昨日は4月23日。僕の隔離は2月23日の青島到着から開始されたので(その後、上海に移動してマンション封鎖⇒現状)、実質隔離2か月の記念日?という事になる。さすがに2か月も続くと、これが普通の生活になってしまい、全く何も感じなくなった。
寿司が食いたい、鰻が食いたい、外で飲みたい等等、少し前まで感じていた感情が一切わいてこない。そういうものか。
とはいえ、朝から全くやる気が出ない。週末だし、滞留している仕事もないので、開き直って昼からワインを飲む。ロックダウン直前に近所のコンビニで買ったワインなので、さすがに味はイマイチなのが残念だ。
そんな事を考えながらチャットをしていたら、元同僚が、酒の調達ルートを紹介してくれる。
これは有難いと、数か所に連絡し、ワイン・スパークリングワインを9本、牛肉3.6Kgを調達した。当日中に、まず6本到着。これは有難い。やはり持つべきものは友人であり、人脈であるなと思うことしきり。
無料動画(ロックダウン現状・光が見えてきた)
中国ビジネス動画解説特別編(無料公開動画)。ロックダウン第4回です。是非。
第一次ホワイトリスト企業(生産再開企業)が公表され、その管理規則が打ち出された。つまり、若干、光が見えてきた状況を踏まえて、今後の展望と、渦中の人間の現状(自分!?)を語っています。
ロックダウン20日目(こんな感じで生活しています)
隔離も20日目。というか、今年に入って、日本(10日間)・中国の隔離を合計すると64日目になるので、既に隔離されているという意識もなくして、これが日常になってしまった感も有る。
ただ、メンタルには波が有るので油断はできない。青島隔離・上海ロックダウンで2~3回、心が押しつぶされそうになった。ただ、翌日には穏やかになるので、今のところ大丈夫だ。
ロックダウンも長引くと、色々と已むにやまれぬ工夫が必要になってくる。数日前から麻婆豆腐が食べたいものの、豆腐が買えない。一応、日本から持ってきた、あまり美味くないレトルト麻婆豆腐(但し、豆腐・肉は入っていない)はある。では、と思って、1年前に買って、不味くて食べられなかった乾燥湯葉を12時間がかりで戻して作ってみた。旨くはないが、麻婆豆腐っぽいものを食べた、という満足感はあった。
あと、珈琲豆は豊富に有るが、フィルターが無い。どうしようかと悩んでいると、在上海の先輩が、「俺は一週間使っている。丁寧に洗えば大丈夫」とアドバイスしてくれたので、さっそく実践。確かに大丈夫だ。しかし、この物資が豊富な時代に、物の有難さを再認識したのは、貴重な経験であった。
昨日マンションの管理機構から、「マンション内で物資不足で困っている日本人がいたら、救済物資を提供する用意があるので言ってくれ」という伝達が有った模様。
住民たちが、「困ってる日本人居ないか?●●さんの隣人は困ってると言っていなかったっけ?」、「いや、たまに聞いてるけど、慎ましやかな人で、まだ大丈夫と毎回言われるんだよ」、「団体購買の為の日本人チャットが有るようだよ」、「いやいや団体購買やってる人は、そもそも食べ物困ってないでしょ」という会話が有った。特定コミュニティと関係を持つのはあまり好きではなく、日中問わず、どことも一定の距離を置いている僕ではあるが、自国民に対して関心を持ってくれたことに対しては感謝せねばと思い、必要最低限の日本語翻訳をしておいた。
まあ、こんな生活。
不自由な日々は続いているが、みんな、国籍を問わず支えあいながら、たくましく生きていますよ、ということで。
尚、市中感染は、計画通り減少している模様。5月早々には自由の身になりたいなと思いつつ、日々を過ごしているところ。
ロックダウン17日目(少し街の動きが出てきたな)
感染は治まっていないが、窓の外の動き(人の往来)が少しづつ出てきた。数字だけでは分からない、こうした前向きな変化が支えになる。
一応、知人の分析では、市中感染自体は減少しており、概ね計画通りの進捗との由。それを期待して、しばし我慢しよう。
窓の外の様子はこちら(↓)15秒動画。
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一つの事象にも、良い面と悪い面は出てくる。今回の悪い面は、当然自由がないこと(食べるものも限られる)。
