就職活動の思い出

日本に出張時にリクルートスーツを着て汗をかきながら走り回っている若者を見ると、昔を思い出したり、同情したり、胸の中で頑張れよ、と応援したりする。

何分、何の不安も悩みもない子供時代、学生時代を送った僕にとって(親に感謝せねばならない)、就職活動は最初の試練だった気がする。
今から思えば、それ程でもない、と言えるだろうが、打たれた経験がなかった当時の僕にとっては、立派な試練である気がしたものだ。

何が辛かったかというと、「誰を信じてよいのかわからない」という人間不信を、初めて味わった事であろう。
本気で人を疑うという事もなかった当時の僕にとって、入社面接でかいまみた社会の冷たさはショックであった。
面接で採用が進んでいくので、相性で落とされる事もあるが、落とされれば人格を否定された様な気がした。
就職活動期間は、数週間程度であったが、1年間にも匹敵する苦しさであった。

当時の僕は世慣れておらず、面接で、相手に聞こえの良い発言をする事がなかなかできなかった。第一志望の会社に対しても、「第一志望です」と素直に言う事ができず、「全部受かったらどこに行きますか」と質問されて、絶句した事もある。
当時、どこの面接でも胸を張って「第一志望です」と言える同窓生を、羨ましさ半分・拒否感半分で見ていたが、そういう人間が、どんどん就職を決めていく。
世の中とはこういうものか、と学んだ気もした。

ただ、世の中よくしたもので、そんな僕でも気に入ってくれる面接官・人事責任者がいて、無事、第二志望の会社に就職できた。
学生時代の僕が就職を希望したのは資源関係で、面接を受けたのは、商社(3社)、ガス(1社)、石油関係(2社)だった。
中国でエネルギー資源開発をやりたいという希望を持っていたので、それができる商社に一番惹かれていたが、その前に内定をくれた外資企業の人事部長から、「志望の会社に落ちたら言ってこい。それまで待っていてやる」と言ってくれた時は感動して、丸紅に合格した時、ウィスキーを持って挨拶に行った。
また、数回目の丸紅の面接で、緊張でふらふらになっていた時、若手の人事部員が、「大丈夫か!」と肩を抱いて励ましてくれ、ちょっと元気になった事もあった。
辛い時だけに人の情けが身に染みた。

社会に出てから、話術、面接術、交渉術は随分磨かれ、学生時代の僕とは別人になり、学生時代の稚拙な面接状況を思い出すと恥ずかしい。
ただ、あれはまさに社会の入り口だった。

入社してからの人生の試練は、入社試験とは比べ物にならないくらい厳しいけれど、あの時感じた恐怖、不信感。そして、感謝、感動は、いまだに覚えている。

就職活動中の若者を見て、声援を送りたくなるのは、そんな思い出があるからだろう。