日本の一週間

9月3~10日が日本滞在であった。12日に眼の手術を上海でするので、その前々日に上海に戻る事を前提としたスケジュール。
運転免許の書き換え、納骨の手配、香典返しの最終手配等、やることはそれなりに有ったが、全て順調にこなした。まあ、一番大切な仕事は、父親の話し相手になる事と、父に栄養を付けさせることだが。

そんな事で、毎日二食(昼と夜)を料理。夜は、酒を飲みながら、2時間以上話し合う。今回の滞在で、父親の生きる力が戻ってきたのが最大の収穫であった。如何に母を愛していたとしても、引き込まれてはいけない。

墓地に行き、納骨の段取りを終えて空を見上げる。12日に眼の手術が終われば、散々だったこの1年(還暦の一年)にけりが着く。61才になるというのは、ちょっと年齢的に考えさせられるが、新しい一年の始まりだ!

上海から日本へ

9月3日の朝9時発便で、日本に移動。毎回ディレイしていた浦東発着便が、一時期定刻に戻っていたが、また遅れだした。前夜12時頃に2時間ディレイと出たのだが、DIDIでタクシーを予約しているので、結局そのままにしてしまう。次回から、前日予約は見送った方がよいかとも考える。
前夜、ドタバタが有って一睡もできない。眠くて仕方がない。そんな感じで困ったものだが、何とか日本に移動した。

真横になれる座席だったが、1時間程度眠れただけ。ちょっと身体がしんどい。

朝便は食事が簡素だ。でも、安いので仕方がない。。。

プロはすごい(掃除のおばさん)

引越しが終わり、楽々パックならぬ半楽パックで、部屋の中はぐちゃぐちゃだ。最低限は整理したものの、混乱を極める棚・引き出しの中を整理するには時間も根気も体力もかかりそうだ。翌々日に、日本移動であり時間なく、更には、上海に戻ったらすぐに眼の手術で暫く安静だ。この状態で暫く暮らすのは、気が重いなあと考えていた時にひらめいたのが、週に一度、掃除をしてくれているおばさん。彼女が、前に、ウィチャットンのモーメンツで、依頼者の部屋の整理をした状況をアップしていたのを思い出す。相談してみると、1時間当たり80元(1600円)で対応可能との回答だったので、即刻お願いする。取りあえず、僕が日本にいる内に綺麗にしてもらおうという寸法だ。

作業開始から終了まで5時間。報告が来たが、すっかり見違えた。これなら、帰るのが楽しみですらある。30分昼食を取ったので、4.5時間x80元=360元で良いというのを、少し色を付けて5時間x100元=500元支払わせてもらった。

何事もプロはすごいね。という事で、価値ある500元の出費であった。半楽パックを、掃除のおばさんが補っても、まだ3,000元足らず。結果、香港よりも、ずいぶん安く、引越しは完了したのであった。

引越し、そして開業16周年

9月1日は引越しだった。4年間住んだ虹橋豪苑から、黄金城道に引っ越しだ。虹橋豪苑は気に入っていたが、住んでいる部屋の内装が古く、次々に物が壊れる。一部は、内部の電線の問題だから直せないと言われており、空調もあまりよく効かない状況だ。上海の家賃相場と言ってしまえばそれまでだが、これで2.2万元(約45万円)は、価値がないな思い、引越しを決意した次第。
その日は、11時に新居に行き、鍵の引き取りと利用説明。家に戻って昼食を食べてから、13時半に引っ越し会社到着。頼んだのは楽々パックという感じ。ちなみに、昼食はそばを茹でた。引越しを意識したわけではなく、単に、余っていたから。

引越し会社は、荷物の詰込みはさすがプロと思わせるもので、着々と詰込みを済ませていった。ただ、後で判明するのだが、搬入はダメダメで、手あたり次第、見つけた棚に入れるだけ。下着も、(浴室に有った)タオルも、他のものも、全部一緒に目についた棚に詰め込む。結果、こんなに収納できませんでしたと言って帰っていったが、かなりの引き出し、棚は使用していないのが判明。自分でやったら、全部収納できてしまった。楽々ではなく、半楽パックだな。同じ会社を、香港で何度も使い、非常に技術が高いと驚いていたが、上海のレベルはまだまだだ。詰込みは相対的に楽だが、収納する技術は高度で、まだ習得できていないんだろうな。とはいえ、価格は香港の半額以下。日本円にすれば5万円程度と破格の安さ。技術不足を考慮した見積もりであろうから、値段相応と言える。文句を言うべきではないのであろう。

