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上海到着(街の様子)

昨日、成田から上海に移動。
全日空での移動であったが、乗客少なく、ビジネス・エコノミー合わせて20人位の乗客数か。
その内、日本人は半分以下と思われる。
時節柄、中国出張は、見合わせとなっているのであろう。
空港自体に乗客が少ないせいか、入国管理官も親切だ。

上海市街地の雰囲気は、表面的には、騒動前の状況に戻った感がある。
客はまだ戻っていないものの、日本料理店は普通に看板を上げているし、コンビニ店員、タクシー運転手などの対応も、特別なものはない。
今回のデモが、反日と所得格差等に対する不満が混然一体となったものであり、それゆえに、大義名分を掲げた略奪や破壊行為が生じているのも確か。
相対的に富める上海の市街地が、比較的早く平常な状態に戻ったという面はあるのかもしれない。

日本に一週間(20~27日)滞在して、日本の雰囲気(今回の問題に対する論調)も理解したし、それが、現場で身を張って働いている人間(現実を直視せざるを得ない人間)との間に、ズレがあるのは当然だと思う。
僕自身の意見は、既にブログで書いたので、これ以上、繰り返す事はやめたい。
最後に書くとするならば、日本の政治家は、自己満足や近視眼的な人気取りに腐心するのではなく、日本の未来を見据えた対応をしてほしいという事である。
日本を思うという事は、短期的な破壊の肯定ではなく、長期的な経済力の維持・成長であり、それが、国力の増強につながると思うからである。

次世代、次々世代の日本人が、世界に出て、「自分は日本人だ」と胸を張れる時代が、これからも続く事を切に願っている。

中国PE課税の理論と実務の最終作業

昨日は、横浜みなとみらいのオフィスで執務。
「中国PE課税の理論と実務(株式会社チェイスチャイナ)」の出版は、作業の関係で10月末~11月初旬となりそう。
予約販売は、来週頃から開始。
昨日、最終ゲラ構成を終わらせたので、僕の球は基本的にはなくなった。

今回の出版は、子会社のチェイスチャイナ。
自分で本を作り(原稿→校正→デザイン→印刷・製本)、書店流通させる(日本の書店、中国の書店、インターネットで販売する)仕組みを数年前から検討していたが、これがやっと実現する。
この難しさは、なかなか分かってもらえないのだけれど、中国だけでなく、日本の図書流通も特殊なので、流通させる部分が最大の難関。
自費出版なら簡単であるが、これを、書店に流せる様にするのは、容易なことではない。
そのため、日本流通・海外流通の仕組み作り(提携先の開拓)を、数年前から行っていたが、やっと、これが実現するのは嬉しい。

以前は、大手出版社から本を出版したいと願った事もあり、講談社等から出版した知人(友人であり、チェイスチャイナで執筆してくれている不動産鑑定士の釜口君も、講談社から本を出している)が羨ましかった。
ただ、十数年本を書いていると分るのだが、僕が書いている本、書きたい本は、基本的には専門性が高すぎ、この様な本を大手出版社から出すのは困難だ。
出すとすれば、書きたい内容を変えなければならない。
色々な経験をし、20冊以上の本を出版するうちに、自分の中で、(大手出版社から本を出すよりも)自分が書きたい本を出す事が重要にになり、そのルートを確保したいと思うようになった。
つまり、書かせてもらうのではなく、書いて流通させる、という形にあこがれを持った。
今回は、その第一弾。
これから、他の執筆者の本も手掛けていきたいと思う。

話変わって。
日本オフィスは、横浜みなとみらいのワールドポーターに入っているのだが、1階に、ファーストフードの中華料理がある。
昼食に、激辛担担麺とミニ麻婆丼を食べたが、その折、月餅が見に留まる。
美味しそうだったので、2個買って、午後のティータイムに杉山君と食べる。
伝統的な月餅は、僕にはくどすぎて食べられないが、これは日本風にアレンジされており、和菓子の饅頭の様でおいしかった。
和中折衷という感じ。
束の間ほのぼのとした時間であった。
季節を感じる。

