上海移動

1月23日に上海に移動。17時発の羽田便。キャセイラウンジでまずはくつろぎながら仕事。ここの担々麺はうまい。好みにもよるだろうが、香港のキャセイラウンジよりも美味いのではないかと思う。あとは、冷製の小料理(野菜類等)が極めて旨い。一方、豚骨ラーメンやワンタンメンはダメ。ここらの差は面白い。

上海に移動。降りる間際にCAと雑談したら、「こんな大きな機体が満席なんですよ。すごいですねえ」と言われていた。感覚的には8〜9割が中国人客か。
機内で「あの人が消えた」という映画を見る。昨年の網膜剥離から、以前は片時も手放せなかった本から遠ざかり、母の逝去以降は、映画やドラマを見るのも億劫になった。感性が磨耗したというか、色んなことが無味乾燥で、興味が湧かなくなった気がする。良いことではないので、復活のためのリハビリ中。「あの人が消えた」は不思議な映画だった。最初は質の悪いホラーかと思うと、途中から荒唐無稽のコメディに。そして最後の10分で泣けた。2006年に、初めて上海に部屋を借りた時に、新居で「キャベツの新生活」を読んだ直後にも似た、心にすっと入ってくる感じ。きゃべつの新生活の読後は、寂しくて人を呼び出してお茶したことがある。なぜ急に?と言われたが、相手に本をあげたら「気持ちが分かった」と言われた。懐かしい。

JALの上海便は洋食が旨い。安定の旨さだ。そんなこんなで上海の夜景が見えてきた。無事到着。

炭火焼き

炭火焼きにも慣れてきた。
ここまで来るには数回の失敗歴があったが、習得したのは、「20分間しっかりとコンロで火を起こす」ことと、「種類の違う木炭を二種類使う事」。これで、食事中はしっかりと火が持続するし、煙も出ない。

炭火で焼くだけで、どうってことがない食材が、本当に美味しくなる。過去に食べ残して冷凍して会ったベーコン。1000円未満の牛肉が、素晴らしく美味しくなる。更には、かまぼこ、長芋もそうだ。いい買い物をしなたと悦に入る。

海石榴に行く(35年ぶりだ)

父親+友人と、湯河原の海石榴に行ってきた。
亡き外祖母がよく使っていた旅館の一つで、35年前に連れて行ってもらった。当時は20代の若造だったので、高級旅館にちょっと怯みながらも、楽しんだ。当時の一番の記憶は、総檜の風呂で、ふた回りは年上の男性に、みるからに高級なタオルで背中を流して頂いたこと。申し訳ない気分になりつつも、檜の香りと高級タオルの肌触りに感動した。その後の改装で、浴室は檜づくりではなくなっており、背中流しも当然とはいえないのだが、良い湯で1時間ほどじっくり浸かった。

料理が素晴らしい。過去数年間で食べた料理の中でも、一番ではないかと思うほど。さすが高級旅館というべきか。ワカサギ料理に関心。ワカサギなどは、単なる小魚というイメージだったが、こうして工夫すると旨いものだ。

お吸い物と一口寿司。一口寿司は板長からのサービスとのこと。仲居さんに心付けを渡したお返しかな。

刺身類。

牛の叩きと野菜の豆乳しゃぶしゃぶ。牛の味付けが素晴らしい。そのまま食べても、豆乳に漬けても美味い。

そしてデザート。ちょっと味見したら、震えるほど旨い。ただ、料理も多いし、特に、白米の炊き方が素晴らしいのか、お代わりを止められなかった。更に、飲んだ酒が日本酒だ。涙を呑んで、デザートは味見だけでやめておく。

これが朝食。昨日の夕食は、それなりの量であったが、食材・調理が良いと、朝には腹がすっきりする。なんとも旨い朝食に満足する。父親は3杯もご飯を食べていた。

デザートは涙を呑んで残す。ちょっと味見したが、やはり旨い。繰り返して言うが、素晴らしい料理で、全品旨かった。

昨年は母の逝去が有ったし、親しい友人が4人急逝した。友人(というか先輩)は、全て65才以下だ。商社マンは寿命が短い(平均寿命65才)と、入社時に聞いていたが、本当にそうなんだなと実感。そんなこんなで、いま生きている時を大切にしようという意識が強くなった。2019年(コロナの直前)に、両親を上海に招待したが、母親には最後の海外旅行のプレゼントになり、あの時行っておいて本当に良かったと、いま、しみじみと思う。なので、父の年齢を考えると、国内旅行が現実的だが、今回の様に、なるべく連れ出して、楽しい時間を提供したいと思う。今回、付き合ってくれた友人にも、本当に感謝だ。
友人が車を運転してくれたので、鎌倉経由で実家まで送ってもらった。朝飯がしっかりだったので、昼は軽くと、蕎麦屋を探す。鎌倉武士という蕎麦屋をアプリで見つけ、行ってみる。「ぶし」ではなく、「たけし」と読むようだ。蕎麦好きが高じて会社を辞めたような旦那さん(イメージ)が、たけしさんなんだろうなと推測。鴨そばを頂いた。

