ロックダウンに際して思ったことは、中国人は生鮮品に対する思い入れが強い。まあ、僕が日本人の感性を代表している訳ではないので、適切な比較にならないかもしれないが、僕は、レトルト、米、麺の確保に動いた。あと、一番気になったのはミネラルウォーターだ。一方、中国人の友人・知人たちは、生鮮食品の確保を優先していた。


そんな違いを感じていると、ロックダウン2日目に、政府からの支給品が届いた。全ての家庭に配布されるようだが、その量にびっくり。なかなか鮮度の良い肉であるが、男の一人暮らしで、外食主体の生活だった。十分な調理器具、調味料が無い中で、どうしようかと暫し途方に暮れる。


ともあれ、まず思いついたのはカレーだ。どう考えてもカレー用の材料だ。30分ほどかけ、ビールを飲みながら調理する。
ロックダウン中は、インスタント食品に偏っても致し方ないかと思っていたので、まさか料理する事になるとは思わなかった。ただ、面白い事に、簡単な調理でもストレス解消になる。何となく、楽しくなってきた。、

そして3日目。午前にPCR検査をやる筈だったが取り消され、午後に検査キットを配られ自己検査する事となった。検査結果は数分で出る。結果が出たら、アプリで写真と一緒に報告する形式。


午後4時には検査と報告が終わったので一安心。午前中に、「ジャガイモは、ソーセージと炒めてみよう」。更には、「ネギと間違えて買ってしまった葉ニンニクを、捨てようと思いながら冷蔵庫に入れていたが、これは豚肉と炒めればよいのではないか」と思い、早速試してみる。
何やら不思議な成り行きで、2日連続の料理と相成ったが、そんな感じでロックダウン期間は経過していく。
ロックダウン初日は平和に過ぎる
ロックダウン前夜、同じビルの住人のウィチャットグループに入ると、ここで翌日のPCR検査スケジュールが通知される。日本人の住人がいることが分かっているので、日本語の案内まで流してくれる。親切だ。
アプリを使って翌日の予約をし、QRコードを取得する。これはスクリーンショットを撮っておく必要あり、検査時は、それを見せると、一瞬で登録が完了する。

朝、窓からのぞくと、意外に人が少ない。号棟、フロア毎に時間割当があるのだが、アプリを使った事前手続がしっかりしているので、個々人の検査時間が極端に短くスムーズだ。ウィチャットグループに、「いまは空いているので、時間通りでなくても大丈夫」との連絡があったので、早速出かけ、数分で検査を終わらせる。大変だったのは、エレベーターを使わず、階段を乗り降りしたことくらいか。これは、指定が有ったわけではなく、自分自身がエレベーターに恐怖感を持っているため(ロックダウン中に閉じ込められたら、誰も助けてくれないという恐怖感)。何分、日本(東京)で1回自分自身が閉じ込められ、香港で1回、閉じ込められた友人を救出したことがある。友人の救出は、自分が広東語が出来なかったため、1時間以上の時間を要した。それ以来、エレベーターは何時も怖い。

部屋に戻ると、蕎麦を茹でで食べる。食材は貴重なので、ネギは少なめ。
しかし、今回は正直感心して脱帽した。2000万人前後の上海市民を、1日で全員検査し、翌朝には検査結果を集計している。少なくとも、自分の身の回り(友人情報を含め)では、全く混乱が起きず、粛々と検査、ロックダウン管理が進んでいく。「これは凄いな」というのが、正直な感想だ。


ともあれ、ロックダウン期間は4日だが、少なくとも町内の感染者が0になるまで制限は続くので、あまり焦るのは良くない。幸い、食料も水もある。メンタルを前向きにもって乗り切ろう。
少なくとも、午後の窓の外の景色は、1985年の上海初訪問以来、経験したことが無い空気の良さと静かさ。小鳥のさえずりだけが聞こえる環境であった。その中で飲むビールは美味かった。
ロックダウン前日
浦西地域の封鎖は明日からだ。何やら、子供の頃に、雨戸を閉めて、数日分の食料を用意して、台風を待った気持ちに似ている。
そんな状況下、割烹Makinoの3月31日(ロックダウン前日)限定、特別おせち風弁当到着。日持ちがする食材で作った弁当。


