そこを見てから帰ることにした。ここが、その入り口。

ここから先は、2006年当時の写真。



当時の家賃は6,500元だが、丸紅の単身者の家賃限度が12,000元程度の頃。半分の価格の部屋に住む僕は変人扱いされたが、上海では、収入ゼロから開始したため、これが当たり前という意識でいた。とはいえ、なかなか素敵な老房子。古い映画に出てきそうな、優雅な作り。隣部屋の老夫婦も上品だった。難点は、4階だったので、水圧が弱く、お湯がなかなか暖かくなってくれない事。これには難儀した。ただ、僕の上海の生活開始の場所。思い出深い場所である。

これは現在の付近の写真。この通りは、昔は石畳だったのが、今では普通のアスファルトになっている。それが残念だ。

長楽路の福ちゃんで20年前を懐かしむ

福ちゃん1号店に行った。新世紀広場(今はない)、栄華東道には1年以内に何どか行ったのだが、1号店は、やはり一味違う。僕がコンサルを始めた2001年、若しくは、2002年に行ったのが最初だろうから、回数は少ないが、それなりの付き合いだ。

新橋にでもありそうな雰囲気が良い。壁にかかった竹の品書きが、20年前には、まだ真新しかった。当時は、上海にラーメン屋が少なかったので、焼き鳥屋ながら、福ちゃんのラーメンが一番おいしいという人が多く、一通り食べて歌った後に、ここで〆のラーメンを食べる人が少なからずいた。僕も、仲間と日本酒を浴びるほど飲んだ後、ここで〆た懐かしい思い出がある。

壁にかかっている店員さんたちの絵が、今では焼き鳥の煙で焙られて、絵である事すら分からない。僕が独立した当時(2008年頃)は、絵が鮮明だった記憶が有るので、時間の経過を感じるな。思い出すのは自分の青春やら、一緒に飲んで騒ぎ、そして仕事をした仲間たち。
そんな懐かしい思いが募ったので、裏の花園飯店に行ってみる。何度もこのメインボールルームで講演会をやった。この写真2枚は、2006年の僕の上海進出講演時のもの。懐かしい。ただ、まだゲームは続いている。プレーヤーとして、時間を刻んでいこう。

ダイエットと筋トレ

何時もながら、目立ちたがりのパーソナルトレーナーに撮ってもらった写真。良く写真撮影してくれるのは良いのだが、必ず一緒に入ってポーズを取りたがるので、人々の関心がそちらに行ってしまうので困ったものだ。まあ、それで、アクセスが増えればよいのだが・・・(笑)

ボディビルダーのような身体になると、後戻りできなくなってしまうので(更に、しんどいし、生活上の不便も出てくる)、そうならない程度に頑張って筋トレしているが、少々標準サイズと変わってきて、Yシャツが全滅。先日の早稲田大学での講演前に急遽出来合いのものを購入したら、首回り36cmだが、41cmのものを買わないと着られないと言われた。全く以てフィット感が無く、見た目が悪い。またオーダーメイドで作ると金がかかる。という事で、少々気が滅入る今日この頃。

ダイエットは、3Kg痩せて停滞気味。ともかくご飯が食べたい。そんなこんなの気持ちで食べた朧月の焼き魚ランチが旨かった。炭水化物を食べる幸せ。

元同僚(後輩)に呼び出される

何時もの様に朧月で一人食事をしていると、元同僚(丸紅の後輩)から呼び出しがかかる。ちょうど付近の店で飲んでいるようなので、店に移動。

一人は経理部の後輩なので30年の付き合い。もう一人は僕の香港駐在の時なので22年の付き合い。思えば時は流れ、彼らは定年年齢に近くなり、色々と立場も変わった。

それでも、こんな形で、上海で一緒に飲めるのは嬉しいことだ。

上海帰任

午後2時半のJL便で上海帰任。YCATからリムジンに乗るが、第3ターミナルに行くバスまで30分以上あったので、スタバで昼食を食べる。ラウンジで食事ができず、少々残念だ。ちなみに、ラウンジでは、オールフリーのビール(ノンアル、プリン体ゼロ)を飲んだだけ。ビールと思わなければ、それなりに美味しいなという感想。

いつも遅れるJL85便がこの日は定刻出発だ。そして、かなり久しぶりに、国際線のビジネスクラスに乗る。あまりに久しぶりで、シャンパンが飲めることすら忘れていた(笑)。上海・東京は、飛行時間がたかだか2時間なので、高い料金を払うのは勿体ないというのもあるのだが、三年続いたコロナ時の苦境から、一年がかりで巻き返し中というのも大きな理由(やっと一息つきかけている)。オーナー企業の社長は、時々の経営状況が自分の福利厚生に直結するのが辛い。もう少しで楽になるので、あとひと頑張りだ。