散々な日本移動(成田便はつらい)

1月は二回目の帰国。いつもながらのJALだが、今回は羽田便が買えず成田便。機体は小さい。更に、ビジネスクラスが売り切れでエコノミーとなったが、超満員すし詰めで過酷。冬は自分を含めて、全員厚着だからなおさらだ。
ついでにいうと、機内食(周りの人が食べてるのを覗き見)が絶望的で、上海のラウンジでラーメン食べて良かった(機内食を食べなくてよかった)と、安堵の胸を撫で下ろす。ラウンジラーメンはなかなか美味かった。
このラウンジラーメンは、上海の空港はいつも同じで、普通に麺を茹でてスープを入れてくれるだけ。それに具材(高菜、辛味ひき肉、がんもどき等)を選んで、醤油、ラー油、等等の調味料を自分で加えて完成させる。今回は。調味料の調合に成功したという事かな。

成田は、実家からはかなりアクセスが悪い空港なので、本数の少ない成田エクスプレスに間に合うか否かは大問題。焦りに焦るが、飛行機はゲート付けではなくバス移動な上に、到着場所が入国審査場から遠い。どこの空港でも、バスで到着する場合は、入国審査場に近い場所に着けるものだが。
おまけに体温のセンサー検査(どこ空港でも普通に流れているステップ)が大行列で、どうしたことかと思えば、中の人が多いということで、ゲートを閉めて止めている。やっと中に入ると、人を掻き分け日本人ゲートに着く。ここにはほとんど人がおらずガラガラ。何のことない入り口を日本旅券とその他で分ければ解決する問題が、全く対応できていない。中国の地方の国際空港より管理が悪いと思う。
入国審査を出たところに、改善要望書を入れる箱があったので、今回は、本当に出したかったが、時間がなく断念。悔いが残る。時間はギリギリ。成田は、鉄道チケット購入場所も整備が悪く、何時もずらりと行列している。到着人員に比較して、窓口、チケットの販売機が少ない上に、外国人が多く、操作方法を説明するガイドもいない。渋滞してくれと言わんばかりの対応だが、今回は幸い、比較的販売機の行列が短かった。
間一髪でエクスプレスに間に合う。不幸中の幸いだ。ほっと一息。久々に過酷な移動であった(ちと大袈裟)。成田空港はもう使うまい(少なくとも到着便は)。

それ以外は、こんな感じで、何時もの様に食事を作り、好きな日本酒を飲みで、実家滞在を一週間という生活である。これは豚汁。父親が大量に買ったジャガイモと玉ねぎを消費するための作戦だ。日本を離れる前に、カレーをまた作っておこう。

新華路24号MAKINO

新華路24号のMAKINOを訪問。谷口大将に書いて良いという許しを得たので書きますが、MAKINOは今年2月末で閉店し、大将は上海以外で新しい展開を始めるとのこと。
そんな訳で、行きたい人はお早めに!旧正月も開けるようです。
今回は、持ち込み料を払って、ハンドキャリーした満寿泉・純米大吟醸を持参。この満寿泉は、10年ほど前、北陸銀行さんと提携する時、富山を訪問して飲ませて頂いたのが、非常に美味しく印象に残っている。ただ、事前テストで、純米吟醸を買って日本で飲んだら、深みにかけて旨くない。純米大吟醸にすると、味がぐっと良くなり旨くなる。今回の純米大吟醸は大満足であった。

大将とは2006年からの付き合い(当時、利休という店で雇われ板長をやられていた)なので、僕の好きな料理は十分把握してもらっている。何も言わなくても、胡麻豆腐、麩等、好きな料理が出てくる。

ゴールが見えてきたためか、今回の料理はいつも以上に良い。味付けも良いし、刺身の鮮度も良かったな。

この焼き魚も絶品だ。満寿泉によく合う。

満足して、〆の鶏ごはん。
最近、懇意の店が閉店したり、親しい方々が帰国したりする。皆さん50歳を超えているので、年齢的に、人生の次のステップに移るのは致し方ないとは分かっているものの、心情的には寂しいものがあります。海外居住の宿命ですね。