上は、搬出が終わった虹橋豪苑。下は新居。狭くなったが、綺麗になった。

新居がいきなり停電になる(空調の故障が引き起こしたらしい)というアクシデントが有り、物業管理とあれやこれやが有ったので、夕食にありついたのは、夜7時半。ササっと食事して、行きつけのバーに行く。お祝いの花とケーキを頂いた。これでやっと、めでたい気分になってきた。

焼き鳥(鰻静+朧月)

先週金曜日、オバマ広場(日本人呼称)の鰻静に行った。ちなみに、このオバマ広場というのは、日本人にしか通じない呼称で、10年以上前に、入り口部分にオバマ夜総会というのが有ったため、日本人が呼び始めたのがきっかけ。今は夜総会のかけらもないが、日本人は呼び続けている。ただ、中国語名称もしょっちゅう変わり、いまは、禧瑞广场、ちょっと前までは睿龙广场。オバマ広場と日本人が呼び出した時は、嘉祥广场のような名前(正確な漢字は忘れてしまった)。10年間で、名称変わりすぎだろうという感じがする。

さて、鰻静という店は、鰻店という位置づけだが、実は、鰻はさほどではなく、「美味いのは鶏肉だ!」という点を声を大にして言いたい。実は、頼まれて、僕が付けた店名だが、当時は店がまだない状況で、聞かれて、「何の店?鰻?じゃあ、君の名前が静だから、鰻静でいいんじゃない?」というのりで付けた。既に店ができていたら、鶏静にしていたであろう。ちなみに、頼まれて名前を考えてあげた店が、道楽(既に閉店)、やすらぎ、鰻静の3軒ある。1元ももらっていないし、出資している訳でもない。単なる、お願いされてアイデアを出してあげただけ。
で、鰻静でまず旨いのがねぎま。そして、鶏鍋。これを食べていれば、安くて旨い。二人だと、鶏鍋以外、何も頼まなくても満腹になる。そして、最後に、うどんかラーメンを入れるのが良い。

翌日は、朧月で焼き鳥。焼き鳥を置いてくれと言っていたが、同じ声が多かったようで、正式メニューになったので、何時でも食べられる。焼き鳥好きとしては嬉しいものだ。

そんなこんなの上海生活。

香港火鍋を食べる(楼上火鍋・南匯店)

暑さが落ち着いてきたら火鍋が食べたくなった。僕の場合、火鍋と言えば、重慶火鍋ではなく香港火鍋だ。これは、香港駐在時(というより、丸紅香港時代)に身に付いたもの。どこが良いかと大衆点評で探して、はじめて知った楼上火鍋を訪問する。

ビールグラスが面白い。同じビールでもこれで飲むと旨く感じるな。そして、鍋底(スープ)は、辛くないもの、という観点で鶏スープを選択したが、思った以上に手が込んでいる。

香菜は、なくてはならない。好みは分かれるが、自分自身は必須で、これだけでは足りないくらい。香港火鍋で一番好きなのは、炸鱼皮(魚の皮を揚げたもの)と生根(油揚げのボール)。この二つが有れば、あとは何も要らないくらいに好きだ。

さすがに、客人の手前、肉は頼んだけれど。

美味しかったのと、サービスが良い。親切なおばさん、おじさんが家庭的にサービスしてくれる感じは、本当に心地良かった。ただ、火鍋で、大して酒を飲まないのに(ビール一本と日本酒の持ち込み料)1,400元(3万円程度)というのは、少々高いなという気はする。ただ、機会が有れば、また行きたい店だ。