世界の中の日本

昨夜、日本に到着し、オフィスで執務中。
日本の平和さ、穏やかさをつくづく感じる。
ただ、いつもは嬉しい平和な雰囲気も、自然と、これからの日本経済の行方、四方から迫る外圧に、思いが飛んでしまう。

前にも書いたが、僕自身は、外国で仕事をする事が必ずしも素晴らしいとか、国内のみで働くよりも意義があるとかは思っていない。
日本の中で頑張るのも、同じように大切な事だ。
ただ、海外で長く仕事をしていると、世界の中の日本、という、当たり前の現実を肌で感じるが、この経験がないと、そんな当たり前のことを忘れがちになる。
忘れがちになるというより、現実感を持てない。
それだけ日本が住みやすい国だ(日本の中だけで完結したくなる)、という事であろうが、現実を踏まえれば、海外との調和は避けて通れない道だ。
海外を常に意識できなければ、国内バランスのみにとらわれ、国際バランスを無視しがちになる。
中国で、反日で騒いでいる連中の多くは、国際社会の経験などなかろう。
日本人もまた然り。
見る事、経験する事で、初めて分る事もある。

僕は、大学に入るまで、一人旅をした事もなければ、飛行機にも乗った事がなかった。
それでも、商社に入り、数えきれないほど海外出張をした。
商社マンとしては、たいした危険には遭遇していない方かもしれないが、湾岸戦争直後で油田が燃え盛る最中に、ヨルダン・シリア・カタール・サウジを訪問したり、(1989年の)6・4事件の数週間後に中国に赴任したりもした。また、刻一刻と死者が増えていく(TVに感染者・死者の数が表示され、分単位でその数字が増えていく)SARS下の香港で生活もした。
バーレーンからヨルダン行きの飛行機の中、自分がたった一人の東洋人である事を肌で感じ、異民族国家にいる事を実感し緊張した。
そして、中国、香港、その他の国で、現地の人達と張り合い、協力し、そして助けてもらった。
危険に身をさらす事が偉いとは思わないが、そんな感じの緊張を経験した事で、感じた事、学んだことが有る気がするし、それが、今の僕の世界観・人間観に影響を与えている。
その意味では、若いうちに海外に出て、異国・異文化を肌で感じ、海外の若者と張り合う事を、日本の若者たちにも勧めたい。
その過程で、排他ではなく、自信を持って他国の価値観を受け入れる実力を身に着けてほしい。

街の沈静化と日本への移動

上海から日本に移動。
一週間日本に滞在し、27日に再度上海訪問予定。

中国公安当局の反日デモ禁止方針や、窃盗・破壊行為の取り調べ開始を受けて、街は一転して沈静化した感がある。
精神的なものもあるのかもしれないが、街の様子がこれだけ一変するのも驚嘆に値する。

勿論、問題の根本的な解決が図られたわけではないので、日中両国の、問題解決に向けた対話が必要となる。
落としどころを見決めた交渉を切に望む。

引き続き思うところは多いが、これより搭乗。
今回の移動は、国慶節の時期にかかっていたので、東方航空の格安チケットが購入できず。
全日空での移動。
久々に、機内で映画でも楽しむか、という気分。

上海にて思う

昨日上海到着。
中国人の知人や部下から、危ないから今夜は外出するな、と言われたが、街の状況が気になり、夜10時にオフィス近くに行き、しばし散策する。
人が極端に少なく閑散としている。
日本人だけではなく、中国人も少なく、今回の騒動が、日本人だけの問題ではなくなりかけているのを感じる。

器物破壊や暴力は、決して許されるべきではないが、その様な盲信的な行為に走るのは、中国人全体ではなく、ごく一部であると信じているし、それは、中国の人々と交わした会話でも分かる。
僕は中国人の良識を信じたい。
また、それと同時に、日本人の良識も信じたい。

