2024年1月4日の昼に、丸紅時代の先輩と横浜中華街で会食した。場所はいつもの「湖南人家」。横浜中華街は大混雑。すごい人の出であった。
口水鶏と蒜泥白肉。僕はこれが好きなので、まずはこれを注文する。ここの味付けは、なかなか本格的で美味しい。
1988年に企業派遣の語学研修生として台湾の桃園空港に降り立った時、面倒くさそうな顔で僕を迎えてくれたのがこの先輩。街に向かう中興号(当時はボロくて真っ暗で怪しげな雰囲気。おまけに座席が少ないので立ったまま)の中で、「君は日本に彼女いるの?絶対別れるよ。みんな振られるんだ」とガツンとやられた思い出が蘇る。バスが台北駅に着くと、物売り、物乞いっぽい物売りが向かってくる中、早くタクシーに乗りたいのに、先輩は止まったタクシーと次々と喧嘩しており乗れず。「とんでも無いところに来ちまった」と、既に帰りたくなったのを思い出す。
その後(それから約10年後)、一緒に香港で靴の会社のエグジットをし、広東省中山で5億円の土地使用権を売り歩き、広州、香港、上海の組織再編をしで今に至る。あの初日の雰囲気からして(最初は嫌われてたっぽい)、これだけ深い関係になるとは思わなかった。人の縁とは異なものだ。
会食後、少し歩いてNorgeというバーに。
そして、山下公園だ。
実家が横浜。高校が山手、父の勤が関内(産業貿易センター)という関係で、この付近はよく行った。高校時代は金がないので、一人で海を見ながらぼんやりベンチに座っていた。浪人時代に、関内でジャッキーチェンの映画(ドラゴンロード)を見たのち、山下公園で海を見てたのを思い出す(浪人つらい)。
シーガーディアンがあるニューグランドホテルに行き始めたのはここ数年で、あまり思い入れがない。若い頃(青春の頃)は、ザホテルヨコハマという、横浜の人間には有名なホテル(横浜の人間は、ザヨコと呼んでいた)によく行った。そこにあった赤い靴というバーと鴎というラウンジが大のお気に入りで、新入社員の頃からよく行っていた。強い思い入れがあったのだが、ホテルごとなくなってしまったのは残念だ。
ただ、イチゴのカクテルは美味かった。ちょっとザホテル横浜の赤い靴カクテルを思い出した。そして、細巻きが頼めるのもよい。早く帰る筈が、話が弾んで夜8時前になってしまった。そんなこんなで散会。