打ち合わせを兼ねて神田やぶ蕎麦に行く。
ちょっと考えていることがあるが、まだアイデアも定まっていない思い付き段階なので、アイデアをまとめるために、ちょっと意見のすり合わせをしたかったというのが背景。


神田やぶ蕎麦に初めて行ったのは、1987年の新入社員の時。それから通っている訳なので33年来だ。勿論、年に1回程度の頻度なので、馴染みというのはおこがましいが、それでも好きな場所であるのは確か。ここで、昼飲むビールは、抜群に美味い。

毎回、行くと、つまみを何品か頼んで酒を飲む。ほぼ全品頼む感じ。場合のよっては、美味しいものを2回、3回と頼むので、前に、2人で2万円以上頼んで、口上を述べている女将さんに、「たくさんお召し上がりになっていただき、有難うございました」と言われた事がある。



火事で焼けて建て直し。伝統のかえしが失われたとか、失われないとか騒がれていたが、自分的には、ここは「雰囲気を食べる場所」と思っているので、その点は、全く問題ない。店で働いている方々がいれば、店の良さは保たれる。これが伝統というものだろう。

以前は、何時も行列だったが、建て直し後は、時間を選べば比較的空いていて、待たずに入れる。特に、今の時期なので、客は少なめ。優雅に食事ができるのは有難い。

何時もは、温かいそばに卵を落とすが、今日はせいろ蕎麦。

心地よく飲み、話したひと時であった。
チェイス社名変更(その2)
先日ブログに書いた通り、子会社チェイスの社名をチェイスネクストに変更した。
理由は、ブログに書いた通りなのだけど、結構驚かれる方がいて、却って、こちらの方が驚いた。
自分としては、今後も、中国に軸足をしっかり据えて活動を続けるつもりだし、それが、自分にとっても、クライアント様(日本企業)にとっても良い事だと思っている。では、なぜ子会社の社名からチャイナを取った?というのが、ご質問の趣旨。
流れとしては、2012年以降、中国プラスワンの動きが加速し、ASEAN情報のニーズが増した。最近は、すっかりブームも去ってしまったが(特に、ミャンマーブームはどうなったのだろう)。
その時は、社名変更はせずに、サイトの表示を、チェイスチャイナ&アジアとする事で、お茶を濁した。
ただ、このままではいけないなと思ったのは、僕の大学時代からの友人でもある釜口不動産鑑定士のこれからのビル経営という本を、2015年に出版した時。これは、純粋な、日本国内での不動産経営の話。
その後、これも僕の大学時代の同窓生だけれども、松本氏の日本における省エネ関連助成金申請に関するコンテンツ、その他、一般的な貿易実務の解説など、全く特定の国に関係ないコンテンツが増えてくると(また、増やさないといけない)、社名に違和感を持たれるし、書籍やコンテンツを売るときの障害になる。
であれば、中国であれアジアであれ欧米であれ、更には、グローバルやらインターナショナルであれ、国、地域を付けた社名は、自分の首を絞めるのでやめるべきだと思い、3年ほど前に、チェイスに社名変更を指示した。これが、諸般の理由から、後回しになっており、全く進まなかったので、「今年度中の社名変更は絶対だ!」と昨年の秋口に強権発動して、社名変更したという次第。
チェイス・ネクストの社名は、仮面ライダーネクストを見てのインスピレーションだというのは、書いた通りだが・・・
生活の変化
日本滞在、ほぼ5ヶ月が経過。
それまでは、香港華南、日本、上海を三分の一づつ配分する生活であったが、日本居続けで、3月以降全く飛行機にも乗っていない。香港の家賃が無駄で、おそらく、1泊もしない住居に300万円程度支払う事になる。これは痛い。
一方、交通費がかからないので、会社の経費は減っている。この状況なので、日本での面談や、電話会議でもクライアント様の了解が頂けるし、中国・香港は通常勤務であるため、コンサルティング活動には全く支障が生じていない。つまり、収入は安定して、経費が減っているので、会社経営的には良い状況である。まあ、何時までも引きこもっている訳にはいかないので、状況が整ったら、また移動続きの生活になるであろうが。
そして、この数か月の生活を反映して、身体が随分楽だ。半年前までは、マッサージしても30分後にはすぐに元に戻ってしまう様な状態だったし、絶えず体中が痛かった。これが、殆どマッサージを必要としないほど楽になった。
その他の変化は、酒が弱くなったことと、辛さにも弱くなったことか。まあ、真っ当な身体になってきたという事であろう。
因みに、2週間ほど前に、中華街で瓶詰唐辛子を見つけて購入した。香港の家では常備しており、結構な勢いで消費しているが、ちょっと使ったら辛さに震えた。


