オフィス付近の桜と最近の雑感

オフィスでTV会議をする必要が有ったので、久々に出社したら(自分は横浜の実家で在宅勤務中。他の社員も同様に在宅勤務中)、福岡銀行の会報が届いていた。2020年1月20日の福岡での講演会の紹介が出ているため。思えば、このための出張以来、中国に戻れていない。その当時は、こんな事態になるとは思わなかった。まさに一寸先は闇だ。

早く中国に戻りたいという気持ちはあるが、各地(上海、広州、香港など)は、通常通り機能しており、業務に支障は生じていない。また、第一四半期は、おそらく連結黒字は維持できそうだ。例年より利益が伸びないのは致し方ないが、この環境を踏まえれば健闘と言えるであろう。過去20年弱、各子会社に権限を移動し、人材を教育し、組織が自立できるように考えて運営してきたつもりだ。その結果が出てきているのを感じられるのは嬉しい。ただ、実務者(コンサルタント)の立場としては、自分が実家に引きこもっていても、業務がつつがなく回っているのは、寂しいような、妙な感じはするのだが・・・

オフィス付近の桜。
やはり、日本人だから、という事であろうが、桜には過去の色々な思い出がある。ただ、一番印象深いのは、高校3年生になりたての時、これから受験しなくてはならないんだと、悲しい思いで眺めた桜。今でも桜を見ると、その時の気分を思い出す。
そして、社会人になると、我ながら古いタイプのモーレツ社員で、のんびり桜を眺める時間は無くなった。1997年からは、海外に出てしまったのでなおさらだ。
こんな風に、(長い期間)のんびりと桜を眺めるのは、本当に久しぶりだ。

大学同級生の壮行会と快気祝い

これも1ヶ月ほど前のこと。
昨年末から大学の同窓生が大病を患って入院していたのが、無事退院したので快気祝い。また、他の同級生がドバイ駐在が決まったので、壮行会をする事になった。
因みに、ドバイ行きが決まった同級生は、ブログのこの回でキャップをかぶっている人物
大学三年生の時に一緒に中国に旅行し、途中で分かれた。彼と会うのは、33年振りだが、その間に、ベトナムに8年駐在し、今度はドバイ駐在が決まったとの事。

都庁のレストランで会食。
という事で、頑張れよ!と送り出したら、翌日、ドバイが日本人の入国を制限したという事で、出発できず、ぎゃふんという落ちになった。

福岡から渋谷、そして1.5か月後にダイエット

これも、今年の2月中旬の事。
日本でこういう生活が続いたために、体重が4.5Kg増えて、只今ダイエット中(始めて5日目。1.3Kg減)ですが・・・
これは福岡空港のラーメン滑走路という場所(ラーメン店が集まっている、ラーメン横丁のような場所)で食べたラーメン。
チャーシューはまずまずだったけれども、ラーメン自体は可もなく不可もなく。

羽田に到着すると、空港で2時間ほど仕事。到着時はにラウンジが使えないのは不便だ。17時半まで空港の喫茶で仕事をすると、渋谷まで移動。道玄坂で、報道の方&元クライアント様と会食。
道玄坂での会食は久しぶり。道玄坂で覚えているのは、新入社員時代(1987年)、初めて入った寿司屋(今はさすがにもうない)でのこと。寿司カウンター(寿司を置く板)に、途中から小さなゴキブリが走り出したが、周りのおじさんたちは全く騒がず。みんな、「お友達が来た」と喜んでいた。日本も30年前は、今とは衛生観念が違っていたんだなあとつくづく思う。
現在は、当然そういう事はなく、小さな店でも衛生的だ。

酒飲み3人(特に、日本酒好き)というのを前提に、幹事役の方が選んでくれた店は、お任せ3,500円というリーゾナブルな店。日本酒は、女性好みの日本酒が主流(微発砲のもの、ワイングラスで飲むのに適した日本酒など)なのが、ちょっと僕には向かないが、全体的に良い店であった。

最後はチーズ(主食は無い)。
料理は3,500円でも、酒飲みぞろいのため、一人の割り勘は、ほぼ1万円。

台湾研修生同窓会(1月の出来事)

しばらくブログの更新が途絶えていますが、元気です。横浜の実家にこもって仕事をしている状況で、変化が無い(書く事が無い)ので更新がないという次第。
ただ、思えば16年続いているブログでもあり、あまり更新が無いのもなんだな思い、過去の出来事(今年1~3月)や雑感を、これからつづっていこうと思った次第です。
さて、これはもう2か月前の話になってしまい、アップの機会を逸したなと思っていたものですが・・・

