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ベトナム法の読み込み中

ここ暫く、時間が有る時はベトナムの法律を読み込んでいる(企業法、投資法、税法等)。
中国関連法とは違い、殆どが初めて読むもので、且つ、英語で読まなければいけないものが多いので、内容把握に時間がかかる。25年前に、必死になって中国法を読み漁っていた頃を思い出して懐かしい。
ただ、中国の投資関連法規や税法に似通った部分がかなり多いので、その意味では助かっている。
暫くは、この生活が続くであろう。
外国語(まだベトナム語ができないので英語だが)で読むのは疲れるとはいえ、法律がこんな感じですぐに引き出せるようになったのだから、ベトナムも便利になったものだ。2007年に、ベトナム進出を前提に出張した折、ここまでの法律資料(英語、日本語資料)は揃っておらず、それが、計画延期の大きな要因となった。その意味でも機は熟した感はある。
法人税法法人税法2
9月1日から水野ベトナムも正規の活動を始める予定で、それに向けた資料作りを企画中。ちょっと面白い切り口にする予定。

東京の書店にて

一週間の日本滞在。面談、講演会とバタバタしていたため、更新が一週間止まりました。明日香港移動。今週は広州(27日)、上海(28日)で講演会(ステップワンの内容解説の2.5時間の講演)となります。
話変わって、同時期に日本出張されていた方から、東京駅の書店(八重洲ブックショップ?)で、水野さんの本を発見、というご連絡を頂いた。いろんな方が、書籍の陳列やランキングを教えてくれるのは大変うれしい。

増値税(東京駅の書店にて)
増値税(東京駅の書店にて)

ステップワン(東京駅の書店にて)
ステップワン(東京駅の書店にて)

ステップワン2(会計・税務編)は、27日に完成。日本の書店に並ぶのは、おそらく9月中旬となります。

バトラー(香港)でカクテルを数杯

先週の事。上海から香港に到着すると、無性に美味しいカクテルが飲みたくなり、バーButlerに直行する。
疲れており、早く帰宅したかったので、ほんの2~3杯。
写真は、〆に作ってもらったジャック・ローズカクテル。
バトラーカウンタージャックローズムール貝

帰宅すると寝る前に、ふと思いついて自分の写真を撮ってみる。
先日のブログで、2002年から1年ごとの顔の変化を当時の状況とともに紹介したけれど、これは一足飛び(コンサルティング開始直後と現在)。
2002年の写真今の写真
12年程度とは思えないほどの顔の変化。
歳をとったのは確かであるが、それだけではなく、積み重ねてきた経験と、踏んできた修羅場(経営のプレッシャー、判断リスク、各場所での折衝等々)で腹が据わり、それが面構えに出ている気もする。ビジネス、経営も戦いだなと。

水野ベトナム設立完了

本日付のNNAベトナム版に、水野コンサルタンシーベトナム現法設立の報道が掲載された。
(著作権の関係で、先日の日経産業新聞記事に引き続き、やはり内容にぼかしを入れており恐縮です)。
NNA_IC_150813_mchvn

Mizuno Consulting Vietnam.,Co.Ltdは、実は今年の5月23日に設立済み。
オフィス契約済、資本金払込済み、社員採用済の状況ながら、最初の報道までは一切の告知を控えるべく、会社のHP、ブログを始め一切の告知を控えていた。

先日の日経産業新聞のプロフィールに、さりげなく、ベトナムに法人設立した、と記載されてあるので、実はそれが最初の報道といえば言えるのだが、正式な開業に関する記事は、これが最初。
という事で、水野ベトナムは2015年9月1日より活動開始予定。
同日、日経新聞の衛星版(中国本土、香港、台湾、ASEAN地域)に全面広告出します。
起業7周年記念日は、ASEAN展開の広告という事で。

ベトナム⇒香港⇒上海⇒広州

先週、ホーチミンより香港に戻り、その後、上海に。
昨日、上海より香港に戻ると、ただいま広州行の電車の中。
という状況。
前回のホーチミンで食べた6食中、4食はベトナム料理(内、1食は、ベトナム料理と韓国料理の折衷の様な感じであったが)。
タイ料理、中華料理は好きだが、ベトナム料理があまり口に合わない僕にしては、かなりの高確率。
これは最終日に飛行場のバーで食べた生春巻き。
これは想定外の美味しさだった。
空港写真
日焼けで全身が痛い中、美味しい生春巻きでタイガービールが進んだ。