そして、旧真木乃から分けてもらった牛肉。400g。新旧まきの(真木乃とMakino)にロックダウンの食材を助けてもらった。



牛肉は三分の一だけ食べてしまったが、ともあれ、この二種類と米が有れば、封鎖期間の食事は大丈夫だ。調達努力を金で解決した感の申し訳なさはあるが、ここは非力な外国人?だけに勘弁してもらおう。ともあれ、持つべきものは行きつけの場所だ。こういう時に頼りになる。
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上海市ロックダウンの状況と企業対応
日本でも報道されているようですが、どうも日本の報道は極端なもの(随分、バイアスがかかったもの)ばかりに偏っている気がします。幸か不幸か?渦中にいますので、上海市の政策(これは資料提供だけでさらりと流していますが)と、自分の目から見たロックダウンの状況を語っています。
封鎖準備をしながら思う
昨日、ロックダウンを知ったときには、既に食料・水の備蓄を済ませていたので、改めての買い出しは不要だが、一応、付近のルイビトンビルまで様子を見に行った。

ビル全体には人は少ないが、地下の久光は満員とは言えないが、購入者の行列が長いので、「並ぶのが面倒」と思い、買わずに出てきた。一応、念のため、という事で、付近の小さな個人商店で水を購入。今まで、全く覗いてもみなかった(除く気にもならなかった)小さな店舗が、店の人が親切なのを発見。これが、今回の収穫かな。


その後、念のためウィスキーを2本買い出し。スーパーに行くと、酒と生鮮品のレジが一緒なので買いにくい。酒屋に行こうと自転車を漕いでいく。シーバスを2本。とりあえずロックダウンの4日間は、また禁酒日にして、筋トレをしようと思うので十分すぎる量だが、残しておけばよい。これで封鎖準備は完了だ。
街は、物が買いにくい事を除けば平和なものだ。中国内の報道では、内需の伸び悩み(輸出依存)の状況が危惧されているが、今日だけを見れば「え?購買意欲すごいよ」と、問題を忘れてしまいそうな状況だ。
しかし、35年の社会人経験(というか、1985年の大学の初中国旅行の経験以降)が、今回の様な時のメンタル維持に色々役に立っている。
切っ掛けは、大学3年。まだ糧票が有った時代(豊かになる前)の中国を旅行し、「物が無いときは、売る人の方が買う人よりも偉いんだ」というのを実感した。つまり、物が豊富な時はお客様は神様だが、物がなければお店様が神様だ。
こういった発想の転換をしたことが、自分的には良かったと思っている。これは、今後の日本で、十分有り得る話。自由貿易協定の確実な展開、健全な物価の引上げ、その前提となる雇用の安定をしないと、日本も「お店様」の時代になるよ(つまり、欲しいものが買えない時代が来るよ)、と危機感を持ちながら何時も思うのであるが、この話に共感してくれる方は、まだ少ない。
ともあれ、この備蓄時期にも、なかなか丁寧に対応してくれる今の中国の店舗は、1980年代(外国人がまず最初に覚える中国語は没有だと言われた時代)とは大違い。これは外国人として、感謝しないといけないなと思う。時代は変わった。
隔離解放後の上海生活
隔離から解放されても解放されないような微妙な状況が続いている。その上で、今日から浦東地域などがロックダウン(4日間)。その地域の解除後こちら側(浦西)が4日間封鎖という事が決定。まあ、時間的に短いのが救いで、食料備蓄もしてあるし、ともあれこれを乗り切って収束となりますようにと祈りたい気分だ。



今年1月2日に上海を離れた時は、上海で感染するという懸念は全くと言ってよいほどなかった。そんな訳で、駐在員全員、中国での駐在で良かったな(日本での生活だったらこんなに自由に過ごせないな)と言っていたが、状況変化があると、中国は徹底的に対応する。まあ、徹底的にやるから早期収束の希望も出てくる訳だが、感染してはいけないというプレッシャーは、日本とは比較にならないほど大きい。何が正解かは分からない。
昨日の朝には、PCR無料検査キットを配られ自己チェック。その後、夕飯の食材を買い出し。
2月23日の青島隔離から続く不自由な生活は、少々メンタルに堪えるなと思い、パスタを茹でて青島ビールホワイトを飲む。
割烹Makinoの期間限定弁当で春を感じる
昨日は天候も良く、久々に平和を感じる1日であった。外で弁当を食べているグループも複数いたり。
まあ、人の出は少ないと言えば少ないのだが、レストランがやっていないし、まだマンション封鎖されている人もいるので、これは致し方ない。



今日は一転して雨と強い風。こんな状況が続いていると、天候が大きくメンタルに影響を与える。今一つ気力がわかない今日だ。そんな中、数日前に予約してあった、割烹Makinoの期間限定弁当が届いた。有難い。