2020年1月末、元台湾研修生の会が有り、2回目の参加。これは、1988~1989年に企業派遣で台湾語学留学していた人たちの同窓会。自分は、他の研修生とは殆ど接触が無かったので、当然の様に関連の方々とも交流が切れていたが、参加する様になったのは、僕がアドヴァイザーをしている香港貿易発展局の伊東さん(日本所長)が幹事をしてくれているため。あとは、SNSで忘れかけていた方々との交流が徐々に復活したためで、この点、SNSの発達は有難い。

なぜ当時、他の研修生と交流しなかったかというと、一番は、日本人と交流すると、中国語が上達しないのではないかという危惧。やはり、入社2年目で語学研修というのは、他の同期がどんどん仕事を覚えて、組織で居場所をつかんでいる状況下、取り残されたような気になるものだ。そのため、せめて語学は、誰よりも上手くなってやるという意気込みで勉強していた。あとは、自分が最年少だったので、いつも気を遣うのが疲れるという理由。それに、ゴルフが好きではないという理由も加わるのだが。

会場は、半蔵門の「台湾食堂」という店。幹事の伊東さんが気を使って、毎回、台湾料理にしてくれるようだ。
リーゾナブルで良い店。紹興酒が進んだ。

そして最後の記念写真。20代で留学していた人間たちが、30年以上の経過を経て年を取った。20代の頃は懐かしく、ただ、(自分が会社内でポジションをつかめるのだろうか。今後は、どうなるのだろうかという)不安を何時も抱えていた切ない思い出でもある。昔に戻りたいとは思わないが、それでもいろいろ懐かしい。

鎌倉を散歩する

実家に引きこもる日々にて、付近の散歩にもとうとう飽きが来た。ちょっと遠出をしようと鎌倉へ。
鶴岡八幡宮。


通常の3割程度の人の出だろうか。

今後の行動予定(何時、任地に戻るかなど)をあれこれ考えながら歩き、それなりに考えが整理できたのはよかった。
どこの店にも入らず、ただ、散歩をして実家に帰る。

25年ぶりの整骨院に行く

首・肩の痛みがひどくなってきて、マッサージに行っても治らない。思えば、過去8年くらいで、10か所近く整骨医(カイロプラクティクなど)を試したが効果が無い。という事で、25年前に、ひどい状態を直してくれた、信頼できる場所に行こうと、往復4時間近くかけて、馬橋駅(松戸)まで行く。

ここは、丸紅社宅が有った場所で、1993年~1996年の4年間を過ごした懐かしい場所だ。
駅前のしちりんは健在。丸紅の若手(当時)社員が集まって、ここでニンニクを食い、酒を飲んだのが懐かしい。ここの名物料理で、ニンニクオイル焼きというものがあるが、これはインパクトあるメニューだった(ニンニクオイル焼きに付いては、こちらをご参照下さい
ただ、馬橋の駅前商店街は、ずいぶん寂しくなっていて、昔懐かしい場所が殆どなくなっているのが残念だ。

そして、目的の野口整体院に。大学時代の合気道で恒常的に首から叩き落されていたためか、骨にゆがみが有ったようで、20代の頃から、少し根詰めて仕事をすると、首がもげそうなほど痛くなった。マッサージ、針、整形外科、真空治療と次々に試して、行きついたのが、この整体院。3か月くらいかかったけれど、ここで劇的に良くなった。

先生の人柄も含めて、信頼がおける治療院で、今回も、1回でずいぶん改善。あと1~2回通おう。新型肺炎のため、日本滞在が長引いているが、ここに行けたのが一番の成果かもしれない。

治療後、隣の新松戸まで行き、昔懐かしいケーキ屋・シノーに行く。臨時休業で購入できず大変残念だ。更に、4月末で閉店と書いてある。最後に1度購入できる機会があるかどうか・・・

上海図書館

知人が教えてくれたのだけど、上海図書館には、僕の本が12冊置いてあるようだ。

今ではこんな感じで、近代的で立派な上海図書館だけど、1985年はこんな感じであった。喫茶室で身体に悪そうなジュースを飲む友人二人を写したところ。今では絶滅しているが、こういうジュースが、35年前は、街中でよく売られていた。
この時、自分が書いた本が、将来、この図書館に置かれる様になるとは、夢にも思わなかった。本を出せるということ自体が、夢物語だったのだが。

ついでに、その後に行った、茂名南路付近。アイスクリームを食べる自分(ブルースリーに憧れているのが見て取れる髪型・風貌)の後ろに写っている女性が着ている水色の服が、当時上海では流行っていて、道行く女性が軒並み来ていたのが印象深い。

