2002年1月から、The Daily NNAで週一連載している「中国ビジネス講座」の動画解説を準備中。
2021年1月の連載(第896回)から収録を行っており、もうすぐキャッチアップ。後は、毎週新規収録していく予定。
現在、NNAさんとの連携は協議中。
販売開始の折りには、告知致しますので、皆様、是非、ご視聴ください。
麻婆ラーメン
肉体改善努力を開始して2か月が経過した。まだ、体重、体脂肪率共に目標には達していないが、成果は上がってきているので、糖質制限は緩やかにし、全体的なカロリーを、少し落とす方法に変更した。まあ、先は長い訳だから、あまり極端な制限を続ける訳にはいかない。という事で、この日の昼は、麻婆ラーメン。
麻婆豆腐は、近所の店からのデリバリー。ラーメンはマルタイラーメンの佐賀風味(牛塩味だそうな)を購入し、麺は、一人前の半分ちょっとを使用。
自分はなぜか、麻婆ラーメンという料理が大好きで、たまに無性に食べたくなる。とりあえずは満足。
また、Facebookに載せたり、友人に話したら、マルタイラーメンのファンが多いのも分かった。
報道に付いて
海外で日本人の方々と話していると、必ず話題に上るのが、日本の報道に対する違和感で、先週の宴席でも、二日連続話題に上った。かつてのTPP、最近のRCEPの締結を例にとると、必ず、「結ぶべきではない(結んだら日本は大変なことになる)」、「米国や中国に押し切られる政治家が情けない」というような発言が出てくる。その背景となっているのは、日本とASEANは連携を強めているし、一方、中国ASEAN間は悪感情が強まっているから、(中日間初のEPAである)RCEPは結ばず、中国を孤立させた方が良いという意見を持つ日本人が、相当数を占めていることだ。
ところが、現実は、この図の通りだ。
これは、2005年から2020年の中国とASEANの貿易額(赤)、日本とASEANの貿易額(青)、日本と中国の貿易額(黒)の推移だ。これを見れば分かるように、日本とASEANの貿易額は、15年間殆ど増えていないにも拘らず、中国とASEANは、2011年の中国・ASEAN間のFTA発効以降急速に伸び、(2005年時点では日本ASEAN貿易の方が、中国ASEAN貿易よりも若干多いのに)2020年時点では、日本ASEAN貿易の3.6倍にまで増えている。この数字を見れば、孤立する危機を認識しないといけないのは日本の方であるのが分かる。
そうならないための努力がRCEPだということ。
一つの出来事に対して賛否があるのは自然なことだし、それは正しく報道されるべきだ。ただ、こうした現実を認識しないと、適切な判断はできない。
日本の報道は、日本は大丈夫・すごいというトーンで占められている。自信を持つのは良い事だが、現実を正しく認識していなければ、適切な判断ができず、悲しい未来が待っている。
日本人にとって、一番大切なのは、日本が経済力をつける事である。そして、それが国力や世界的な発言力の増強につながる。そのためには、冷たい現実を直視し、それに基づき、正しいアクションを起こすべきだ。
体質改善に励む
ジムに通い始めて2か月。概ね3日間に2回の割合でジムに行っているので、身体がずいぶん締まってきた。2か月で体脂肪率が6%落ちたのは大きい。理想の身体には、まだ程遠いが。
家から歩いて数分の場所にあるWill’sというジムは、全国チェーンで、店舗数が多いので便利。ただ、セールスが激しい、というか、押しつけがましいので、敬遠する人、喧嘩になった人間も多い。僕も、喧嘩しかかった(というか、相手は喧嘩しないので、「これ以上話しても時間の無駄だ」と、自分が勝手に帰ってしまっただけ)事もあるのだが、結果として、入会&パーソナルトレーナーを付けたのは正解だった。
これまで、日本・香港では、自己流でトレーニングしていたので、殆ど筋肉がつかなかったが、トレーナーをつけると、効果が格段に違う。また、前から、正座もできないという、自分の身体の硬さを認識しており(合気道の有段者だったとは思えない状況)、ドクターストレッチに通おうと思っていたが、ジムにもストレッチコースがあるというので申し込んだ。
30代の頃から、筋肉をつけると、老化防止効果があるから、60才前に筋肉をつけよう。ストレッチもやろうと心に決めていた。とはいえ、ずるずる先延ばしにしてきたが、それを変えたのは、行きつけの日本料理店の店員さんの、「水野さんは、太ってないようなのに、お腹が有りますね」という、無邪気な一言だった。あの一言が無ければ、今はまだ、不健康な生活を続けていたのではないか。自分に対する客観的な言葉は、時として、優しい嘘に勝る。とりあえず、現状は満足。トレーナー代が高いのが頭痛の種だが(筋肉とストレッチのコースで、1か月12~15万円かかる)、身体の為の投資と思い、飲み代をセーブして続けよう。
そんなこんなで、たんぱく質を意識した食生活。
久々に真木乃で会食
