久々の京都にて

引き続き、3月中旬の出来事です。

鳥取から京都到着。京都のアポは1件だけなので気楽だ。
駅前のセンチュリーホテルに宿泊。この状況で外国人の旅行者が極めて少ないので、料金もほどほど。

そして、翌日は、駅ビルで喜多方ラーメンを。

炭水化物出張の〆になった。
この翌々日からダイエットを開始(只今、2.3Kg減で、あと2.2Kgを目指して継続中)。

こんな関じで時系列を無視した過去記事のアップはひとまず終えて、次回から現在に戻します。

鳥取から京都へ

引き続き、3月中旬の事。
鳥取最終日は、朝旅館で報告書をまとめ、Emailするとスーパーはくとで京都まで。車両には4~5人しか乗っていない。

電車待ちの時間に立ち食い蕎麦(砂丘そば)を食べて。

関連の方々にも喜んで頂けたようで、短いながらも充実した出張であった。

鳥取での仕事

引き続き、3月中旬の事。
鳥取での仕事日。
朝8時半に旅館を出発し、9時~10時は相談企業の会長と面談。10時半~12時半に対象企業訪問。
12時半~13時に昼食で、13時~14時半が空き時間。14時半~15時半は有力地銀を訪問し、専務取締役と面談。
その後、ちょっと間が空いて、17時半から鳥取の財界の方々と会食という段取りであった。相談者の友人の気遣いで、アレンジがしっかりと決まったので有難い。
これは昼食の担々麺。前日の炭水化物がまだ残っているので、餃子を食べるのがちと辛かった。

そして、1時間半の空き時間を利用して、友人が車を運転して、鳥取砂丘に連れて行ってくれる。やはり、鳥取に来て、砂丘に行けないでは悔いが残る。砂丘が、1時間半の空き時間に、ふらっと寄れる場所であるのは意外であった。

独特の雰囲気で、行く価値あり。
中東に来たような気分を一瞬味わう。

鳥取初日

引き続き、3月中旬の事。
鳥取初日。鳥取駅到着後、宿に直行し、チェックインすると、友人が押さえてくれていた皿蕎麦屋に直行する。
一口ずつ皿に入れて食べるのが、鳥取の蕎麦の流儀らしい。

インターネットで事前検索すると、店の人の感じが悪い(接客が悪い)というコメントのオンパレードだ。とはいえ、事前連絡までしてくれていたので(何時に行けばいいかなど、打ち合わせてくれていたらしい)、地元民同士で仲は良いのだろうと思っていると、「行くのは2~3年に一度だ。高校の時から、あの婆さんが笑ったの見たことない。とんでもねえぞ」との返答。「おいおい(笑)」という感じだ。

そばを食べた後に、街をぶらぶら歩いて、友人行きつけの和食に入る。はっきり言って、駅弁で米を食いすぎ、その後、そばを食べたので、これ以上炭水化物を取るのが辛い状況であるが、日ごろから日本酒好きと言っているので、「日本酒を飲ませねば申し訳ない」と思ってくれたようだ。

満腹ではあるが、良い店(味も雰囲気も)なのでついつい食べて飲む。過剰満腹状態で、鳥取の初日は終了したのであった。

経営コンサルのために鳥取へ

1ヶ月近く前の話になるけれど、大学の同級生の依頼で、鳥取に経営コンサルティングに行った。
結局、この出張から帰ってから、ずっと実家にこもっている訳なので、動き回れた当座最後の機会であったわけである。

鳥取は、実質的に生まれて初めての訪問で、全く土地勘が無い(物心つかない幼少期に行った事が有るらしいのだが)。今回は、友人が、とある企業の専務に抜擢されたので、経営分析をお願いできないかと依頼された訳ながら、その会社は中国とは関係ないし、業種も自分の専門とは違っている。普通だったら受けないところだが、任地に戻れず、じっと家にこもる生活にも飽き飽きしたので、好奇心もあり、出向く事にした。