銀座で打ち合わせの後は
6月10日の夕刻に、新橋で、杉山日本所長、斎藤深圳社長が、今月1日より独立した物流関係の方と会食しつつ面談という事で、僕も参加する事になった。しかし、今年独立した方々は気の毒とは思う。僕の独立もリーマンショック真っただ中で、「何もこんな時に独立しなくても」と言われたが(タイミングを選べる状況ではなかったが)、今に比べればマシだった。ただ、災い転じて福となる面も十分にあり、こんな状況だからこそチャンスがあるビジネスモデルもある筈。この点、見極めながら、独立に踏み切った皆様には頑張ってほしいし、成功をお祈りしています。


打ち合わせ終り、銀座8丁目のバーで2杯。ブルーベリーマティーニとチャイナブルー。安定の美味しさだった。
海南自由貿易港の続き
6月7日のブログが、海南自由貿易港は、「この様な意味では、香港のようで香港ではない位置付けとして伸ばしていくのではないか」という終わり方をしているのだが、その続き。
海南島に、香港代替機能を持たせるかどうか、という点であるが、これは状況次第だろう。香港の機能(治安)が維持され、米国との対立が極端に深刻化しない様であれば、当然、香港を今のまま活用した方が便利だ。ただ、そうはならない場合のシナリオも想定はされているだろう。
5月30日のブログで書いたが、米国の香港優遇廃止というのは、大義名分とは異なり、香港を追い詰める効果しかない(結局、米国は、香港を交渉の材料に使っているだけではないかと思うのはこの部分)。米国の香港政策法に規定された、米ドルと香港ドルの自由兌換が廃止され、それに留まらず、中国・香港系銀行の米ドル取扱いに大きな制限が加えられた場合、中国としては、人民元の国際化を実施せざるを得ず、それは、人民元自由化(外貨管理自由化)を必要とする。
人民元の自由兌換が実現すると、香港の金融機能は喪失する。つまり、中国本土(上海、深圳など)でも、その機能は果たせるためだ。では、香港の機能をどこに移すかについて、香港の報道・経済界は、多分に海南島を意識した発言をしているが、まだ、産業が十分発展していない海南島よりも、金融・ITを中心に発展し、既に(2018年)、香港のGDPを抜かした深圳とするのが自然かと思う(上海は独立した地位があるため、香港の代替ではない)。
証券取引所時価総額ランクは、1位ニューヨーク、2位ナスダック、3位日本、4位上海、5位香港、6位ユーロネクスト、7位ロンドン、8位深圳という順番。
香港証券市場は、上海よりも下位だが、深圳よりは上位。とはいえ、香港の躍進は、中国本土企業の上場によるものであるので、環境が変われば、深圳市場がこの機能を代替できよう。
海南自由貿易港の位置付けはというと、既に書いた通り、全島保税区域化による、保税物流機能、貿易中継機能、保税加工機能が強力な武器になる。九州よりやや小さい程度の地域が、全て保税区域になるのは、やはり影響が大きい。
ここに香港の物流機能をシフトするという方向はあり得る様に思う。
更に、ASEANに近い立地であり、持株会社を誘致・育成する方向性も出てくるのではないか。
この様な形で、香港の機能を、深圳と海南島に割り振るというのが現実的なシナリオかと思う。
勿論、これは、米国の出方次第という面が大きく、おそらく、現在の様な過激なやり取りは、大統領選以降は沈静化するのではないかと思う故、上記の方向に突き進む可能性は、極めて低いとは思う。ただ、中国は、各種の可能性を想定し、数十年前から対策を進める国なので、最悪の事態が起きた場合の保険という位置付けも有ろうし、そうならなくても、海南島が発展すれば、それはそれで損にはならない。
海南島自由貿易港総体方案を読んで、そんなことを考えた次第である。
久々のビジネスランチ
とある会計事務所にビジネスランチにご招待頂いた。元々3月に同事務所主催の講演会に招かれる事になっていたのだが、この状況で延期。ではどうしようか。オンラインセミナー、その他の方法で対応しようか、という点の打ち合わせ。