その後の数日間は、全身日焼けで歩くのも(というか、立っていること自体が)苦しい状況なので、外出を減らし、調べ物や講演会のレジュメ作りをしていた。
ビジネスモデルに関する講演会を数件依頼されているので(ジェトロ、商工会、中小企業機構等より)、保税展示販売や越境Eコマースの法制度と実務対応状況の確認をしていた。興味深い事が多々ある。

ホーチミンのプールにて

8月2日の事。
いつもベトナム出張の際は、レタントン通りにある4星ホテルに泊まる。ここは、窓、バスタブなしでUS$80程度するので、ファシリティを考えると、ちと高い。今回は、特別ソフィテルプラザに宿泊する。US$150程度と高いので、もう泊まらないだろうが、ホテル自体は素晴らしかった。
夜の会食まで時間が有ったので、朝10時頃からプールでくつろぐことにする。
プールプール空プールサイドビールプールコスモポリタンプールハンバーガー
まさに、リゾート気分。
こんなにのんびりしたのは久しぶりで、非常に楽しかったのだが、ベトナムの日差しをあまく見た結果黒焦げに。
ひどい日焼けで、水ぶくれまでできてしまったため、その後の一週間は辛かった。ただ、体が痛くて、外食する気力も、酒を飲む気力もなくなり、毎日夜10時過ぎにベッドに入っていたら、休養が取れ、精神的にも元気が出てしまった。
塞翁が馬とはこの事だ。

ベトナム出張初日

8月1日よりベトナム出張。
朝便で出発し、足マッサージを60分。
そして、丸紅ベトナム社長の坂上君(同期)と合流する。彼は、晴れて日本商工会の会長に昇格したとの事。
観光地には興味の無い僕は、基本的に、早く酒を飲みたかったのだが、首に縄を付けて引きずられる様に、観光地を回る。
オペラ座ベトナムの協会郵便局ベトナム郵便局中政府ビル
2時間ほど回って、やっと会食。ベトナムの海鮮料理を食べる事に。 一応、記念写真。ビールは333に、氷を入れたもの。
坂上君と
そんなこんなで、夜10時頃にホテルに戻ったが、食事が足りず、ホテルのバーでフォーを食べる。
フォー

10数年間の顔の変化を当時の環境を踏まえて振り返る

ある人から、「ブログをざっと見てみたが、2008年くらいで急に歳を取った(老けた)気がする。何かあったのか?」と聞かれた。直接的な理由は、言うまでもなく退職・起業時のストレスで、あの時、一気に若さを失ったのが、なかなか戻らない(というか、戻らないまま今に至る)。
その後は、社長になると、経営のストレスや責任感から、知らないうちに「社長の顔」になって来る。これを貫禄といえばそうなのかもしれないが、若さは加速度的に無くなっていく。良いやら悪いやらだが、これは自分ではコントロールできない。環境が顔を変えるという事だろう。
ただ、環境やメンタルが、ここまで直接的に外見に影響を及ぼすのが、我ながら興味深かったので、初めての本を出した2002年から今までの顔の変化を、その時の状況を踏まえて比べてみた。

2002年。コンサルティング開始早々
2002年(39歳)。コンサルティング開始早々。若かった、というか若造だ。山一證券・日本長期信用銀行破綻の余韻がまだある頃、本を1冊でも出せば、万が一の事があっても何とかなるとの思いで自費出版した本が、想定外に売れて、香港旭屋書店で年間売上1位と4位にランクされ、日本の書店でも流通した。単純に得意だった頃。
2003年
2003年(40歳)。続けざまに本を出し、立ち上げたコンサルティングビジネスも上手く滑り出し、NHKにも不定期ではあるが継続出演し、という事で、トントン拍子に上手く行った後、SARSで数か月活動が止まって、焦りと不安が出てきた。ただ、会社員の有りがたさで、生活には困らなかったので、焦りはあるとはいえ、今のプレッシャーとは比較にならないほど余裕があった。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
2004年(41歳)。コンサルティング業務も軌道に乗ってきたので、それなりに自信が出てきた頃。ただ、駐在員の宿命で、もう数年したら日本に帰らなくてはいけないのではないか(コンサルティングが出来なくなるのではないか)という心配を、何時も感じていた。
2005年
2005年(42歳)。自信と不安が入り混じっていた事。それに伴い(というか反動で)、外見が随分カジュアル。今ならしない。因みに、いまはグレーのスーツに白いシャツ。タイ着用という服装なので、この当時の自分とは完全に別物。