鳥取砂丘コナン空港にはJALが飛んでいないので、電車でゆっくり行く事にする。新横浜から新幹線で2時間。スーパーはくとで3.5時間。それに、家から新横浜までの時間や、京都駅での待ち時間が有るので、なんだかんだで7.5時間かけて鳥取着。飛行機で上海に行った方が、よっぽど近い。

朝食を食べずに家を出たので、まずは、「朝のおにぎり」と銘打った弁当を買うが、朝のという割にはすごい分量だ。そして、横浜の人間としては、乗り物に乗るとシウマイを食べたくなるのは身に着いた性(さが)だ。


京都駅で昼食用の弁当を選ぶ。
850円程度の「のり弁」に惹かれたが(フライト焼き鮭も入っている)、京都らしいものを食わねばと思い直し、1,100円のきつねご飯弁当にする。まさに、思った通りの味だったが、原価はのり弁以下ではないか。ちょっと解せぬ気持にはなる。
こんな感じで鳥取到着し(さすがにくたびれた)、友人と合流すると、蕎麦屋⇒日本料理屋に。
こんな日々(過食傾向の日々)が続いたので、帰ってすぐダイエット開始。むべなるかな。

SARSの時と比較して

横浜の実家で在宅勤務を続けているが、仕事は、ここ一週間、徐々に忙しくなってきた。やはり、中国が正常化してきているので、それに付随して打ち合わせ依頼(電話会議など)が増えてきたという事だ。
やはり、現地(中国本土)への思いたち難し、というところはあるが、仕事が戻ってきているのは良い事だ。

この状況で思い出すのは、2003年のSARSのことだ。あの当時、日本では感染者が出なかったので、日本にとっては対岸の火事だったと思うが、自分は渦中の香港にいたので、個人的な恐怖は、今より強かった。700万人程度の香港で、2,000人弱が感染。300人程度が死亡。更に、初めての経験で、最初は出歩くのも怖かった。
とはいえ、それ以上に仕事が進まない恐怖が強かった。2002年は人生最高の年(少なくとも仕事上は)で、初めての本を出し、それが書店で大好評となり、コンサルティングを開始すればトントン拍子に契約が取れ、NHKの出演も決まった。有頂天になっていた頃に、SARSですべてが止まってしまった。焦ったのも致し方ない。ただ、収束すれば、全ては元に戻ったのだが。

いま焦りが無いのは、仕事・会社が安定しているのと、年齢(若くない)が理由か。
とはいえ、安定したと言えば聞こえはいいが(それなりに良い事でもあるが)、会社がどんどん伸びている、というわくわく感を、周りの人に与えていないという事で、これは反省すべきことだ。そんなことをふと考え、反省し、これから何をするかを考える日々。
これがきっかけになって、新しい一歩に繋がるとよいのだが。

雑感

思いもよらず、3ヶ月弱の日本滞在。更に、数か月続きそうな勢いだが、ともあれ、2020年第一四半期は黒字を維持できそう。勿論、大喜びという数字ではないが、この状況下では健闘した方だろう。そして、電話会議ベースでの打ち合わせは増えている。やはり、現地が通常稼働しているので、日本と中国で電話、ビデオを通じての打ち合わせで、仕事が進められるのは大きい。

そして、実家に、これほど長く居続けるというのは思いもしなかった事態で、これはこれで一つの副産物か。
大学の時に見た夢で、記憶に残っているものがある。20代の自分が失踪して、数十年行方不明になるというもので、ひょっこり実家に帰り、仏壇に手を合わせていると、そこに入ってきて驚く母親に、「ゲームは終わったよ」という。それだけの夢。

その後、海外主体の仕事となって(まあ、電話もあるし、しょっちゅう日本に帰れるのだが)、海外滞在累計25年になった事を考えると、不思議な余韻を、いまだに感じる。まあ、そういった海外生活が、少しの間休憩になったという感じか。
まだ、ゲームは終わっていないが。