場所は、六本木の中国飯店。初めて行く店だが、そもそも六本木は詳しくない。新入社員の頃に、同期は六本木に行きたがったが、当時、志木寮に住んでいたので、(バブルの前兆でタクシーが捉まらない状況下)六本木で飲むのは非常に嫌だった。そういう印象が残っているのだろう。


食事はコースメニューでこんな感じ。上品な中にも刺激を感じる味付けで、なかなか美味しい。
元々、延期になった講演会では、香港に付いて語る筈だったが、その後、米中摩擦による香港執行法規制の動き、海南島自由貿易港の話などが加わり、今の方が、もっと面白い話ができそうだ。



このご時世なので、一人一人個別に取り分けてくれるのが有難い。適度な量で、美味しくデザートまで食べられた。

その後、せっかくの機会なので、外苑前まで歩く。青山霊園は初めてで、大きさに驚いた。ひたすら歩くと伊藤忠にぶつかる。こういうロケーションかとちょっと驚く。
昔のブログを読み返し、今の日常を振り返る
3月27日から、ずっと横浜の実家にこもり、移動無し・講演無し・外食無しの生活だったので、特段撮るべき写真もなく、結果、硬い話題が続いてしまった。かつては、部下から「水野さんのブログはグルメブログになってますね」と言われてきたのが大違いだ。ただ、徐々に動けるようになってきたので、バランスよく続けていこう。
因みに、昨日の海南自由貿易港の記事をアップした時にリンクした2008年の海南島家族旅行の記事から、その前後の記事を読み直してしまった。その時、思い悩んでいたのは、まさに、丸紅を辞めるべきかどうか(というより、辞められるのかどうか)という事で、悩みに悩んで憔悴していた状況での海南島。そこでメンタルを若干回復させられたおかげで、「部下とクライアント様を守らなくては(コンサルティングを続けなくては。そのためには丸紅を辞めなくては)」という決心をつけられた。2008年の記事を読み直すと、当時の気持ちがよみがえってくる。これはブログの効用だ。しかし、昔のアップを読むと、書く文章が、今とはずいぶん違っている。12年前は、ブログの文章も若かった、というか、やんちゃだったなと思う。
それはさておき、ここ暫くの変化のない日常で、無理やりアップする写真を探しているが、取りあえず、先週の昼食で生ラーメンを茹でたもの。卵の茹で方が理想的だったが、毎日、同じような昼食を作って食べていると、こういう事(卵の茹で加減とか)は上手くなる。良いやら悪いやら。