無料公開動画

風邪で寝込んでいます。皆さまも身体にお気を付けください。
無料公開動画です。先日文章編を公開した、ダイソー・メイソウと日中の報道の動画編です。

ダイソー、メイソウと日中の報道:中国生活、最近の話題(動画編)

因みに、文章編はこちらです。

ダイソー、メイソウと日中の報道:中国生活、最近の話題(文章編)

私をスキーにつれてってを観ながら上海に移動

1月6日に上海帰任。今回は、11泊滞在と長かったのとイベントが多かったので、少々疲れた。空港には早めに着いて、羽田空港のキャセイラウンジでくつろぐ。

ほぼ定刻で出発。

機内食は洋食を選択。やはり、JALの上海便は、洋食が旨い。
機内エンターテインメントでは、先ず「スオミの話をしよう」を見たが、生理的に受け付けず30分で断念。今更ながらの「私をスキーにつれてって」を34年ぶりに見る。今からするとダサい(ベタ?)雰囲気満載だが、自分の若い頃の記憶を思い出して、少し涙が出た。なにせ、新入社員の年の映画だ。青春の思い出が、リンクされて出てくる。
この年齢になると、10年前、20年前が最近の話になってしまい、歴史の見方も若い頃とは変わってしまう。思えば、自分が生まれた1963年は、戦争が終わって18年しかたっていない。生まれる前なので、子供の頃は何も考えなかったけれど、18年前なんて、ちょっと前の出来事だ(自分が丸紅を辞めて以降と同じ程度)。親父は集団下校の時に、米軍機から機銃掃射を受けて、畔に逃げ込んだと言っていた。小学生に銃撃するんだもんなあ。そう思えば、平和の有難さというのを、もっとかみしめたい気にもなる。

浦東空港で預け荷物を待つが、荷物の輸送経路の映像が表示板に加えられ(しばらく前からだが)、自分の荷物がどう扱われているかを見ることができる。中国も日々変わるな。

父親がテニス全日本8位になったときの記録

これは元旦の写真。一人なら、おせちなどは作らないのだが(そもそも、好きではない)、父親と一緒なので、形ばかりに作ってみた。まあ、おせちの体裁は成していないが、おせちに使う食材の内、自分が食べられるものを外で買って、皿に盛っただけ。ダイエット中なので、雑煮は、自分の分はもち抜き。

これは、以前、父親に送られてきた「日本テニス協会60周年記念」の分厚い記録本。

父が昔テニスの全日本ランク8位になった時の記録がやっと分かった(20歳以下・ダブルス)。高校2~3年生で、8位と10位になっている。
後に全豪選手権でダブルスベスト8になった石黒修は、同じランクで5位(何度か戦い、一度、都市対抗戦で勝ったことがあるようだ)。家にたまたま兄のラケットが有ったという理由だけでテニス部に入り、初めてラケットを握った2年後(というより、1.5年後)に、全日本8位になったのだから、才能ってのはあるものだなと、子供の頃から思っていたし、逆に自分がテニスをやらない理由にもなってしまった。平均よりは運動神経が良かったが、父親を見ていると、明らかに違うのがすぐわかった。結果として、反発心から逆の路線(音楽やら武道やら)に行って、いまに至る。
ちなみ、同じランキングで成人部門1位の加茂は、同時期に、全米選手権のダブルスで優勝している。父は戦ったが、全く歯が立たなかったと言っていた。
ともあれ彼らは家柄の良いサラブレッド。小学校時代に両親を亡くし、兄姉に高校まで行かせてもらった父親とは環境が違いすぎた。食うために、高校時代の3年間でテニスを辞めて就職した父だが、続けていたらと想像すると、息子としては楽しい。

年末年始の日本

2024年12月26日~2025年1月6日の日本滞在であった。手配できたチケットの関係で、少々長め。帰国の翌日(27日)には、食材の買い出しに横浜駅に行く。すごい人だった。
因みに、これは庭の紅葉を父がテーブルクロスにあしらったもの。数日に一度、配置を変えて雰囲気を変えている。

これは河豚。今年2回目のふぐちりだ。天然の河豚なので美味しいが、季節ものは、2回目以降は感動が薄れる。暫くは河豚は食べなくてもよいかな。高いし。

炭火の使い方もすっかり習得。あまり煙も出なくなってきた。

この写真は、丸紅の先輩が実家まで来てくれたもの。丸紅の先輩から飲まないかと誘ってもらった時、「飲みたいんですが、親父と飯を食わないといけないので、家まで来ていただけたら・・・」とダメもとで言ってみたら、本当に遠路はるばる来てくれた。感謝の言葉もないです。

そんなこんなで、よく食べ、よく飲んだ日本滞在であった。