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散々な日本移動(成田便はつらい)

1月は二回目の帰国。いつもながらのJALだが、今回は羽田便が買えず成田便。機体は小さい。更に、ビジネスクラスが売り切れでエコノミーとなったが、超満員すし詰めで過酷。冬は自分を含めて、全員厚着だからなおさらだ。
ついでにいうと、機内食(周りの人が食べてるのを覗き見)が絶望的で、上海のラウンジでラーメン食べて良かった(機内食を食べなくてよかった)と、安堵の胸を撫で下ろす。ラウンジラーメンはなかなか美味かった。
このラウンジラーメンは、上海の空港はいつも同じで、普通に麺を茹でてスープを入れてくれるだけ。それに具材(高菜、辛味ひき肉、がんもどき等)を選んで、醤油、ラー油、等等の調味料を自分で加えて完成させる。今回は。調味料の調合に成功したという事かな。

成田は、実家からはかなりアクセスが悪い空港なので、本数の少ない成田エクスプレスに間に合うか否かは大問題。焦りに焦るが、飛行機はゲート付けではなくバス移動な上に、到着場所が入国審査場から遠い。どこの空港でも、バスで到着する場合は、入国審査場に近い場所に着けるものだが。
おまけに体温のセンサー検査(どこ空港でも普通に流れているステップ)が大行列で、どうしたことかと思えば、中の人が多いということで、ゲートを閉めて止めている。やっと中に入ると、人を掻き分け日本人ゲートに着く。ここにはほとんど人がおらずガラガラ。何のことない入り口を日本旅券とその他で分ければ解決する問題が、全く対応できていない。中国の地方の国際空港より管理が悪いと思う。
入国審査を出たところに、改善要望書を入れる箱があったので、今回は、本当に出したかったが、時間がなく断念。悔いが残る。時間はギリギリ。成田は、鉄道チケット購入場所も整備が悪く、何時もずらりと行列している。到着人員に比較して、窓口、チケットの販売機が少ない上に、外国人が多く、操作方法を説明するガイドもいない。渋滞してくれと言わんばかりの対応だが、今回は幸い、比較的販売機の行列が短かった。
間一髪でエクスプレスに間に合う。不幸中の幸いだ。ほっと一息。久々に過酷な移動であった(ちと大袈裟)。成田空港はもう使うまい(少なくとも到着便は)。

それ以外は、こんな感じで、何時もの様に食事を作り、好きな日本酒を飲みで、実家滞在を一週間という生活である。これは豚汁。父親が大量に買ったジャガイモと玉ねぎを消費するための作戦だ。日本を離れる前に、カレーをまた作っておこう。

新華路24号MAKINO

新華路24号のMAKINOを訪問。谷口大将に書いて良いという許しを得たので書きますが、MAKINOは今年2月末で閉店し、大将は上海以外で新しい展開を始めるとのこと。
そんな訳で、行きたい人はお早めに!旧正月も開けるようです。
今回は、持ち込み料を払って、ハンドキャリーした満寿泉・純米大吟醸を持参。この満寿泉は、10年ほど前、北陸銀行さんと提携する時、富山を訪問して飲ませて頂いたのが、非常に美味しく印象に残っている。ただ、事前テストで、純米吟醸を買って日本で飲んだら、深みにかけて旨くない。純米大吟醸にすると、味がぐっと良くなり旨くなる。今回の純米大吟醸は大満足であった。

大将とは2006年からの付き合い(当時、利休という店で雇われ板長をやられていた)なので、僕の好きな料理は十分把握してもらっている。何も言わなくても、胡麻豆腐、麩等、好きな料理が出てくる。

ゴールが見えてきたためか、今回の料理はいつも以上に良い。味付けも良いし、刺身の鮮度も良かったな。

この焼き魚も絶品だ。満寿泉によく合う。

満足して、〆の鶏ごはん。
最近、懇意の店が閉店したり、親しい方々が帰国したりする。皆さん50歳を超えているので、年齢的に、人生の次のステップに移るのは致し方ないとは分かっているものの、心情的には寂しいものがあります。海外居住の宿命ですね。