これは、急に牛丼が食べたくなって、作ってみた結果失敗したもの(塩味強すぎ)。


平常に戻ったら、こういう写真はアップしないであろう。
海南自由貿易港は興味深い
海南島自由貿易港建設総体方案(全体計画)が、2020年6月1日に公布され、日本のTVを含め、各種のメディアで取り上げられている。
総体方案を読んでみたが、これは、久々に大掛かりな優遇措置が織り込まれており、今後、海南島をめぐる環境、特に、香港、ASEAN関係が、大きく変わるかもしれない。
因みに、全国18か所に設置された自由貿易試験区(第1号は、2013年の上海)に付いては、僕自身はあまり魅力を感じていないと前から言ってきた。理由は、「優遇税制がない」、「投資管理自由化措置の試験地域という位置付けだが、ここで導入した後、すぐに全国適用するので、それが却って、この地域に投資する魅力を削いでいる」、「保税区域と誤解している方が多いが、そうではない(保税区域はそのうちのごく一部)。保税政策は、従来の政策とほぼ同じ」というものだ。
一方、海南自由貿易港は、以下の様な優遇政策が打ち出されている。2008年の企業所得税法改定より、特定の地域である事を理由とした優遇措置は原則禁止されてきたので、久々の優遇措置。更に、税関管理、企業所得税・個人所得税、外貨管理にまたがる点は、かなり大掛かりと言える。
海南自由貿易港の優遇
1.税制
奨励分類企業の企業所得税率を15%に軽減し、優遇人材の個人所得税を最高15%(3%、10%、15%の三段階課税)とする。
優遇人材の15%税率は、広東省のグレーターベーエリア対象地域でも2019年度より開始されたが、海南島でも実施される。
2.全島保税地域化
このインパクトが大きい。
全島を保税地域(封鎖管理対象税関監督管理地域)にして、貨物貿易に関しては関税ゼロ政策を適用しようというものであり、対象貨物の税関手続も緩和される予定である。海南島の面積は、3.3万㎢であり、九州より若干小さい程度だが、その全てが保税区域になって、加工貿易、保税保管、スウィッチ貿易等の拠点として活用できるのはインパクトが大きい。
島内の企業が輸入する原材料、設備機械の輸入は輸入段階課税免除される。輸入原材料を使用して加工した製品を、他地域(島外の中国)に販売すれば、その段階で関税・増値税が徴収されるが、輸入原材料を使用した製品でも、奨励分類生産型企業が製造したものであり、島内で30%以上の付加価値がつく場合は、関税免除措置が受けられると規定している(増値税・消費税は税法に基づき課税)。
3.その他
外貨管理の自由化は、色々と謳われているが、外資企業にとって即効性がある規制緩和は、外債(対外借入)の総量枠撤廃程度か。
それ以外に付いては、国際状況をにらみながらの対応であろう。米国との摩擦や、香港の状況次第によっては、まずは、この地域で、一気に為替管理を自由化する可能性もあり得る。
趣旨はこちらを参照下さい
あとは、IT、現代サービス業の誘致が目的とされているので、規制緩和は有り得る(特に、規制の強いIT業でどういう規制緩和が実施されるか興味深い)。
また、2011年から実施されている、島内免税販売(国内旅行者に対する商品免税販売)も、一人当たりの免税額を年間累計10万元に引き上げる。
上記は主要な内容の例だが、全体的に、ここ暫く見られなかったほどの措置(特定地域に大きな優遇を与える事の不公平を、過去10年以上嫌ってきたため)が織り込まれている。
僕が、最初に海南島出張したのは1998年の海口で、その時の僕の印象は、兵どもが夢のあと、というもの。それが理由で、海南島に興味を持たなかったが、2008年に三亜に旅行した時、想像以上の発展に驚いた(10年前の海口とは大違い)。その時の感想を、ブログに以下の様に書いている。まあ、旅行の感想だが。
それから更に10年が経過し、2018年に海南島が自由貿易試験区として認可された。その時は、さほど興味はもたなかったが(理由は上記の通り)、今回は違って注目している。