オフィス付近の桜と最近の雑感

オフィスでTV会議をする必要が有ったので、久々に出社したら(自分は横浜の実家で在宅勤務中。他の社員も同様に在宅勤務中)、福岡銀行の会報が届いていた。2020年1月20日の福岡での講演会の紹介が出ているため。思えば、このための出張以来、中国に戻れていない。その当時は、こんな事態になるとは思わなかった。まさに一寸先は闇だ。

早く中国に戻りたいという気持ちはあるが、各地(上海、広州、香港など)は、通常通り機能しており、業務に支障は生じていない。また、第一四半期は、おそらく連結黒字は維持できそうだ。例年より利益が伸びないのは致し方ないが、この環境を踏まえれば健闘と言えるであろう。過去20年弱、各子会社に権限を移動し、人材を教育し、組織が自立できるように考えて運営してきたつもりだ。その結果が出てきているのを感じられるのは嬉しい。ただ、実務者(コンサルタント)の立場としては、自分が実家に引きこもっていても、業務がつつがなく回っているのは、寂しいような、妙な感じはするのだが・・・

オフィス付近の桜。
やはり、日本人だから、という事であろうが、桜には過去の色々な思い出がある。ただ、一番印象深いのは、高校3年生になりたての時、これから受験しなくてはならないんだと、悲しい思いで眺めた桜。今でも桜を見ると、その時の気分を思い出す。
そして、社会人になると、我ながら古いタイプのモーレツ社員で、のんびり桜を眺める時間は無くなった。1997年からは、海外に出てしまったのでなおさらだ。
こんな風に、(長い期間)のんびりと桜を眺めるのは、本当に久しぶりだ。

大学同級生の壮行会と快気祝い

これも1ヶ月ほど前のこと。
昨年末から大学の同窓生が大病を患って入院していたのが、無事退院したので快気祝い。また、他の同級生がドバイ駐在が決まったので、壮行会をする事になった。
因みに、ドバイ行きが決まった同級生は、ブログのこの回でキャップをかぶっている人物
大学三年生の時に一緒に中国に旅行し、途中で分かれた。彼と会うのは、33年振りだが、その間に、ベトナムに8年駐在し、今度はドバイ駐在が決まったとの事。

都庁のレストランで会食。
という事で、頑張れよ!と送り出したら、翌日、ドバイが日本人の入国を制限したという事で、出発できず、ぎゃふんという落ちになった。

福岡から渋谷、そして1.5か月後にダイエット

これも、今年の2月中旬の事。
日本でこういう生活が続いたために、体重が4.5Kg増えて、只今ダイエット中(始めて5日目。1.3Kg減)ですが・・・
これは福岡空港のラーメン滑走路という場所(ラーメン店が集まっている、ラーメン横丁のような場所)で食べたラーメン。
チャーシューはまずまずだったけれども、ラーメン自体は可もなく不可もなく。

羽田に到着すると、空港で2時間ほど仕事。到着時はにラウンジが使えないのは不便だ。17時半まで空港の喫茶で仕事をすると、渋谷まで移動。道玄坂で、報道の方&元クライアント様と会食。
道玄坂での会食は久しぶり。道玄坂で覚えているのは、新入社員時代(1987年)、初めて入った寿司屋(今はさすがにもうない)でのこと。寿司カウンター(寿司を置く板)に、途中から小さなゴキブリが走り出したが、周りのおじさんたちは全く騒がず。みんな、「お友達が来た」と喜んでいた。日本も30年前は、今とは衛生観念が違っていたんだなあとつくづく思う。
現在は、当然そういう事はなく、小さな店でも衛生的だ。

酒飲み3人(特に、日本酒好き)というのを前提に、幹事役の方が選んでくれた店は、お任せ3,500円というリーゾナブルな店。日本酒は、女性好みの日本酒が主流(微発砲のもの、ワイングラスで飲むのに適した日本酒など)なのが、ちょっと僕には向かないが、全体的に良い店であった。

最後はチーズ(主食は無い)。
料理は3,500円でも、酒飲みぞろいのため、一人の割り勘は、ほぼ1万円。

中国ビジネスコンサルタント水野真澄のブログ