初めて見る形態の座席。ゆったりとくつろげる。

食事も旨い。せっかくなので、シャンパンと赤ワインを飲む。そして1時間ほど睡眠。確かに、身体への負担はかなり楽だ。

タイミングがよく、浦東空港では待たずに入国手続きができ、タクシーに乗り込めた。帰宅すると、朧月で食事。回鍋肉と麻婆豆腐。

早稲田大学で講演

概ね年に一度、早稲田大学で講演をさせて頂いているが、昨日(2024年2月27日)18時半から、26号館(大隈会館)で講演だった。夜の講演なので、昼は余裕がある。今回の出張期間中に、是非、ゴジラ-1.0を観たかったので、桜木町の映画館で鑑賞。面白かったが、あまりに評判が良いので、期待が膨れ上がりすぎていた。ストーリーも把握できていたし。もう少し、まっさらの状態で見たかった。終わったら、同じフロアの中華料理屋で担々麺。眺めは良いが、味は、可もなく不可もなく。

途中でレジュメを読み返しながら移動。早稲田到着。懐かしの三品食堂。現在の年齢で食べられるとは思えないので、外から存在を確認しただけ。ただ、懐かしい。

到着が早いので構内をゆっくり歩く。時期的に、誰もいない。受験も終わっているので、あと1か月ちょっとすれば、新入生が入ってくる。毎年、こうして新旧が循環するのも学校ならではだな。


今回のテーマは、「中国のビジネス制度・環境の変化と日本企業の経営判断」。中国の現状と、日本企業がどうすべきかの提言を90分で話した。

構内を散策し、大隈庭園のカフェで最後のレジュメ読み込みをすると、会場の大隈会館に向かう。日が暮れてきて寒い。

今回の教室は、こんな感じ。

やはり母校での講演は、特別なものがある。そして、毎年繰り返していると、もう友人と言える方々が顔を出してくれるので、同窓会のような楽しさだ。僕を気に入ってくれる方には、うるさ方が多い。他の講演会開始前に、主催者から「ちょっと面倒な方が来てますが大丈夫ですか?」と言われ、誰かと思えば、「大丈夫ですよ、僕の講演には必ずきてくれるファンの方です😄」と言ったこともあった。コンサルタント不要論者や、うるさい方々に気に入ってもらえるのは嬉しいことだと思う。


20時に講演が終わると、参加者の方と懇親会に。ほぼ顔見知りの情況だけに、和やかな交流会となった。幸せな一夜であった。

税関・保税開発区・加工貿易セミナーのご案内

有料セミナーのご案内です。毎年1回、恒例となった税関関連セミナーです。4回にわたり、「通関制度、関税評価額の算定、越境Eコマースを始めとするビジネスモデル、保税開発区のオペレーション(通関・外貨決済・その他)、加工貿易制度、分かるようでわからなかった自由貿易試験区とは何なのか、その他」に関して、徹底的に解説します。

他にあまりない(多くの専門家が敬遠する)、税関関連オペレーションを、通関、外貨管理、納税の多方面から解説しますので、是非、宜しくお願い致します。

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香港華南地域における八十二銀行との提携

水野コンサルタンシーホールディングス(Mizuno Consultancy Holdings Ltd)は、八十二銀行と、香港・華南地域における包括的な連携協定を締結し、共同で香港・華南デスクを設置することで合意致しました。
八十二銀行との業務提携内容は、以下の通りとなります。

(1)弊社オフィス内に香港・華南デスクを設置し、八十二銀行からの出向者を受け入れます。これにより、同行の取引先企業を中心に、総合的なコンサルティングサービスを提供してまいります。

(2)香港・華南デスクを通じて、同地域の日系企業の発展と、円滑なビジネス展開をサポート致します。

香港・華南デスクの設置は、2024年4月を予定しております。

尚、日経新聞の記事は、こちらでご確認頂けます。

真木乃@安順路でふぐを食い満足する

上海に戻った翌日、安順路の真木乃でフグを食べる。何度も書いたが、真木乃(元々の店)とMakino(新華路にある大将が独立した店)が有る。両方良い店なので、自分としては、交互に行っている感じ。この日は、河豚を食べたい!と決め打ちで、コースをはじめからお願いしておいた。

750元のコースで、物価の高い香港から帰ってくると、良心的だと思う値付けである。そして、この河豚が旨かった。中国で食べた中では断トツで、数年前に日本の河豚専門店で食べたものより美味かった。フグの寿司が特に印象に残った。

フグひれの仕込みを大将がしており、「飲みませんか」と言われたが、残念ながら糖質制限中で断念。しかし、ひれ酒は美味いだろうな、と思わせる仕込みであった。

ともあれ、上海に戻り、ほっとした会食であった。

 

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