返還記念日に香港で物思う

2018年7月1日。香港返還記念日だ。
21年前の4月に香港に赴任し、そのままここで暮らし続けている(まあ、中国本土、日本にも均等にいるので、そう書くと正確性を欠くが、主たる居住地という意味では、21年間香港だ)。
赴任早々、自発的に深夜残業(時には徹夜)、休日出勤を当たり前のようにこなし、仕事に早く慣れようと躍起になり(ついでに、0時に仕事が終わっても、往々にして、それから飲みにゆき)、3か月経過した返還記念の日に、電池が切れて立てなくなったのを思い出す。
返還から一夜明けた、あの時の香港。
何も変わらず、街に掲げられているユニオンジャックの青が赤になった。それが印象に残った。
ただ、21年が経過すると、街では北京語が幅を利かせ、人民元が存在感を増し、そして、その他のことも、少しづつ少しづつ変わっていった。
資本主義体制維持が公約された50年後(2047年)の香港はどうなっているのか。僕は、香港で見られるのだろうか。その時は、80代半ばだ。

そんなことを思っていると、休肝日にするつもりが飲みたくなった。久々に飲むジョニーウォーカーのブルー。
ちょっと楽しみだ。