山手十番館で部下と会食

水野コンサルタンシー日本事務所の昼食会。去年9月の誕生日に部下が誕生会を開いてくれると言っていたが、母親の体調悪く延期してもらっており、半年経っての還暦祝い。場所は、ぼくの希望で山手十番館となった。

この十番館に初めて行ったのは、小学生の時なので、約50年前。大切な時に使ってきた思い出深い場所。料理の味ならもっとうまい店がたくさんあろうが、自分的には、他とは違う場所だ。

「上海、広州は会食している写真が載ってましたが、日本でやっと食事会ができましたね」と言われる。特段の意図はないのだが、ここ最近は、親のケアもあるので、日本滞在中は、「会食会は、1回の滞在に付き1回のみ。実家に極力近い場所で昼の会食」を前提としているので、なかなか実現できなかったという次第。

まずは前菜が出てくる。盛り付けが面白い(スペースがやたらと広い)。横浜らしく、海をイメージしたものか。

ポタージュとパンが旨い。主食を一定量に絞っているのだが、我を忘れて3つ食べてしまった。それほど美味い。

店の人に写真を撮ってもらう。ほとんどのお客さんに声をかけていた。撮りなれている感じ。やはり、特別な機会に利用する客が多いのだろう。

杉山日本所長との付き合いは20年。横幕さんは(丸紅経理部時代からなので)30年。当社は、古い仲間が会社に留まってくれているのが有難い。上海総経理の胡さんが18年(丸紅出資のコンサル会社から)、広州総経理の麦さんは27年(新卒で丸紅広州に入社して以来僕と仕事をしている)。香港の水嶋さんは17年。みんな長い付き合いなので、僕の考えはよく分かってくれているし、会社に対する愛着も持ってくれている。これが時間の蓄積だな。今後の展開などを語りながら、穏やかな時間を過ごした。良い時間だった。感謝。

2006年前に住んだ家

スピークロウのカクテルを飲みたくなって、复兴路まで行ったが、何と改装中!うろたえていると、工事のおじさんが出てきて、「この近く(雁荡路)に同経営のバーが有るから行ってみなよ」と教えてくれた(親切だ)。10分歩いて、SOBER COMPANYというバーに行く。バーテンダーの場所を挟んで、両面にカウンターが有る不思議な構造で、どう撮影しても他の客の顔が入る。撮影断念したので写真無し。雁荡路と言えば、2006年に、僕が上海で借りた部屋が有る場所。飲み終わると、そこを見てから帰ることにした。ここが、その入り口。

ここから先は、2006年当時の写真。



当時の家賃は6,500元だが、丸紅の単身者の家賃限度が12,000元程度の頃。半分の価格の部屋に住む僕は変人扱いされたが、上海では、収入ゼロから開始したため、これが当たり前という意識でいた。とはいえ、なかなか素敵な老房子。古い映画に出てきそうな、優雅な作り。隣部屋の老夫婦も上品だった。難点は、4階だったので、水圧が弱く、お湯がなかなか暖かくなってくれない事。これには難儀した。ただ、僕の上海の生活開始の場所。思い出深い場所である。

これは現在の付近の写真。この通りは、昔は石畳だったのが、今では普通のアスファルトになっている。それが残念だ。

長楽路の福ちゃんで20年前を懐かしむ

福ちゃん1号店に行った。新世紀広場(今はない)、栄華東道には1年以内に何どか行ったのだが、1号店は、やはり一味違う。僕がコンサルを始めた2001年、若しくは、2002年に行ったのが最初だろうから、回数は少ないが、それなりの付き合いだ。

新橋にでもありそうな雰囲気が良い。壁にかかった竹の品書きが、20年前には、まだ真新しかった。当時は、上海にラーメン屋が少なかったので、焼き鳥屋ながら、福ちゃんのラーメンが一番おいしいという人が多く、一通り食べて歌った後に、ここで〆のラーメンを食べる人が少なからずいた。僕も、仲間と日本酒を浴びるほど飲んだ後、ここで〆た懐かしい思い出がある。

壁にかかっている店員さんたちの絵が、今では焼き鳥の煙で焙られて、絵である事すら分からない。僕が独立した当時(2008年頃)は、絵が鮮明だった記憶が有るので、時間の経過を感じるな。思い出すのは自分の青春やら、一緒に飲んで騒ぎ、そして仕事をした仲間たち。
そんな懐かしい思いが募ったので、裏の花園飯店に行ってみる。何度もこのメインボールルームで講演会をやった。この写真2枚は、2006年の僕の上海進出講演時のもの。懐かしい。ただ、まだゲームは続いている。プレーヤーとして、時間を刻んでいこう。

ダイエットと筋トレ

何時もながら、目立ちたがりのパーソナルトレーナーに撮ってもらった写真。良く写真撮影してくれるのは良いのだが、必ず一緒に入ってポーズを取りたがるので、人々の関心がそちらに行ってしまうので困ったものだ。まあ、それで、アクセスが増えればよいのだが・・・(笑)

ボディビルダーのような身体になると、後戻りできなくなってしまうので(更に、しんどいし、生活上の不便も出てくる)、そうならない程度に頑張って筋トレしているが、少々標準サイズと変わってきて、Yシャツが全滅。先日の早稲田大学での講演前に急遽出来合いのものを購入したら、首回り36cmだが、41cmのものを買わないと着られないと言われた。全く以てフィット感が無く、見た目が悪い。またオーダーメイドで作ると金がかかる。という事で、少々気が滅入る今日この頃。

ダイエットは、3Kg痩せて停滞気味。ともかくご飯が食べたい。そんなこんなの気持ちで食べた朧月の焼き魚ランチが旨かった。炭水化物を食べる幸せ。

元同僚(後輩)に呼び出される

何時もの様に朧月で一人食事をしていると、元同僚(丸紅の後輩)から呼び出しがかかる。ちょうど付近の店で飲んでいるようなので、店に移動。

一人は経理部の後輩なので30年の付き合い。もう一人は僕の香港駐在の時なので22年の付き合い。思えば時は流れ、彼らは定年年齢に近くなり、色々と立場も変わった。

それでも、こんな形で、上海で一緒に飲めるのは嬉しいことだ。

上海帰任

午後2時半のJL便で上海帰任。YCATからリムジンに乗るが、第3ターミナルに行くバスまで30分以上あったので、スタバで昼食を食べる。ラウンジで食事ができず、少々残念だ。ちなみに、ラウンジでは、オールフリーのビール(ノンアル、プリン体ゼロ)を飲んだだけ。ビールと思わなければ、それなりに美味しいなという感想。

いつも遅れるJL85便がこの日は定刻出発だ。そして、かなり久しぶりに、国際線のビジネスクラスに乗る。あまりに久しぶりで、シャンパンが飲めることすら忘れていた(笑)。上海・東京は、飛行時間がたかだか2時間なので、高い料金を払うのは勿体ないというのもあるのだが、三年続いたコロナ時の苦境から、一年がかりで巻き返し中というのも大きな理由(やっと一息つきかけている)。オーナー企業の社長は、時々の経営状況が自分の福利厚生に直結するのが辛い。もう少しで楽になるので、あとひと頑張りだ。

初めて見る形態の座席。ゆったりとくつろげる。

食事も旨い。せっかくなので、シャンパンと赤ワインを飲む。そして1時間ほど睡眠。確かに、身体への負担はかなり楽だ。

タイミングがよく、浦東空港では待たずに入国手続きができ、タクシーに乗り込めた。帰宅すると、朧月で食事。回鍋肉と麻婆豆腐。