2022年に入って昨日で107日間。その内、60日間(日本の10日を含む)実質隔離状態なので、これは結構大変だ。あとで振り返った場合、さぞかし印象に残る1年になるだろう。
一方、良い面はというと、執筆がはかどる(本が1冊書けた)、隔離・ロックダウンなどの時事ネタを無料公開した結果、ビジネス動画のご契約獲得に貢献した。あと、個人的には、酒量が減り健康に。筋肉がついた。金を使わないので財政状況が改善。というのが顕著な良い面か。
今日、3回目の配給物資がきた。卵が入っているのは嬉しい。2個ひびが入っていたので、それをオムレツにする。1日に2個卵を食べられるのは贅沢だとほくそ笑む。
また、口を殆ど聞いたことが無い隣人(中国人家庭)が、わざわざ配給物資を運んできてくれたり、丸紅の先輩が缶詰を分けてくれたりなど、他人の情けが身に染みる今日この頃。これも良かったことかな。
ロックダウン15日目
ロックダウン15日目。ついでに言うと、2月23日に青島で隔離されてからの実質隔離継続51日目だ。さすがに疲れる。
前にも書いたかもしれないが、深圳は、上海に先行して感染が深刻化し、ロックダウンが実施され、既に収束した。友人たちの実績では、隔離期間が4~6週間。という事で、最悪6週間程度の覚悟かなと思っているのは、そういうところだ。まあ、そこまで長引きたくはないが。
となると、最悪の想定を前提にした備蓄の取り崩しが必要になってくる。米、麺は十分に確保してあるが、おかずは少ない。となると、主食たくさん、おかず少しが前提になってくる。
という事で、こんな食事だ。政府支給品の生姜を細かく刻んで(すりおろし器が無い)、たっぷり使えたのが、昨日唯一の幸せか。ささやかな幸せ。
ロックダウン13日目(支援物資で酒のつまみを作る)
3区分政策が開始され、自分の居住区域は、14日間感染者が0だったので、予防区(一番管理が緩い区分)に振り分けられた。だが、まだ、外に出られないと住民が文句を言っている。まあ、外に出られないというのは、数日の問題であろう。管理体制が決まるまでには、少し時間がかかるものだ。
勿論、外に出るといっても、範囲は極端に限られているし、店も殆どやっておらず、あまり嬉しくないかもしれない。また、こちらでは、感染することのリスクが高いので、暫くおとなしく家にいる方が安全であろうと、自分を納得させている。
復旧にはもう少し時間がかかるな。ただ、1~2か月先行して感染者が増えた深圳は、もう正常に戻っている。上海ももうしばらくの我慢であろう。
まだ支援物資は残っているので、ジャガイモと人参のソース炒めを作る。これは、割烹Makinoの大将が、ウィチャットで簡単にできる酒のつまみと紹介していたので、早速試してみたもの。なかなか面白い。ソース(とんかつソース)を使うという発想が無かったが、意外なほどに合う。
然しながら、自分の作る料理には若干うんざりしてきた。早く、プロが作る料理を食べたい。
ロックダウン(光が見えてきた)
動画は短いものですが、雰囲気だけ感じて頂ければと思います。上海市ロックダウン。光が見えてきた感がありますので暫し耐えて頑張ります。引き続き、ご支援、宜しくお願い致します。
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2022年4月11日に、3区域管理対象地域の発表が有った。
閉鎖制御区(封控区)7,624か所、管理制御区(管控区)2,460か所、予防区(防范区)7,565か所。
動画は、住居が予防区(一番管理が緩い)になったため、住民が喜んでいるもの。ちなみに、各区域の定義と管理内容は以下の通り。
① 閉鎖制御区
過去7日以内に感染陽性が報告された居住区(マンションなど)。
7日間の閉鎖管理(家から出られない=隔離)+7日間の在宅健康観察の対象。
② 管理制御区
過去7日間に陽性感染が報告されていない居住区。
7日間の健康観察(マンションから外出禁止)の対象。
③ 予防区
過去14日間に陽性感染者が報告されていない居住区。
所在地の街道(狭い括りの町内と思って下さい)内で限られた移動が可能。