僕より、一回り以上(二回り弱)若い弁護士の方と真木乃に行った。この年齢になると、会食相手は、ほぼ自分より年下で、20才以上若い場合も少なくないため、丁重に扱われるのは有難いが、年齢を痛感し、一抹の寂しさを感じることはある。まあ、それも有って、肉体改造等などにより、年齢に逆らってみようとトライしているのだが。
年齢の違いは、家族を巡る状況の違いに繋がる。僕の年齢だと、子供が既に社会人になっているので、こうして日中間の往来が難しい状況でも間合いが取りやすい。一方、30代の方々は、お子さんがまだ幼稚園、小学校という状況なので、長い単身赴任は、つらそうだ。今は、無料動画通話などの通信手段も有り、僕の初駐在の頃(国際電話が、1時間で1~2万円した時代)とは、比べ物にならないほど恵まれている。それでも、家族に実際に会えない辛さは募っているようだ。色々な方の発言を聞いて良く分かる。
新型コロナで、国家間の往来が難しい状況が1年半も続いており、それはそれでしんどいのだが、皮肉なことに、自分の場合、より健康になり、資金繰りも楽になった。今までは、年間70~80回飛行機に乗る生活が当たり前で、飛行機に乗り続ける辛さ(心臓への負担、重い荷物を持って動き回るがゆえの、肩・腰を主とした全身への負担)に苦しめられていたが、それから解放された。この2か月で、ジム通いも習慣になり、食生活も改善できているので、今まで苦しめられていた、全身の痛み(骨や筋)、慢性的な疲労、時折感じる心臓の違和感から、ほぼ解放されている。
財政状況も然りで、香港と上海に二か所の住居を持ち(双方、毎月7~8泊しかしない)、飛行機代、ホテル代に費やしていた膨大な経費が、ほぼ軽減された。塞翁が馬という感じの状況だ。
そんなことを思い、お互いの日中間の関係や、日本の状況を憂いつつ、熱く語った夜となった。
糖質制限中なので、主食は残そうかと思ったが、あまりのおいしさに、最後のちらし寿司は完食。大将が、僕の状況も知っているので、糖質が低い食事を全般的に出してくれた。満足した一夜であった。
広州保税区廃止と黄埔総合保税区新設
広州の黄埔地域には、保税区、保税物流園区、輸出加工区の3つの保税開発区があるが、この組織再編が予定されている。この内、輸出加工区は変更はないものの、保税物流園区は黄埔総合保税区に転換。広州保税区は廃止(非保税区域に転換)が予定されている。
当社会報の解説は、こちらをご参照下さい。
中国の保税開発区の種類が多すぎて、(各々機能も異なっており)わかり難いので、環境が整った保税開発区を、将来的に総合保税区に統合していこうという方針は、「税関特別監督管理区域の科学的な発展を促進する事に関する指導意見(国発[2012]58号)」で決まったものである。ただ、転換の対象となっているのは、主に輸出加工区であるし、輸出加工区と保税物流中心B型が統合されて、総合保税区に転換する場合も多い。
広州の組織再編も、保税区と保税物流園区を総合保税区に転換するのが自然であるが、そうせずに、保税物流園区のみ黄埔総合保税区に転換し、保税区は、非保税区域への転換を選択した。こうなると、少なからぬ問題が出てくる。
総合保税区は、多機能を持っている(多様な業種を誘致する)のであるが、広州保税物流園区という、0.5㎢未満しかない区域が転換する訳なので、区内で展示や加工などは展開できず、機能は自ずと限られる。今後の拡張予定はあるようだが、具体的な内容(地域・タイミング)は不透明だ。
そして、広州保税区が無くなれば、保税区域内の企業は、保税業務が出来なくなってしまう。生産型企業は、加工貿易企業に転換すれば良いのであるが、販売会社は保税開発区・保税倉庫内の貨物売買行為には関与できなくなるし、保税区内で倉庫業を行っている企業が、新たに保税倉庫としての許可を取る必要が出てくる。この様な問題が多々生じるため、広州保税区内の企業は、どうするか(移転、営業範囲の変更、税関許可取得など)を早急に検討する必要がある。
広州保税区の廃止に付いては、国務院の承認待ちではあるが、ちょっと意外な方針決定である。
貴州料理を食べる
ひょんなことから、行きつけの日本料理店の店員さん4人と貴州料理を食べに行くこととなった。中国経験は長いが、貴州には行ったことが無く、貴州料理も初めてだ。こういう機会は有難い。
貴州料理は、地理的に、四川料理に似ている。ただ、全体的に酸っぱ辛い味付けなので、酸っぱい系統の味が苦手な僕としては、食べ慣れた四川料理が恋しくなる。とはいえ、一緒に会食した面々は、美味しいと絶賛し、気持ち良い食べっぷりを見せている。こういうのを見るのは嬉しい。
これ(上右)が、貴州名物(四川などでも食べるようだが)のドクダミの根。好きになるとはまるようで、僕の知人も毎日食べていると言っていたが、慣れないと少々きつい。会食の面子の内、貴州人と四川人は、当然、美味しいと喜んで食べ、日本人の僕と、吉林人は、「ちとつらい」と一口でギブアップ。河南人は意見保留であった。中国は広い。料理の味も、各地で全く違う。
