年末に日本到着(仕事をしながら慌ただしい移動)

2025年12月30日に虹橋から羽田に移動。空港にスヌーピーができている。可愛いね。空港は、昨今の情況では平均的な混み方。前のような行列・混雑がないので、個人的には快適だが・・・

今月(12月)は2回目の日本移動なので(機内食の内容は一緒なので)、前回は和食、今回は洋食。結果、両方とも美味しかった。先月の機内食はがっかりだったが、同じ場所の同じ便でこれだけ差があるのは不思議。ともあれ、今月は満足だ。機内サービスも含めて。

急ぎのご質問やら見積もり依頼に追われ、ラウンジ内だけでなく、飛行機内・電車内でPCを打ち続け、最後は気持ち悪くなった。ともあれ、忙しいのは有難い限りで、今年もお世話になりました!という感じ。
11月27日の講演(&12月2日の追加講演)でも解説した組織再編のご相談が今年は本当に多かった。実は、組織再編が僕のコンサルティングのきっかけになっている。1991年に、丸紅台北支店の組織再編(台湾会社に再編)関係で出張する機会を与えてもらい、1992年の丸紅上海事務所の現法化では、2回の出張を含め、経理規則の作成、業務移管スケジュール作成を始めとして、色々修業させてもらった。組織再編は新設・閉鎖・営業移管が全て同時に行われるので、単純な新設や閉鎖よりも難しく、ノウハウが詰まっている。そのパズルにはまり込んだ若手時代だった。
そんな思いも有って、2005年に中国組織再編・撤退マニュアルという本を出したが、早すぎて全く売れなかったのは苦い思い出だ。20年弱早すぎたな。ともあれ、組織を良くするための再編。そんな思いがあり、ご依頼・ご相談が続いているのは有難い。

CAの方が「富士山が隣ですよ」と声をかけてくれたので写真が取れた。空が綺麗で良い日だった。

ともあれ今年もお世話になりました。今日は大晦日ですが、今日も働きます(まあ、三賀日もそれなりに働くのですが)。クライアントの皆さまは、ご遠慮なく質問ください。

うどんを食べる

ある日うどんが食べたくなり、麺屋双をデリバリーしようとしたら定休日だった。うどん路線は変えられず、やむなく蝦の家で好みの天ぷらをデリバリーし、冷凍うどんを茹でてみる。

翌日麵屋双でリベンジ。写真の撮り方が悪いが、安定している。

これはおまけ。
昨日食べた現地生産どん兵衛。日本産と比べると、味は少し違う(スープの透明感がない)が悪くはない。中国本土でも、どん兵衛が安く食べられるようになったのを歓迎しよう。

トレーニングして朧月で忘年会

12月26日は水野上海の忘年会だった。場所は朧月。今年ももうすぐ終わり。日中間は色々あるが、僕自身は会社の情況も良く、散々だった2024年に比べると順調な一年となった。来年は、もっと良い年にしよう。
忘年会前にトレーニング。今年のジムもほぼほぼ最後だ。

料理はこんな感じ。全て僕が注文したので、僕の好みが完全に反映されている。社員たちは初めてなので、結構興味津々で食べているが、特に、麻婆豆腐が受けていた。朧月の麻婆豆腐は微辛で十分。中辛だと四川人でも辛いという。

今年は部下も良く頑張ってくれた。特に、最近2か月はかなり過密な業務状況だったが、おかげで無事決算も乗り切れそうだ。感謝

鮨斉(ひとし)で寿司を食う

家の近所(金珠路)にある鮨斉という店に昼食に行く。この店は、以前予約が入らず断念したことがある。予約時に600元(12,000円)の保証金が必要なので、確定時(当日)まで待とうと思ったら満席になってしまった次第。そんな訳で、早めに予約してリベンジだ。今回は昼食だが、やはり満席。人気店だな。

ここも中国人の板前さんが3人(しかも全員若い)。ネタを見せてもらったが非常に新鮮で良い。どこから調達しているのだろうか。ともあれ、期待が膨らむ。

料理はすべて美味い。寿司は赤酢で、普段は特別赤酢の鮨は好きではないが、今回は非常に好ましく感じる。

中国人の職人さんの技術もここまで上がったかと思わせる。料理の腕だけなら、日本人でなくても良いとは思う。ただ、日本人の職人さんなら、会話をしながら体調や好みに応じて出す品を変えてくれる。この会話と間合いが好きなので、どうしても日本人の職人さんがいる店に足が向く。ただ、それは日本料理の特殊性で、フレンチや中華のコースを食べる感覚で考えれば、こういうものともいえるであろう。


