12月21日は、オフィス付近(横浜みなとみらい)の日本丸訓練センターで、2016年最後の講演会。前半3時間を君澤法律事務所の王隠弁護士が、後半3時間を僕が担当。講演が終わって外に出るともう夜だ。日が落ちるのが早いが、相変わらず横浜みなとみらいの夜景がきれいだ。
そして、連載執筆も今年最後の原稿となろうが、NNAが出料加工、時事通信が新就業許可管理制度を取り上げた。
出料加工は、中国から国外に暫定保税措置で原材料を送付し加工を行う制度だが、制度自体は古くから有ったが、制限が厳しく現実的な選択肢にはならなかった。それが、2016年11月30日に税関総署公告2016年第69号が施行され、それを読む限りにおいては、若干の規制緩和が期待される。ただ、広東省の税関にヒアリングした結果では、依然として厳しい管理は続きそうで、にわかに取引が拡大する様な状況にはなさそうだ。とは言え、中国国内販売用製品を国外で部分加工するというのは、一層ニーズが高まると思うし、昨今の中国・ASEAN商流の拡大もそれを反映している。この点、今後の規制緩和が期待されるところだ。
時事通信の原稿は、2017年4月より正式施行される、外国人に対する就業許可発給の新制度(外専発[2016]151号)。外国人をA~C類の3つに分類して、A類に対しては寛容に、ランクが下がれば規制を厳しく使用というもの。ランクは、151号に規定される各分類の何れかの状況を満たすか、ポイント数によって決定する。ポイントは、年収、学歴、就業経験、HSKランクなど、幾つかの条件で決定される。
ただ、A類というのは、ノーベル賞受賞者をはじめとして、非常に限定された状況(一応、フォーチュン500企業の本社の高級管理職というのが、比較的身近な条件だが)なので、大部分の駐在員はB類に該当することになりそうだ。その場合、60才超の就業規則発給が原則禁止される。まあ、それなりの弾力的な対応はあるのだろうが、今までより60才超の就業許可発給は厳しくなろう。
NNAで書いたネタ(出料加工)は、中国に対する加工委託ではなく中国から国外への加工委託だし、時事通信のネタは、中国が就業許可を与える外国人にポイントを付けて選別を厳しくしだしたというもの。何れにしても、時代の移り変わりを感じるトピックスである。
テイクアウトの寿司と刺身
広州市での授与式の1日前の話。香港のオフィスで仕事が終わったのは18時。前の日から鮨が食べたいと考えていたので三笠屋に電話をする。が、満席との事で入れず。さて、どこに行くかと考えたが、あれこれ考えるのが面倒になり、また、場所も丁度K11の前だったので、地下に入っているマーケットプレイスで寿司・刺身をテイクアウトすることにする。
すさまじい海胆の量だ。ひとサイズ小さいものもあったが、一番大きい海胆のパックの方が鮮度が良い。食べられるかと一瞬自問したが、何とかなるだろうと即決。これでHK$350。海胆、マグロ旨し。中島水産たいしたものだ。
勿論、寿司屋で食べた方が美味しいのは当たり前だが、香港の寿司屋のカウンターで寿司を食べ、日本酒を飲めばHK$2,000(3万円)はかかる。成田で買ってきた日本酒が有ったため、5,000円で幸せな気分になったので(疲労困憊で体調悪かった事を考えれば)結果としては良かった。
寿司屋は新年に持ち越しだ。
広州市シンクタンクメンバーに3回連続で選出される
12月20日に広州市政府より、シンクタンク・メンバー(広州市選定投資専門家)選任の授与式が有った。残念ながら僕は日本での講演会と重なったため、水野広州総経理の麦さんが代理参加。3回連続(任期は2年間なので2013年から)の選定となった。