自分が日本人である以上、日本寄りの考えになるのは当然だし、自分も(日本人という意味で)攻撃対象の一部になっている以上、憤りを感じるのは当然だ。
ただ、この状況で、如何に冷静になるかが大切なのだと思う。

政治であれ経済であれ、「喧嘩は勝てる根拠があってやるもので、交渉は落としどころを確認しながらやるものだ」。
出口のない強硬論からは、何も生まれない。

目先の状況からしても、日本の対中輸出は全体の約20%を占めており1位。
更に、中国内で多数の日系企業が活動を行ない、販売収益も得ている。
この落ち込みが極端になれば、停滞している日本経済が大きな打撃を受け、多数の企業の経営に問題が生じ、雇用喪失、社会不安が増大するのは自明の理だ。
では、中国はそれで打撃を受けないのか、と言えば、受ける事は確かであるが、日本製品が売れなくなれば、他国(欧米、韓国等)が攻勢をかけてくるのが経済世界の常識。
日本に対する示威行為は、日本限定のカントリーリスクと受け止められ、欧米企業の判断には影響を与えない可能性が高い。

開戦を軽々しく口にする人間もいるが、勝利を確信しての発言か。
米国が助けてくれるであろう。戦いに出るのは自衛隊の人間であって、自分(自分の身内)ではない、という安易な考えを前提としたものであれば甘すぎる。
有事の際に、強硬論がもてはやされるのは常であるが、それが根拠のない感情論であれば、最後に不幸になるのは国民である。
歴史から学ぶべきだ。
国民を幸せにするのが政治である筈。
まさに、今現在のかじ取りを、方向性を明確に定めて行ってほしい。
そろそろ問題を解決する時期だ。
中国には、日本の国益の為に、体を張って働いている日本人がたくさんいる。
さすがに、日本側には対応すべき問題はない、とは言わないでほしい。

蛇足になるが、領土問題は、ある意味結論の出ない議論でもあるが、他国の主張を、「洗脳で無根拠」と決めつけずに、自分の頭で理解するのは重要だろう。
自分自身が、歴史事実・背景は知らないが、国・メディアが日本のものというから、信じている、というレベルでは、どっちもどっちになってしまう。

念入りに健康診断

健康診断が終了した。
年々、部下、親、知り合いから、「健康診断をしっかり受けろ」とのプレッシャーが強くなってくるので、今年は3回に分けて、胃、腸の内視鏡、内臓(肝臓、腎臓、脾臓、胆嚢等)のスキャン、レントゲン、血液検査、その他スタンダードな検診を念入りに行った。
結果問題なし。
これだけ飛行機の移動や接待が多いも拘わらず、問題なし、というか、年々良くなっているというのは大変な事で、杉山君が驚いていた。

独立起業時は、今とあまり変わらない生活を行っていたのに、ひどい結果で落ち込んだが、これはストレスで免疫が落ちていたのであろう。
ストレスがなくなったためか、4年間ですっかり問題がなくなった。
やはりストレスは大敵だ。

あと、自炊が増えたのもよかったのだろうか。
大したものは作ってないが。

アジアの風(2回目)

先週土曜日に、出演2回目のアジアの風の放送があった。
僕は、BS・ケーブルテレビの契約をしていないので見れず。
今回は、放送してから1か月以上経っていたので、知り合いも放送の事を忘れており、「見た?」と聞くと、軒並み、「忘れていた!」という反応であった。
TV局からDVDが到着するまでしばらく見られない。
オンタイムに見れないのは、少々残念だ。

