ここ暫く、時間が有る時はベトナムの法律を読み込んでいる(企業法、投資法、税法等)。
中国関連法とは違い、殆どが初めて読むもので、且つ、英語で読まなければいけないものが多いので、内容把握に時間がかかる。25年前に、必死になって中国法を読み漁っていた頃を思い出して懐かしい。
ただ、中国の投資関連法規や税法に似通った部分がかなり多いので、その意味では助かっている。
暫くは、この生活が続くであろう。
外国語(まだベトナム語ができないので英語だが)で読むのは疲れるとはいえ、法律がこんな感じですぐに引き出せるようになったのだから、ベトナムも便利になったものだ。2007年に、ベトナム進出を前提に出張した折、ここまでの法律資料(英語、日本語資料)は揃っておらず、それが、計画延期の大きな要因となった。その意味でも機は熟した感はある。


9月1日から水野ベトナムも正規の活動を始める予定で、それに向けた資料作りを企画中。ちょっと面白い切り口にする予定。
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東京の書店にて
バトラー(香港)でカクテルを数杯
先週の事。上海から香港に到着すると、無性に美味しいカクテルが飲みたくなり、バーButlerに直行する。
疲れており、早く帰宅したかったので、ほんの2~3杯。
写真は、〆に作ってもらったジャック・ローズカクテル。



帰宅すると寝る前に、ふと思いついて自分の写真を撮ってみる。
先日のブログで、2002年から1年ごとの顔の変化を当時の状況とともに紹介したけれど、これは一足飛び(コンサルティング開始直後と現在)。


12年程度とは思えないほどの顔の変化。
歳をとったのは確かであるが、それだけではなく、積み重ねてきた経験と、踏んできた修羅場(経営のプレッシャー、判断リスク、各場所での折衝等々)で腹が据わり、それが面構えに出ている気もする。ビジネス、経営も戦いだなと。
水野ベトナム設立完了
本日付のNNAベトナム版に、水野コンサルタンシーベトナム現法設立の報道が掲載された。
(著作権の関係で、先日の日経産業新聞記事に引き続き、やはり内容にぼかしを入れており恐縮です)。

Mizuno Consulting Vietnam.,Co.Ltdは、実は今年の5月23日に設立済み。
オフィス契約済、資本金払込済み、社員採用済の状況ながら、最初の報道までは一切の告知を控えるべく、会社のHP、ブログを始め一切の告知を控えていた。
先日の日経産業新聞のプロフィールに、さりげなく、ベトナムに法人設立した、と記載されてあるので、実はそれが最初の報道といえば言えるのだが、正式な開業に関する記事は、これが最初。
という事で、水野ベトナムは2015年9月1日より活動開始予定。
同日、日経新聞の衛星版(中国本土、香港、台湾、ASEAN地域)に全面広告出します。
起業7周年記念日は、ASEAN展開の広告という事で。
ベトナム⇒香港⇒上海⇒広州
先週、ホーチミンより香港に戻り、その後、上海に。
昨日、上海より香港に戻ると、ただいま広州行の電車の中。
という状況。
前回のホーチミンで食べた6食中、4食はベトナム料理(内、1食は、ベトナム料理と韓国料理の折衷の様な感じであったが)。
タイ料理、中華料理は好きだが、ベトナム料理があまり口に合わない僕にしては、かなりの高確率。
これは最終日に飛行場のバーで食べた生春巻き。
これは想定外の美味しさだった。

日焼けで全身が痛い中、美味しい生春巻きでタイガービールが進んだ。
その後の数日間は、全身日焼けで歩くのも(というか、立っていること自体が)苦しい状況なので、外出を減らし、調べ物や講演会のレジュメ作りをしていた。
ビジネスモデルに関する講演会を数件依頼されているので(ジェトロ、商工会、中小企業機構等より)、保税展示販売や越境Eコマースの法制度と実務対応状況の確認をしていた。興味深い事が多々ある。
ホーチミンのプールにて
8月2日の事。
いつもベトナム出張の際は、レタントン通りにある4星ホテルに泊まる。ここは、窓、バスタブなしでUS$80程度するので、ファシリティを考えると、ちと高い。今回は、特別ソフィテルプラザに宿泊する。US$150程度と高いので、もう泊まらないだろうが、ホテル自体は素晴らしかった。
夜の会食まで時間が有ったので、朝10時頃からプールでくつろぐことにする。





まさに、リゾート気分。
こんなにのんびりしたのは久しぶりで、非常に楽しかったのだが、ベトナムの日差しをあまく見た結果黒焦げに。
ひどい日焼けで、水ぶくれまでできてしまったため、その後の一週間は辛かった。ただ、体が痛くて、外食する気力も、酒を飲む気力もなくなり、毎日夜10時過ぎにベッドに入っていたら、休養が取れ、精神的にも元気が出てしまった。
塞翁が馬とはこの事だ。
ベトナム出張初日
10数年間の顔の変化を当時の環境を踏まえて振り返る
ある人から、「ブログをざっと見てみたが、2008年くらいで急に歳を取った(老けた)気がする。何かあったのか?」と聞かれた。直接的な理由は、言うまでもなく退職・起業時のストレスで、あの時、一気に若さを失ったのが、なかなか戻らない(というか、戻らないまま今に至る)。
その後は、社長になると、経営のストレスや責任感から、知らないうちに「社長の顔」になって来る。これを貫禄といえばそうなのかもしれないが、若さは加速度的に無くなっていく。良いやら悪いやらだが、これは自分ではコントロールできない。環境が顔を変えるという事だろう。
ただ、環境やメンタルが、ここまで直接的に外見に影響を及ぼすのが、我ながら興味深かったので、初めての本を出した2002年から今までの顔の変化を、その時の状況を踏まえて比べてみた。