以上の通り、予防区になってもかなり行動は制限されるし、そもそも、外に出ても行く場所がない。
ただ、昨日の発表で希望が見えてきた(予防区だけではなく、その他の区域の住民も)。
3区分管理は、3月時点で既に発表されていたが、3月28日から開始された当初のロックダウン(浦東は3月28日~4月1日・浦西4月1日~4月5日)が終わっても、そのまま封鎖期間が延びていたため、今後の見通し(出口)が分からず、ストレスになっていた。たかだか14日(浦東)・11日(浦西)のストレスというよりは、出口が見えるかどうかの部分。まあ、僕の場合は2月23日からのストレスもあるが。
それが、計画通り、段階的に解放を進めていくという、上海市政府の方向性が見えただけでも今後に希望が持て、心が少し軽くなった。
5月には元に戻るのでは、と個人的には期待しており、これを希望に、しばし耐えていきたいと思う。
中国ビジネス動画解説特別編(無料公開・ロックダウン現状)
ロックダウン日記
浦西地域は4月1日から封鎖開始なので、今日で11日目。出口が明確に決められていないのが少々つらいものの、まあ、粛々と日々を過ごしています。今年は、中国ビジネス投資Q&A出版20周年記念。という事で、20周年記念改訂版を出そうと企画し、青島隔離中に書き始めたが、既に執筆・校正完了してしまった。恐るべき隔離効果。作家の缶詰に勝るな。
グループチャットやら、マンション階下の荷物置き場に、こんな感じで「困っている日本人がいるので助けよう」という活動が有ったりする。張り紙は、隣の日本人は食糧備蓄が尽きかけ、言葉もでず困っている。この食料を少し分けてあげてくれと呼びかけるもので、他のマンションでも結構同じ動きがあるようだ。やはり、外国人は困っているだろうから、助けてあげようという声は色々と聞く。また、Facebookの友人が、マンションの守衛から、「同じマンションで困っている日本人がいるから(言葉出来ないので会話できない)、お前が日本領事館に助けるよう連絡してくれないか」と言われて連絡したら、領事館からの通知が次からちょっと変わったと書いていた。こんな感じで、地元の人に助けられている日本人が多い事は(自分もそうだが)、今の日本の報道は取り上げないだろうから、現地の実態として書いておく。人間、感謝の気持ちを忘れないようにしたいね。
そんな感じでいると、二回目の支援物資が有った。昼食取る時に、「チューブニンニクと生姜がもうすぐ無くなるな」と悲しんでいたところに、牛肉、米、ニンニク、生姜と、ピンポイントでニーズを付いた支給品だ。物資の不安が減り、まだしばらく頑張れる気がしてきた(笑)。
そんな感じで10日目の食事。支給物資をそれなりに有効活用している。ニンジンが多すぎるのがちょっと悩みどころだが。
そして、捨てようと思っていたものが、色々とこの状況になって活躍している。この青汁は、1年間放ってあったが、ロックダウン中の貴重な栄養源だ。捨てないで取っておくというのが、こんな感じで役に立つとは思わなかった。
食事をしながら思う事
ロックダウンは長引きそうな気配だが、ともあれ、今日も無事に食事ができることに感謝。
思うに、自分が過去に経験した苦労というのは、商社マン的には平均値。エンジニアリング会社の尺度でいえば、平均よりずいぶん下だと思う。アフリカ、中近東の駐在経験もない訳だし。
今日、仕事をしながら、妙に、昔、ドーハ(カタール)出張時に、数日間一緒したエンジニアの方々の姿を思い出していた。
日本人が昔から海外に出て、誇りを持って、日本の物を売り、資源を確保し、経済力を高めて今がある。昭和以前から、そうした普通の会社員達が、リスクを負って闘ってきた。そんな人たちの意地、誇り、矜持が日本を支えている訳だ。
仕事が終わって、男だけの食事(丸紅主管者社宅での食事)で、無邪気に笑い、飲んでいる人々の姿が、妙に思い出される。それからすると、自分の苦労は苦労ではないな。有難い。ちょっと初心に戻れた気がする。
政府支給品のキャベツが有るので、焼きそばに入れてみた。野菜に飢えていたのか、キャベツが旨いと初めて思った。
引き続き、支給品のジャガイモと玉ねぎ。