週末に思う事

週末は香港。火曜日より上海に移動。
色々と大変な時期ではあるが、日本企業の方々が、体を張って中国で働いている。
僕もしっかりと目線を合わさなくてはという気持ち。

思うところは多々あるが、ここで政治的な発言は避けたい。
ただ、こんな時期だからこそ、日本人、中国人問わず、冷静に判断し、正しい行動をとる事を心掛けたい。
いたずらに感情の対立をあおるような報道、無責任なインターネットの書き込みと見まがうような、政治家や識者の発言は避けるべきだ。
これは、決して正義ではない。

大きな国際経済の中で動いているのは、日本も中国も同じ。
その中に、人々の生活(雇用の維持)、そして未来がある。

他国を否定する事が愛国ではない。
日本人は、日本人としての誇りを持って(中国人も同じだが)、冷静に正しい判断をして欲しいし、自分もそうありたいと思う。

久々の更新ですが

一週間ぶりの更新です。
ここしばらく、仕事の飛ばし過ぎで、疲れが溜まり、ここ数日意識的にペースダウンしていました。
来週からまた走り出せるように、週末は休養予定です。

さて、
先週は、みずほ総研主催の組織再編・撤退・進出セミナー6時間(昼休みを入れて7時間)を終えて、どっぷり疲れたが、評価が随分よく嬉しかった。
このセミナー、元は、2005年早々に明日香出版から出した、組織変更・撤退完全マニュアルが、みずほ総研さんの目に止まり、依頼があったもの。

この本は、2004年末に執筆したが、それまで、組織変更を実務面から解説した本が無かった中で、組織変更にスポットを当てた(広東省のガイドラインも出ていない時期に、来料加工廠の独資転換も解説した)、流れを先取りした感がある書籍。
ただ、先取りしすぎてあまり売れず、したがって、改定もできないまま、今では随分制度が変わってしまった。そのため、筆者としてもお薦めしづらい状況であるが、出来れば、アップデートしたい思い入れがある本である。
明日香出版からというのは、状況的に難しいだろうが。

そんな感じで、売れ行きは今ひとつであったが、この本が機会で、アエラの取材を受け、3年前にガイアの夜明けの企画を組んでもらい(撤退コンサルの場面が取れない、という理由で直前でお蔵入りになったが)、みずほ総研の講演会が企画され、それ以前も、新聞社の取材を何社か頂くなど、取材、講演会面では貢献している。
これは、撤退という言葉が入っているビジネスガイドがあまりないためだろう。


この本を執筆した時、僕自身、「一番簡単なのは設立、次は撤退、組織変更は、設立と閉鎖の組み合わせなので一番難しく、この実務をわかっている人間は少ないはず」という思い入れがあったので、「組織変更マニュアル」というタイトルにしたいと主張した。
これが、出版社の意向で、撤退を加え、組織変更・撤退となったのであるが、結果的には(メディア対応的には)良かったのだろう。

ただ、その後、たくさんの撤退のサポートをして、撤退の難しさを、体で認識した。
撤退の難しさとは、制度面もさることながら、一番は心の問題。
解雇する人間、される人間、そしてビジネスパートナー間の、悲しみ、苦しみに直面せざるを得ず、脇でサポートしていても、心が痛む事が多い。
その意味では、技術的なものではなく、もっと人間的な難しさを、撤退は抱えている。

馬車道十番館のバー

一昨日(6日)の講演会も無事終わり、昨日は疲労困憊。
極度の疲労の中、日本事務所の会食会を開く。

因みに、水野コンサルタンシーの日本事務所を開設したのは、昨年5月の事であったが、1年ちょっとで社員が3人となった。
オフィスが既に手狭だ。

最初は、関内の焼き鳥屋。
それから、数分歩いて馬車道十番館に行く。
ここは、1階が喫茶店、2階が英国式バー、3階がグリルと銘打っている。
大学生の頃から、一度行きたいと思っていたが、何故か一度も行かないまま今に至る。
兄弟店の山手十番館には、何度か行ったのだが。
二十数年の念願かなっての、馬車道十番館のバー。
レトロな雰囲気がなかなか良かった。