今回は合計18名。今までは、大手弁護士事務所・会計士事務所が殆どであったが、今回は、業界関連協会のトップ(省エネ・道路運輸・環境保護・医薬・自動車・リース)6名、弁護事務所経営者5名、会計士事務所経営者2名、大学教授1名、投資顧問会社等4名という事で顔ぶれがちょっと変わった。そして外国人は僕一人となった。
大学生時代の広州初訪問から31年。その時は、自分がこの様な形で広州と関わるとは想像もしなかったが、この様なつながりが維持できているのは嬉しい事だ。
中国ビジネス講座700回記念講演会
12月15日は、NNA上海の会議室で中国ビジネス講座700回記念講演を開催。2002年第1週から毎週、1回も落とさずに15年近く書き続けている訳なので、我ながら頑張っていると思う。2002年1月に連載開始、4月に最初の本、8月に2冊目の本、11月にNHK経済最前線出演開始。出した2冊の本は、香港日本語書店の年間ランキングで1位と4位という事で、2002年はまさにやることなす事うまくいった年だった(2003年以降は苦労が増える)。そのきっかけとなったのは、中国ビジネス講座の連載であるのは確か。
NNAの編集に聞くと、当時は「俺は水野よりも良いものが書ける」という売り込みが結構あったという事だが、結果として、700回というのは、NNAの全ての連載の中でも最長という事だ。
次の目標は1,000回か。
ともあれ、連載開始して15年間の変化は本当に激しかった。第1,000回はどの様な内容になっているか、自分でも想像がつかない。
極度の疲れで
12月10日(土)香港到着。ともかく極度の疲労で眼が痛い。眼から頭、首にズーンと痛みがくるので、書類・PCが読めない。週末は終日ベッドに横たわる。年長者の方々が、「無理が利かない歳になってきた」という発言をするのをよく耳にする。疲れやすくなるんだな、という程度にしか考えていなかったが、こういう事かと身に染みる。
思えばずっと、身体に無理を強いて働いてきたので、その代償が来るのだろうなあ、と思うことしきり。
終日の休憩で、少しは痛みは引いたがまだ辛い(本有ログ執筆時点で9割方治った、10日近くかかったことになる)。とは言え、食事はせねばならんので、イオンまで歩いて行って蟹すきをする。
日本から香港へ
嵐のような日本出張が終わり、土曜日に香港移動。夕方の便なので、先ずは髪を切り、昼食を取る。仕事が順調だったので心からほっとしたが、身体中が痛い。特に、目・首・肩(頭が少し)。ともあれ、広東麺を食べながらビール。
成田到着は夕方4時。ラウンジでは食事はせず酒も飲まずNNAの連載原稿を書く。PCや書類を見ると、瞬時に目と頭が痛みだすので執筆が苦行であったが締め切り日なので先延ばしにするわけにはいかない。ともあれ苦しいラウンジ滞在であった。
そして機内に。今回は、月(12月)に2回の日本出張なので、マイレージでのアップグレードができないディスカウントチケットを購入したが、幸いビジネスクラスにアップグレード。全身に痛みが有るため、救われた気分だ。ともかく感謝。
日本での会食は
金沢出張の翌日(8日)は日本でクライアント企業様向け講習会。終わるとこんな感じ。日が短くなってきた。
その日の夜は、蝶理元中国総代表の井上様、大手格付け機関ムーディズジャパン朱社長と会食。井上様はかねてより交流を持たせて頂いているけれど、朱社長は初対面。日本、中国の歴史、現状、その他に付いて、蕎麦屋で意見を述べ合う(そして、かつて酒で酔いつぶれた経験を語る)意義深い会食であった。
その翌日は、東京と横浜で7件面談。電車、タクシー、地下鉄を駆使して首都圏を駆けずり回る。最後の面談は、丸紅の関係会社。元同期佐野元彦(佐野元春ではない)と軽く話をした上で会食。彼は同学で同期入社。早大野球部の主務をやっていただけに、新入社員の頃から度胸が据わっていた。入社試験では、当時は受ける人が少なかったTOEICを受けさせられたが、ヒアリング問題がよく聞き取れずに肝を冷やす僕の横で、彼は恐ろしい速さで回答を塗りつぶし(まだ問題が読み上げられていない)、グーグー寝ていたので感心した。