無料公開動画

風邪で寝込んでいます。皆さまも身体にお気を付けください。
無料公開動画です。先日文章編を公開した、ダイソー・メイソウと日中の報道の動画編です。

ダイソー、メイソウと日中の報道:中国生活、最近の話題(動画編)

因みに、文章編はこちらです。

ダイソー、メイソウと日中の報道:中国生活、最近の話題(文章編)

私をスキーにつれてってを観ながら上海に移動

1月6日に上海帰任。今回は、11泊滞在と長かったのとイベントが多かったので、少々疲れた。空港には早めに着いて、羽田空港のキャセイラウンジでくつろぐ。

ほぼ定刻で出発。

機内食は洋食を選択。やはり、JALの上海便は、洋食が旨い。
機内エンターテインメントでは、先ず「スオミの話をしよう」を見たが、生理的に受け付けず30分で断念。今更ながらの「私をスキーにつれてって」を34年ぶりに見る。今からするとダサい(ベタ?)雰囲気満載だが、自分の若い頃の記憶を思い出して、少し涙が出た。なにせ、新入社員の年の映画だ。青春の思い出が、リンクされて出てくる。
この年齢になると、10年前、20年前が最近の話になってしまい、歴史の見方も若い頃とは変わってしまう。思えば、自分が生まれた1963年は、戦争が終わって18年しかたっていない。生まれる前なので、子供の頃は何も考えなかったけれど、18年前なんて、ちょっと前の出来事だ(自分が丸紅を辞めて以降と同じ程度)。親父は集団下校の時に、米軍機から機銃掃射を受けて、畔に逃げ込んだと言っていた。小学生に銃撃するんだもんなあ。そう思えば、平和の有難さというのを、もっとかみしめたい気にもなる。

浦東空港で預け荷物を待つが、荷物の輸送経路の映像が表示板に加えられ(しばらく前からだが)、自分の荷物がどう扱われているかを見ることができる。中国も日々変わるな。

父親がテニス全日本8位になったときの記録

これは元旦の写真。一人なら、おせちなどは作らないのだが(そもそも、好きではない)、父親と一緒なので、形ばかりに作ってみた。まあ、おせちの体裁は成していないが、おせちに使う食材の内、自分が食べられるものを外で買って、皿に盛っただけ。ダイエット中なので、雑煮は、自分の分はもち抜き。

これは、以前、父親に送られてきた「日本テニス協会60周年記念」の分厚い記録本。

父が昔テニスの全日本ランク8位になった時の記録がやっと分かった(20歳以下・ダブルス)。高校2~3年生で、8位と10位になっている。
後に全豪選手権でダブルスベスト8になった石黒修は、同じランクで5位(何度か戦い、一度、都市対抗戦で勝ったことがあるようだ)。家にたまたま兄のラケットが有ったという理由だけでテニス部に入り、初めてラケットを握った2年後(というより、1.5年後)に、全日本8位になったのだから、才能ってのはあるものだなと、子供の頃から思っていたし、逆に自分がテニスをやらない理由にもなってしまった。平均よりは運動神経が良かったが、父親を見ていると、明らかに違うのがすぐわかった。結果として、反発心から逆の路線(音楽やら武道やら)に行って、いまに至る。
ちなみ、同じランキングで成人部門1位の加茂は、同時期に、全米選手権のダブルスで優勝している。父は戦ったが、全く歯が立たなかったと言っていた。
ともあれ彼らは家柄の良いサラブレッド。小学校時代に両親を亡くし、兄姉に高校まで行かせてもらった父親とは環境が違いすぎた。食うために、高校時代の3年間でテニスを辞めて就職した父だが、続けていたらと想像すると、息子としては楽しい。

年末年始の日本

2024年12月26日~2025年1月6日の日本滞在であった。手配できたチケットの関係で、少々長め。帰国の翌日(27日)には、食材の買い出しに横浜駅に行く。すごい人だった。
因みに、これは庭の紅葉を父がテーブルクロスにあしらったもの。数日に一度、配置を変えて雰囲気を変えている。

