上海浦東空港での入国手続きはあっさり終わった。PCR検査無し(これは分かっていた)、陰性証明のチェックもなし、ついでに荷物検査も無し(はい、行って行って、という感じ)。コロナ関係の規制をする気は全くないのが分かった。瞬時に集団免疫を付けてしまった余裕かな。
タクシーを捉まえ、2か月ぶりの自宅に戻る。既に、2年以上暮らした家だが、なぜかがらんとして見える。2010年以降、一人暮らしが続いており、すっかり慣れたはずだったのが、「寂しいな」と初めて感じる。まあ、すぐにまた慣れるであろう。
街は、全く以て平穏無事。感染は完全に収束しており、道行く人は3~4割がマスクをしていない状況。
前職の先輩と、仕事関係の話が有るので、行きつけの居酒屋で集合。到着した日に会食ができる。3年前までは当たり前だった日々が戻ってきた。もう少し早くこうして欲しかったが、先ずは、元の生活が戻ってきたことを祝おう。
担々麺の麻婆豆腐掛けで〆。
朝9時便で出発
朝6時にチェックアウトして、ホテルバスで成田空港に移動。乗るのは9時10分発の全日空便だ。長らくキャセイ航空の使用が主だったので、ワンワールドのJALを使ってきた。結果、全日空だと何のステイタスもないのでアウェイ感が強い。早くJAL便が復活してほしいと思うことしきり。成田空港は、活気は戻りつつあるが、まだ、あとひと頑張りという感じか。
ラウンジは、この時点(到着時)は空いていたが、これは時間が早いため。その後、どんどん人が来て、最終的には満席に近い状況となった。勿論、コロナ対策で使用できない席が多いことを前提とした満席だが。
空港では、まず朝のコーヒーが飲みたいと思うが、刺激を避けてカプチーノにする。空腹なので、何か食べる必要が有るが、日本対座中に2~3Kg体重が増えた。本能のままに食べる訳にはいかないので、小さなきつね蕎麦だけにする。
機内食を食べて移動。映画も見ずに、ただただのんびり。
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現在の中国渡航に関する陰性証明の要件、日本・上海での空港チェック、現在の上海の街の様子を14分で解説しています。
上海帰任(陰性証明取得と日航成田ホテル前泊)
2月12日の搭乗(成田・上海浦東便)の48時間前に陰性証明を取得する必要が有り、事前予約したみなとみらいの検査場に行く。すんなり検査できたが、「検査結果の通知は明日中(11日中)としか言えません。1日の採取サンプルを、夜にまとめて検査に出すので、午前だから早くなるわけでもないんです」という説明。そうなると困った。翌日15時頃には成田日航ホテルに移動する必要が有るが、必要な証明書の印刷ができないかもしれない。少し焦って、実家の近所の自治体の検査場に移動。ここなら翌日の午前中に結果が出るのは経験済。では、なぜ最初からここにしなかったかというと、ここはパスポート番号・生年月日などを入れてくれず、写真の様な簡単な証明書しか取得できないためだ。ただ、中国政府の発表は、「パスポート番号と生年月日は、有ればなお良し」という書き方で、義務ではないので最低限これでも通る筈だ。なんか言われたら、画像データでパスポート番号有りのものを見せればよいと判断する。
この日は雪が降っていて、とんでもなく寒い。あたふたと2か所を移動するが、メガネは曇るし、手はかじかむしと苦行の様だ。桜木町駅の立ち食い蕎麦(川村屋)に救われた。
無事に検査結果を取得して(自治体のものは午前11時半。みなとみらいでの検査は17時半で、やはり印刷できる時間ではなかった)、成田エクスプレスで移動。2020年の9月に同じ電車で成田に向かったことを思い出した。その時は、初めての隔離(香港2週間、上海2週間)の不安と、何時また日本に戻れるか分からない寂しさで、暗い気持ちであった。景気づけにシャンパンを飲んで移動した。この日は全く違う。いつでも帰れるので軽い気持ちだ。一応、シャンパンは飲むが、長いトンネルを抜けたことに乾杯、という気分。3年前は気合を入れてモエシャンドンだったが(駅で買える一番高いミニボトル)、今回は、一番安いものを選択。気合は全く入っていない。
