2019年12月8日(日)の高速鉄道で、上海虹橋駅から福州駅へ移動。虹橋駅へは朝10時の到着。いつ来てもでかい駅だ。
1985年(34年前)の上海駅がこんな感じであったのだが、とても同じ国の駅とは思えない変わりよう。
いま感じるのは、圧倒的な豊かさだ。この発展は、30年前を知るものとしては、素直にすごいと思う。
昼食は、すき家の牛丼を食べる。日本で牛丼屋に行く事はまずないが(食事は、ある程度時間をかけたい方なので)、虹橋駅に来ると、かなり高い確率で、すき家の牛丼を食べている気がする。
席が商務席(ビジネスクラス)なので、かなりゆったりしており、完全に横になって眠れる。服務員のサービスも良い。
上海から福州までは、こんな感じで300Km/hで飛ばして5時間なので、それなりに体力が消耗する(飛行機よりは良いが)。商務席は、ちょっとした贅沢だが、5時間乗って1,100元(1.7万円)程度は悪くない。物価は、既に、中国の方が日本より高いものも多いが、交通費が安いのは有難い(というか、日本が高すぎか?)。
そんなこんなで、午後5時過ぎに福州駅に到着。
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冬の上海を散歩する
上海は冬だ。寒い。ただ、平和で、散歩も気持ちが良い。
というか、15時に浦東で面談が終わったので、上海総経理の胡さんと人民広場で分かれ、夕食会場である花園飯店まで歩いていく事にしたときのこと。人民広場から花園飯店は、30分ちょっとで歩けるので、適度な散歩だ。
歩く途中に、2006年、上海で初めて部屋を借りた場所を通りかかる。淮海路と雁荡路の交差点。
当時は、6,500元だったが、今は倍出しても住めないだろう。家賃の高騰は辛いものだ。
そして、当時の会社(花園飯店の中に、最初のオフィスを作った)までの通勤ルートを歩く。懐かしい思い出がよみがえる。
引っ越し初日に、「キャベツの新生活(有吉玉青)」を読んだら、まだ住居になれていない事と、本の内容の相乗効果で、寂しさで耐えられなくなった事とか。これは、この本んを読んだことがある方は分かると思いますが・・・
因みに、当時の部屋の中は、こんな感じ。芸術的な老房子。
(当時の)水野の新生活。懐かしい。
広州ヒルトン滞在で疲れを取る
午後1時に広州東駅到着。
そこから広州ヒルトンに。日本のホテルは、14時、若しくは、15時のチェックイン時間にならないと、絶対に入れてくれないが、中国のホテルは、部屋が準備さえできていれば、11時でも12時でも、柔軟に入れてくれるのが有難い。因みに、広州天河のヒルトンは、宿泊は初めてだが(講演会で使用した事はある)、サービスが良いホテル。部屋はウェスティンの方が良いが、サービスは、こちらの方が上だ。次回もヒルトンに宿泊しよう。
この日は人と会う約束が1件だけなので、ホテルのカフェであう。
夕方5時にはひとりになったので、ホテルの1階のカフェで、ビールを飲んで夕食(ピザ1個)を食べる。巨大だ。これを食べたら、他にはもう何もいらない。
一人飯は、終わるのも早い。18時半には部屋に戻るが、何故か疲労困憊。移動が多いというのもあるのだが、やはり、いまの香港にいると、精神的なストレスがたまるので、それが疲労感に繋がるのか。という事で、夜7時には就寝。
0時に起きたので、午前3時まで本を読んだが、また朝まで眠る。合計11時間の睡眠か。昨今の新記録だ。
おかげで疲れはずいぶん取れた。ホテルの部屋で、講演会(14~16時)のレジュメを読み込み、昼食もホテル内でタイカレーを食べ、会場の市長大廈に向かう。
そんな感じで、準備を整え出発だ。
講演後は、夜7時発の飛行機で、上海に出発。
ホンハム駅から広州に
12月は、7回講演会がある(合計16時間)。
まずは、香港でのビジネス講習会を終えると(3日)、翌日、ホンハム駅から広州に。ホンハム駅は一時期閉鎖されていたが、現在は復旧している。とはいえ、直通車のチケットは、当日のものしか買えない(事前購入ができない)し、間引き運転もあるので、大変不便だ。、午後一番では広州に着きたかったので、8時半頃駅に行き、10時50分のチケットを購入した。
ホンハム駅は、こんな感じで閑散としている。