2005年にいったん帰国の内示が出た。経理部に帰国したらコンサルティング業務ができなくなり、クライアント企業様に迷惑をかける(当時は、部下のほぼ全員は経理部等と兼務だったので、部下の雇用の面での心配はなかった)と悩んでいたら、とある営業部門が、上海、香港にコンサルティング会社を作ってくれ、そこの社長に就任した。これで、この先もずっとコンサルティングができる(自分の居場所が確保できる)と束の間ほっとした。

必死の頑張りで、両方の拠点とも、初年度黒字を達成したが、次の年には、出資部門の経営方針と僕の考えに齟齬が生じ、迷いと悩みが生じてきた。

ここまでは良かった。
そこからが大変。2008年にコンサルティング事業撤退の話が出てから、心労がぐっと増えたが、これは心労が高まる前。元気は無くなってきているが、まだ余裕の顔。

次の3枚の写真がストレスピーク時。
心労が募ったのは、2008年の2月から8月。通常、レストランやバーで飲んでいると、「水野さんですか?」と声を掛けられる事が多かったのだけど、この時は(半年間)誰からも声を掛けられなかった。数年後、親しい方から、「あの頃の水野さんは、周りに闇をまとっている感じで、怖くて声が掛けられない雰囲気でした」と言われた。精神的には、極限までやられていた。


これは水野上海の新沼さん一押しの弱り切り写真。21年半勤めた会社を辞めての立ち上げにて、不安で一杯。思い切り爽やかに笑ったはずが、この上ないほど弱弱しい。

これは、退職の翌月(=起業の最初の月)。不安で一杯だったが、気持ちは吹っ切れた。自分と部下を守るためには、頑張るしかないと開き直る。
先ずは、プラスのイメージを持つために、目標であるランドマークタワーを背景に写真を撮ろうと思った。目の力はまだ弱いが、ちょっとすっきりした顔になっている。
因みに、この写真を撮ってくれた、横幕さん(丸紅経理時代の部下)は、今では僕の会社の社員として、書籍出版(特に、ステップワンシリーズの制作)に辣腕をふるってくれている。

そして、2009年の写真。起業1年経過して会社も軌道に乗ったので、顔にゆとりが出てきている。
2008年に起業した時は自分自身が食べていける保証もなかった。その状況で、前の会社(丸紅時代のコンサルティング会社)の社員全員に、付いてきてくれる人間は全員引き取るし、同一待遇を保証すると約束した。そのため、起業当時のプレッシャーは半端ではなかったが、信頼できる5人が付いてきてくれ、全員一丸となって頑張ってくれた。会社が1年で軌道に乗ったのは、彼らのおかげでもある。

起業3周年。
いまから思えば、この時はゆとりが有った。
拠点は5ヶ所(日本駐在員事務所を作りたて)の頃。ビジネスも安定し、拠点も今(8拠点)より少ないので、余裕が有った。仕事中に、「ちょっと1時間走って来るね」という様な事を言って、走りに出かける事もままあったが、今では考えられない。頑張れば頑張るほど、忙しさとストレスが増していくのは経営者の宿命か。

そして今。完全に若さは無い。まあ、51歳(来月52歳)で若さがないのは当たり前か。ただ、自分でも社長の顔になってきたと思う。10年前の顔だったら、ビジネスはこれほど上手く行っていなかったのでは。

さて、これからどうなるか。
あと20年は現役でいるつもりなので、まだまだ走り続けなくてはならない。充実が顔に現れる様な、これからの20年間にしたいものだ。
深圳で講演。そして和魂漢才で会食
(ブログが止まっていた間の出来事です)
7月29日は深圳商工会・広州ジェトロ共催の講演会であった。
講演者は僕だけで、講演と質疑応答を入れて約2時間。最新の税関動向を話してほしいとの依頼を受け、そのままお受けした。
会場は、南山区のケンピンスキーホテル。ここで講演するのは初めてだ。
2時間前に到着したので、ホテルのカフェでレジュメの読み込み。


会場はこちら。豪華な会場。写真撮影は開演前の聴講者の方々が集まり切っていない状況で、最終的には約100名の定員がほぼ満席。

良い感じで講演を終えると(僕自身、話していて楽しかったし、反応も良かった)、水野深圳の斎藤総経理と合流して会食。彼が、少々厄介な仕事をこなしてくれたので、そのお礼の意味。
場所は和魂漢才(酒菜屋)。以前から、僕は酒菜屋が好きで、深圳出張時にはよく行ったが、斉藤氏が酒菜屋のオーナーに可愛がって頂いている(勝手に慕っているだけかどうかは不明)事から、彼にアレンジを頼むと、ほぼ100%酒菜屋になる。ただ、この和魂漢才は初めて。店もきれいで良い感じであった。





ビールが美味しい。この味が中国で飲めるのは嬉しい。
あとは、鰹の漬け。傷みが早い魚を、こんな感じに、中国で美味しく食べられたというのは、これまた嬉しい。
そんな感じで、楽しく飲んでいたのだが、ここしばらくのオーバーワークで1.5時間ほどで頭痛がしてきたため、無念ながら一人で香港に。
21時には帰宅。23時には就寝。
因みに、これは夜の羅湖口岸。
15年前に、こんな感じでのんびり写真を撮っていたひには、すぐさまひったくりや暴漢に襲い掛かられそうな場所であったが、今ではすっかり平和だ(少なくとも、写真を撮っていても、特段危険を感じない)。










