大学の4年間は、合気道に没頭した。
合気道は、平たく言えば、相手の骨を折る、関節を外す事を目的とした武道なので、試合の時は、頻繁に救急車に出動依頼する事になる。
(通常の合気道の流派は試合をしないが、僕が学んだのは、乱捕り試合をするマイナーな流派)。
また、30才になりたての時、ボクシングジムに通いだした。
年齢的にプロテストは受けられないので、ジム側からまったく期待されず、激しいスパーリング等はなかったが、それでも、なぐり合う環境が身近にあった。
ただ、20~30代の時は、殴られる事、骨を折られる事に関して、漠然とした怖さはあっても、恐怖と呼ぶほどのものではななく、結構、無鉄砲な戦い方をしていたものだ。
合気道は、平たく言えば、相手の骨を折る、関節を外す事を目的とした武道なので、試合の時は、頻繁に救急車に出動依頼する事になる。
(通常の合気道の流派は試合をしないが、僕が学んだのは、乱捕り試合をするマイナーな流派)。
また、30才になりたての時、ボクシングジムに通いだした。
年齢的にプロテストは受けられないので、ジム側からまったく期待されず、激しいスパーリング等はなかったが、それでも、なぐり合う環境が身近にあった。
ただ、20~30代の時は、殴られる事、骨を折られる事に関して、漠然とした怖さはあっても、恐怖と呼ぶほどのものではななく、結構、無鉄砲な戦い方をしていたものだ。
それが、最近、怖く感じる。
具体的な戦闘の状況に置かれた事はないのだが。
たとえばジムで、筋骨隆々の黒人を見ると、「この手で殴られたらひとたまりもなかろうな」等と、無意識に考える。
キックボクシングの軽いトレーニングはまだ続けているが(スパーリングはしない)、不思議な事に、殴られてもいないのに、殴られる痛さが、何故か現実味を帯びてくる。
年を取ったという事か、良識が付いたという事か。
それとはちょっと違う気がする。
なぜだろう。