これも3年前と同じ行動。成田日航ホテル最上階のバーは非常に良い。価格設定が極めて良心的。One Harmonyの会員だと割引も有り。ここでないと、山崎12年は高くて飲めない。頼んだ寿司もネタは新鮮で美味い。残念なのはシャリが大きすぎることで、残したら悪いと全部食べて過剰満腹。まあ、他の食べ物を頼まずに済むので良心的ではあるのだが(3千円ちょっと)。
そんなこんなは有ったものの、この日は9時にはベッドに入る。翌日は、朝5時起きで空港に移動だ。
ミシュラン店(慈華)にご招待いただく
日本滞在も最終段階に入ってきた2月7日に、外苑前の慈華という中華に招待いただく。ミシュラン店だ。僕自身は、(特に日本の)ミシュラン店というのは避けるのだが、この店はなかなか良かった。昼から中華コースなので、朝食は抜き。日本到着時点から気になっていた、「一風堂スープ」を駅で飲む。まあ、普通に飲める味だが、一回飲めばよいかな、という感想。
まずは前菜。これが凝っている。そして、烏骨鶏と杏のスープ。
蝦夷鹿のごま団子とすっぽんの春巻き。いちいち食材が凝っているなと思うが美味しい。
フカひれとナマコのスープ。中国では、かなり前から、「フカひれを食べないように」という動物愛護運動が盛んなので、最低10年間は、中国でフカひれは食べたことがない。固めの炊き立てご飯が一緒に出てくるので、途中で、それを入れて食べる。美味い。そして宮崎牛。これは、素材は良いが、クミンの味付けがちょっと好みに合わなかった。
食事の最後は何種類かの麺の中から選べるが、僕は担々麺。この段階で満腹だ。
そして、最後はデザート。いつもは食べないデザートだが完食。凝った店だった。この日の他の客は、両方、男性一人客。一人は、本当に何種類もの酒(ワイン、シェリー、紹興酒、ウィスキーなど、10杯以上は飲んでいた)を楽しそうに飲み続けていたが、酔ったそぶりもなく帰って行ったのが印象的だった。
同期・同僚と大阪屋砂場で会食
日本一時滞在も終わりに近づいてきた。そんな折、数年前まで、このブログにもたまに登場した、丸紅香港時代の後輩谷垣君より誘いが有り、大阪砂場で会食することになった。気を利かせた谷垣君が、僕の丸紅同期2名にも声をかけてくれる。全員丸紅香港勤務経験者だ。
会場の大阪砂場は僕の指定。数年前から行きたかったけど、1回は店まで行ったら午後休業。もう一回はコロナでNGという事で、3度目の正直となった。この豆腐カツとじが食べたかった。
これぞ蕎麦屋、というつまみを楽しむ。この中華風の揚げ蕎麦は、巣籠蕎麦というようで、混雑時は提供できない場合もありとのこと。まずまず客で埋まっていたが、作ってくれた。
そして十四代。老舗の有難さで、四合瓶が13,000円。「割り勘で、一人3000円ちょっとだから、お願い!飲ませて」と言って頼んだもの。この日は完全割り勘だったが、万事、僕の好みに合わせてくれたので、付き合ってくれた3人の皆には、少々申し訳ない気持ちだ。友達は有難い。
しかし、この十四代。上海で飲んだら、1万元(20万円)はするだろうな。とても飲めない。
そんなこんなで食べていたら、お腹が膨れてしまったので店を出る。そばを食べなかったが、つまみを堪能したので満足だ。
そして、ぶらりと入った、新橋の飲み屋。この店は、居酒屋と言ってよいのか、何といえばよいのか。不思議な雰囲気だが、森伊蔵・魔王・村尾の飲み比べが有り有難い。
店の名前が分からないが、楽しく飲めた。丸紅香港で、一緒に飲んでいたのは、もう20年以上前。みんな年を取って、昔の気分に戻る訳ではないが、利害関係のない仲間と楽しく飲むのは良い。
九つ井で蕎麦
大船駅の近くにある、「九つ井」という蕎麦屋に行った。こうかいて、「ここのついど」と読ませるのは少々面白い。ゆったりとした店の作り。風情豊かな店である。
確か、池波正太郎が、「酒が飲みたくなったら蕎麦屋に行く。酒が飲めなければ蕎麦屋にはいかない」というようなことを書いていた記憶が有るが(間違っていたらごめんなさい)、僕も全く同じで、日本酒を飲みながら蕎麦屋でつまみを食べるのが好きである。この日は、時間もなかったので、天ざるで飲んだ形だが。