2005年にいったん帰国の内示が出た。経理部に帰国したらコンサルティング業務ができなくなり、クライアント企業様に迷惑をかける(当時は、部下のほぼ全員は経理部等と兼務だったので、部下の雇用の面での心配はなかった)と悩んでいたら、とある営業部門が、上海、香港にコンサルティング会社を作ってくれ、そこの社長に就任した。これで、この先もずっとコンサルティングができる(自分の居場所が確保できる)と束の間ほっとした。

2006年
2006年(43歳)。丸紅出資のコンサルティング会社が香港、上海に設立され、そこの社長になった。自分の生きる場所(生きたいように生きる場所)が確保できた気がして、束の間ほっとした。

必死の頑張りで、両方の拠点とも、初年度黒字を達成したが、次の年には、出資部門の経営方針と僕の考えに齟齬が生じ、迷いと悩みが生じてきた。

2007年
2007年(44歳)。丸紅出資のコンサルティング会社の社長とはなったが、自分のやりたい事と、会社方針が折り合わず、悩みが出てきた頃。

ここまでは良かった。
そこからが大変。2008年にコンサルティング事業撤退の話が出てから、心労がぐっと増えたが、これは心労が高まる前。元気は無くなってきているが、まだ余裕の顔。

2008年前半。まだストレスが高じる前。
2008年(45歳)前半。まだストレスが高じる前。2008年2月に、出資部門からコンサルティング事業撤退を突如として言われ、迷いが顔に表れている。

次の3枚の写真がストレスピーク時。
心労が募ったのは、2008年の2月から8月。通常、レストランやバーで飲んでいると、「水野さんですか?」と声を掛けられる事が多かったのだけど、この時は(半年間)誰からも声を掛けられなかった。数年後、親しい方から、「あの頃の水野さんは、周りに闇をまとっている感じで、怖くて声が掛けられない雰囲気でした」と言われた。精神的には、極限までやられていた。

2008年。ストレスの最中。
2008年。ストレスの最中。コンサルティング事業撤退を拒否したところ、組織と僕個人との戦いになってしまい、メンタルがかなりやられてしまう。リンパがはれて、何時も喉にシップを。
2008年。目に力が無い。
2008年。目に力が無い。この時は、ストレスの極地。著者紹介用の写真を撮るために、爽やかに笑ったつもりがこの顔。結局、この写真は没になった。

これは水野上海の新沼さん一押しの弱り切り写真。21年半勤めた会社を辞めての立ち上げにて、不安で一杯。思い切り爽やかに笑ったはずが、この上ないほど弱弱しい。

21年半勤めた丸紅の最終日。上海CI5にて。これも思いっきり爽やかに笑ったはずが、これ以上ないほど弱弱しい。
21年半勤めた丸紅の最終日。上海CI5にて。これも思いっきり爽やかに笑ったはずが、これ以上ないほど弱弱しい。

これは、退職の翌月(=起業の最初の月)。不安で一杯だったが、気持ちは吹っ切れた。自分と部下を守るためには、頑張るしかないと開き直る。
先ずは、プラスのイメージを持つために、目標であるランドマークタワーを背景に写真を撮ろうと思った。目の力はまだ弱いが、ちょっとすっきりした顔になっている。
因みに、この写真を撮ってくれた、横幕さん(丸紅経理時代の部下)は、今では僕の会社の社員として、書籍出版(特に、ステップワンシリーズの制作)に辣腕をふるってくれている。

2008年。起業直後。不安はあったが、一応、吹っ切れる。
2008年。起業直後。不安はあったが、一応、吹っ切れる。

そして、2009年の写真。起業1年経過して会社も軌道に乗ったので、顔にゆとりが出てきている。
2008年に起業した時は自分自身が食べていける保証もなかった。その状況で、前の会社(丸紅時代のコンサルティング会社)の社員全員に、付いてきてくれる人間は全員引き取るし、同一待遇を保証すると約束した。そのため、起業当時のプレッシャーは半端ではなかったが、信頼できる5人が付いてきてくれ、全員一丸となって頑張ってくれた。会社が1年で軌道に乗ったのは、彼らのおかげでもある。