香港にとって代わる存在とする政策という推測が多く、サウスチャイナモーニングポストなども、それを意識した論調の記事を書いている(まだ香港の比ではないというニュアンスの記事)。
想定の一つではあるだろうが、香港代替にするのであれば、金融・ITが大きく発展し、GDP規模で香港を既に抜かした深圳に設置する方が手っ取り早い気がする。
海南島は、立地的に見ても、ASEANとの結びつきの深化、(島として隔離されている事のメリットを生かして)外貨管理の大きな緩和の実施などの施策が取りやすい。この様な意味では、香港のようで香港ではない位置付けとして伸ばしていくのではないか。
世界的に企業経営コストが上昇している
2000年代早々、つまり、僕がコンサルティングを始めた時は、中国進出ラッシュの真っ盛りであった。その時の議論は、リスクを冒して海外に出るべきかどうか、であり、「海外に出る=チャンスとリスク」、「日本だけに留まる=安定」という発想だった。
それが、2011年の日本の大震災でサプライチェーンが乱れ、海外に出ない事もリスクである(天災などで、供給ができなくなるリスクがある)という事実を突きつけられた。
そして、2012年の中国での反日運動で、中国プラスワンが叫ばれ始めた。
その後、タイの軍事クーデター、バングラの日本人殺害、インドネシア・マレーシアのテロなどが有り、中国プラスαという話になってきた。つまり、ASEANも不確実性が大きいので、複数個所を構えてリスク分散が必要という趣旨だ。
そして、追い打ちをかける様に、2018年からの米中貿易摩擦が激化し、企業は製造・販売モデルの再構築の検討が必要となっている。この様に、世の中は、ここ10年程度で、どんどん企業に経営コストの増加を強いるようになっている。
米国に売りにくいのであれば、中国を離れてASEANに移転すればいいという話をする方もいるが、これは、経済を知らない発言だ。
日本の貿易相手国(財務省貿易統計)は、2019年:中国1位(21.3%)・米国2位(15.4%)、2018年:中国1位(21.4%)・米国2位(14.9%)と、3位以下を大きく引き離しており、とても無視できる状況ではない(輸出の場合は、2019年の1位は米国、2018年の1位は中国)。
それに連動する話でもあるが、IT(電子部材・半導体)に付いては、中国を中心にした大きなサプライチェーンが構築されており、全世界における中国の生産割合は、スマホ65%、複写機75%、ノートPC・タブレット86%と圧倒的な占有率。サプライチェーンを徐々にシフトしていく事は有り得るが、数百・数千の部品の生産・供給網をシフトするのは、長い時間と巨大なコストを必要とする。
市場としての位置付けでは、中国の個人消費は世界の10%を占めており、まだまだ上がるだろうから、米国の市場を無視できないように、中国の市場も無視できない。
つまり、米国と中国で断絶が起きれば、米国向け販売の製造拠点と、中国向け販売の製造拠点で、個別の体制とする必要が生じ、拠点の構築・維持コストの増大から、企業経営が圧迫される。それが、いまの世界で起きている事だ。
また、僕個人にとっての厳しい点もある。僕の仕事は、他の専門家と同様、他人より知っている事・ノウハウがある事が大前提となる。
中国は、面積・人口が巨大であるし、日本企業の進出は成熟している。上海、広州など数か所に拠点を構えれば、数百社のクライアントの方にサービスが提供できるので、効率的だ。ただ、ASEANは、パイが小さいうえに、国が変われば言語も、法律も、習慣も違う。
僕やいまの部下がそのままASEANで対応する訳にはいかず、多国展開をすれば、各国に、オフィスを借り、一定水準を満たす人材を雇用する必要が生じる。
結果、利ザヤが極めて低くなり、利益を出すのも一苦労で、店舗展開すればするほど苦しくなるのは自明の理。ベトナム(2016年営業開始・2018年黒字化)の次のASEAN拠点ができないのは、こうした理由だ。
その為、次のターゲットを米国に定めたのだが、これは、コンサルティングというよりは、情報収集・情報交換という位置付けとなる。