鮨の写真は枚数が多くなるので大変だ。ともあれ満足して食べ進む。海老の天ぷらが挟まれているのが好ましい。


赤貝と中トロ。好きなネタだ。美味しく食べる。

ここまで来るともう満腹で食べられない。太巻きは綺麗で美味しそうであったが、泣く泣く断念。そして最後の写真は、サービスでくれたエイヒレ。

二日連続して良く食べた。この日は晩飯は殆ど食べられず。最近、やっと休肝日を作るのが習慣になった。先月、風邪(インフルエンザ気味?)で酒を抜いてひたすら寝たのが良い習慣につながった。少し前は、孤独のあまり酒を飲まない夜が辛かったが、今では酒を抜いて早寝した翌朝の心地よさが勝るようになった。以前、毎月10日の酒抜きをしていたが、それを復活させるつもり。年齢が上がれば、昔の様にはいかない。仕事も忙しい状況だし、体調に気を付けよう。

割烹暁月で会食

数日前、丸紅の時代の先輩に、現在の中国の生活はどうかと問われ、「非常に平和。自分が出会う中国人の方々はみんな親切で、日本人であることの不都合は何もない。2012年は怖かったが、それとは明らかに違う」と回答。その先輩(中国経験は非常に豊富)も、「中国歴が長い自分でも、暫く中国に入っておらず、日本の報道だけ見ていると、中国は危険だと思ってしまう。状況が分かってよかった」と言われていた。お互いどの国でも同じようなことは有る訳で、この点は現地にいる人間が、客観的に淡々と情報を出すしかないなと感じる。客観性を欠いた情報は嫌いだし、感情的な発言は誰にも聞いてもらえない。

それはさておき、家の近所にある割烹暁月に行った。ここは中国人の板前さんの店では、目下一番気に入っている。お任せオンリーなのが単品派の僕と合わないが、味も良く雰囲気も良い。トップの板前と二人のお弟子さんが非常に良いチームワークできびきびと動いておりショーを見ている様だ。カウンターの客は、同時に同じものを食べるシステム。


この烏賊とマグロは美味かった。切り方、あぶり方が絶妙。

蟹は(日本から入らないので)北朝鮮から仕入れたとか、蝦蛄は東南アジア(国名忘れ)など、色々調達の工夫を教えてくれた。下の蟹の調理などは、非常に繊細だ。白子は嫌いだが、河豚の白子なので食べてみた。


これはマグロとトリュフの釜めし。旨いが、この段階で満腹で食べられず彩を楽しむ。ただ、銀杏は食べてしまう。料理は一人900元(2万円弱)なので安くはないが、酒の持ち込みは寛容で、花邑純米大吟醸を100元の持込料で飲ませてくれた。日本酒に合うよと、特別カラスミをサービスしてもらい、(過剰満腹になったことを除けば)楽しく和やかに会食を終えたのであった。

中国人の日本料理調理人のレベルもここまで来たかと思わせる店。あと、この板前さんの雰囲気、性格が良く、店を楽しいものにしている。良い店だと思う。

鉄板を買いナポリタンを作る

銀行に行くついでに金虹橋に行き、ニトリを除いてみることに。特に目的はないのだが、ふと思いついての気まぐれ。ここで鉄板発見。名古屋飯というのは、さほど好きではないが(味が濃い上に、甘辛い味付けなので)、鉄板ナポリタン、天むす、山本屋味噌煮込みは例外的に好きだ。鉄板ナポリタン用の鉄板は、揃えておきたい(過去の居住地である東京、台北、香港でも購入した)。上海でも探していたが、やっと購入できた。

これで、1989年の福州を除けば、全ての居住地で鉄板を揃えたことになる(さすがに、あの当時の福州では無理だった)。

早速、夜にナポリタンを作ろうかと思うが、玉ねぎ・ソーセージが必要で、これを買ってもおそらく滞在中に使いきれない(年末年始は日本)。迷った末に、ナポリタンのデリバリーを頼み、鉄板に卵を引いて乗せることに。鉄板ナポリタン(というより、水野家の鉄板ナポリタン)は、手が込んでいるよりもシンプルな方が美味しい。シンプルものを作った上で、卵を引いた鉄板に載せると、軽いパリパリ感が出て味が変わる。これが美味しい。今回、極力シンプルなものを頼んだが、やはりパリパリ感がいまいちであった。今度は自分で作ろう。