2009年。起業1年で会社も軌道に乗った。
2009年(46歳)。起業1年で会社も軌道に乗った。

起業3周年。
いまから思えば、この時はゆとりが有った。
拠点は5ヶ所(日本駐在員事務所を作りたて)の頃。ビジネスも安定し、拠点も今(8拠点)より少ないので、余裕が有った。仕事中に、「ちょっと1時間走って来るね」という様な事を言って、走りに出かける事もままあったが、今では考えられない。頑張れば頑張るほど、忙しさとストレスが増していくのは経営者の宿命か。

2011年(47歳)。起業三周年記念。会社もすっかり軌道に乗り、拠点数も今より少なかった(この当時で5ヶ所)ので、比較的余裕があった。
2011年(48歳)。起業三周年記念。会社もすっかり軌道に乗り、拠点数も今より少なかった(この当時で5ヶ所)ので、比較的余裕があった。因みに、これもCI5の同じ席。退職の日が、丸紅の駐在員におごってもらったブブクリコだったので、この日はドンペリロゼを飲むことに。

そして今。完全に若さは無い。まあ、51歳(来月52歳)で若さがないのは当たり前か。ただ、自分でも社長の顔になってきたと思う。10年前の顔だったら、ビジネスはこれほど上手く行っていなかったのでは。

2015年。現在。
2015年(52歳)。現在。

さて、これからどうなるか。
あと20年は現役でいるつもりなので、まだまだ走り続けなくてはならない。充実が顔に現れる様な、これからの20年間にしたいものだ。

深圳で講演。そして和魂漢才で会食

(ブログが止まっていた間の出来事です)

7月29日は深圳商工会・広州ジェトロ共催の講演会であった。
講演者は僕だけで、講演と質疑応答を入れて約2時間。最新の税関動向を話してほしいとの依頼を受け、そのままお受けした。
会場は、南山区のケンピンスキーホテル。ここで講演するのは初めてだ。
2時間前に到着したので、ホテルのカフェでレジュメの読み込み。
カフェカフェ2
会場はこちら。豪華な会場。写真撮影は開演前の聴講者の方々が集まり切っていない状況で、最終的には約100名の定員がほぼ満席。
深圳商工会セミナー

良い感じで講演を終えると(僕自身、話していて楽しかったし、反応も良かった)、水野深圳の斎藤総経理と合流して会食。彼が、少々厄介な仕事をこなしてくれたので、そのお礼の意味。
場所は和魂漢才(酒菜屋)。以前から、僕は酒菜屋が好きで、深圳出張時にはよく行ったが、斉藤氏が酒菜屋のオーナーに可愛がって頂いている(勝手に慕っているだけかどうかは不明)事から、彼にアレンジを頼むと、ほぼ100%酒菜屋になる。ただ、この和魂漢才は初めて。店もきれいで良い感じであった。
和魂漢才
ビールまぐろ漬けたこ
ビールが美味しい。この味が中国で飲めるのは嬉しい。
あとは、鰹の漬け。傷みが早い魚を、こんな感じに、中国で美味しく食べられたというのは、これまた嬉しい。

そんな感じで、楽しく飲んでいたのだが、ここしばらくのオーバーワークで1.5時間ほどで頭痛がしてきたため、無念ながら一人で香港に。
21時には帰宅。23時には就寝。

因みに、これは夜の羅湖口岸。
15年前に、こんな感じでのんびり写真を撮っていたひには、すぐさまひったくりや暴漢に襲い掛かられそうな場所であったが、今ではすっかり平和だ(少なくとも、写真を撮っていても、特段危険を感じない)。
羅湖2

日経産業新聞取材記事

過去分のアップの途中ですが、ちょっと割り込みです。

8月3日版、日経産業新聞に取材記事が掲載された(紙面の三分の一弱の分量)。著作権の関係で、文章はぼかしを入れておりますので、ご容赦ください。
日経産業新聞記事

自由貿易区の現状、経済特区との違い(かつての経済特区の様に、外資が会社を作れば自動的に優遇税制が適用される様な場所ではない)を解説。
その上で、保税展示販売や越境Eコマースなど、保税、インターネット販売関係でのビジネスの可能性を解説。