野菜の水煮と川魚の鍋。僕は、川魚が食べられないので、一口食べただけ。酸っぱい味付けなので、僕には向かなかったが、(自分の好みを忘れて)客観的にみると、上品な味付けで美味しいのであろう。皆の一押しは、この鍋であった。
焼きそばに外れはない。ただ、メニューの写真では、大きな海老がゴロゴロしていたのだが、それが全く見当たらない。店員さんを呼んで、「間違いじゃないか?」と確認したが、良く探すと、小さなエビが数匹出てきた。「全然違うぞ!」と大笑い。
そんなこんなで、楽しい会食であった。次は四川だ!と約束して、散会。
季節の移り変わり
夏に向かいつつある。上海では、街路樹の色の変化で、季節の移り変わりを感じる。ここ数日、街路樹がまぶしい緑になってきている。僕が1985年に、初めて上海に来た時(8月だった)も、緑色が一番印象に残った(右の写真は上海発訪問時の僕)。
住居の隣では、縁日めいた催しをやっている。週末は結構の人出だ。ワインやカクテル屋台が有ったり、生ハムが売っていたり(脚ごとおいてあって、スライスしている)、かと思えば生卵が売っていたりとか、いまいちコンセプトに一貫性がなく面白い。ただ、カラフルな綿あめに子供が歓声を上げているのは、日本と同じで、何とも微笑ましい。
食事は相変わらずこんな感じの減量食。この日は朝昼兼用そうめん。夜は主食無しでハンバーグ。
翌日の昼は、近所の香港料理屋から出前を取って、粥&滑蛋虾仁のミニサイズ。
胃が小さくなっているので、これで満腹になるのだが、体重は若干足踏み状態。まあ、1~2週間たてば、また1Kg程度がくんと減るだろうと予測中。目標まで、あと3Kgだ。
労働節の連休
労働節の連休前に、糸が切れたように、何もする気が無くなった。旧正月の時は、講演会も有ったし、仕事も激しくこなしていたので良かったのだが、何もしない連休はメンタル的につらい。海外独り暮らしの孤独を感じてしまった。
という事で、連休のある日、夕方からハイボールを作って飲んだ様子。
一度しか行ったことがない、ロックシュッシュという(ハイボールで有名な)店のレシピが本に書いてあったので、真似して作ってみるが、大変美味しい。この作り方だと、安価なサントリーの角がよく合う(もっと高いウィスキーで作るよりも美味しい)。不思議なものだ。
デリバリーフードはこんな感じ。一応、糖質低めを心がける。体重は、ダイエット開始時(3月22日)に66.5Kgだったのが、本日時点で61.6Kgなので、1.5か月で約5Kg削減。筋肉がついている筈なので、脂肪はもう少し減っているであろう。若干の停滞期はあるのだが、まあ、順調と言えば順調だ。
そんな感じで日々を過ごしていたのだが、やはりストレスが溜まっていけない。連休最終日に近くなると、「てとて」に出かけて、憂さを晴らす様に食べまくる。
糖質制限で、ずっと飲めなかったビールも、グラス一杯飲む。これが、しみじみとうまく感じる。
牛筋ポン酢、鳥ささみせんべい(これは、てとてで何時も食べるメニュー)、そしてさんまの塩焼き。
そして、最後に頼んだシュウマイが、想定外にでかくて驚いたが、完食する。
ともあれ、翌日は、元気が出てきた。やはり、人間、食べるものを食べないと力が出ない。おまけに、糖質低めのものを選んだので、体重は増えていなかった。そんなこんなで、連休明けには、また走り出そうと考えた。
広州市政府(投資促進中心)シンクタンクメンバーに再任
広州市政府(投資促進中心)のシンクタンクメンバーに再任された。任命式には、水野広州総経理の麦さんが代理参加。
この制度は、2013年に開始されたものだが、当初より任命され、5回連続の選任(任期は2年)。いま手元に詳細名簿が無いのだが、50人程度のメンバーの中で、外国人は1~2名しかおらず(年によって人数は異なる)、一度でも再任されているのは僕だけ、という状況下、5回連続というのは嬉しい。
僕がこんな感じで、顧問就任している理由は色々あるのだが、一つの要因として、麦さんが、広東省の政府機関と強いつながりを持っているのが挙げられる。麦さんは、1997年に丸紅広州に新卒採用されて、その後、24年間僕と働いている。
広東省が経済顧問制度(広東省長に対する経済顧問)を開始したのは、確か1998年で、超一流欧米企業の中、日本企業は、当初丸紅1社だけが選ばれていた(なぜ、三菱、三井、伊藤忠等が選ばれなかったかの理由は不明)。最初は毎年経済顧問会議が有った筈で、その丸紅側窓口が麦さん、相手側は、やはり若手の発展改革委員会の担当者たち。頻繁に打ち合わせを繰り返す中、20年以上かけて、人間関係が構築されていく。こういった関係は、日本でも中国でも同じだと思う。
そう考えると、僕が13年前に丸紅を退職した後も、丸紅の遺産を引き継いでいることになる。
これも人間関係であり、過去の蓄積だ。
そんなこんなで、前の職場にも感謝する次第である。