肝心の鉄板だが、小さくてスパゲティがこぼれたり、食後卵がへばりついて落としにくかったりといまいちであった。同時に買ったフライパンを今度試してみよう。

鉄板焼き

12月は出張(広東省・日本)が多いので、その間を縫って宴席をこなす。長い風邪をひいたプラスの効果で、一定の休肝日を作らねばという意識が芽生えた。かつては、毎月10日間酒を抜いていたが、それを復活させようと思い、結果、昼の宴席を入れるようになった。
この日は鉄板焼きをセレクト。行ったことがある店にしようと思ったが、なぜか電話が通じず、鳴竜上雅鉄板焼きという店にした。家の近くで何度も前を通りがかっているが、行く機会がなかった店で、ものは試しと予約した。

二人だが個室でサービスは大変良い。鉄板調理師もフロアの店員も何かと気を遣ってくれる。大衆点評の団体購買で二人1000元程度のコースにしたが、費用対比は悪くない。ただ、料理が選べないのは辛い。このでかいフォアグラは食べられない。

肉は美味しいけれど、魚系はいまいち。活きロブスターを調理してくれたが、少し土臭い感じが。

炒飯は写真撮り忘れ。野菜炒めは満腹で食べられず、デザートはお断りした。店の方々の努力もあり、悪くはない店だがアラカルトで選んだ方が良いかもしれない。そんな事を感じながら、そのまま自転車を1時間漕いで(腹ごなしのため)帰宅した。

上海に移動

12月18日の14時半便で羽田から上海に移動。この便は、空港も比較的空いているし、ゲート横づけになるし(JAL17時半発便だとバスで飛行機まで行くことになる)、快適度が高い。昼食を食べていないので、キャセイラウンジで。大変美味しい食事であった。無料で食べさせてくれてありがとう。

機内食はこんな感じ。焼酎を頼んだが、日本で10日連続酒を飲んだため、ちょっと舌を付けただけでギブアップした。最近、休肝日を作るのが習慣になっている。美味しく食事をし(これが夕飯)、そそくさと寝た。

移動前にみなとみらいで一泊

12月18日に上海移動だが、クライアント様より、前日の夕方に面談⇒会食のオファーを頂いたので、みなとみらいのワシントンホテルに1泊した。このホテルは、出張者を泊めるのに何回か使ったが、自分で泊まるのは初めて。ビジネスホテルなので、特筆すべきものはないが、高くない割に眺めが良い。寝るだけだし、眺望代だと思えば価値がある。

桜木町は変わった。みなとみらいは、僕が大学生頃までは埋め立て地で、桜木町駅も汚かった。高校の時のイメージは、桜木町は汚くて臭い(埋立地のにおい)という事で、良い印象はなかった。こんなに見違えるようになるのだから、歴史の変化というのはすごい。
学生時代の桜木町の思い出と言えば、1980年(高校時代)、紅葉坂ホール(小さい音楽堂)に、人気者になる前のチャゲ&飛鳥のコンサートを聞きに行った事。同じ頃、まだ日本ではスパゲティと言えばナポリタンとミートソースしかなかったが、母親が「桜木町にボンゴレというすごいスパゲティがあるぞ」というので、わざわざ食べに行ったこと。あと、渋谷のNHKホールに、ちょくちょくコンサートを聞きに行ったが、桜木町乗り換えで、立ち食いコーヒースタンドでカツカレーをいつも食べたことかな(小麦粉カレーと紙のような且つだが、なぜか大好きだった)。不思議に懐かしい。

夜は野毛の鷹一にご招待いただく。相変わらずの人気店で、直ぐに客でぎっしり。いかの鮮度は本当によい。程よく飲んで、程よく食べる。

部屋に戻って就寝。翌日は、朝にオンライン会議をした後に、午後2時半発便で上海に。

とある場所の鮨屋

実家付近の鮨屋?鮨居酒屋?に初めて行った。そもそも行くつもりの店がやってないので、インターネットで急遽探したら出てきた店。小さな駅の小さな店だが、日本酒がかなり充実している。店主がかなりこだわりを持って、自分で探しているらしい。


4人で何種類か飲み、その殆どは普通に美味しい日本酒だったけど、最後の〆は古代米を使った伊根満開という日本酒の熱燗。「これはかなり癖が強いですよ(注意した方がよいですよ)」と言われて、承知して飲んだが、確かにその通り、本当に癖が強くて、これを飲んだらもう終わりという感じになる。シェリーとか、グラッパとかが好きな人には良いかもしれない。自分はもう飲まないと思うが、良い経験になった。

料理は普通に美味しい(特別感動はしない)感じだが、小さい駅の店にしては、なかなか楽しめた。また行こうと思う。

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