9月1日は開業16周年記念日でした

9月1日に、4年間住んだ住居からの引っ越しが控えていたので、そちらに気を取られて、すっかり忘れていたが、2024年9月1日は、水野コンサルタンシーホールディングス(水野諮詢集団有限公司)の16周年記念日だった。朝、お祝いEmailをくれた方がいてやっと思い出した。
思い起こせば、16年前。2008年8月31日に丸紅を退職した。海外居住だったので、一時帰国して、丸紅本社で退職手続を取ったのは9月下旬だったので、約一か月後であった。
生きていくために、先ずは、自分の会社を手に入れて、1件もなくなってしまった契約を、取り戻すのが優先。当然、事務手続きは後回しになる。やっと一息ついて(というか、つけて)、日本に帰国し、退職手続・生命保険・国民年金の手続きをした。その翌日に、当時、入居を目標としていた横浜ランドマークタワー(5年後にランドマークに日本事務所を移転)を背景に写真を撮った。少しでも、成功イメージを付けたいという意図だったが、自信なさそうな顔をしているのが懐かしい。

次の写真が一周年記念日。この時点では、一旦、ゼロになってしまった顧問契約を、150社程度にリカバーしたので、「やれる!(生き残れる)」と朝から興奮状況。夜にドンペリをあけた。まあしかし、16年もすると感動も薄れる。10周年の時だけ、クライアントの皆様にお集まりいただきパーティーをしたが、それ以外は、何時も一人で祝杯。次回のパーティーは20周年だろうから、2028年かな。ともあれ、皆さま有難うございます。引き続き頑張りますので、何卒、宜しくお願い致します。

日常が戻ってきた

色々なことが落ち着き、日常が戻ってきました。4ヶ月ほど筋トレもできていなかったので、トレーナーから、筋肉落ちたねえと言われたものの、慌ただしい生活の中で、何とか、家で腕立て伏せ等をして維持したものだ。ただ、久々に、ジムでトレーディングをすると、本当に疲れる。少し、弱くなったな。

トレーニングが終わると、ステーキを食べたくなる。なかなかお得なパッケージが有ったので、生牡蠣にキャビア(キャビアは、本当に少なかった)。エビにステーキを食べる。

こんな感じで、生活を楽しむ余裕が、少しづつ戻ってきた。9月中旬の手術(網膜剝離時に入れたオイルを抜く)が終われば、一息つくことであろう。

上海に移動

8月20日に上海に移動。今回の日本滞在は約二週間と長かった。これまでは、両親の手続き関係をひたすらやっていたが、今回は、自分の手続きもそれなりにできたので、有意義であった。

空がきれいだったので、珍しく何枚も写真を撮ってしまった。今年の元旦、朝便で上海から日本に移動したが、やはり空がきれいで、富士山も綺麗に見えたのが思い出された。良い一年になるかなと思ったが、プライベートでは、こんな状況なのは皮肉なものだ。ただ、母と最期に正月を祝えたのは良かったか。

そんなこんなで、無事上海に到着。

半生記紹介の反響とお礼

先日ブログで紹介させて頂いた半生記(https://nnaglobalnavi.com/?p=130)ですが、おかげさまでランク1位となりました。有難うございます。

8年前に書いて掲載したものですが、改めて紹介したことで、ランクが上がるのは嬉しいことで、ブログ読者の皆様に感謝する事しきりです。Emailや、レストランなどでも、ブログ読んでいますと言っていただける事があり、続けていてよかったなと、その都度思います。2004年から始めたブログですので、20年続いていますが、その間、色々な事が有りました。丸紅社員ではなくなったことが、一番大きな変化でしたが、独立して、Emailアドレスも、携帯電話番号も変わってしまった時の連絡窓口となったりなど、ブログと読者の皆様に助けられたことは多々あったなと、改めて感じています。


この半生記は、25才の福建省トレーニーの頃から開始しています。仕事を身に着けたい。誰よりも上に行きたいと、必死でもがいていた、若い頃(実力も経験もなかった頃)の自分の記録です。それも、35年前。既に還暦を迎え、人生も終盤に差し掛かってきた感が有りますが、頭が働くうちは働き続けます。80才頃に続編が書けるだろうか。その為には、自分自身が変化していかなければいけない。そんな事を思いながら、引き続き、もがいていきたいと思います。引き続き、宜しくお願い致します。

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