寿司、天ぷら、筍ご飯など等。昼夜2食は最低この弁当で十分だ。一人で黙々と食べるのは寂しいが、ちょっと気持ちは春めいた。
封鎖解除後
マンション封鎖はあっさり解除されたが、これはかなり幸運なケースであるようで、なかなか解除されないマンションが多い。
そうなると、自分は外出できても、友人には会えないし、レストランも開いていない。必然的に一人家にこもって自炊し、食べる日々が続くので、海外の孤独を味わっている。
上海は便利なので、平常時はこんな気持ちを味わうことは無かったが、特別な状態だなと実感する。
ちなみに、近所で買った牛肉(写真)が凄まじく硬くて噛み切れない。これには参った。翌日アピタに行って買いなおし。

出かける時に、門にこんな張り紙がしてあるのが目に入った。16~18日(封鎖時)にPCR検査を受けていない人は、別の場所でやれという案内。

実際、上海では、3月16日以降のPCR検査証明(健康コードから読める)を見せないと、入れないビルが増えてきた。当社の入っているビルもそうだ。もう少ししたら、検査証明がないと、生活に支障をきたすことになりかねない。
青島から戻った直後にマンション封鎖されたのは、運が良かったのか悪かったのかと思っていたが、結果からすると大正解だった(一番良いタイミングだった)という事になりそうだ。
ほぼ平穏無事だが隔離ボケ?
3月16日の上海到着直後にマンションが封鎖された。家に着いたのは、17日の深夜2時頃だったので、4時間後の封鎖であった。
PCR実施と検査結果確認後の封鎖解除となるので、最低48時間は解けない筈だったが、昨日(18日)16時、1.5日であっさり封鎖が解除された。
付近では、PCR検査だけで封鎖が免除されるマンションも多く、穏やかな運用が取られている感じだ。やはり、市民生活に支障をきたすわけにはいかず、その点の配慮がされているのであろう。
17日にPCR検査はしたが、それ以外は、隔離疲れがどっと出て、横たわっていたら自由の身になってしまったので、何やら不思議な感じだ。
また、何分、長期不在後の帰宅で食料の備蓄が無く、5回デリバリーを頼んだが、全てオンタイム(1時間程度)に到着したので、個人的には、何も困ったことは無かった。
部下から、「隔離解除おめでとうございます。外に出てはどうですか?」というメッセージがあったが、疲れに疲れて(メンタル疲れ)、それどころではなく、家で食事をして寝てしまった。

一夜明けて、朝はそうめん。昼食はこんな感じ。当たり前の生活を楽しむ。
その後、NNAの連載原稿。いまだに隔離ダメージで頭がぼーっとしており筆が進まないが書き上げる。
まだ疲れが残っており、外に出たくはないが、封鎖解除後の状況を確認せねばなるまいと、近所のスーパーに行くが、人が少ないを除けば平常の品揃え。即席麺が少ないかなという程度。取り合えず、ネギ、シャンプー、牛乳を購入して帰宅。



イメージ的には、みんな冷静だったなあと感心。買い急ぎもなく、封鎖も平然と受け止めており、大した混乱は無かった。これも慣れかな。

マンションの中で
3月16日夜10時半に浦東空港到着。11時半にタクシーに乗る。
良く行く日本料理屋から、「長寧区の飲食店は明日(17日)から営業停止になって暫く会えない。店に来れるなら(閉店後だが)店員3名待っている」と言われたので、店に直行して約1時間ワインを飲み語らう。
そして、今日起きたらマンションが封鎖されていた。何にせよ上海の全てのマンションを封鎖し、全員PCR検査をするので(注:翌日の補足。検査は全てながら封鎖は免除されるマンション区域が出てきました)、何時やるか違いだが、帰ってくるのを狙いすました様なタイミングだ。
運が良いと思うか間が悪いと思うかは両方当てはまるが、ちょっと時間がズレていたら家に戻れなかったので、まあ、運が良かったと言っておこう。封鎖とはいっても、マンションの中は歩けるし、デリバリーも注文できるので、特別困ったことがある訳ではない。隔離の疲れがどっと出て、動くのも億劫なので、封鎖されていてもいなくても、あまり変わりない状況だ。



ただ、「隔離飯を3週間食べた後だから、美味い飯を楽しみにしていたのに」と、この点ではがっかり。
すると、これまた懇意の料理店(別の店)が、「営業停止中で店は閉まっているが、作って門のところまで持っていってあげよう」と言ってくれ、鮨にありつけることになった。これで満足。

やることが徹底しているが、これだけやるから抑え込みもできるのであろう。周りに人たちも、「仕方ないな」という感じで、特段の抵抗感はないようだ。やはり、感染状況を長引かせるのと、徹底的にやって早く治めるのと、どちらがいいかという点に付いては、以前の経験で、「一時の我慢で良いならば、早く収まって自由に生活した方がよい」と考える人が多いのであろう。
ともあれ、最低限必要な食料は確保した。のんびり過ごそう。