富久娘の樽酒。樽酒というのがポイントで選んだ。木の香りが好ましい。蕎麦は少なめ。酒飲み用の蕎麦だな。
今度は夜に来て、じっくり飲みたいものだと思い店を後にする。
湖南人家(横浜中華街)で会食
先日(1月5日)に偶然見つけた湖南人家を再訪する。この店は、こじんまりしているが、今まで行った中華街の店の中でも、かなり美味しいと個人的には思っている。部下が2名(日本所長の杉山さんと、深圳総経理の斎藤さん)と、広州時代に一緒に仕事をした太田さん(元ウェネバー広東)。言ってみれば、みんな広東省で一緒に仕事をした経験が有る仲間という事で、日本にいるときに、一度食事をしたいなと思ったもの。
斎藤さんは、成田付近から2時間以上かけて来てくれたので、早めのスタート・早めの終わりを目標にした。この点、この店は、昼休みがないので便利だ。
前回は、白雲肉(豚肉の薄切りのから味噌和え)を食べたが、今回は、口水鶏を追加。これが旨かった。
あと、中華街と言えば、このクラゲ、叉焼を含んだ冷菜盛り合わせ。小学生の頃から馴染んだ味だ。そして、トマトの卵炒め。
店には中国語の歌が流れているが、これが、駐在経験者には良い。懐かしい話などもしながら紹興酒を飲み、料理を食べる。僕は、今回の滞在で、何回も中華街を訪問しているが(杉山さんも同様)、残り二人は久しぶりとのことで、人の多さ(特に、若い人の多さ)に驚いていた。コロナの際の不入りを完全に取り返したような人の入りだ。まあ、活気が有るのは良いことだが。
食事が終わればすっかり暗くなっている。各人、各々の方向に分かれて帰宅。
講演会終了後、美々卯本店で食事をする
本題とは違うのだが、昨日のブログでもアップした通り、日本人に対するビザの発給が1月29日より再開された。3週間弱の発給停止だったという事だ。ちなみに、当社が招聘状を準備しているクライアント様が、(1月10日の発給停止直後くらい)ビザ会社から、「旧正月明けには、申請ができるようになると思う」と言われていたようだ。ビザ会社の情報力もなかなかだなと思うと同時に、停止措置は短期間であることは、当初から決まっていたことなのかなとも思う。真相は分からぬが・・・
さて、1月27日は大阪商工会で講演であった。定員100人で、お申し込みは、ほぼ満員御礼状況。自分の講演のビザを見ながら会場に到着する。
これが会場。商工会だけに質素な会議室だ。クライアント様、昔懐かしい方々も集まってくれ、有難い思いが有った。
講演会が終わると、丸紅時代の先輩と美々卯本店で会食。この方は、2008年に僕が丸紅を退職する際(数日前)、香港で送別会食を企画してくれたのだが、折悪しくシグナル9のひどい台風。開いている店は無かろうとあきらめていた時に、数十件に電話をかけて、開いている店を探し出してくれた方。会場は、シェラトンホテルの雲海という日本料理屋だったが、その後は、ペニンシュラホテルのグランドフロアでウィスキーを飲んだ。正面玄関がふさがれている状況(海風が当たるので)で、裏口から入り、アフタヌーンティーなどで有名な場所で酒を飲んだが、他に客がおらず、二人でペニンシュラの一階を貸し切るような状態になった。中二階では管弦楽の演奏、一流ホテルのサービスで酒を飲むという贅沢。これを二人だけで味わうという経験は、当然初めてだったし、今後もないであろう。得難い経験をしたので懐かしい。
ただ、当時は、数日後に迫った独立起業が恐ろしく、時折館内に響く、ゴーという風の音がその恐怖を掻き立てたものだった。今では良い思い出。そんなことを語りながら、楽しく会食をした。
翌日はチェックアウトをして東京に。鶏弁当を食べながら。新幹線は完全な満席であった。
日本人に対する中国一般ビザ発給再開
2023年1月29日より、ビザ発給が再開されました。
駐日本中国大使館の通知参照
自即日起,中国驻日本使领馆恢复审发日本公民赴华普通签证。中国驻日本大使馆2023年1月29日
本日より、中国駐日本大使館と総領事館は日本国民に対する中国一般査証の発給を再開いたします。
中国駐日本大使館2023年1月29日