どういう社員になるかと思いきや、配属後は一転して骨身を惜しまず働き、深夜でも休日でも、(僕が取り扱っていた輸出荷為替の問題で)彼に連絡すると、必ずつかまった。その後、海外出張で、すっかり英語にも自信をつけたようで、人間変われば変わるものだとこれまた驚いた。
配属までは口を利いた事もなかったが、いつも会社にいる同期という事で親しくなり、僕が会社を辞める直前は、中国案件で一緒に仕事をする機会も有った。
そんな思い出を語りながら、高田馬場の大衆酒場で会食・飲み会。
この日は、単なる友人の飲み会なので、気楽で良かった。ほどほどに飲んで2時間程度で帰宅。
金沢出張1泊2日
小松空港朝10時半着。小松空港の強風のため、場合によっては羽田か関空に戻る可能性があると再三アナウンスされ不安を感じるが、(着陸時に強風でかなり機体が揺れたものの)ほぼ定刻通りの到着。金沢1泊2日で面談6件、会食1件。慌ただしいスケジュール。空港到着後、午後一の小松での面談前に蕎麦で昼食。
初日は面談三件。前日1時間睡眠だったので頭はうっすらと痛いが、無事に乗り切る。日航ホテルにチェックイン。
その後宴席。正規の宴席だったので写真は撮れなかったが、食事の旨さに感動する。特に、最後の土鍋で炊いたご飯の美味しさに、我を忘れておかわりをする。ご飯が甘みと旨みであふれている。
二日目は朝6時からEmail整理をして8時に出発。やはり、3件面談。合間に1.5時間ほど昼食兼自由時間が有ったので、武家屋敷にお連れ頂く。まさに忙中閑あり。
武家屋敷参観後は近江町市場で海鮮丼。前日の夕食があまりに素晴らしかったので感動はなかったが、新鮮な海鮮丼を味わい、下にぎっしり詰まったご飯に根を上げそうになる。糖質制限を始めた1年前から、これだけご飯を食べた事はないのでちょっと不安になる。
そんなこんなの金沢出張。帰りは17時半発の小松空港羽田行き。雷で10分出発が遅れたが、無事に東京に。結構激しい雷でも、10分の遅れで収拾してしまうのだから、日本の空港管理はたいしたものだ。
羽田1泊
12月5日(月)の夜8時半に羽田着。5泊の日本出張。最初は実家に泊まろうかと思ったが、翌朝9時過ぎの便で金沢に行くので、そうすると4時間ちょっとしか眠れない。ここのところ、ハードなスケジュールが続いているので、羽田空港国際便に隣接しているホテルに泊まった方がよいかと考え、予定変更。実家までの交通費との差額は5~6千円程度だが、数時間の睡眠を買ったと思えばよいかという判断。
実質4日の業務時間で、金沢出張、面談13件、会食3件、講演会1回をこなさないといけないので、まずは身体を休める事が先決だ。
構内なので近い。あっさりとチェックイン。
それから、また空港内のレストランに。
翌朝は仕事をこなしてから搭乗しないといけないので、コンビニ弁当でも食べた方が効率的ではあるが、取りあえずは気分の問題という事で。価格・品質は空港レヴェルだが、こういった選択肢が有るのは有り難い。
結果、ストレス(仕事の緊張)で、ベッドに早く入った割には1時間しか眠れなかったが、一応、疲れは取れた。酒を飲んでいないので大丈夫だろう。という事で、翌朝金沢に出発。
広州から深圳に移動
広州の納税実名登録をした後は深圳に移動。
水野深圳の総経理をしてくれている斎藤氏と打ち合わせの必要が有ったため。バーで酒を飲み、マカロニサラダ、ドリア、つけ麺を食べる。またもやリミッターを外してしまった・・・
上海も広州も、2次会の主流がカラオケからバーに移って久しい様に思える。体力的には良い事か。