時間をつぶすべく、2階のレストランで朝食。
香港の典型的な朝食である、出前一丁(目玉焼き・ソーセージ乗せ)をつい頼んでみる。懐かしい味だ。
5日に広州でビジネス講習会を終えると、上海⇒福州⇒厦門⇒上海⇒日本と移動する。年末のひと頑張りだ。
今風香港の日常生活
12月1日の夕方便で香港に。先ずは、ラウンジでのんびり。
香港到着すると、イルミネーションが美しい。
街は、ずいぶん以前とは様相が違うが(現時点でも、かなり信号が壊され、復旧していない)、空港は昔通りだ。
帰宅。
そして、ビジネス講習会のために、銅鑼湾へ。セントラルトンネルが復旧したのは有難い。
そんな感じの街中であるが、夜は、さすがに出歩きにくい。特に香港島側は、海を渡るので、帰れなくなるのではないかという不安が先に立つ。ここがかつての香港と違うところか。飲食店の方々は大変だろう。
ともあれ、香港にいるときは、夜はいつも自宅飯なので、冷蔵庫の在庫がずいぶん片付いた。
広州移動の前日は、ホンハム駅前のインド料理屋で、タンドーリチキンをテイクアウトして家で食べる。
アマゾンプライムを見ながら一人飯。これが、今風の香港ナイトライフだ。金が減らないのは良い事か。
昔ながらのチャーシュー麺を食べる
11月は2回日本出張が入ったが、月末の出張は4泊。
夜に羽田空港に到着すると、新宿のホテルに直行。翌朝8時のあずさ号(狩人の歌では、8時ちょうどは2号だが、今や5号だ。便数が増えているのか)に乗って松本に着くと、この日は、伊那⇒諏訪と面談しながら移動。翌日は3件面談のを終えると東京に戻り、クライアント様と宴席。その次の日は、東京で活動と、まさにバタバタの青息吐息。
ただ、出発前日は土曜日なので、NNAの連載原稿だけ書き上げれば、のんびりできる。こういう日は大切だ。
原稿を書き上げる前に、1.2万歩ほど散歩して、実家付近のラーメン屋で昼食。この店は、高校時代から店の存在は知っていたが、入るのは初めて。ともあれ、40年も続いているのだから美味かろう、という判断で入ったが、昔懐かしいチャーシュー麺を食べる事ができた。今度は、ここでビールを飲みながら食事がしたい。
忙中閑あり。まさに、そんな1日だった。
長野出張・ローメンを食べる
1泊2日で、長野(諏訪・伊那)に出張した。82銀行との提携の関係で、取引先のご相談をお受けするための出張だ。諏訪・伊那は、実は初めての訪問で、何が食べられるか楽しみであった。
最初は伊那なので、名物は何かと探すと、ローメンと出る。中国語?と思ったら、炒肉麺(チャオローメン)の最初のチャオが取れてローメンになったとの説明だ。やはり中国語。なぜ、伊那に来てこれがご当地グルメかという点はあるのだが(経緯は、インターネットで検索下さい)、食べてみると、懐かしい味がした。これが考案された当時は、冷蔵庫が普及しておらず、麺が日持ちする様に、蒸した麺を使用したのがローメンという事だ。その味は、中国の路上で(特に、上海当たり)、でかい中華鍋で料理を作っているおじさんに作ってもらった焼きそばそっくりだ。
1泊2日で、面談6件。
あずさ号で、東京に戻ると、クライアント様と会食。
あわただしくも、充実した短い日本出張であった。
贈呈頂いた本を読む
ジャーナリストの中島恵さんと、久々(SARSの時以来、16年ぶり)にお会いした時に、贈呈頂いた本を読んだ。
日本の中国人社会をテーマにしているが、後半になるにつれ、中国人個人に視点が移っていく。
その描写は、自分の半生とオーバーラップする部分も多かった。
自分も中華圏での生活が合計25年になる。その間、外国人として、異国で生きている。それは、異国の文化を学びつつ、日本人としてのアイデンティティを大切にする時間であるが、日本にいる、中国人の方々も同じであろう。
異国で生きる時間は、必ずしも楽しい時間ばかりではない。苦しい思いもたくさんしてきたが、そのたびに、異国の方々に助けられた。今の自分が有るのは、そのおかげで、その感謝は何時も心の中にある。そして、その経験は自分の財産になっている。
昨今、世界中が排他的になり、そして、ヒステリックになっている。そんな時に、自分の経験を役に立てることができるのかを考えていきたい。人として正しく、強く、優しく生きていきたい。そんな思いで読み終えた。