横浜オフィス付近で打ち合わせ

一週間ほど前のこと。
横浜の赤レンガ倉庫でビジネスランチをした。

日本オフィスは時差出勤をしていた頃なので(今週から二週間の在宅勤務)、朝早くは人がおらず、桜木町のスタバでEmail整理をする。オフィスのあるランドマークタワーが見えるので気持ち良い。

10時半になると、赤レンガに向けて歩き出す。約15分の道のり。

昔(2011~2014年)にオフィスが有ったワールドポーターズ。ここにある横浜市の、外国企業用インキュベーションセンターで3年間過ごした。大変安いが、窓もないオフィスだったので、居心地は、今とは比べるべくもなかったが。


赤レンガ倉庫が見えてきた。

ここの3階にある、ブッチャー・レパブリックという店で、シカゴピザを食べる。実は、シカゴピザというのは何か知らなかったのだが、すさまじいこってりさ。中からあふれてくるチーズに恐れおののく。美味しいと言えば美味しいかもしれないが、これは若者の食べるものだ。50代の胃には重い。

という事で、胸やけに苦しみながら、打ち合わせを終わらせた。

松本清張記念館

2月15日(土)の事。ホテル付近のウェストうどんで昼食を取ると、小倉に向かう。
目的は、松本清張記念館。中学生の頃からのファンとしては、前から行きたいと思っていたのだが、なかなか機会が無かった。九州には、2004年以降、何度も行ったが、思えば、福岡の他は、社員旅行で1回行った長崎だけだ。
地理も良く分からないが、Gマップが有るので問題ない。すんなり(と言っても1時間以上かかったが)、記念館到着。

空いてはいるが、思ったよりは人がいる。特に、中学生と思しき少年が、熱心に展示に見入っているのが目に入る。自分と似たような行動をする少年だなと興味深く思う。
マニアは、1度は来る価値が有るが、おそらく、マニア以外が見ても全く面白くない。訪問客を選ぶ記念館であるのは確かだ。それなりに満足して、外に出る。

清張記念館を訪問すると、+100円で小倉城参観が可能なので、ついで(?)に見に行くが、こちらの方が、訪問者も格段に多く、また、展示も、一般受けする様に工夫がされている。
参観を終わると、小倉駅まで歩き、特急ソニックで福岡に戻る。

よく歩いて疲れたので、プロントにて、何時もは食べないケーキを食べてホテルに。

福岡にて

ブログもなかなか更新が進んでいませんが元気です。というか、ずっと日本で、移動(飛行機搭乗)も宴席も少ないので、普段より元気で健康です。
ただ、この1年間は、米中貿易摩擦を心配し、香港のデモでイラつき、新型肺炎で元気をなくす。という感じの一難去ってまた一難。これだけ矢継ぎ早に問題が起こる経験は、過去30数年の社会人生活で初めてで、げっそりしているのが、ブログの更新が遅れている一番の理由。
新型肺炎騒ぎは、SARSを、渦中の香港で経験しているためか、恐怖はないのですが、生きる気力失われていく感じというのが、正直な気持ちでしょうか。とはいえ、ビジネスマン、経営者は、前向きな気持ちが重要。これなくして、世の荒波には立ち向かっていけません。モチベーション維持に努め、アグレッシブに行けるよう頑張ります。

さて、本題。
もう2週間前の話になるけれど、大阪での講演会後、福岡に異動した。元々、上海のクライアント様2社との旅行が企画されていたのだが、状況を鑑み延期。ただ、僕だけは、既に飛行機が押さえてあったので、予定通り福岡入りする事とした。そうすると、新型肺炎で任地(上海、福建)に戻れない別のクライアント様との会食が決まる。まさに、犬も歩けば棒に当たる感じだ。

新型肺炎の流行が旧正月と重なった事で、帰国している駐在員が任地に戻れなくなった(これを書いている時点では、中国の新規感染が収まっている一方、日本が拡大傾向を見せているので、中国側の入国が難しく、更に、帰任は先の話になるであろう)。
日本にいるのが幸か不幸か、という点に付いては判断は難しいが、ビジネスマンは、仕事ができないのが一番つらい。その焦りと不安を聞きながら酒を飲む。
ご招待頂いた店は、良い店だった。出た料理の一部しか写真を撮らなかったが、全て美味しい。僕の嫌いな煮魚、そして、白子(これは、通常は、食べられないと宣言している)が最後の方で出たのだが、両方美味い。特に、ペースト状にした白子。白子をうまいと感じた、初めての経験であった。

翌日は土曜で休日。
念願の松本清張記念館を訪問しようと、ホテル付近で、うどん(ウェストうどん)を食べて出発する。

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