それはともあれ、自分の身に置き換えてみるだけで、日本企業のみならず、いまの企業が置かれている厳しい環境がよく分かるであろう。
生きにくい世の中になってきているが、ともあれ、変化に対応できる企業のみが生き残れるわけなので、頭を絞らなければならない。今回の新型肺炎の実家ごもりは辛かったが、それなりに、色々と考える事ができたのは収穫だった。そう、後で言えるように、頑張ろう。
早く中国に行けないものか
面談依頼、ご相談が徐々に増えてきた。少し明るい気分になってくる。
面談時には、どなたも「早く中国に戻りたいので、新しい情報があったら是非下さい」というご要望を頂く。中国に戻りたいのは僕も同じで、重点調査せねばならないところ。
現在、日本の中国ビザ申請センターは、日本の新型肺炎が収束していない事を理由として、受付を依然として停止しているが、「経済貿易・科学技術活動に従事していて緊急需要の有る場合や、人道的な理由で、緊急申請をしなければならない場合など」は、特例としてEmail での申請を認めている。
これに関して、広東省外事弁公室が、この特例による入国(インビテーションレター方式)に関する、レターの取得方法とフローチャートを公開した。招聘状取得申請フロー
これに関して、広東省の関連部門に、当社広州からヒアリングした結果は、以下の通り。
1.発給されるビザ
広東省外事弁公室の回答では、「外国籍の経済貿易・科学技術系ビジネスマン」が対象(日本のビザ申請センターの記載と同様)となるのでMビザとなる。ビザ期間やその他の条件は、在日本中国大使館・ビザ申請センターの最終判断によるが、原則として、90日の一次ビザになるとの由。広東省にレターを出してもらった上で、他地域(上海など)に行く事はできるか、という質問に対しては、「申請書に入国地、出張先を明記して、疫病予防指揮センターが審査して同意すれば、他地域に行ける」との回答だが、これは不透明な部分が多い。
2.難易度
広州市外事弁公室、天河区商務局の回答では、市・区の重点企業が申請できるという事で、この難易度は結構高そうであるし、関係部署が多いので、招聘状取得には、1.5~2ヶ月程度かかる模様。また、この方法で入国しても、14日間の隔離は必要となる。
という状況を踏まえ、僕自身、「さて、どうするか」と考えたが、やはり、もう少し状況を見た方が良いかという結論。
僕の会社の納税額は、大企業と比較すると微々たるものなので、重点企業に指定されるのはまず無理だろう。
となると、僕は、広州市政府(投資促進局)のシンクタンクメンバーになっているので(7年間ほど連続)、ここに推薦してもらえないかがポイントになる。
一応、投資促進局に聞いてみたら、入国の必要性に関する説明書を作成すれば、推薦してはくれるという事だが、関係部署が多いため、投資促進局の一存だけでは決められず、推薦を受けたからと言って、招聘状が取得できるかどうかは分からない。
シンクタンクメンバー(専門家)で招聘状を取得した事例は無いようだが、そもそも外国人の専門家は僕を含めて2名しかいないので、前例がないのは当たり前だ。まあ、やってみなければ分からない、という事になる。
3.ファスト・トラック制度
中国では、5月1日よりファスト・トラック制度が開始され、72時間以内に指定医療機関でPCR検査を受け、陰性となれば、14日間隔離不要で入国できる。
韓国は、既にこの適用を受けているし、6月8日からはシンガポールも適用対象となるようだ。日本にも中国からの打診はあるようだが、PCR検査をオンタイムに対応できないという日本側の事情で、まだ対応ができていない。
ただ、日本の経済界からは、かなり要望が出ているだろうから、しかるべきタイミングで実現するのではないか。
招聘状方式だと、「招聘状が取れるかどうかわからない。2ヶ月程度の期間がかかる。行き先が制限される。その方式で入国しても14日隔離は避けられない」という状況。
おそらく、ファスト・トラック制度の合意を待っていた方が、早いのでは、という様な気持ちで、当座は待ちの状況か。新型肺炎が収束してしまえば、これに越したことはないのだが。