これは河豚。今年2回目のふぐちりだ。天然の河豚なので美味しいが、季節ものは、2回目以降は感動が薄れる。暫くは河豚は食べなくてもよいかな。高いし。

炭火の使い方もすっかり習得。あまり煙も出なくなってきた。

この写真は、丸紅の先輩が実家まで来てくれたもの。丸紅の先輩から飲まないかと誘ってもらった時、「飲みたいんですが、親父と飯を食わないといけないので、家まで来ていただけたら・・・」とダメもとで言ってみたら、本当に遠路はるばる来てくれた。感謝の言葉もないです。

そんなこんなで、よく食べ、よく飲んだ日本滞在であった。

日本に移動(年末年始は日本)

12月26日に日本に移動。いつもの朝9時発浦東便だと思っていたら、今回は、13時虹橋発だった。前日気付いて、嬉しいやら、宋でもないやら。朝は楽で良いのだけれど(特に、今回は、風邪気味で起きるのが辛く、有難かった)、羽田到着が17時なので、1日が無駄になる。良し悪しは有るな。
JALの上海便は、洋食が旨い。今回のトリュフソースのステーキが美味しく、我を忘れて全部食べてしまった。実家の夕食が殆ど食べられないことになったが、これも良し悪しか。

外の景色を見る。

着陸時の富士山が綺麗で写真を撮った。年末年始は日本。年越しそばも、おせちも作ってみよう。今年(2024年1月1日)は、朝便で日本に移動した。体調が悪い母親が、必死におせちを作って待ってくれていた。当然写真を撮ってあると思っていたら、写真が残っていない。最後に母親が作ってくれたおせちになるなんて、その時は思ってもいないからなあ。残念だ。ともあれ。2025年はもうすぐだ。今年は、自分が家族に作ろう。

家の近所での夕食

12月26日に日本移動。その前日(25日)は、少々風邪気味で体がだるい。早く寝ようと、17時に家の近所のレストラン(L’amour)に行く。

家を出るたびに目にするので、存在は当然知っていたが、入る機会がなかった。ともあれ、グラスシャンパンを頼み、生牡蠣とステーキを頼む。

なかなか良い店だ。3種類の牡蠣が有り、安いオーストラリア産が6個で188元。一番高いフランス産が6個で400元くらいなので、それを両方もらって1ダース注文。結果として、安いオーストラリア産が旨かった。大きさの違いだけで、味は豪州産が勝るので、次は豪州産を1ダース頼もう。

そしてステーキ。350gで400元弱なので、これも上海の相場を考えると、非常に良心的。店の雰囲気が、超高級という訳ではないので、その点が価格に反映されているのであろうが、家の近所だし、使える店だ。是非、また行こう。

そんな感じで、夜7時には、ベッドに横になって就寝。

冬の散歩から九州人

上海の気温は5~6度。東京都同じくらいだが、ともあれ冬だ。寒い。そんな中、厚手のコートと帽子をかぶって散歩に出かける。家の付近、オフィスの付近。

そして、アピタ(現在はAPIO)が入っている金虹橋ビル。ここから徒歩5~6分で、太陽広場の九州人へ。

ここができた時からちょっと興味を持っており、一度、行こうと思っていた。元同僚と会食の機会が有ったので使ってみた。事前に大衆点評の写真を見てみたが、あまり旨そうではなかったので、全く期待していなかったのだが、美味しくて驚いた。特に、焼き鳥系が本格的で旨い。


とん平焼きは、イメージとは違ったが、知見がないので、どれが正解かは分からない。薄いお好み焼きの様なものをイメージしていたが、もんじゃ焼きっぽいものが出てきた感じ。

もつ鍋は上品。上海で食べた中では、一番本格的なもつ鍋であった。旨かったが、やはり焼き鳥に尽きる。
ただ、難点は、席が小さく繁盛しているので、狭いしうるさい。接待には使えないな。仲間と行く店という感じか。